熊手女

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 おさななじみと1年ぶりにランチ。
 ああっみなさんいい具合に発酵していらっしゃる、年季入ってどこから見てもそれぞれがそれぞれに格好いいぜと午後の日差しのあたる店で芋天を食べながら感動する。
 金銭のからんだつきあいは水の泡のようにはかないが、長年かけて培った損得抜きの人間関係はまるで「ただいま」「おう帰ったか寒かったろう、まあこたつにでも入ってあったまんな、いま鍋とか煮てっから。しらたき多めがよかったな?」というような安堵感がある。親と疎遠だし友達の数も少ないが、そういう「実家」のような存在がいてくれる自分は幸運だったと思う。
 会話は止めども脈絡もなく延々と続く。自分のことを話すのが面倒なのでもっぱら聞き役に回る。
 グループのメンバーは全員まじめにひたむきに生きているのでみなそれなりに幸せだが、その中の1人であるNの話を聞きながら、あ、本当の強運の持ち主というのは実はこういう人なのではないかとハッとした。
 Nはおだやかで親切でいつもニコニコしている謙虚な主婦である。暇さえあれば趣味の手芸をしたり掃除をしたり家族のご飯を作っている。
 小学生のころ「大きくなったら何になるの?」と聞くと「うーん、お嫁さんかなあ」と答え、中学生の頃同じ質問をすると「うーん、お嫁さんかなあ。でももらってくれる人いるかなあ」と答えるくらい地味な人だったのである。ところがどっこい適齢期を迎えるといきなり玉の輿に乗り、2人の子宝に恵まれた。
「ううん、あたしなんて庶民だし平凡だから」「あたしなんか全然たいしたことないよー」が彼女の口癖なのだが、よくよく考えてみると「生まれてから病気らしい病気をしたことがない」「お金に困ったことがない」「恵まれた環境の家に住んでいる」「結婚以来ずっとおしどり夫婦」「誰からも好かれて敵は皆無」「子どもたちもどんどん幸せになっている」など、あまりくわしくは書けないが幸運てんこ盛りの人生を送っている。
 もちろん本人もそれなりに努力していると思うが、おかめ顔の彼女の背中には鯛やエビや打ち出の小槌などが乗っていると思う。歩く大熊手である。 

 ネットやテレビや雑誌ではよく「強運な女性」が登場するが、よくよく見ると虚勢や見栄を張っていたり、どこかで無理をしているような気がする。「こんなにいつも美しく微笑んでいたら、疲れるだろうなあ」とも思う。
 そう考えると、地味ながらも肩に力を入れず自然体でコツコツ幸せの根を大きく広げているNは質実剛健である。風水や家相や方位学とは無縁でも、「ごく自然に王道を歩ける人」はいるのだ。これは先祖の余徳か、本人の人徳か。
 いやもしかすると彼女の幸運の源泉は、Nよりさらにひとまわり強運な彼女の母親にあるようにも思える。
 彼女は一見「ニコニコしている普通のおばさん」だが、強いていえば輪郭が太い。別に太っているわけではない、ただ身体からにじみ出る気がなんとなく強いのである。この「なんとなく」が味噌のように思う。
 NとNの母親のどこがすごいかというと、まったくすごく見えないところである。
 本当にすごい人は、「私、すごいンです」という派手な看板とは無縁の場所で楽しくつつましやかに暮らしている。

2011.10.13