土用の丑の日、太陽が最も熱烈に燃え盛る時間帯に、「カツ重を食べに行こう」と思い立ち、家を出た。
太陽の熱気でアスファルトが溶け出し、水平線に蜃気楼のような黒い影が気味悪くゆらゆらと揺れている。10分も歩かないうち、身体はすでにしおしおのパーである。
初めて入るトンカツ屋の店先でしばらくためらったのち、意を決して引き戸をガラガラと開けた。
「いらっしゃいッ!」
カウンターだけのこじんまりした店内は明るく清潔感があり、活気に満ちている。すでに数名の客がトンカツをほおばっている。店主の顔つきは悪くない。隣に立っているのはおかみさんか。OK、ここならよさそうだ。
メニューをしばらく吟味してから、ソースカツ重を注文する。
後から入ってきたOL3人組が自分の隣に並んで座った。
「カツ丼!」
「私もカツ丼!」
「じゃあ私もカツ丼!」
カツ丼三重奏か。仲がよくてよろしい。
「お待ちどおさまッ!」
白いご飯の上に千切りキャベツがたっぷり、その上にたっぷりソースのかかったトンカツ。
あからさまに視線は向けないが、店主がこちらの反応をうかがっているのがわかる。どうだい、なのか。
重箱向かって左端のカツを一切れ箸にはさみ、ほおばる。
脂身。
いきなりカウンターパンチだ。私は脂身が苦手である。
二切れ目をほおばる。また脂身。今度はピンク色の肉が混じっている。
私は半生の豚肉が苦手である。
ダブルパンチを食らった私は、とりあえずカツ重から意識をはずし、お新香や豚汁に逃げてダメージを修復しようと試みた。
「うわあ、おいしい!」
「私たち、評判聞いてちょっと遠くから来たんですよお」
「おやじさん、何となくフランス人みたい!」
見えるわけないだろう普通のトンカツ屋のおっさんじゃんかと心の中でつっこみながらひとりカツ重と格闘する。
・・・・・・ダメである。カツの香りがプーンと鼻についてのどが拒否反応を起こす。3分の1も食べていないが、気分はすでにごちそうさまである。食欲に一度終止符が打たれると、もう何をしてもダメなんである。
おかみがチラチラこちらを見る。米を一粒ずつ口に運んでいる客を、今まで見たことがないのだろう。
「ごちそうさま!」
OL3人組の丼はきれいにカラになっている。よく食べきったなお前たち。
私はネズミがほんのちょっとかじったようなカツ重を残し、どさくさにまぎれてあわててお金を払い、店を出た。
地平線に黒い蜃気楼が見える。
胃を両手で抑えながら家にたどり着いた。めまいがする。胃が重い。
胃薬を飲んで横たわるうち、いつの間にかうとうとする。夢の中でも胃が重い。
「ああっ、ダメだこりゃ!」と感極まったところで目が覚める。
夏土用の真っ昼間のカツ重は恐ろしい。どのくらい恐ろしいかというと、お盆のオバケより恐ろしい。
2009.08.02