骨密度

rimg0057.jpg_4
 3月中旬のある晴れた朝、散歩がてら骨密度を測定しに行く。
 道路沿いはマンションやビルの建設工事でわさわさとにぎやか、おまけにゴミの日なので収集車が集積所に来ては停まり、そのうえバスまであとからあとから来ては停まりするので全体的にアップテンポな春の大交響曲といったおもむきである。
 グリーンのフェルトのつば広帽に季節外れの毛皮のショートコートをまとった若い女性が精神病院の前にじっとたたずんでいる、これから行くのか出てきたのか。そこだけ時間が停止していたが、しばらくしてその女性が顔の向きをひょっと変えた瞬間にまた時間が流れ出した。
 そのようなばらばらの音符が飛び交う世界、印象としては淡いピンク色の陰と陽が交錯するうららかな2013年春の世界を、ひとり縫うように目的地へ向かった。

「おはようございます」を合図に検診が始まる。検診そのものは1分で済み、あとは椅子に腰掛けて結果と解説を待つだけだ。
 平日の午前中というのに次から次へと人がやって来る、男女比は3対7程度、年齢層はばらばら、たぶん職業もばらばら、それぞれの表情もばらばらである。
 ひまに任せていろいろな顔をながめるうち、幸せそうな顔をしている人とそうでない顔の人がいることに気づく。
 前者は背筋をスッと伸ばし顔色が明るく声のトーンが高くはつらつとしゃべり親しみやすい感じ、後者は猫背で顔色が沈み声のトーンが低くぼそぼそとぶっきらぼうな話し方で人を寄せつけない感じがする。これは着ている服や履いている靴や持っている物にはあまり関係ない。内面の光の質や輝き方が外側ににじみ出ているのだ。

「あなたは成人したときと骨密度がほぼ変わっていませんね。問題ないですよ」
 いやあよかったじゃん自分、じゃあこれからもがんばれるなと晴れ晴れした気持ちで建物の外に出ると太陽の光が道路に強く当たっている。風呂屋の煙突のように天高く伸びる真っ赤なクレーンを横目に見ながら、温かい道をウキウキと歩く。
 
 幸せな人もそうでない人も「人間である」というくくりではまったく同じ、何が違うかというと生きている環境と本人の心のあり方だけだ。100%言うことなしの素晴らしい環境に生きている人は皆無、むしろ人は何も考えずにほっとくと徐々によくないほうへ沈んでいくのが普通だから、幸せな人というのは重力に反して何かしらの努力をしていることになる。
 つらい、実につらいけどこのつらさをこのまま外にさらしたら周囲にもこのつらさが移ってしまうだろうとか、このまま堂々めぐりしてイヤなことを考え続けていてもちっともいいことなんかないからもうちょっと楽しいことを考えてみようとか、自分がされていやなことを人にするのはやめておこうとか、不安や心配で気持ちは下がってるけどせめて唇の両端だけは上げておこうとか、そういうちょっとした、しかしわりと力のいる作業ができるかできないかでその人の骨密度いや幸せ度は決まっていくのではないかと思う。
 
「骨密度は放っておくと自然に減っていきます、だからバランスの取れた食生活と適度な運動が大切なんですよ」
 過剰なダイエットがなぜ危険かというと、身を削るだけでなく骨も削るからだそうだ。骨が細くなると年を取ってから骨が折れやすくなる、寝たきりは実に骨が折れるので納豆や豆腐やめざしをたべて骨太をめざしましょうというわけだ。
 身も心も幸せになるためにはやはりカルシウムの意識的な摂取が必要だなと「骨まで愛して」を口ずさみながら再認識。
「やせなくちゃ」と無理にダイエットしなくても、年とりゃ食欲なくなってイヤでもやせますよお嬢さん。「痩せればモテる」「何とかなる」は女子の幻想、既製服の9号がすんなり入れば幸せになれるのかといったらそんなこと全然ないんだぜ。女の幸せは服のサイズでは決まらない、骨太かどうかで決まるのだ。

2013.03.12