人は1日約16時間起きて(生きて)約8時間眠る(死ぬ)。ぐっすり寝ている間は周囲で起こっていることが一切見えないし聞こえないしにおいを嗅げないし味わえないし動きを感じられない、つまり死んでいるようなものだ。
寝ている間、人はどこへ行くのか。
あの世ではないだろうか。身体を布団に横たえたまま、魂だけが次元を越えてあっちの世界へ行くのだ(ただし、へそと魂を結ぶ玉の緒はつながっている)。
三途の川を渡りきってしまうと玉の緒がちぎれて身体が死んでしまうので、川の手前にある「生きている人間 専用広場」でとりあえずまったりしているのではないか。そこはあっちの人(死んだ人)とこっちの人(生きている人)が自由に交流できる、ふれあい広場のようなものだと思う。
「ポン太郎ちゃん」
「あっ、おじさん! 久しぶりだね、死んでもやっぱり女装してるんだね」
「ふふ、お元気そうで何より。あっちからいつも見てるわよ」
「ちっとも元気じゃないよ、娑婆はなかなかきびしくてね。こないだリストラされちゃったしマンションのローンはまだまだあるし女房は子ども連れて実家に帰っちゃうしで落ち込んでるよ」
「そうみたいね。ま、一杯飲みなさいよ」
「身体がないから味よくわかんないよ。おじさん俺お先真っ暗、これからどうしたらいいんだい」
「だいじょうぶよ心配しなくても、なるようになることになってるからあんたの思う通りにやってごらん。あんたが生きてる世界ってのは悪いことが起きなければいいことも起こらないようになってんの、つまり悪いことが続くのはいいことの前ぶれなのさ。苦あれば楽あり、だまされたと思ってもう少しガマンしてみな」
「よう、アミ子」
「あっ、生前大きらいだった女ボスのサキサカさん」
「こんなとこでぐったりしょげてんじゃないよ、ゾンビみたいじゃん」
「いわばゾンビのサキサカさんに言われたくないです」
「どうせまた同じことでつまづいてんだろ、んであたしみたいなのに死ぬほど怒られてるんだろ」
「あっ、なぜわかる!」
「人間ちゅうのは同じミスを繰り返す動物なんだよ、根本的な問題から逃げている限りお前に救いはないよ。どうしていつもいつもこうなるのか考えてみな」
「・・・・・・」
「あたしは生前わざわざ憎まれ役を買って出てやってお前にとっては非常にありがたい存在だったのに逆恨みしやがってこのばかちんが。いいかアミ子、うまくいかないことを人のせいにしねえでハッもしかするとこれは自分の力不足ではねえかと自覚して少しは努力してみな」
「・・・・・・うーん」(アミ子、頭をかきむしる)
そんな感じで人はみな親しい人や親しくない人やあるいはかわいがっていた動物などから慰められたり元気づけられたり一緒に泣いたり笑ったりどつかれたりしてカツを入れているのではないか。で、目が覚めてからなんとなく元気になったり仕方ないなあと思ったりしながらそれなりに1日をスタートさせるのではないか。
「この世での生活は基本的に自己判断&自己責任」というルールに基づき、ふれあい広場での出来事はほぼすべて記憶から抹消されるシステムになっているが、それでもたまにあっちからこっちへ帰るまぎわに言われたことは記憶に残ることがある。
「だいじょうぶやってごらん、きっとできる」
「私、そっちの世界から旅立ったの。今までありがとうね」
「タンスを捨てる前に、一番下の引き出しの後ろを見てごらん」
いわゆる「虫の知らせ」とか「夢枕に立つ」とか「お告げ」などと言われるやつである。こういうのはだいたい明け方ごろに見る。
睡眠時間に多少の誤差はあれ、人は誰でも眠らないと生きられない。
なぜか。理由は2つ考えられる。
ひとつは身体の全細胞に修復活動を営ませるため。一日活動し続けて疲れた細胞をリセットするには、よけいな力を抜かなければならない。
もうひとつは魂にパワーチャージするため。魂が本来の光を取り戻すには、何もかも脱ぎ捨てた状態にならなければいけない。
目に見えるものはこっちの世界、目に見えないものはあっちの世界で、それぞれ睡眠中にきっちり充電しているのだと思う。
2011.01.31