人外大魔境・養老渓谷

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 養老渓谷そばの秘湯の宿に1泊。川に面した部屋に案内されて窓を開けると、耳を洗うような川のせせらぎの音。
 宿に着いたのが夕方過ぎだったので渓谷散策はその日はあきらめ、露天風呂に入って夕食をいただく。シカ肉のソテーやしし鍋、鮎の塩焼き、タケノコの炭火焼きなど、ご当地ならではのご馳走が並ぶ。どれもほどよい分量で好感が持てる。
 夕食後、もう一度露天風呂に入ってから床についた。
 ・・・・・・あれ? 眠れない。疲れているからすぐ眠れるはずなのに、奇妙な映像が次から次に頭に浮かんで意識が半覚醒したままだ。
 日本昔話の幻灯絵巻をフラッシュバックで延々と見せられている感じ、ああもう面倒くさい、早く寝たいのになあと何度も寝返りを打つが、意識がなくなる寸前にすかさず映像がパパパッと挿入されてくるので、なかなか意識を失うことができない。
 いったい誰が邪魔してる? そういえば部屋のすぐ外につがいのシカのはく製が飾ってあった、でもあれはそんなに力が強くないからたぶん悪さはしないだろう、じゃあ誰だ。
 しばらく考えてから気がついた。そうか、滝だ! 窓のすぐ下には渓谷が広がっているのだっけ。水場にはさまざまなものが集まるからなあ、カバンにお守り入ってるのに効かないじゃん、やっぱり枕元に置かないとダメだな、あ、雨だ、雨の音が聞こえる、かなり降ってきた。
 うつらうつらするうちに夜が明けた。

 翌朝、朝食を済ませてから渓谷へ降りた。「滝めぐりコース」として川沿いに設置された遊歩道は全長4キロ、約80分の道のりだ。
 雨は小降りでときおりぱらぱら降る程度、傘なしでもいけそうだ。それにしても寒い。
 重く垂れ込めた雲の下、私はコートの襟をかき合わせて遊歩道を歩き始めた。見渡す限り、ほぼ手つかずの大自然。眼下には渓流、その両脇に天高くそびえ立つ岸壁。頭上には生い茂る新緑の木々。ところどころ、うす紫色の藤の花が咲いている。
 平日の朝のせいか、あたりには誰もいない。聞こえるのは水の流れる音だけ。
 川の中は神秘的だ。水が走る岩盤の上に横たわったり、深い青緑色の水の中に沈み込みたいと本気で思う。
 滝をふたつほど通過したあたりで、雨が勢いを増してくる。道の向こうには同じような景色が果てしなく続いている。
 仕方ない、引き返すとするか。これ以上濡れたら風邪を引く。
 いさぎよくUターンする。内心、ホッとしていた。陰気な雨が降る暗い遊歩道をそのまま進み続けるのは少し気が重かった。いや、実を言うとこわかった。神隠しにあってもおかしくない雰囲気だったからである。 

 帰宅後、渓谷の写真をパソコン画面で見ると、そのうちの1枚に大きな紫色のオーブ(丸い光の玉)がくっきり写っていた。拡大すると、刀の鍔(つば)の中にエイリアンもしくは観音さまの顔がきちんと収まっているような感じ。
 歩いている最中、背中がゾクゾクしたのは気温が低いからだけではなかったのだ。無人の大魔境に踏み込んだ「よそ者」は、水辺に棲む者にずっと後をつけられ、監視されていたに違いない。

 2010.05.13