怒りの浮上

 恵比寿の写真美術館でやなぎみわ展。雨なのに盛況。
「50年後、どんなおばあさんになりたいか」を表現した作品群は、毒のあるおとぎ話の世界。
 同じおとぎ話なら、「fairy tale」シリーズのほうがすごみがあって好きだなあと思いつつ、帰りに美術館のショップで「ゆるす言葉」(ダライ・ラマ)を購入。「怒りは力ではなく、弱さのしるし」という表紙の言葉が気になったのだ。 
 人にはそれぞれ「原点の感情」が存在すると思う。物事を受け止めるときの感情のクセ、あるいは幼いころから慣れ親しんでいる感情の種類。これは、育ってきた環境によって異なる。
 私の原点は怒りだ。憤りに満ちた幼少期を過ごしたおかげで、現在に至ってもちょっとしたことで怒りを感じたり(怒りのアンテナが敏感になっているせいだと思う)、過去の怒りが突発的に浮上してくる。これらの怒りをどう沈めればいいのか、どうすれば消せるのか、ものごころついてからずっと考えているが答えは見つからない。
 ダライ・ラマの本には「相手をゆるして、怒りから自分を解放してあげなさい」とある。しかし、自分を怒らせた相手をゆるすほどの大きな愛と慈悲心は私にはない。無理にゆるすと、自分にウソをつくことになる。
 で、こう考えることにした。浮上してくる怒りは、無理に抑えつけない。頭に浮かぶままにさせる。そして浮かんだものは留めずに、左から右へ流していく。
 脳に刻まれた記憶は消しゴムで消すことはできないが、記憶の残像に取り憑かれないよう気をそらせることならできる。

2009.04.19