バスわらし

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 3月上旬のある日、水戸の偕楽園へ梅を見に行った。
 水戸へは、上野から特急に乗って1時間あまり。昼前に到着し、駅前で偕楽園行きのバスを待つ。
 バス停は観光客で長蛇の列、しかし運よく一人席に座れる。私の前には70代のやせた男性が座る。座席はすぐに埋まり、通路に人があふれた。
 目の前の男性のわきに、品のいい60代の女性と孫娘が立つ。バスが発車すると、小さな女の子が男性に向かっていきなり話しかけた。
「おじいちゃん」
 まっすぐ男性を見ている。
「こんにちは」
 彼が気を利かせて席を替わろうとすると、女性が「いえいいのです、おかまいなく」とさえぎった。
「今ちょうど梅が見ごろですのでね、私もこの子を連れて見に来たんですよ。偕楽園は初めてですか?」
 どうやら地元の人のようである。
「偕楽園は入り方が2種類ありましてね、バスの終点で降りて東門から入るのが一般的なんですけれど、手前で降りて表門から入るルートもあります」
「ほう」
「東門から入りますとすぐ梅林に出られますが、表門から入りますと竹林を抜けてから梅林へ行くことになります。竹林は陰の世界、梅林は陽の世界。つまり陰から陽へと、2つの異なる世界の移り変わりが味わえるのですね。通好みの方にはそちらのルートが好まれているようですよ」
「なるほどねえ」
 男性がゆっくりうなずく。知的な雰囲気の漂う老人だ。
 立ち続けているのに飽きたのか、女の子が床にぺたんと座ろうとする。やめなさい、きちんと立っていなさいと女性がいさめる。
 ひざに座るかい? と男性が両腕を差し出すと、女の子はパッと遠のいていやいやをした。
「すみません、おかまいなく。この子はまだ3歳なので、じっとしているのが苦手なのです。もうすぐ着きますから」
 よろしければ表門をご案内しましょうか? とたずねる女性に、いえ今回は、と男性がかぶりを振る。
 女の子は笑顔でもなくかといって不機嫌そうでもなく、窓の外を見ながらきらきらと黒い瞳を輝かせている。あ、この子はふつうの子じゃないと思う。全身から「何か清らかなもの」が立ちのぼっているのだ。言葉ではうまく言い表せないが、すがすがしい何かが。
「おじいちゃん」
 女の子がふと男性を見て言う。
「怒らないでね」
 3歳の子どもにしては妙にはっきりした口調で言い放ち、そのまま邪気のない顔でまた窓の景色をじっと見つめている。ひざに座らなかったことをあやまっているのか、にしてもなんだか不思議な子だなと思っているうち終点に着いた。

 寒空に枝を伸ばす梅はまだ6分咲き、しかし園内はどこから集まってきたのか大勢の団体客や年輩者、親子連れでいっぱい。空は晴れているのにどことなく暗い、春はまだ先だなあとコートの襟を立て、梅林を抜けて人気のない竹林のほうへ向かった。
 昼なおうっそうと暗い林は、なるほど先ほどの女性が言っていた通り、わびしくてさびしい静かな陰の世界だ。
 林を抜け、坂を下りて、「玉のように美しく澄んだ水のわき出る泉」とされる吐玉泉(とぎょくせん)を見に行く。しかし行ってみてすぐに腰が引けた。
 ここは陰の気が強すぎる、長居は無用とそそくさと立ち去り、そこから低地の川沿いに伝って南門へ進む。
 南門の崖の下には鉄道線路を挟んで大きな駐車場があり、その向こうに鈍色(にびいろ)の千波湖が広がっている。
 どうしてこんなに風景が寂しいのだろうとしばし呆然とする。
 あっそういえばおなかがすいた、入り口のそばにレストハウスがあったっけと思い出し、東門に戻る。南門から東門のほうを見上げるとかなりの急傾斜、これはお年寄りにはきついだろうなあと思いながら坂道を上る。
 ランチタイムを過ぎた食堂は人がまばら。納豆定食と梅酒を堪能し、軽く酔って再び梅林を一周。あちこちで可憐な桃色の花が咲いているにもかかわらず、どこか景色が沈んで見えるのは気のせいか。歩いているうち、どんどん気持ちが落ち込んでいく。
 偕楽園を出たら水戸の町を観光して回るつもりだったが、なんだか疲れてそのままバスに乗り、時間は早いが帰ることにした。
 水戸駅で天狗納豆と梅干しと梅酒をおみやげに買い、常磐線に乗って帰宅。M9の大地震が発生したのは、その翌日だった。  

 あの日、梅林から竹林へ移動したように、私は陰と陽の狭間を歩いていたのだと思う。ほんの1日ずれていたら震災に巻き込まれていたし、思えば少し奇妙な旅だった。
 まず、可憐な花をほころばせている梅林が妙にはかなく頼りなく見えた。大地が崩れて地盤が沈む運命を、梅の木たちは予見していたのだろうか。
 それから、バスの中の小さな女の子。
 岩手県や宮城県などの東北地方には、座敷わらしの伝説がある。座敷わらしとは「座敷に住む子どもの精霊」のことで、ときにいたずらもするが、住む家に幸運をもたらすと言われる。もしかするとあれは座敷わらしで、私たちに何かを知らせるためにわざわざやってきたのだろうか。
「おじいちゃん、怒らないでね」
 メッセージは、いつの世も無垢な者の口を借りて降りてくる。
「これからひどいことが起こるけれど、それはもう仕方のないことだから。だから、こらえてね」
 あの子はもしかするとそんなことを言いたかったのではないかと、震災から1カ月たった今にして思う。

2011.04.06

東日本大震災

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 2011年3月11日の朝に得た卦が沢水困(たくすいこん)。
 あれ? なぜこんな卦が出るのだろうと不思議に思ったが、午後になってそうか、この大地震のことだったのかと気づく。
 沢水困とは4大難卦の1つで、沢に穴が空いて水が流れ出してしまうという象であり、「困る」「苦しむ」「身動きが取れない」という意味だ。
 その前日、10日に得た卦が天地否(てんちひ)。天の気と地の気が互いにそむきあい、「常識が通じない」「八方ふさがり」「ものごとが破滅する」などという意味だ。
 天地否→沢水困の流れでこうなったのか。

 めったに例を見ない天変地異から丸1日たったが、余震がなかなか収まらない。福島第一原発も懸念される。日本人全員が不安な心持ちのまま、たまに揺り返してくる恐怖をなんとかやり過ごしている状況だと思う。
 こういうときに大切なのは、まず正しい情報を得て冷静に行動すること、そして自分の身はできるだけ自分で守ることだ。最終的に頼りになるのは、自分自身の直感と運だけだ。

2011.03.12