メッセンジャー

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 数年前、私はAという町に住んでいた。結局、そこには3年しか住まなかった。
  くわしいことはここでは書かないが、当時の私はそこに住んだことによってかなり精神的に追い詰められ、八方ふさがりのなかで死にかけた金魚のようにパクパク息をしている状態だった。

 どこに相談しても相手にされず、孤立無援でなかばノイローゼ状態になっているとき、知らない人間から突然電話が来た。
「○○さんからの紹介で電話しました。仕事をお願いしたいのです。お会いしましょう」
 最寄りの駅で待ち合わせると、時間通りに相手が現れた。そこら辺に普通にいる、30代の男性だった。
 カフェでコーヒーを飲みながら最初は仕事の話をしていたのだが、そのうちなぜか私は彼に悩みを打ち明けていた。きっとわらにでもすがる気持ちだったのだと思う。

 彼はひととおり私の話を聞いてから、立て板に水のごとく話し始めた。
「それは大変ですね。もしかするとこれこれこういうことが原因かもしれませんね。いつか必ず解決しますから、あまり気に病まず、どこかに行って羽を伸ばしたらどうですか」
 目を見ると、とろんと半眼になっている。トランス状態である。
 しばらくして目が全開し、ニッコリ笑った。
「すみません、私、たまにこうなるのです。何を言ったか覚えていませんが、お役に立てましたか?」
 問題の原因について彼が示唆したことは自分では予想もしていないことだったが、ズバリと核心を突いていた。彼に会っていなかったら、私はことの本質に気づかないまま、いつまでも堂々めぐりを続けていただろう。
 それで問題がすっきり解決したわけではなかったが、精神的にはものすごく楽になった。
 その人とは1度だけ仕事をしたが、やがて自然に音信が途絶えた。

 あのときなぜタイミングよく彼が現れたのか、いまだに謎である。しかしよくよく今までをふり返ってみると、窮地の時は必ず誰かから救いの手がさしのべられている。私の人生を上から見ている誰かが、必要に応じてメッセンジャーを派遣してくれているとしか思えない。
 メッセンジャーは頭の上に輪っかがあるわけでも、背中に羽が生えているわけでもない。どこにでもいるような普通の人が、ある日突然、さりげなく自分の前に現れるだけである。私のところにも来るのだから、あなたのところにも必ず来ていると思う。

2009.06.28

猫集会

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 暗黒の高校生時代
、私は小田急線沿線のとある新興住宅地に住んでいた。そこは丘陵地帯で、少しずつ宅地造成が進んでいたもののまだまだ未開の原野(つまりド田舎)で、日中そこら辺を歩く人はほとんどいなかった。
 初夏のある日、授業が午前中で終わった私は、駅から徒歩で家を目指した。家は辺鄙な場所にあり、どうがんばっても駅から歩くと30分以上かかるが、その日は何となくバスに乗る気がしなかったのである。
 滅多に歩かない造成中の小高い丘を登ると、あたりには誰もいない。日差しの強いなか、歩いているのは私1人である。 
 道の途中に猫がいた。しばらく行くと、また猫がいた。
「ここは猫が多いなあ」と思いながら歩くうち、やがて高台の広場のような場所に出た。そこで足が止まった。
 猫、猫、猫、猫。見渡す限り猫がいる。数十匹はいる。みな前足を立て、黙祷するかのように静かに座っている。
「まずいところに来てしまった」
 本能的にそう思い、そそくさとそばを通り抜けた。緊張と悲しみの入り混じった空気がふわりと漂った。
 猫が集まっていた広場を脱けた先に道路があった。そこに、猫の轢死体が転がっていた。「ああ、これだ」と思った。
 仲間の死を悼む猫たちの集会を、私は見てしまったのだ。

 何十年たった今も、あのときの光景は忘れない。人が人の死を悼むように、猫も猫の死を悼むのである。

2009.06.22

夢枕

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 暗黒の高校生時代、少し曲がって育った私には友人がいなかった。そのことは別にどうでもいいが、そのときにクラスメイトの1人が脳腫瘍をわずらい、気の毒にも亡くなってしまった。

 いいところのお嬢さんだったが、脳を冒されていたのか、最後のほうは奇行が目立ち、「うっとおしいやつ」と私は感じていた。事情を知って同情していた人もいたかもしれないが、当時の私はクラスメイトとほとんど没交渉だったので、彼女がなぜそんなに風変わりな行動を取るのかまったくわからなかったのである。
 ほとんどすべてのクラスメイトは葬式に出たが、私ともう1人の変わり者は出席しなかった。私たちは単に「面倒」だったのである。「別に友達じゃないし」と放っておいたのだ。

 するとその晩、彼女が夢枕に立ち、こう言った。
「・・・・・・なんで来てくれなかったの?」
 その声は、今でも鮮明に覚えている。ふわふわした、けれど悲しそうな声。
 悪いことをしたと思った。面倒くさがらずに行けばよかったと反省した。
 そしてそのときから「死んだらそれまで」という認識が一転した。
 肉体は消えても魂は消えないことを、私は「うざい」と思っていた相手から教えられたのである。

 翌日、葬式をさぼったもう1人に夢の話をした。すると相手も、「実は自分のところにも来た。それと全く同じ夢を見た」と言う。
 それ以来、私は人の死を甘く見るのをやめた。 
  
 夢枕に立つのは人間だけではない。死んで何年もたつ犬や猫も、自分を懐かしがってたまに夢に出てきてくれることがある。彼らの夢を見たあとは、せつなくやるせない気持ちになる。

2009.06.19

ドナルド

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 日本の最東端で一泊。海に面した旅館は見晴らしがよく部屋もそこそこ広く食事も新鮮な海の幸がてんこ盛りで何も言うことはなかったが、夜、布団に入ってから蚊の猛攻撃に遭った。
 蚊はうんともすんとも言わず、無音で人の肌に忍びよってくる。潮風にもまれてパワーアップしているのか、「血、ありがとね」とお礼に注入してくれる毒の威力は絶大だ。
 土饅頭ほども腫れ上がったあちこちがかゆい、かゆすぎる。あまりのかゆさに仕方なく起き上がり、時計を見ると午前2時。備品の蚊取り器をつけて再び眠ろうとするが眠れない。打ち寄せる波の音を聞きながら寝返りを打っていると、はや朝6時半。
 
 ぼやけた頭のまま宿を出て名所をめぐるうち、小腹が空いたので目についた店に入ってラーメンを注文。椅子に座ってからしまった! と気づく。
 とっくの昔に風化してしまった店内。むわっと湿り気を帯びた空気。ほこりまみれのブラインド。がんばって麺をすするも、カウンターに座ったジャバザハットのような常連と白雪姫に出てくる意地悪な継母によく似たおかみと黒ずんだフクロウのはく製にじっと見つめられて5分でギブアップ。
 胃がむかむかするのでせめて口直しにコーヒーでもと店を探すが、どこもかしこものきなみシャッターが閉まっている。
 歩いて歩いて絶望的な気分になりかけたそのとき、救いの神登場。神は1人孤独にベンチに座っている。
 ラン・ラン・ルー! ドナルドである。
 1杯120円の熱すぎるコーヒーをむさぼるように飲む。
「熱ぅッ!」
 その瞬間からコーヒーの香りと味が理解できなくなる。

 帰宅のため駅へ向かうと、すでにあたりは薄暗くなっている。
 上り電車が来るまであと60分。待合室で退屈なテレビを見ながら蚊に刺されたところ(5カ所)をぼりぼりかきむしり、やけどした舌をもてあまし、乳酸のたまった足をひっきりなしに組み替え、やっぱりむかむかする胃を両手で抑えつつ、大吉方位の旅なんだから楽しいよ、楽しいに決まってるじゃんと自分に言い聞かせる。しかし頭の中ではドナルドの決まり文句「ラン・ラン・ルー!」がずっと鳴り響いている。

2009.06.11

オープンな場所

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 1カ月間ずっと根を詰めていたので、息抜きに多摩動物公園へ。

 他の動物園と違っているのは、まず面積が広いことである。なだらかな山を登ったり降りたりしている最中に、ふと動物がいるという感じである。動物園に来ているのかハイキングに来ているのか途中でわからなくなってしまうが、大自然を堪能できるのはありがたい。

 平日のせいか人も少なく、動物ものんびりくつろいでいる。
 ここに来るとのびのびするのはなぜだろう、よけいなことを考えずに済むのはなぜだろうと考えて、ふと見上げると空が高いのに気がついた。まわりに高層ビルが建っていないので、すこんと空が抜けているのである。で、謎が解けた。
 蓋がないからだ。自分のアタマを覆うものがないゆえに、たまった思いがアタマのてっぺんから蒸発するのである。
 約3時間の邪気落としのあと、帰宅して就寝。その夜、死んだように眠りについた。

2009.06.03