圧倒的な存在感

 買ったばかりの服を着て、家を出る。自慢じゃないが、高かった。夏用のサンダルも新調したばかりだ。ヘアスタイルもいつになく決まっている。
 その日の私は自分で言うのもなんだが、光り輝いていたと思う。自信にみちみちていたと思う。
 人混みをかき分けて颯爽と歩き、お気に入りの花屋へ。
 今日はいつもより人の視線を感じる、ふふん。
 鼻高々に店内に入り、白いカサブランカを2、3本取って店内の鏡を肩越しにふり返る。
 鏡よ鏡よ鏡さん、この世で一番きれいなのはだあれ?
 左右の肩胛骨の上部に、純白のサロンパスが一対。背中の開いたベージュのチュニックが、その圧倒的な存在感を引き立ててている。
 あわててベリッと引きはがす。勢いがよすぎて肩がヒリヒリする。たぶん、はがしたあとが真っ赤に腫れるだろう。

 こういう事例は、初めてではない。1枚を4分の1にカットしたサロンパスを左右のこめかみに貼り付けたまま、初対面の相手(複数)と仕事の打合せをしたこともある。もちろん故意ではない。忘れているのである。馬鹿じゃないのか。

2009.05.14

うたかたの風景

 湿った空気が懐かしい思い出をよみがえらせてくれそうな初夏の夕暮れ、後楽園へ散歩。
 虎や馬、ライオンを載せたどうしようもなく寂しいメリーゴーランドが光の渦を描きながらくるくる回る。
 上昇しては急降下するジェットコースターが人の叫び声だけ残して闇に消える。
 すべてはうたかた。哀しくて美しい風景が、心の奥の残像とシンクロする。

2009.05.13

心のお清め

 春の土用が終わって暦の上ではこれから夏が始まるが、生身(なまみ)はすっきりさわやかに季節が切り替わるということはなく、日々、スライムのように伸びたり縮んだりしている。
 その日に分泌される脳内物質やホルモンの量、あるいは天気によっても精神状態は大きく変動するから、わけもなく落ち込んだり、ものすごくイライラしたり、とめどなく不安になったりしても、それはそれでしかたがないし、それでいい。基本的に、感情をコントロールするのは不可能なのだ。
 ネガティブな感情に支配されているときは、風のうなる音でも聞きながらぼんやり過ごすしかない。でもそのままではつらいとき、どうしても感情の矛先を変えたいときは、こんな方法がある。
★好物を食べる・・・たいていの場合、実体のない感情より実存するおいしいもののほうがパワーが強い。ただし、五感が麻痺するほどつらいときは無理して食べてはならない。
★粗塩を入れた湯船にじっくりつかる・・・緊張がゆるむ、気分転換できる、厄(心と身体に溜まった汚いもの)が排出できる。
★部屋の掃除・・・部屋は心の投影。部屋が汚いのは、いろいろな想念が錯綜して気持ちと頭の整理がついてない証拠。
★窓を開けて風を通す・・・自然の風は、頭に浮かぶ雑念を祓ってくれる。
★部屋に花を飾る・・・花はいやしや勇気を与えてくれる。その季節の旬の花には、特にパワーがある。
★新しい下着や靴下を身につける・・・新品にはピュアな力がある。リセットしてやり直したいときに効く。
★外を歩く・・・体内に取り込む空気の質が一変するので、いやでも気分が変わる。

2009.05.06

植物の幽霊

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 買った当初はどんなに美しい観用植物も、1年もたてば背が伸びて葉がぼさぼさになる。余分な枝をカットしても、美しい鉢に入れ替えても、悲しいかな容姿が衰えてくるのである。観用植物がお金を払ってでも手に入れたいほど美しいのは、店頭に飾られているときだけだ。
 ちょうど去年の今ごろ、私は枝ぶりのいいエバーフレッシュやコンシンネを購入した。どれもひとめぼれである。みずみずしいグリーンが白い壁に美しく映え、室内にフレッシュな気が放たれた。やはり緑があると落ち着くと思った。
 だが、至福はそう長く続かない。時間がたつにつれ輝くようなグリーンは光を失い、葉は不揃いに伸び始め、それを置いている周辺の空気がずしりと重くなった。そばを通るたびにゆううつになった。植物の幽霊がたたずんでいるように見えたのである。
 ある日、水やりのためすべての鉢をベランダに出した。部屋の中がすっきりして、すがすがしい印象になった。そのまま1週間ほど放置。
 そして今日、見てみたら。力を失った手のように葉が垂れ下がり、葉は茶色に変色して、枯れていた。室外の環境が合わなかったのかもしれないが、実は、飼い主の思いを感じ取って自分から枯れたのではないかとも思う。

2009.05.03