何年か前、とある海辺の水族館へ一人で出かけた。どんより曇った午後だったと記憶している。平日のせいか入場者は少なく、広い園内は閑散としていた。
大きなウミガメに触ったり、いきなり現れた巨大なデンキウナギにびっくりしたり、ピラニアの歯を見てうわあ破壊力あるうと思ったり、ふわふわ漂うクラゲをぼんやりながめたりしてから、少し離れた「イルカのプール」まで足を伸ばした。
そこは2階建て構造になっており、上からはプールの水面からイルカを見下ろすことができ、階段を下るとぶ厚いガラス越しに泳ぐイルカがながめられるつくりになっていた。
まずは上階でイルカが顔を出してくれるのを待つ。
来ない。手をたたいても「おーい」と呼んでも来ない。
潮風のさみしい香りが園内をさまよう。
鼻水をすすり、背中を丸め、コートのポケットに両手を突っ込んでじっと待つ。
やっぱり来ない。
首を伸ばして下をのぞき込むと、黒っぽい大きなイルカが3頭ほどプールの底をゆっくり回遊している。なあんだ下にいるんじゃんと階段を下り、ぶ厚いガラスに顔をへばりつけて「イルカさーんこっちこっちー、こっちおいでよぅー」と両手をひらひら振った。
ああイルカと仲良しになりたい癒やされたい、早くこっちにいらしゃいとガラスの水槽をパンパンたたいていたら、3頭がくるりと方向転換して一斉にこちらに泳いできた。
君たちさみしかったろう、今日はお客さんが少ないもんね、私と一緒に遊びましょう。
イルカの泳ぐスピードが尋常ではない。ものすごい勢いでグングンこちらに突進し、ガラスにぶつかる直前で彼らは体をくの字に曲げ、上半身を激しく前後に振り始めた。顔を見ると、目がつり上がっている。口元が般若のように裂けている。どう見ても威嚇である。これは人なつこくてさみしがりやのイルカさんが親愛の情を示しているのでは決してなく、私という侵入者に対して敵意をむき出しにしているのだと気づいた。
イルカになぜここまできらわれなければいけないのかと呆然としていると、蛍の光が流れ始めた。薄暗い園内にはもう誰もいない。
肩を落として出口へ向かった。おそるおそるプールを振り返ると、イルカはまだ上半身を激しく降り続けている。
「帰れ!」
「ボケ!」
「もう来るな!」
彼らの発する超音波を翻訳したら、きっとそんな内容になったと思う。
イルカと聞くとかわいくて賢い「わんぱくフリッパー」を連想する人は少なくないと思うが、それはあくまでも彼らの表向きの顔に過ぎない。裏の顔も知りたい人は、寒い曇り空の夕刻、人気のない水族館へ行くことをおすすめする。運がよければ、あなたも特別なおもてなしを受けるだろう。
2010.11.23