今から振り返ればあまり運のよくなかった20代から30代前半のころ、私は黒い服ばかり着ていた。
当時は黒い服が流行っていたこともあるが、着ればそれなりになんとかまとまる、体型がカモフラージュできる、汚れがついても目立たないなどという理由から、店へ行っては100発100中黒ばかり選んでいた。今から考えれば本当にカモフラージュしたかったのは体型よりも内面に渦巻く孤独や不安や恐れだったように思う。
ある日、若者で賑わうファッション街を歩いていると気になるショップがあった。薄暗い店内にふらふら入ると目の前の壁に黒いショートジャケットがぽつんと展示されていた。
いいなこれと思って眺めていると店員が寄ってきて「着てみますか?」と言う。勧められるまま袖を通すとぴったりだ。値札を見ると、自分に手が届く金額が書いてある。
「いいですよ、これ。ついこの間入ってきたんですけど。手作りの1点もので」
かっちりしたシンプルなデザインなので仕事にも使えると踏み、財布からなけなしのお金を取り出してすぐに買った。
翌日、さっそくそのジャケットを着て仕事に行った。新しい服を身につけると普通は意気揚々とするはずなのに、なぜかずっと気が重くゆううつだった。いざ仕事をしようとしても集中できず、一日中ずっとぼんやりとりとめのないことばかり考えていた。
「ダメじゃないか!」
その日はつまらないミスをして上司から叱られ、いやな気分で家路についた。
手持ちの服をそれほど持っていないせいで、黒いジャケットの出番は多かった。1週間のうち2、3回は着ていたのではないかと思う。しかしそれを着るたびに気持ちがふさいだり体調が悪くなったり人とぶつかったり仕事がうまくいかなかったりとよくないことばかり起こった。
最初のうちこそ気に留めていなかったものの、「君、このプロジェクトからはずれてくれないかな」とその服を着ている日にクライアントから眉をひそめて言われたときにはさすがに「この服はおかしいのではないか」と感じざるを得なくなった。もちろん自分の未熟さや不手際もあったのだが、そこまで不運が重なると、本当の理由はそれだけではないように思えた。
洗えば厄が落ちるのではないかと黒いジャケットを何回かクリーニングに出した。しかし何度洗っても、店から戻ってきた黒いジャケットには重苦しい気がまとわりついているような気がした。
「手作りの1点もので」
ふと、店員の言葉が脳裏によみがえった。
物には作り手の思いや念がこもる。もし作り手が服を製作するときに怒りや悲しみ、憎しみ、絶望などの感情にとらわれていたらどうなるだろう? そのネガティブな思いは無言のうちに裁ちばさみや針を通じて布地に潜り込むのではないだろうか。
もしかするとこのジャケットにはひと針ひと針「不吉」が縫い込まれているのではないか? 黒い布地一面にどす黒い想念が乾いた血のように染み込んでいるのではないか?
イヤな気持ちになり、クリーニング済みの服をそのまま丸めてゴミ袋に放り込んだ。
その後、徐々に黒い服からも遠のいた。古来、喪服として使われるように、黒は悲しみや孤独を吸収して留める色と知ったからだ。
「着るだけで気分がよくなる服」「着るとなぜかいいことが起こる服」があるように、「着るだけで気分が落ち込む服」「なぜかよくないことが起こる服」というのも存在する。服はどれも何食わぬ顔をしてクローゼットやタンスの中で静かに眠っているが、持ち主が取り出して身につけた瞬間に息をよみがえらせ、正体をあらわにする。
物には心が宿る。まず最初に入るのは作り手の心だ。それはたぶん、物の寿命が尽きるまで消えることはない。
だから最初に着たときによくないことが起こった服には注意しなければならない。しかし「もったいないから」と売ったり譲ったりするのはほかの誰かに不幸をバトンタッチすることになる。勇気を出して早めに見切りをつけ、葬り去るほうがいい。
2011.11.06