バベルの塔

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 平安時代、鴨長明(かものちょうめい)という歌人・随筆家がいた。いいとこのお坊ちゃんでありながら一族の権力争いに負けて50歳の春に出家し、54歳で人里離れた場所に方丈(ほうじょう)という小さな庵を建て、62歳で没するまでそこで1人で暮らした人である。

 彼は20代のとき、京の都で立て続けに発生した大火災や竜巻、飢饉、大地震を体験し、そのときのことを後に「方丈記」という随筆にまとめている。火事や竜巻で一晩のうちに消失した町のようす、飢えや流行病に苦しむ人々の凄惨な姿、日に日に荒れ果てていく都の姿などがそこには鮮明に描かれている。
 元暦二年(1185年)に京都で発生した大地震については、こんな記述がある。
「山は崩れ落ちて土砂で河が埋まり、海が傾いて津波が押し寄せた。大地は裂けて水が噴き出し、大岩が割れて谷底に落下した」
 推定マグニチュードは7.4、余震は3カ月ほど続いたそうである。地震の恐ろしさは、12世紀の昔も21世紀の今もまったく変わらない。

 4月4日に得た易卦は「山地剥(さんちはく)」。
「山が崩れ落ちる」という崩壊の象であり、タロットで言えばTOWER(バベルの塔)、つまり「災難」「破壊」「事故」の卦である。
 そういえばバベルの塔と原子炉は形がよく似ている、メルトダウンして今まさに朽ちなんとしている原子炉は、高度成長期に生まれてどんどん高く積み上げられたバベルの塔だったのではないか。
 だとすると今回の地震と大津波は、人間のおごり高ぶりを戒めようとする神意だったのか。
 ではなぜ、岩手や宮城、福島など東北の人たちの命が集中的に奪われたのだろう?

 方丈記の話に戻ろう。
「飢饉時にはいくら金や財宝を持っていても何の役にも立たない」
「見栄を張って建てた大きな家も、災害が来ればあっけなく滅びる」
 一貫して無常観の漂うこの随筆には、「しかし、感動するような出来事もあった」と記されてもいる。
「飢饉や病が横行するなか、仲のいい夫婦は、愛情の深いほうが必ず先に死んだ。なぜなら自分より相手の身をいたわるあまり、やっとのことで得た食べものも相手にあげてしまうからである。親子の場合は、子を思う親のほうが必ず先に逝く」
 その一文を読んで頭に浮かんだのは「聖性」「犠牲(Sacrifice)」という言葉だった。よけいなことを言わず、ただニッコリ笑って「お食べ」と命の糧を相手に差し出す、深い慈悲と徳を有する人たち。人の罪を背負ってはりつけに処されたキリストの姿と、無口だが情の厚い東北人の姿がかぶる。

 山地剥は易のセオリーでは「足もとが崩れる」という凶卦だが、それほど悲観的になることもない。「今まで君臨していた古い価値観が崩れることによって新しい価値観が生まれる」と解釈できるし、便秘が治ったり生理が始まるときにも実はこの卦が出る。つまり「つっかえていたものが崩れ(はがれ)落ちて道が開通する」とか「出口の見えなかったトンネルが貫通して見通しが出てくる」という見方もできるのだ。  
 今回の災害や事故をきっかけに、今まで「当たり前」と思っていたことに亀裂が生じ、ものごとの原点を見直す人が増えることだろう。たとえば人の手に負えない怪物をちゃちな箱で囲って安易に設置すること、人より多く稼いだり、権力や地位を得ることが幸せであると勘違いすること、人が人の下に人をつくっておとしめること、命を繁殖して金を儲けたりペットショップで命の売り買いをすること、その他もろもろ。
 それら古い時代の価値観があまねくこなごなに砕け散り、かわりにすべての生きとし生けるものが心の底から「楽しいね」「うれしいね」と感じられる社会にやがて進化していけばいいと心から思う。

 日本の別称は、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)。「美しく豊かな大地に、みずみずしい黄金色の稲穂が育つ国」という意味だ。
 たしかにこの世は陰から陽へ、陽から陰へとダイナミックにうねりながら無常に変化していく。しかしたとえどんなにおそろしい天災や人災に見舞われようと、日本人が果敢に這い上がる力を有していることは、歴史で証明されている。
 これは日本人のDNAが豊葦原瑞穂国の原形を記憶しており、いかなる目にあっても本来あるべき姿を取り戻そうとするからに違いない。私たちの魂には、起き上がりこぼしが刻印されているのだ。

2011.04.04

吉方位の御利益

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 どんなに高名な占い師でも、吉方位へ行った人たちを1人1人つぶさに追跡調査して大々的な統計やアンケートを取っているわけではない。だから「そっちへ行けば100%の確率で運が上がる」などと断言できるものではない。
 信じる人も信じない人も、基本的には足の向くまま気の向くまま、自分が「そっち」と思うなら「そっち」へ行けばいいし、「あっち」と思うなら「あっち」へ行くのが本来の自然な姿だと思う。
 でももし自分の選ぶ方向に不安や迷いがあるなら、もしくはその選択に人生がかかっているなら、「吉方位か・凶方位か」を知っておくことは決してむだにならないのではないか。
 たとえ賭けに自信がなくても、「こっちは吉方位だからきっとうまくいく」と自分に言い聞かせるだけで、力が増す。一種のプラセボ効果と言ってもいい。
 実際、吉方位へ行くと、「何かいいことが起こるに違いない」「少なくとも悪いことは起こらない」「たとえ悪いことが起こったとしても、それは毒出しである」などと、そこで起こることを前向きに受け止められるようになる。心にゆとりが生まれるのだ。そこから幸運の扉が開く確率は高い。吉方位のご利益はまさにそこにある。

2011.04.01

ファイアーフラワー

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 文京区の湯島天神で梅見。前日の雨で大量の花びらが散ってしまったもののまだまだいける、「雨上がりの梅はきれいねえ」のほめ言葉にパッとほほを染めて満開ぶりにますます拍車がかかる。梅は桜に比べると礼儀正しく謙虚な花だがそれでも300本そろうとさすがにすごみが出る。
 本殿を参拝してからほかほかの甘酒を買って赤いベンチでひと休み、白髪の爺さん婆さん中年女性の二人連れ着物姿のあでやかカップルカメラを手にした独身メンズなどさまざまな人がひっきりになしに訪れる。みんな春の陽気に誘われてうきうきとやってくるのだ。そういえば今日は大安、日本中で結婚式が繰り広げらているに違いない、めでたいのうと甘酒をぐっと飲み干してから神社を後にした。

 神社近くの和菓子屋で道明寺と桜大福を買い、上野のデパ地下で焼き鳥も買い、さあ帰ろうと地下鉄に乗った。
 さすがに日曜日の夕刻の車内はガラガラに近い空(す)きっぷり、余裕で連結部近くの端っこの椅子に座ると目の前に父親と5〜6歳の男児とベビーカーであばあばしている乳幼児の合計3人連れが座る。
「ファイアーフラワー! ファイアーフラワー!」
 機嫌の良さそうな男児がひとりで一生懸命連呼している。
 もしかしてマリオをファイアーマリオへとパワーアップさせるフラワーのことかい、ボク私はな、マリオの創世記を知っているんだぜとほんの少し得意に思うと同時に、あ〜あそれにしても生きるって面倒なことだらけ、いつどんなときも何かしらストレスがついて回るのはなぜなのかといきなり現実に目が向いて憂鬱な気分になる。ネガティブな思いはいつでも唐突にやってくる、それは気まぐれな風のようなものだ。

「ファイアーフラワー! ファイアーフラワー!」
 ファイアーフラワーがいったいどうしたんだバカのひとつ覚えみたいだぞと風に取り巻かれながら思っていると目の前の父親が立ち上がった。ベビーカーを押す父親に続き、男児が私の顔をちらりと見て降車。「お前、同類だろ?」とアイコンタクトされる。

 ホームに降り立った男児は自分に向かってそろそろと手を伸ばしている。あ、彼は自分に手を振りたいのだなとわかり、大きく手を振ってやると同調して向こうも大きく手を振り始めた。
 扉が閉まり電車に加速がつき始めてもなお男児は手を振り続け、しまいにホームを走って追いかけてきた。この瞬間に風が跡形もなく消え去り、かわりにファイアーフラワーに触れたマリオが手から発射するファイアーボールのようなものが心の中でぱふっぱふっといくつもはじけ出した。その火の玉のことをわかりやすく言うと「希望」という言葉に置き換えられると思う。「この世だってそんなに捨てたもんでもないじゃん」という希望である。
 そうかあの坊主こそがファイアーフラワーだったのだな、さては梅の精かと気づいたころ目的の駅に到着。「パパッパッパパッパ♩」というマリオの出だしのテーマ曲を唐突に思い出し、気分よく口ずさみながら真っ暗な道を歩いた。

2011.03.23

東日本大震災

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 2011年3月11日の朝に得た卦が沢水困(たくすいこん)。
 あれ? なぜこんな卦が出るのだろうと不思議に思ったが、午後になってそうか、この大地震のことだったのかと気づく。
 沢水困とは4大難卦の1つで、沢に穴が空いて水が流れ出してしまうという象であり、「困る」「苦しむ」「身動きが取れない」という意味だ。
 その前日、10日に得た卦が天地否(てんちひ)。天の気と地の気が互いにそむきあい、「常識が通じない」「八方ふさがり」「ものごとが破滅する」などという意味だ。
 天地否→沢水困の流れでこうなったのか。

 めったに例を見ない天変地異から丸1日たったが、余震がなかなか収まらない。福島第一原発も懸念される。日本人全員が不安な心持ちのまま、たまに揺り返してくる恐怖をなんとかやり過ごしている状況だと思う。
 こういうときに大切なのは、まず正しい情報を得て冷静に行動すること、そして自分の身はできるだけ自分で守ることだ。最終的に頼りになるのは、自分自身の直感と運だけだ。

2011.03.12

吉方位パワーの定着法

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 全国の開運ファンのみなさんこんにちは。
 関心のない人はまったく気にしないし、好きな人はとことんこだわるのが「気学」というものです。気学とは「吉方位(自分と相性のいい方位)に出かけて、幸運パワーを吸収しましょう」という古人の知恵です。
 あまり方位にこだわりすぎることもないとは思いますが、古来より21世紀の今に至るまですたれずに連綿と伝わっているという事実を考えますと、「迷信」とか「うそっぱち」とか頭からナメてかかるのもちょっとなあと思います。ていうか知らずにいるのはもったいないと個人的には思います。
 このブログでも月ごとに九星別の吉方位を紹介したりしていますが、今回は、吉方位旅行に行った後の幸運パワーの定着のさせ方をいくつかご紹介しましょう。 

1 帰ってきたら早めに休む
 長距離を移動するほど身体に吸収できる吉パワーも大きくなりますが、同時に疲労も増します。電車にしろ車にしろ飛行機にしろ絶え間ない振動が身体にストレスを与えるのはもちろん、運が入れ替わると人は疲れるからです。
「ああ疲れた、吉方位へ行ったのになぜかしら」
 そう思うときは、よけいなことを考えずにさっさと風呂に入って早めに休みましょう。
 帰宅後の身体には目に見える汚れと見えない汚れがダブルでついているので、できれば湯船に粗塩をひとつかみ入れてお清めするといいと思います。
 言うまでもありませんが、シャンプーもお忘れなく。髪にはいろいろなものがつきやすいのです。髪を濡らしたとき、あれ? と首をかしげるほど変なニオイがするのは、物理的な原因だけとは限りません。厄がついている可能性もありますので、できれば二度洗いするといいでしょう。

2 現地で買ってきたものを食べる
 吉方位産のものをいただくと、その土地のパワーが体内に吸収され、それはあなたの血となり肉となります。
 お総菜でも名菓でもお酒でも何でもいいですが、素直に「おいしい!」と感じられるなら、運気が上がると思っていいでしょう(ただし食べ過ぎ・飲み過ぎは禁物)。
 
3 現地で撮った写真やおみやげをどんどん活用する
 写真やおみやげには現地の吉パワーがたっぷり詰まっているので、どんどん飾ったり日常的に使うといいでしょう。押し入れや引き出しにしまい込むのは宝の持ち腐れです。
 写りのいい写真なら紙焼きしてきれいなフレームに飾ったり、好きな服や雑貨なら日常的に使ったり部屋に飾りましょう。着たり使ったり愛でたりするたびに、それらのものからあなたに向かって吉パワーが放たれます。
 ただし色あせたりボロボロになったりこわれたりしたらパワーを使い切ったということなので、潔く処分してまた吉方位に行ったときに新品を調達してください。

4 凶方位にむやみに行かない
 吉方位から帰ってきたあなたの体内には、吉パワーがたっぷんたっぷんに詰まっています。定着液にひたした印画紙に徐々に画像が浮かび上がるようにそのまま運が身体に定着するのを静かに待てばいいのですが、無謀にも「なんとなく」とか「誘われたから」とかで直後に凶方位へ行っちゃう人がたまにいます。
 吉方位パワーを体内に取り入れる労力を10とすると、凶方位パワーを取り入れる労力は1。不運というのはすんなりスルッと体内に侵入しちゃうんですね。で、赤子の手をひねるようにいとも簡単に吉パワーを体内から追い出して、かわりに自分がのさばってしまいます。せっかくたっぷんたっぷんしてるのにもったいないです。
 ですから、またどこかへ旅行する場合は、しっかり地図をチェックしてみましょう。

 以上のことがらを守れば吉パワーがしっかり身につき、やがてその方位がもたらすラッキーな出来事に遭遇したり、自身に心境の変化が起こると思います。
 気づかない人はボーッと見落としてるかよほど体内に不運がたまっているか吉方位だと思ったけど実は吉方位じゃなかったかのどれかかもしれません。

2011.02.21

黒い森

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 ずいぶん昔、暮れも押し詰まったちょうど今くらいのころ、仕事でとある町へ出かけた。朝から仕事を始めて、終わったのは午後2時か3時ごろだった。

 帰路につくため最寄りのバス停まで人気のない道を延々と歩き、1人でバスが来るのを待っていた。夕方と言うにはまだ早すぎる時刻だったが、しんと冷えた静かな空気があたりに漂っていた。
 寒さにうんざりしながら道路の反対側に目をやると、人の背丈ほどの高さの塀にぐるりと囲われた敷地の内側に、暗い森が広がっていた。
 あそこはいったい何だろうと見ていると、敷地の門からぞろぞろ人が出てきた。10人ばかりの男性が、出てすぐのところで所在なさげに立ち止まった。誰かと手をつないだり、一人で立ちすくんだり、じっと地面を見つめたり、まるで屋外に放置された銅像のようだった。
 門には鉄格子の扉がついていた。扉の横の古ぼけた看板に○○精神病院とあった。そこではじめて、入院患者が外に出てきたのだと気づいた。
 引率者らしき人が「じゃ行きますよ」と言うと、みな一斉にうなずいた。若者から老人まで年齢はバラバラだったが、どの顔もみな無邪気で屈託がなかった。
 そうか、これからみんなで散歩に行くのだな。
 私の乗るバスが来た。
 がらがらの車内に乗り込んだ私はあれこれ想像をめぐらせた。
 あの人たちは咲いている花に見とれたり、馴染みの猫に出会ったり、どこかの店で好きな菓子を買ったりするのだろうか。歌はうたうだろうか、何を口ずさむのだろう。
 男たちは一列に並び、弱く輝く太陽に向かってゆっくり歩き出した。まるでオレンジ色の光に吸い込まれる蟻のように。
 バスが発車した。私はガラス窓越しに振り返った。
 薄暗い塀の外にいた男たちはすでにどこかに消えていて、ただ黒い森だけがひっそり息づいていた。

2010.12.23

年の瀬の3つの話

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★神社
 大祓の人形(ひとがた)に思いっきり息を吹きかけて神社へ持参。毎年末たいてい天気がいいのは大掃除や参拝に不自由しないようにとの天の采配か。
 雲ひとつない青空、日陰は冷たく、日なたは温かい。
 暮れの神社は人がまばら、空気が澄んでいて気持ちがいい。
 今年も1年間ありがとうございましたと神前で頭を下げてから人形を納める。
 ああこれでひと安心、しかしこの階段を転げ落ちたらしゃれにならんわいと自分をいましめつつ、ものすごく急な階段をゆっくり降りた。 

★白い犬
 郵便局へ行く途中、初めての裏道を通ると古ぼけた店の前に白い中型犬が店内を向いてせつなそうに座っている。首輪はついているがリードはついてない。
 どうしたの1人でなにやってんのこのお店に住んでるの、それにしちゃ店と距離置いてるじゃんもしかすると何かわけありでしめ出されたのといそいそ近寄る。
 日本犬系の雑種、老犬のせいかぶよぶよ太め。手を差し出すと立ち上がって指のにおいをクンクン嗅ぎ、それから困ったような目をしてこちらと少し距離を置いた。
 あこいつ警戒してやがる、なんだよ自分は大の犬好きなんだぞとアピールするが何の効き目もない。犬も人間も年寄りはがんこだ。
 仕方ないので手を引っ込め、悲しみを覚えつつ郵便局へ向かった。 

★遊就館
 市ヶ谷へ出かけたついでに靖国神社へ。ここはいつ来ても凛と引き締まった空気が流れていて、自然に背筋が伸びる。
 拝殿で頭を下げてから、戦争で亡くなった人の遺品を展示した遊就館へ。
 館内は想像以上に広い。最初は歴史の教科書に出てくるような鎧や刀などが展示されてやんわりした雰囲気だったが、歩き進むうちしだいにシリアスな様相を帯びてきた。
 女性の髪で編んだ真っ黒い太縄(白髪も交じっている)とか血染めの白シャツとか弾が貫通してぼろぼろになった軍服とか独身のまま命を落とした息子に贈った花嫁人形など、せつない思いのこもった遺品が数え切れないほど展示されている。
 最後は戦争で亡くなった人たちの顔写真がずらり。いったい何千枚あるのかわからない。もちろん、同じ顔はひとつもない。精悍な顔、やんちゃな顔、やさしい顔、気弱な顔、思慮深い男性の顔に混じり、まだ少女の面影を残したあどけない女性の顔もある。
 あまりにも無邪気で屈託のない笑顔。みんな、もっと生きたかっただろうなあ。生きてれば楽しいことがたくさんあっただろうになあ。
 はかない笑顔に取り囲まれるうち、涙が出てきた。
 外に出るとすでにあたりは暗く、伝書鳩や軍犬や軍馬の像がひっそり立っている。 動物も大変だったなあと思う。
 再度拝殿へ戻り、深く頭を下げた。
 ここに祀られている人たちは、今の日本を見てどう思うだろう?
 ふとそう考えた。
 愛のない国になってしまったなあ。
 そんな声が頭の中に入ってきた。
 境内の南門から出て靖国通りを歩く。
 じゃあどうすればいい? 誰だって愛がほしい、でもその方法が見つからなくて悶々としてる。
 簡単だよ、人にやさしくすればいいのさ。人にやさしくすると、人からやさしくされるだろう。その繰り返しで人はだんだん幸せになっていくんだよ。
 市ヶ谷駅が見えてきた。紺色の街に、飲食店の灯りがふんわり輝いている。いい色だなあ、この年末は冷たい人も温かい人もみな等しく温かい光に包まれますようにと横断歩道を渡りながら祈った。

2010.12.19

ヴァンパイア城

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 ある晴れた日の朝、大学病院へ。
 おだやかで気持ちいい日だね、中庭の紅葉がきれいじゃん、へえ今どきの病院はおしゃれなカフェとかコンビニとかあるの、受付も支払いも無人機かあ、建物吹き抜けでおしゃれだね殺風景なデパートみたいと最新の設備にいちいち感動する。自分が体調をくずしたわけではなく、付き添いなので気分は軽い。
 受付を済ませて検査室の待合へ行くと、朝いちで来たはずなのにすでに順番待ちの長蛇の列。うわあみなさんいったい何時に来たのと不思議に思う。きっと業界ならではの暗黙のルールというか必勝テクがあるのだと思う。
 患者が次々に検査室に吸い込まれては吐き出される。大学病院はとても合理的なシステムのもとで運営されている。
 名前を呼ばれるまでぼんやりガラス張り&吹き抜けの院内を観察。だだっ広い入り口から続々と患者が入ってきて受付作業を済ませるとエスカレーターでぐいーんと上り、それぞれ目的の階へ散らばっていく。世の中にはこんなにたくさん病人がいるのかと驚く。
 音楽が流れているようだが、かすかすぎてほとんど聞こえない。ブライアン・イーノのmusic for airportのような心の鎮まる環境音楽を流せばすてきなのにと思う。
 建物は広いし天井はガラス張りだし開放的な吹き抜けだし廊下のところどころに観葉植物が置いてあるのでこの病院には変な気が溜まってない、でも決して楽しいところではない。

 検査が終わり、会計を済ませて外に出るとすでに昼。さあ昼飯でもがつんといきましょうかと一歩踏み出してから気づく。あれ? 元気ないぞ自分。別にどこがどうというわけではないが萎えている。
 今日はぽかぽかして快適じゃんとウキウキする身体の中で、「いやあそんな、それほどでも」と心がどんよりとぐろを巻いている。
 なぜこういうアンビバレンツが起こるのか。
 話は簡単、病院で気を吸い取られたのである。
 病院とは体内の気が陰に傾いた人間が集まる場所だ。そこに陽の気が満ちた人間が行くとどうなるか。浸透圧の作用で陽の気を吸い取られてしまうのである。結果、どこも悪くないのに気持ちが沈む。
 うわあやべえ陰気に傾いちゃったとしばらく日なたで太陽光線を浴び、帰宅してから着ていた服をバサッと洗濯機に放り込んで新しい服に着替え、気を取り直した。 

 相対するだけで精気を奪われてぐったりしてしまう相手をエネルギーヴァンパイアと呼ぶが、建物にも「行くだけで疲れる」とか「そこで過ごすだけでゆううつになる」という空間がある。それを「ヴァンパイア城」と呼ぶ。
 ヴァンパイア城に長居は無用。帰還したら速攻で塩風呂に入り、衣服をすべて取り替えてから(繊維には気がからみつく)、温かい飲みもの&甘いものなどでじんわり自分を取り戻すのがパワーゲージ回復のルールである。

2010.12.01

同窓会

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 幼なじみ4人で同窓会。毎年会っているので「うわあこんなになっちゃって」という驚きは一切なく、「元気だった?」程度の軽い再会である。
 待ち合わせは新宿御苑。
 1人が電車のアクシデントで遅れるというので、3人で庭園内のベンチに座って待つ。秋の空は高い。
 視線を降ろすと黄金に色づき始めた木々を写生する老婦人、赤い薔薇のそばにぼんやりたたずむ青年、仲よく手をつなぐ若いカップル。芝生で寝そべる男のそばでは、ベレー帽をかぶった園児の集団が弁当を広げている。
 日々是好日。 
 晴れた昼間とはいえ、立冬を2週間過ぎた風は冷たい。
 人差し指の側面で鼻水をぬぐっていると「で? あなたは最近いかがですか」と話をふられる。
「ええ、私はいま地上を離れ、暗黒の宇宙空間をたった1人でふわふわさまよっているような状態です」と本当のことは言わずに「ま、ぼちぼちですわ」と答える。
 ほう、と幼なじみが遠くを見ながら口を開く。
「わたくし手術をしましてね、最近では大手術をしてもじっと寝かせておいてくれないのですね、もう翌日から体力回復とリハビリのためにどんどん歩けと医者が言うのです。おなかからチューブを何本も垂らしつつ点滴スタンドをガラガラ押して病院内を歩き回っているとき、まるで自分がキャプテンEOに出てくる女王様になったような気がいたしました」
 人差し指を突き出しながらこわい顔でファイアー! とかネイティブ英語をキメてひとりで遊んでいたのでしょう、と別の幼なじみが微笑み、で、わたくしはと続ける。
「先日父が亡くなりましてお墓を作ったのですが、最近は○○家の墓とか先祖代々の墓とかではなく、好きな言葉を刻むのですね、和とか愛とか祈とか。そうすることで戸籍上の名前を気にすることなく、好きな人と一緒にお墓に入れる。21世紀のお墓は自由度が高まっているのですね」
 地獄上等とか夜露死苦とか刻んだら受けるだろうかとバカなことを考えながらティッシュを取り出し鼻をズビズバかんでいると最後の1人がやってきた。
「腹が減ったから庭園散策はやめてランチにしようぜ」と全員一致、近くのイタリアンへ。

 ストーブつきのオープンテラスの4人テーブルが運よく空いていたので、そこに陣取る。まずはシャンペンで乾杯。
「これおいしいっ」と口々に叫びながらパスタやピザをたらふくつまみ、「兄ちゃん、もう1杯持ってきてんか」とみんなでワインをおかわりする。
 ああ3杯目に手を伸ばしてしまっていいものだろうか、いいに決まっていると即断即決して結局1人につきシャンペン1杯と赤ワイン(大盛)2杯を飲み干す。
 4人でグラス合計12杯(大盛)の酒をたいらげ、ああ酔っぱらった、いい気分だからついでに酉の市でもなめてくかとよれた足取りで神社に立ち寄り、二礼二拍手一礼。
 自分だけおみくじを引いて「ここは大吉出ないんだよね-」と言いながらクルクル広げてみると43番大吉。図に乗ってA、B、C全員に見せびらかす。
 酔った勢いで映画DVDと音楽CDを山ほどレンタルし、帰宅後に新作ホラー映画を一気に2本見る。
 映画に悪酔いしたのかそれともワインに悪酔いしたのかそのうちに頭痛が始まり、あわてて鎮痛薬を飲んだ。
 やがて薬が効き始め、疲れたからもう寝てやれと布団にもぐり込み、面倒なことは何もかも置き去って一途に眠りの世界へ駆け込んだ。

2010.11.21

ギリヤーク尼ヶ崎

 雲ひとつない秋晴れの体育の日、新宿西口高層ビル街へギリヤーク尼ヶ崎を見に行った。過去にいろいろな舞踏をスタジオや舞台で見たが、街頭で見るのは初めてだ。
 広場には20代の若者から70代の年輩者まで、すでにたくさんの観客が集まっている。平均的な年齢層は高く、女性より男性のほうが多い。そのせいか、落ち着いた雰囲気。
 80歳の「生ける伝説」はいったいどんな踊りを見せてくれるのだろう?
 ワクワクしながら登場を待っていると、本人が風のようにするりと登場。長髪の、「おじいさん」というよりは「おじさん」が普通にカートを引いている。「のっぽさんに似ている」と思う。
 散らばっている観客が一斉に前に集まり、人垣ができる。背伸びしてものっぽさん、いやギリヤークさんが見えないので舞台のわきへ移動。そうか、座って化粧をしているから見えなかったのかと気づく。
 化粧が済むと、立ち上がって演目札を掲げ、口上。演目札は年季が入ってもうボロボロ。姿勢を正し、スピーカーから流れる津軽三味線に合わせておもむろに踊り出した。
「80歳」「ペースメーカー入り」と聞いて「ほとんど動かずに踊るのではないか」と予想していたが、あにはからんや、大数珠はブンブン振り回すわ、大股を広げてゴロゴロ転がり回るわ、高い階段を駆け上って周辺をひとっ走りして階段を駆け下りて舞台に戻って頭からバケツの水をざぶんとかぶって再び踊り狂うわ、かなりダイナミックである。
 あちこちから「ギリヤーク!」「尼ヶ崎!」の野太いかけ声がかかり、白いおひねりが宙を飛び交う。
 日陰だった広場に、ゆっくり陽が射してきた。念仏を唱えながらそろそろと歩くギリヤークを黄金色の光が包み込む。「南無阿弥陀仏」の流れる中、「おかーさーん」と叫んで仰向けに昇天。大拍手が鳴り響く。

 演目がひととおり終わり、そのままトークに移った。
「踊りには到達点がない。いまだにあがるし、調子が悪いときもある。まだまだ修行です」
「ペースメーカーが入っているし、膝も腰も悪いけれど、88歳の50周年まで何とかがんばります」
 ざんばら髪の老人は地べたにぺたんと正座し、淡々と話し続ける。観客がそれを温かく見守る。
 ふと横を見ると、ポストカードがテーブルに並んでいた。1枚200円也。美しい肉体を誇示するように、手を広げてスッと立っている若かりしころのギリヤークが写っている。この人ハンサムだったのだなあと驚いて目の前の老人と見比べる。
 老いるということは体が小さくなって皮膚が乾いて動きがゆっくりになることだ、だが肉体は縮んでも魂は変わらない。どんどんひからびる肉体をそれでも懸命に駆使して魂を表現するこの人は本当にすごいと感心しつつ、小腹が空いたのでその場を後にしてすぐ近くの釜揚げうどんの店に入った。プエルトリコの兄ちゃんが「お熱いのでお気をつけください」とそっと丼をサーブしてくれる。
 いも天を乗せたかけうどんをすすっていると、「ギリヤークさんも相変わらずお元気やなあ、俺たちもがんばらんといかん」と芸人らしき男女の会話が耳に入ってきた。目の前には10代の赤毛の白人3兄弟(兄ちゃん、姉ちゃん、弟)が座って仲良くうどんをすすっている。
 観光白人、君たちは賢い、ものすごく物価の高い東京において、うどんはうまい・早い・安いの三拍子がそろった素晴らしい食べ物であることをよくご存じだなと心の中でほめ、世の中には実にさまざまな人生が同時進行しているものだと感心し、すり下ろし生姜のきいた汁を一気に飲み干した。

2010.10.12