犬天国

DSC00955
 イヌイヌ、ああっイヌが足りないイヌに囲まれてゴロンゴロンしたいッと発作が起こり、いても立ってもいられずぶうううんと車を走らせて着いたところが犬ランド。
 天気は快晴、梅雨なのにちっとも雨が降らないのはどうしたわけかと道中ふと思うがランドに着くなりそんな懸念は木っ端みじんに吹っ飛び、入り口でけだるそうにごろんと横たわっている本日の園長犬・パグのモモちゃんに意識をロックオン。こんにちは、こんにちはと呼びかけながら笑顔で胴体をなで回すがうるせえなあほっといてくれよと無視される。
 いいもん、ここには他にまだまだたくさん犬がいるんだもんと気を取り直し、焼きそばやフランクやソフトクリームを売る売店には目もくれず一直線にふれあい広場へ向かう。

 ふれあい広場は小型犬エリアと大型犬エリアに分かれている。まずは手慣らしにと小型犬エリアのゲートを開ける。
 いるいる、プードルやポメラニアンやチワワやミニチュアシュナウザーなどふだんなかなかさわれない愛らしいのがたくさんいる。先客のカップルや親子連れがベンチに座ってまったり膝の上のイヌをなでている。のどかな風景だ。
 我も負けじと「さあこいっ」と両手を広げて入り口付近でしゃがみ込むが数分間そのまま待っても誰も来ない、みなスタッフのお姉さんのそばで尻尾を振ったりお姉さんの足もとをくるくる走り回ったりしている。
 そうだよなあ、毎日お世話してくれるかわいいお姉さんと一見(いちげん)のよくわからないヘンな客、自分がもしイヌなら迷わずかわいいお姉さんを選ぶよなあと思い直し、イヌがたくさん集っているところへ行く。
 この時点でやっと何匹かのイヌが自分に気づき、そばに寄ってきてクンクンにおいを嗅ぎ始める。そのまましっぽを振って抱っこをせがむかと思いきやつまらなそうにスッと通り過ぎ、どこかへ行ってしまう。
 仕方ないのでベンチに座ると、ふくらはぎに何か温かいものが当たった。ん? と足もとに目をやると、ネズミによく似た痩せイヌがぶるぶる震えて自分のふくらはぎに身体を押しつけている。
 実験ネズミのごとく体毛をすべて剃り落としたような身体、四肢は骨張ってまるで干からびたサルの手みたい、モンステラの葉のように巨大に発達した黒い耳はところどころちぎれている。うわあ正直このイヌ気持ち悪い、でもぶるぶる震えててかわいそう、仕方ないなあと抱き上げて膝の上に乗っけてやる。
 すぐ隣で毛がふさふさのプードルや毛並みのいいシェルティーやモコモコの柴犬などいわゆるイヌらしいイヌたちが元気に飛び跳ねたり抱っこされているのを横目で見ながら、困ったような顔をしてぶるぶる震えるネズミイヌを膝の上でそっとなで続ける。背骨やあばらが浮いてゴツゴツだ。
 イヌの気ははかなくてかよわい、人間に愛されるため品種改良されてきた小型犬は親の言うことにただ素直に従うだけしかないけなげで頼りない嬰児(みどりご)のようだ。

「これから一時間、ふれあい広場は休憩時間に入りまーす」
 スタッフのお姉さんのかけ声で客が次々に立ち上がり、ゲートから出て行く。半眼のネズミイヌにごめんね時間だからねとあやまり、そろそろと地面に降ろして自分も外に出る。

 広い敷地の向こうに、「ドッグレンタル」の看板が立っている。
「お好きなわんちゃんとお散歩しませんか?」
 見ると大きな犬舎にイヌがいっぱい、ねえ来て早くこっち来てと一斉に吠えている。その昔ロシア貴族に愛された優雅なボルゾイやら頭の良さそうなイングリッシュセッターやら愛嬌のあるラブラドルリトリーバーなどよりどりみどり、別の仕切りにはマルチーズやらチワワやらダックスフントやら小型愛玩犬が低い柵に前足を乗せてフンフンキュンキュン甘え鳴きしている。
 ここはつまりイヌのキャバクラ、お金を払えばこの子たちをしばらくレンタルできるのだ。かわいい子、きれいな子、頭がよくて愛想のいい子から先にどんどん売れていき、愛想のない子、ぼんやりした子、人に興味のない子は散歩に出してもらえない。
 世をはかなんでいるかのようにしょんぼりうつむいているチワワを抱き上げ、君は借り手がつかないのだね今日はお客さん少ないもんねこの世界も人気商売だから大変だねと背中をさすると、おとなしく自分に身体を預けている。
 そのとき、私のショルダーバッグのひもを誰かが背後からグイッと引っ張った。
 ん? どこのわんちゃんがいたずらしてるんだい? と振り向くと誰もいない。
 あれおかしいなあ、気のせいかなあと気を取り直してチワワをなでていると、またしても誰かが背後からバッグをグイッと引っ張る。
 ぱっと振り向くとやっぱり誰もいない。イヌたちはみな犬舎に入っているので、勝手にそこら辺をフラフラ歩き回れるわけはない。
 あっこれはもしかすると、自分が死んだことに気づかないイヌが遊んでくれ散歩してくれと自分に訴えかけたのではないかと思った。気のせいかもしれないしそうでないかもしれないが別にどっちでもいい、力の強さや引っ張った高さから言ってたぶん中型犬か大型犬だろう。遊んでやりたいのは山々だが、姿形が見えないので遊びようがない。
 生きてる生きてないに関わらずたくさんのイヌとふれあえるここはまさに犬天国、いいよいいよ生きてるイヌも死んだイヌもどんとこい、一緒に遊ぼうじゃないかと少ししんみりしながら「お願いします」と受付で財布を取り出し、生きたイヌにリードをつけて散歩させている最中に蛍の光が流れ始めた。
 イヌを返してから出口に向かうと、果たして自分が最後の客であった。本日の園長犬・パグのモモちゃんがスタッフのかわいいお姉さんに抱っこされて出口の外にいる。
「お見送りしてくれるのありがとう、楽しかったからまた来るね」と頭をなでるとうるせえなあと顔を背けられた。
 車に乗り込むと全身がイヌ臭い。これでいいのだ、ああ楽しかったとバウンとアクセルを踏み、「迷子の迷子の」と歌い出すがあっこれ子猫ちゃんの歌じゃんとすぐに気づく。だが面倒なのでそのまま歌い続ける。「あなたのおうちはどこですか」のところで何かがグッとこみ上げてきたが、あえてそれを無視して一目散に家を目指した。