窮屈な記憶

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 私は過去の出来事をすぐ忘れてしまうたちなので、「去年の今ごろ、何をしていましたか」と人から聞かれてもすぐには思い出せなかったり、記憶そのものが消失していることが多い。しかし不思議なことに、生まれて間もないときのことは鮮明に覚えている。
 
 私は全身を何かでぐるぐる巻きにされて、とても窮屈だった。手足を自由に伸ばしたいのに、まったく動かせない。そして「ああ、またか」と絶望的な気分に襲われた。 

 全身に布をきつく巻き付けられたロシアの赤ん坊が何人もベッドに寝かされている映像を、以前見たことがある。

 不快な記憶がよみがえり、鳥肌が立った。 
 窮屈な衣服を身につけること、波長の合わない他人と一緒にいること、いやいや集団に属することは、「束縛される」という意味ですべて同じだ。自分の意思に反して束縛されるほどいやなことはない。

 ピュアな魂は、ただでさえ肉体に押し込められて窮屈な思いをしている。だから赤ん坊はよく泣くし、敏感な人間はしばしばゆううつになる。これは、何回生まれ変わってもたぶん変わらないだろう。

2009.04.29

人気(ひとけ)のない神社

 ゴールデンウィーク前日に観光地の神社へ。
 シャッターの降りた人気のない商店街を10分ほど歩くと、巨大な鳥居が出現。神殿に向かって一直線に参道が延び、空を覆う緑が美しい。
 参道の左右に広がる池には赤や白の鯉がけだるそうに泳ぎ、岩山に登ったカメが集団で甲羅干し。たまにちゃぷんと水の中にすべり込むものもいる。日に当たってぼんやりするのに飽きたのだろう。
 そういえば3、4年ほど前もここに来て、池をながめていたなと思い出す。そのときは友人が一緒だった。住んでいる土地や家の環境も、いまとは違っていた。
 今の環境は当時とまったく異なっているが、この神社とは相変わらず縁がつながっている。よく考えてみると、ちゃんと願いがかなっている。

 ふと気づくと、あたりには誰もいない。よく来たねでもなく、お前なんか知らないよでもなく、境内の空気は私を静かに包み込む。ありがとうございますとひとことお礼を言ってから鳥居をくぐり抜ける。 

 その晩見た夢。蓋つきの青いプラスチックのゴミ箱が目の前にある。なぜこんなものがここにあるのだろうと目を凝らしてよく見ると、ゴミ箱ではなく青い蓋をかぶった男の子である。
 大きくてはっきりした目。小さくてふっくらした身体。人間ではない。
 目が合うと、「あ、見つかっちゃった」というようないたずらっぽい目をした。
 はるばるここまでついてきたのか。いったい何しに来たのかとあれこれ考えながらまどろむうち、朝になった。

2009.04.29

春のお彼岸 2009

春分の日を中日(なかび)として、その前後3日間が春のお彼岸。

◆お彼岸の初日に見た夢
 周囲360度、見渡す限り水面。自分は水の中にいる。途方に暮れていると助けがやってくる。
「遅くなってごめんね」
 よかった、助かった。そこで目が冷めた。

◆春分の日に起こったこと
 バスで帰宅時、老婆が隣に座る。
「あたしお墓参りに行ってきたんだけどさ・・・」
 しきりに話しかけられる。
「お伊勢の森って知ってる? あたし、そこに自分の墓をつくったんだよ」
 途中つじつまの合わない話も出てくるが、人なつこくておもしろいのでイヤホンをはずして話し相手になる。
「あたし、自分の墓石は黒みかげにしたよ。戒名に大姉ってつけたらさ、坊主にうんとお金取られちゃったよ」
 そう言って地下鉄そばの停留所で降りていった。
 この1週間、ずっと強風が吹いている。風が強くないとこの世とあの世の間を行き来できないのだなと思う。

2009.03.23