婆さん姉妹とマリアさま

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 あれっ1日が2時間くらいしかないじゃんどうしてこんなに早く過ぎていくの、ああそうか今忙しいんだな、それはそうと腹がすごく減ったので戦(いくさ)なんか全然できない、というわけで気分転換を兼ねてデパ地下へ夕飯を買いに出かけた。

 デパートに着いて時計を見ると午後8時10分前。
 やべえデパートがもうすぐ閉まっちまう迷っているヒマはねえ、そうだ中華だ中華にすべえ、閉店間際だからタイムセールやってるはずだ
中華総菜屋まで忍者走りで行くと自分と同じこと考えている客がすでにショウケースの前にわんさかたかっている。
「困っているときの中華頼み」と古来ささやかれるように、人は切羽詰まったときには中華を選択するものだ(注:筆者の勝手な決めつけ)。ボリュームあるし野菜と肉のバランスがいいしバカ高くないしそこそこハズレがないからである。
「200gが3パックで1000円! どれでもお好きなの3パックで1000円!」
 もはや投げ売りである。下手に残しても仕方ないからである。
 時計を見る。閉店まであと5分。
 ショウケース前の客の間に緊張感が走る。
 誰もお行儀よく並びやしない、ショウケースの前でブーイング寸前の神経戦を伴う陣取り合戦だ。
 婆さんが2人、強引に店員をつかまえた。どうやら姉妹のようである。
 50数年前はきっとお嬢さん姉妹でありそれからずっとかたくなに自称お嬢さん姉妹を通してきたと思われる、世間離れした世間知らずの雰囲気。
「ええっと・・・・・・あたしは青椒牛肉絲(チンジャオロースー)とね・・・・・・」
 婆さん姉妹の姉と思われるほうは声がやたらにデカい。
「あたしは・・・・・・」
 もう1人はおとなしい。妹だろう。
「○○ちゃんボケッとしてんじゃないわよ、あそこにあんたの好きな麻婆豆腐があるじゃないのよ」
「麻婆豆腐なら家にあるわよ」
「あらそう、じゃあ他のにしなさいよ。あたしあと2つ何にしようかしら・・・・・・」
 イライラしているのは店員だけではない。ショウケースの前は山のような人だかりである。「早くしなさいよ」「迷ってられると迷惑なのよ」「いい加減にしてよ」と声なき怒声が飛び交う。「閉店間際のタイムサービスで迷いは御法度」がデパ地下の暗黙の掟なのである。
 そんな中、タイミングよく自分の番が来たので鶏肉のカシューナッツ炒めと麻婆豆腐と酢豚を注文する。店員がすばやくショウケースから取り出してカウンターに積み上げる。
「あら、酢豚もおいしそうじゃない」
 向こうにいたはずの婆さん姉妹がいつの間にか自分の背後に忍び寄り、蜘蛛のように曲がった長い指でカウンター上の酢豚のパックをむんずとつかみ取る。
 私は怒った犬のようにうなり、奪い返してカウンターに置く。
「あら、あなたのだったの? ごめんなさーい」
 こいつらちょっと変だぞ、一般的な老人は人が買ったものに手を出さない。
 心の中で空襲警報が鳴った。
 婆さん姉妹はその後も店員を待たせてキャンキャン嬌声を上げながら白い顔であちこち移動して総菜を選んでいる。
 いったいどこから来たんだこの姉妹、お盆まで待てなくて出てきたのか。
 店員が気を効かせて別の酢豚のパックと取り替えて包んでくれた。
 やれやれ、どうにか夕飯をゲットできたわいと哀愁を帯びた蛍の光が流れ始めるなか、出口へ向かった。婆さん姉妹はふらふらショウケースのまわりを歩き回っている。まだ迷っているのだ。もしかすると一生迷い続けるのか。
 店員はとっくに彼女たちを放っといて他の客の相手をしている。
  
 家に帰るためバスに乗る。けっこう込んでいるが2人掛けの窓際に座れた。
 至近距離に立っているおっさんがさっきから何だか落ち着かない。
 変な人だなあ何でチラチラこっち見るのかな、やめてくれないかなあ疲れるから。
 声を出さずに抗議するが聞こえるわけがないので無視して仕方なく携帯をいじる。
 やがておっさんを含む乗客が真っ暗な停留所でバラバラ降り、今度は妊婦が私の隣に座った。手に持ったブランド服の大きな紙袋がぼかんと私の膝に当たる。
 妊婦はずっと携帯をいじっている。
 あーあ今日はこんなのばっかり勘弁してほしいなあ、やっぱりこれ全部自分の心が引き寄せてるのかね。
 少しうんざりしていると次は自分の降りる停留所。
 妊婦さん立たせるの悪いなあ、でも立ってくれないと自分が降りられないからなあと仕方なく「すみません」と会釈すると、ニコッと微笑んで「降りますのね」と大きなおなかを持ち上げて立ち上がった。
 あっすごい美人。
 すがすがしく清楚で品のある顔立ち、透明に光り輝くクリスタル色のオーラが全身を取り巻いている。
 うわああなたさまは確実に徳の高いお方、知性と理性とやさしさが三位一体となって周囲の人々の心を根底から癒やしてくださる本物の貴婦人。そのおなかに宿られた幸運な御子は男の子ですわ、将来はきっとあなたさまの自慢の息子に成長することでしょう。
 バスを降り、家に帰って酢豚と鶏のカシューナッツ炒めと麻婆豆腐を食べた後もしばらく陶酔が続いた。
 自分を取り巻く世界には婆さん姉妹もいるがマリアさまもいる、ま、それほど捨てたもんでもないかなあと満足し、その晩はぐっすり眠った。

2011.08.06