年末の帰省

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 2009年もあとわずかなので、家中の古いお守りをかき集めて氏神へ納めに行く。
 年の瀬は空気が澄んで、風がひゅうと骨にしみる。小柄な少女が向こうからパタパタと走ってきて、ヒョッと電信柱にしがみつく。目鼻立ちははっきりしているが、浮世離れした雰囲気でどこか普通ではない。よく見ると、ほおに黒い毛が生えている。
 私がわきを通り過ぎると電信柱から離れ、来た道をパタパタと小走りに戻っていった。

 誰もいない神社で参拝していると、真っ黒い髪を伸ばした黒いロングダウンコートの女がうしろで順番を待っている。ついさっきまではいなかった。
 参拝を済ませ、せっかくだから街へ足を伸ばそうと駅へ向かうと、携帯電話を耳に当てている若い男が左隣にいる。目は右斜め上30度をぼんやり見つめ、横断歩道をふらふらと右斜めに横切る。
 五分刈り、左右の眉はつながるほど濃く、まつげが異様に長い。何かに引っ張られるように、体を右側に傾けて歩いている。ぶつからないよう、そっとよけて歩道を渡る。

 不思議なことに、なぜか毎年、年末年始になると人間のようで人間でないもの、つまり「妖怪」が街中にひんぱんに現れる。古い気と新しい気が大きく入れ替わるときのどさくさにまぎれ、ひょっこり遊びに来るのだろうか。
 おしなべて妖怪はおぞましいようなでも憎めないようなアンバランスな雰囲気を漂わせており、かわいらしくそしてどこか哀しい。
 駅前にはカートを引きずる人々の群れ。
 ああそうか、妖怪たちも今、こちらに帰省中なのだなと気づく。

2009.12.29

イメチェン

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 セミロングに飽きたので、美容院でスタイルをチェンジ。
「ベリーショートでシャープな感じにしてください。もみあげの部分は少し長めに残して、後ろは耳にかけたいんです」
 私はそのとき、ジギー・スターダスト(デヴィッド・ボウイの初期のキャラ)の美しい容姿をぼんやりイメージしていた。
「そうですね、お客さまなら似合うと思いますよ。よし、思い切ってイメチェンしちゃいましょう!」
 念入りにカットして、カラーリングもして、2時間後に終了。疲れて最後はほとんど眠っていた。料金を支払い、頭がぼんやりしたまま店を出る。気分はもちろん異星の客・ジギーである。「屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ」のジャケ写を思い浮かべながら街を闊歩する。

 帰宅して洗面所に直行、期待満々で鏡をのぞく。
 どうよ私? ジギーっぽくなった?
 ・・・・・疲れた森昌子が立っている。
 うわあなんだこれどうしたんだと驚愕しながらはさみを取り出し、あえて不揃い感を出してみる。
 これでどうよ?
 再び鏡をのぞく。
 森昌子からもんちっちへ華麗なる変身を遂げた人間が立っていた。

2009.12.22

太陽の慈悲

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 太陽は毎朝、東の地平線から顔を出し、南中して西の空に沈む。雨の日も風の日も同様だ。
「今日はしんどいから昇るのやめた」ということは一切なく、それこそ気の遠くなるような長い間、ひたすら同じ営みを繰り返している。考えてみれば、これはすごいことである。
  太陽は高いところから地球を照らす。だから町や国、陸や海を問わずすべての場所に平等に光が当たるし、すべての生きとし生けるものに平等にエネルギーが降り注がれる。その温かいエネルギーを体に浴びるだけで、私たちは生きる力が自然に湧いて前向きな気持ちになれる。 

「すべてに平等」
「無償の愛を惜しみなく与える」
「うそいつわりがない」
「まぶしくて直視できない」
 それって神さまじゃないのか。つまり太陽とは、一日も休むことなく慈悲の光を放つ神さまなのではないか。

2009.12.21