ナタリー・ポートマン主演の「ブラック・スワン」は見ごたえのあるホラー映画である。
ダーレン・アロノフスキー監督はこの作品の前にミッキー・ローク主演の「レスラー」でとことん自分の肉体を痛めつけるレスラーの映画を撮ったが、今回はとことん自分を追い詰めるバレリーナの話。監督自身が「この2作品は姉妹」と語っているように、いずれもベースは人間の極限状態の描写である。
「レスラー」も「ブラック・スワン」も傷を持つ心にフォーカスした味わい深い作品だが、特に後者は人間なら誰しもが持つ二面性をアーティスティックに表現した秀作だ。
この映画はのっけから密度の濃いシークエンスがバンバンバンとテンポよく積み重ねられていくが、後半からさらに激しく狂気を帯びてくる。
主役に抜擢されたがゆえに自分を追い詰めていく主人公のバレリーナ、ニナは、現実と妄想の狭間をさまよい歩く。限界ぎりぎりの彼女の目に映るのはまわりの嘲笑と執拗にからんでくるライバルの悪意、そして鬼のように追いかけてくる母親の執念だ。
悪夢のような映像が、ニナの荒い呼吸音に伴って幾重にもフラッシュバックする。そういえば「2001年宇宙の旅」で船長のデビッド・ボーマンが狂った人工知能・ハルの息の根を止めるときも、聞こえてくるのは彼自身の呼吸音だけだった。緊張して意識が内側に向かうと、人間は自身の発する鼓動と呼吸音しか耳に入らなくなるのだ。
パニック症の患者が発作を起こすときも、自身の鼓動や呼吸音を意識することが多い。これは気持ちが内向している証拠であり、そのまま耳を澄ませていると発作が起きやすい。
余談になるが、不安の予兆を感じたら無理して呼吸を整えようとか深呼吸して平常心を保とうなどと思わずに、好きな音楽を聴いたり軽く体操したり水を飲むなどして意識のスイッチを外側に切り換えると、その場をしのぐことができる。それでも治まらない場合は医師から軽い精神安定剤を処方してもらって常備し、頓服すれば楽になる。
パニック症はまじめで一途な努力家がなりやすい。治療法は簡単、がんばるのをやめればいいだけだ。
話を戻そう。
最終的にニナは「敵」に取り囲まれる。まわりにいるすべての人間が自分をあざ笑い、陥れ、傷つけるように見えたり、壁一面にびっしり飾られた母親の自画像が一斉に泣いたり怒ったりして自分を威嚇するように錯覚するシーンは、統合失調症患者が体験する世界に非常によく似ているのではないかと思う。
統合失調症とは誤作動した脳が生み出す妄想や幻覚・幻聴にとらわれて心のバランスを崩していく病気である。適切な処置や治療を施さずに放っておくと、患者の心はやがて逃げ場のない恐怖にとらわれてしまう。
今の時代は、心に過度なストレスが溜まる機会がとても多い。それらのストレスが自分の中に眠る神経症や精神病を目覚めさせる可能性が「絶対にない」とは誰にも言い切れない。みな、危ういところで何とか折り合いをつけながら生きているのだ。
ニナはパーフェクトな踊りを究めようと自分を厳しく追求するあまり、表と裏の人格が統合できなくなってしまった。
人一倍ナイーブできまじめな努力家が、ストレスを押し殺してがんばりすぎるのは危険である。どこかで気を抜かないと、意識がどんどん内側に向かってしまうからだ。それはたとえて言うなら心の洞窟の奥深くに分け入るようなもので、下手をすると迷って出口を見失ってしまう。
迷路の中は不安と恐怖に満ちた闇であり、自分の呼吸音しか聞こえない孤独な世界だ。
2011.05.06