神だのみ

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 方位のパワーを取りに、約1週間の旅に出た。大吉方位への移動なので気分はハイ、苦手な飛行機も余裕で乗り倒した。私の趣味は開運だ。
 吉方位旅行のいいところは、旅の最中や事後にたとえゲッと思うようなことが起こっても、「これは開運に必要不可欠な毒出しである」「この出来事は過去の悪行を清算するため必然的に生じている」「これを越えれば幸せをつかむことができる」などと気持ちをポジティブに切り替えられるところであろう。ただ単に旅行してイヤな目に遭ってしょんぼりして帰ってくるより、よほど生産的なのである。吉方位旅行が古来すたれない理由のひとつは、そこにもあると思う。 
 ラッキーなことに初日はゲッなことも特に起こらず「ああ楽しい、ああうれしい」だらけで過ぎ、やがて夜が来た。上げ膳据え膳のホテルのベッドで横になり、800キロ近い移動の疲れもあってすぐに眠りに落ちた。

 ・・・・・・窓際の白いカーテンに、誰かがみの虫のようにくるまっている。やがて、ぺろんと布をめくって姿を現した。死んだ知り合いだ。
 この知り合いは夢を通して棺桶の中に一緒に入ろうと誘ってきたり、黄泉(よみ)の国に続く地中の狭いトンネルにむりやりご招待してくれようとするのでちっともありがたくない。たぶん他に頼る人がいないのだろう。
 またお前かしつこいな、人を巻き込もうとするのはムリだっちゅうのがまだわからんか。
 ・・・・・・やっぱりだめかなあ。
 私が拒否すると、そいつはぼそっとつぶやいた。
 生者と死者では存在する次元がまったく違うのは当然の理、それでも境界を飛び越えてコンタクトしてくるのは、よほど依存心が強いかよほど辛いのだろう。

 正規のステップを無視して無理やり肉体を脱ぎ捨てると、時間の流れから外れて「しばらく」さまようことになる。年を取るのはイヤだとみんな思うが時間に支配されるからこそ救いがあるのだ。神様の時間概念は悠久で人間の何倍も長いから、この「しばらく」は永遠に近い。苦しい瞬間のまま永遠を過ごすのはまさに地獄のような苦しみではないかと想像する。
 いつ生まれ落ちるか自分で決められないように、人間はいつ死ぬかを安易な理由で自分勝手に決めてはいけないのだ。「そんなの個人の自由じゃん」と不自然なことをすると、ベルトコンベアーからはずされてしばらく放って置かれることになる。

 いやな気分で目が覚めて、窓の外を見ると暗闇だ。時計を見ると3時過ぎ。まだ早い、寝ようと思って目を閉じた。

 私はバスに乗っている。バスの中はがらがらだ。
 両肩が妙にずしっと重い。
 あれ、何でこんなに肩が重いのと手で左肩を触ってみると、半分ひからびた誰かの手が乗っている。右肩も同じである。
 思わず後ろを振り向くと、丸い黒眼鏡をかけたやせた爺さんが両腕を伸ばし、私の両肩に両手を乗せている。
 うわっ。
 思わず手で払いのけ、立ち上がった。

 そこで目が覚めた。すでに明るい。時計を見ると6時を回っている。
 タモリ、もしくは冷血のトカゲにも似たあの無表情な黒眼鏡の爺さんはいったい誰だと考えを巡らせるがまったく心当たりがない。
 勝手に人の肩に手を乗せやがってずうずうしいと無性に腹が立ったが、すでに見終わってしまった夢なのでどうにもならない。
 飛行機の中で何か憑けてきたか、ホテルの部屋にもともといるものなのか、あるいは死んだ知り合いに関わる何かなのか。いずれにしてもたちが悪い、あの爺さんの黒眼鏡は正体をカムフラージュするためのもの、たぶん本体はものすごくケガレたものに違いないと想像する。
 旅先ではどうしても無防備にならざるを得ない、だから初めての部屋ではいろいろなものが襲ってくる確率がけっこう高い。

 萎えた気持ちを抱えたまま、朝いちの露天風呂に行く。
 誰もいない風呂の中で頭に白いタオルを乗せて「旅行の初日に悪夢2連発」の意味を考える。
 これは毒出しなのか? いや違う、隙を狙われたのだ。
 目の前は本州最西端のターコイズブルーの海、潮騒の音を聞きながら涼しい海風にただ身をさらすのみ。
 何にもなくて、いいところだなあ。
 あっそうか神社だ、どこか力のありそうな神社へ行って守ってもらえばいいのだとピンと来て、その日の移動途中に神社参拝の予定を組んだ。その神社の御祭神はストイックな武士として知られる。
 うん、あそこへ行こう。

 日の落ちる前に、神社に到着。
 凛と引き締まった空気が境内に漂い、正殿に向かうと自然に背筋が伸びた。一点の曇りもなくすがすがしい雰囲気、さすが後世に誉れ高い武士を祀った神社だけあると感心。
 二礼二拍手一礼してから、お守りを入手。おみくじを引くと大吉。
「争いごと 勝つ」
 やったあ。

 その夜、枕の下にお守りを忍ばせて横になる。またあいつが出てきたらもう本気で怒るぞ、しかし本気で怒ってもどうにもならなかったら面倒だなあといろいろなことを考えながらうとうとしていると、いきなり「この馬鹿者がぁぁぁぁっ!!!!」と大声で怒鳴る声が頭に響いた。
 えっバカ? 自分やっぱりバカですか? と一瞬思うがすぐにあっそれ違う、誰かものすごく大きくて強い人が誰かを恫喝(どうかつ)したのだと気づく。
 たぶん参拝した神様、もしくはその方の門下生が「馬鹿者」を追い払ってくれたのだ。やっぱりあのお方、頼もしいなあ。

 翌日以降の旅はほとんど何の問題もなく快適に過ぎ、無事に帰宅して今ここでこうしてブログ記事を書いている。道中いろいろなことを見たり聞いたり考えさせられたりしたが、おおむね楽しかった。
 現在、身体の中に方位のパワーがたっぷんたっぷんに詰まっているのを感じている。食べ過ぎか。いやそうじゃなくて。
 このパワーが具体的にどう具象化していくのか、これから興味深く見守っていこうと思っている。

2012.10.17