老猫神(ろうねこしん)

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 春のお彼岸は温泉にでも浸かりに行くかと伊豆旅行。
 午前中に車で出発して途中道の駅でカニのスパゲティ食べてロールケーキ食べてカフェオレ飲んで海に面した崖上の宿にすんなり到着、見渡す限り海・海・海の客室に案内されてぽかーんとしていると20代前半のかわいい仲居さんが「あのうお夕食は六時でよろしいですか」と聞いてくる。満腹だったので「七時で」とお願いする。

 腹ごなしに散歩でもと旅館を出て急な坂道を下り、海に向かう。
 蛇行する細い坂道をうねうね歩いて行くと、そこかしこに猫が一匹、また一匹。あちこちに猫がいる。熱川温泉猫まつりである。いちご摘みならぬ猫摘みじゃあっとそばに近寄るとみな蜘蛛の子を散らすように逃げていく。誰か友達になってくれえと駆け寄るも全員にぷいとそっぽを向かれて途方に暮れる転校生のような気持ちになりながら、そのまま歩き続ける。

 熱川温泉はその昔、傷ついたサルがお湯に浸かって傷を癒やすのを見た太田道灌(=江戸城を築いた室町時代の武将)が開湯したと伝えられる由緒ある温泉である。泉質はなめるとほんのりしょっぱい無臭の塩化物泉で、創傷、皮膚病、筋肉痛、リウマチ、冷え性などに効果があるとされる。
 海のそばにはかまえのいい立派な旅館がずらり建ち並び、源泉を汲み上げる櫓からは湯煙がもうもうと噴き上がっている。
 しかし、なかには廃墟と化した物件もある。
 うわあまだ真新しくて立派なのになぜそこ廃墟、つぶれた理由は何なのかと一生懸命建物を眺めるがさっぱりわからない。仲居が全員クセ者だったのか、料理長の味付けが奇妙だったのか、あるいはオーナーが突然俗世を捨てて仙郷に入ったのか。
 順調にまわっていれば今ごろガラスを張り巡らせたロビーの向こうにはたくさんの観光客がひしめき、その間を仲居が忙しく駆け回り、展望露天風呂では子どもや大人のにぎやかな声がさざめいていたのではないかと想像する。
 誰もいない大旅館は食べるものがなくてドカッと倒れ、そのまま息絶えたティラノザウルスのようだ。
 
 浜辺に到着。2001年宇宙の旅に出てくるディスカバリー号にも似た大島を彼方に見やり、砂浜にしゃがんで打ち寄せる波に両手を浸して人差し指をぺろっとなめると塩辛い。
 海水はなぜこんなにもしょっぱいの、あっそうかこの世に生じたケガレを祓い清める役割があるからだ、大地から流れてきたケガレの毒性をその強い塩気でもみ消し、寄せては引いてを繰り返しながらその厄を遠い遠いどこかに流し去るのだ、海と陸の比率は海70%で陸地30%、やっぱりそれくらい広くないとこの世の厄は消化できないのか、地球とは実に巨大な自浄装置なのだなあなどとぼんやり考えながら遊歩道に上がる。
 人気のないベンチが等間隔で並んでいる。そこに大きな老猫がぽつんとうずくまっている。
 一年間雨ざらししたような色つやのないボサボサのクリーム色の被毛の猫はこちらが接近してもびくとも動かず、ただ固く目を閉じて肌寒いベンチの上で置物のように丸まっている。
 死んでいるのか、いや腹がスーハーしているので呼吸はしている、じゃ具合でも悪いのかとそっと猫の隣に座ると頭やら背中やらがところどころ傷ついてハゲている。
 満身創痍だなお前、昔は蝶よ花よとモテたのに今はひとりぽっちの廃旅館かとつぶやきながら頭や肩にくっついたゴミやホコリをはらってやるとおもむろに立ち上がり、人の太ももの上にどかっと乗って大きな身体を小さく丸めて寝の体勢に入った。
 妙に人懐こいな、しかもヘンに身体が温かいぞ 熱でもあるんじゃないのかと少し心配しながら膝上の猫を三十分ほどなで続け、猫が体勢を変えようと立ち上がった瞬間にじゃあねまたねこれから自分は風呂に入って夕飯を食べねばならないからねと後ろ髪を引かれる思いでその場を立ち去った。
 振り返ると猫はこちらに一瞥(べつ)もくれず大あくびをして、寒そうにぶるっと震えてからまたベンチの上で丸まった。
 また会おうぜくらい言ってくれてもいいじゃんかさっぱりしたやつだなあと思うが相手は猫である。

 温泉街に入ると古びた射的場があり、親子連れが静かに遊んでいる。反対側にはシャッターの降りた店舗、そこにライオンのようにふさふさたてがみの生えた茶色い猫がいる。たぶんペルシャと日本猫の雑種だ。
 いい毛並みだねえとそばに寄っていくとタヌキほど太いしっぽをピンと立てて甘えてくる。かわいこちゃんだねよしよしよしよしと夢中でなでまくっていると建物の奥から今度はキジトラの日本猫が登場、小さいけれどぷっくり太っているのはもしや出産間近なのか。 
 かわいいねえと声をかけるとぬにゃぬにゃとヘンな声を出して積極的に甘えてくる、ちょっと前までとは打って変わって両手に花いや両手に猫のハーレム状態、まるで複数のキーボードを操るスティービーワンダー、気分は孤独な転校生からモテモテの転校生へと百八十度反転している。

 このモテぶりはもしや、
 スティービーワンダーの名曲「迷信(=Superstition)」のリズムで二匹の猫の尻をかわるがわるたたいているうちに気づいた。
 あのベンチにいた老猫の所業ではないのか。
 三次元の世界ではぼろぼろの老猫に見えるが実はあれは猫神、一般猫の頂点に立つ特殊な神通力を持った老猫神であり、「あのアタマ天パーの人間は猫好きみたいだからそばを通ったらかまってやれ皆の衆」と配下に指令を出したのではないか。
 ふと見ると通りの向こう側でも黒猫の親子がじっとこちらの様子をうかがっている。うわあ猫集団の攻めの布陣が徐々に狭まっている、このままここにいると三百六十度を囲まれて脱出が困難になり「お夕食は七時というたじゃろうがお客さん」とかわいい仲居さんから冷たい目でたしなめられるに違いないと恐ろしくなり、後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。射的場では相変わらず親子連れが静かに遊んでいる。
 崖上まで延々と続く急な上り坂を見上げ、ため息をついてから意を決して踏み出す。振り向くと魔法のように猫が消えている。ひじから下は猫の毛だらけ、熱川温泉猫まつりに参加したあかしである。