メガの国

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 年明けに人生初のコストコ体験。
 入り口でメンバーズカードをつくり、いくつかの店内ルールを教えられ、倉庫のだだっ広さに圧倒されながら巨大カートを押して店の中へ入る。
 カジュアル服、電化製品、調理器具、洗剤、文房具、日用雑貨、酒、お菓子、薬品、その他もろもろ、ほとんど脈絡なく陳列される商品の群れ。
 高い天井を見上げると、商品の入ったコンテナが山積みになっている。「物流」という言葉が頭の中でぐるぐる回り出す。
 卸売りスーパーであるコストコと他の小売店との最大の違いは、商品ひとつあたりのボリュームだ。さり気なく手に取ったキッチンラップは手首がぐにゃりとしなるほど重いし、トイレットペーパーはワンパック36ロールである。
 すごいのはデリコーナーだ。売り場には巨大サイズのパエリアやピザ、6本ワンパックのチキンレッグ、50貫入りの寿司がずらり。テーブルパンは36個でワンパック、サイズ大きめのベーグルやマフィン、ドーナツは12個でワンパック。ブルーやパープルなど日本では絶対お目にかからないカラフルなクリームが盛られた特大ケーキは3キロを越えている。そういうのが普通に並んでいる。
 日常ではあり得ないメガぶりに興奮し、「うわぁッ」「ひえぇッ」と小さく叫びながらベーグルやインドカレーセット(カレー3種、ナン3枚、タンドリーチキンのセット)を次々にカートに入れていく。
「・・・○○円です」
 どはぁッ。お値段もメガである。単価は割安でも、カートが巨大なのでついつい買い過ぎてしまうのだ。
 精算後、疲れてフードコートでひと休み。甘いものが食べたいと注文したベリーベリーサンデー(ソフトクリームに赤いベリーソースがかかったもの)はゆうに2人分はあるだろう。
 がんばって食べるも、なかなか減らない。完食をあきらめ、しばし放心状態に。

 戦後の日本人が見たら腰をぬかすであろう体験に軽くカルチャーショックを覚えつつ帰宅。
 おそるおそる口にしたデリはまあまあイケる味、これならリピーターもつくだろうと納得。
 翌日、性懲りもなくまたコストコ探検に繰り出した。

 コストコは楽しい。不思議の国に迷い込んで身長が縮んでしまったアリスのような、へんてこな気分になれるからである。

2010.01.05

年末の帰省

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 2009年もあとわずかなので、家中の古いお守りをかき集めて氏神へ納めに行く。
 年の瀬は空気が澄んで、風がひゅうと骨にしみる。小柄な少女が向こうからパタパタと走ってきて、ヒョッと電信柱にしがみつく。目鼻立ちははっきりしているが、浮世離れした雰囲気でどこか普通ではない。よく見ると、ほおに黒い毛が生えている。
 私がわきを通り過ぎると電信柱から離れ、来た道をパタパタと小走りに戻っていった。

 誰もいない神社で参拝していると、真っ黒い髪を伸ばした黒いロングダウンコートの女がうしろで順番を待っている。ついさっきまではいなかった。
 参拝を済ませ、せっかくだから街へ足を伸ばそうと駅へ向かうと、携帯電話を耳に当てている若い男が左隣にいる。目は右斜め上30度をぼんやり見つめ、横断歩道をふらふらと右斜めに横切る。
 五分刈り、左右の眉はつながるほど濃く、まつげが異様に長い。何かに引っ張られるように、体を右側に傾けて歩いている。ぶつからないよう、そっとよけて歩道を渡る。

 不思議なことに、なぜか毎年、年末年始になると人間のようで人間でないもの、つまり「妖怪」が街中にひんぱんに現れる。古い気と新しい気が大きく入れ替わるときのどさくさにまぎれ、ひょっこり遊びに来るのだろうか。
 おしなべて妖怪はおぞましいようなでも憎めないようなアンバランスな雰囲気を漂わせており、かわいらしくそしてどこか哀しい。
 駅前にはカートを引きずる人々の群れ。
 ああそうか、妖怪たちも今、こちらに帰省中なのだなと気づく。

2009.12.29

イメチェン

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 セミロングに飽きたので、美容院でスタイルをチェンジ。
「ベリーショートでシャープな感じにしてください。もみあげの部分は少し長めに残して、後ろは耳にかけたいんです」
 私はそのとき、ジギー・スターダスト(デヴィッド・ボウイの初期のキャラ)の美しい容姿をぼんやりイメージしていた。
「そうですね、お客さまなら似合うと思いますよ。よし、思い切ってイメチェンしちゃいましょう!」
 念入りにカットして、カラーリングもして、2時間後に終了。疲れて最後はほとんど眠っていた。料金を支払い、頭がぼんやりしたまま店を出る。気分はもちろん異星の客・ジギーである。「屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ」のジャケ写を思い浮かべながら街を闊歩する。

 帰宅して洗面所に直行、期待満々で鏡をのぞく。
 どうよ私? ジギーっぽくなった?
 ・・・・・疲れた森昌子が立っている。
 うわあなんだこれどうしたんだと驚愕しながらはさみを取り出し、あえて不揃い感を出してみる。
 これでどうよ?
 再び鏡をのぞく。
 森昌子からもんちっちへ華麗なる変身を遂げた人間が立っていた。

2009.12.22

太陽の慈悲

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 太陽は毎朝、東の地平線から顔を出し、南中して西の空に沈む。雨の日も風の日も同様だ。
「今日はしんどいから昇るのやめた」ということは一切なく、それこそ気の遠くなるような長い間、ひたすら同じ営みを繰り返している。考えてみれば、これはすごいことである。
  太陽は高いところから地球を照らす。だから町や国、陸や海を問わずすべての場所に平等に光が当たるし、すべての生きとし生けるものに平等にエネルギーが降り注がれる。その温かいエネルギーを体に浴びるだけで、私たちは生きる力が自然に湧いて前向きな気持ちになれる。 

「すべてに平等」
「無償の愛を惜しみなく与える」
「うそいつわりがない」
「まぶしくて直視できない」
 それって神さまじゃないのか。つまり太陽とは、一日も休むことなく慈悲の光を放つ神さまなのではないか。

2009.12.21

とげ抜きエンジェル

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 巣鴨のとげぬき地蔵通りを散策。懐かしい雰囲気の洋品店やふくろもの屋、漢方薬局などが建ち並ぶ。大福やすあまを売っている和菓子屋の奥をひょいとのぞくと、食堂になっている。ほぼ満席状態だ。迷わず入店。
 店内には20代の親子連れから中年女性のグループ、80代のばあさん、英語でしゃべっている白人のサラリーマンなどいろいろな人が麺をすすったり丼をかきこんだりいなり寿司をつまんだりしている。60代〜70代のベテランのお姉さんが数人、お盆を運んでいる。みな忙しそうだが、決して急がない。忙しいのと急ぐのとは違うのだ。
 70代と思われるふっくら福相のお姉さんが、温かいお茶を銀盆に載せて細長い通路をこちらに向かってゆるゆる歩いてくる。「別にあくせく働かなくたっていいじゃんかー」と言わんばかりのマイペースぶりにいやされる。
「あ、食券買ってないの? 入り口で」
 席に着いてから注文するのかと思っていた。あわてて席を立とうとすると、「いいよいいよ、あたしが買ってきてあげる」。
「じゃあ、タンメンお願いします」とお金を渡すと、入り口のレジまで行って食券を買い、「はいよ」とおつりとともに渡してくれた。
「おまちどうさま」
 目の前にタンメンが置かれる。
「あのう、お冷やもいただけますでしょうか」
 お姉さん頭(がしら)だろうか、骨格のはっきりした威厳のある顔立ちと風格のあるお姉さんに向かい、意を決して私は言った。
「OKよ-、今日はあたしノッてるから、なんでも頼んでちょうだいね-」
 柔和なスマイルでこちらの気分をやんわりほぐし、ユーモアのあるひとことで親愛の情を抱かせ、仕事ぶりはていねいでそつがない。一見の客を瞬時に魅了するのは、さすが年の功である。地蔵通りのお姉さんたちは、まことに高度なスキルを持ったプロ軍団なのである。
 タンメンは薄味で野菜たっぷり、素朴な味がした。 
 機会があったらまた来ようと思いつつ店頭でおみやげの塩大福を買い求め、帰宅後にさっそく試食。
 温かくてやさしい味。店の魂は小さな大福にも宿っていた。

2009.11.02

ふるさと

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 小学校4年から高校2年まで、 私はM市の共同アパートに住んでいた。当時、アパートの前には米軍の駐屯地があり、広大な敷地には住居棟が要塞のように建ち並んでいた。敷地内にはアメリカ人の子どもが遊ぶ芝生の公園や教会やスーパーマーケットもあった。
 駐屯地はそれ自体がひとつの街として機能していたため、中で暮らす住人が歩いて外に出てくることはあまりなかったが、たまに柔道着に黒帯を締めた黒人がゲートから出てきて素足で道をのし歩いたり、黒人男性と白人女性のカップルが体をぴったりくっつけて近隣を散歩したりしていた。
 夕方になると国旗がするすると降ろされてアメリカ国歌が流れ、建国記念日などにはロックやジャズの生演奏が風に乗って聞こえてきた。
 こちらから見ると鉄条網で隔離された異世界だったが、そこは妙に豊かで明るくてさばさばした雰囲気が漂っており、そのころ暗黒の人生を送っていた私は、まるで光を求める蛾のようにいつも窓から巨大な要塞を憧れの目でながめながら暮らしていた。救いようのない窮屈な環境に身を置きながら、「この世に存在する世界はたったひとつではない」と無意識のうちに教わっていたような気がする。

 家の都合で高2のときにそこを離れて南西の丘陵地に移動したが、何年か前、思い立ってM市のそのアパートを訪ねた。すでに廃墟になっていた。
 立ち入り禁止のロープがかかっていなかったので、思い切って自分の住んでいた棟の階段を上ってみた。捨てるに忍びなかったのか、階段の途中に枯れた鉢植えが数個置いてあり、小バエがその回りを飛んでいた。
 3階の305号室のドアノブを回す。
 開かない。
 ドア中央部にしつらえられた新聞受けのフラップを押し開けるが、中は真っ暗で何も見えない。
 仕方なく3階の階段から外をながめると、米軍の敷地内にあった要塞は跡形もなく取り壊され、だだっ広い開放公園になっていた。アメリカ人の姿は消え、かわりに芝生に座ってのんびりくつろぐ日本人がいた。私が慣れ親しんでいた世界は完全に消失していた。 

 あとで幼なじみにアパートのことを聞くと、「あそこはじきに取り壊され、民間の低層マンションが新しく建つのだ」と教えてくれた。
 後日、再びそこを訪れてみると、すでにまったく新しい建物が建ち並んでいた。当時の風景の面影などもうどこにもなかった。どこか別の街に迷い込んだような気がした。
 形あるものはすべて消え失せる。青春時代を過ごした「ふるさと」はもう私の記憶の中にしかない。

2009.10.30

念力

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 小さいころ、近所の子供会に参加したことがある。忘年会だったか新年会だったか忘れたが、最後のイベントはじゃんけん大会だった。

「これが3等の賞品、これが2等の賞品」
 ゲームが始まる前に、賞品が紹介された。
「これが1等の賞品だよ」
 裏に孫悟空が描かれた、オレンジ色のつやつやしたトランプが差し出された。私はそれを見た瞬間、何の邪念もなく「ほしい」と思った。 
「じゃんけん、ぽん!」
「あいこでしょっ!」
 よくわからないうちに、あっけなく勝ち抜いてしまった。トランプは私の手にあった。
 じゃんけんを出す手に念力を込めたわけではないし、「勝ち抜いた自分」を頭に思い浮かべたわけでもない。もちろん、呪文を唱えて相手にパーやグーばかり出させたわけでもない。ただ単純に「ほしい」と思っただけである。
「自分はじゃんけんが弱いから勝てないだろう」とか「ライバルが多すぎるからきっと他の子の手に渡ってしまうだろう」などとよけいなことを考えず、無心にじゃんけんをしたら、ほしいものが手の中に飛び込んできた。それだけだ。 

 不安や恐れで思う力の勢いを弱めない限り、そしてそれが他人に害を及ぼすものでない限り、思う力=念力はすべてのものを通過してまっすぐに飛ぶことをそのとき知った。

2009.10.01

秋のお彼岸

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 秋のお彼岸入りの深夜、ふと目が覚めた。
 東北方位から、ごうごうと強い風が吹きつけている。まるで大きな鬼が怒りながら泣いているような、ものすごい音だ。
 そうか、鬼門が開くのだなと気づく
 秋分の日を中日として、前後3日間は秋のお彼岸だ。あちらの世界からこちらの世界を懐かしむ霊たちが、「フリーパスだからどんどん行こうじゃん!」と、わらわらこの世に押し寄せてくるボーナスウィークである。
 目には見えないが、この期間、こちらの人口(霊口)密度は非常に高くなっていると思う。公園のベンチはぎっちぎち、ディズニーランドは満員御礼、風光明媚な温泉は芋洗い状態に違いない。
「やっぱりシャバはいいよなあ」
「生き返りますねえ」
 打たせ湯を肩や背中に当てながらぼんやり大自然をながめる死霊やゾンビのつぶやきが聞こえるようだ。 
 あちらからこちらに自由に行き来できるなら、こちらからあちらへ行くのもたやすいはずだ。うっかりしていると迷い込む。丹田に力を込め、気を引き締めてこの1週間を過ごしたいと思う。

2009.09.20

秋祭り

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 日曜日の夜、少し足を伸ばして隣町まで買い物へ。帰りに道路を練り歩く御輿に遭遇。秋祭りである。どうりで風が涼しいはずだ。
 通行止めされた道路のど真ん中では盆踊り大会が繰り広げられ、その脇を御輿がわっせ、わっせと練り歩く。その通りにそんなにたくさん人がいるのを見たのは初めてだった。
 今夜はいいじゃん! とばかりに嬌声を上げて夜の道路で遊びまくる子どもたち、大声で笑いながら仲間と世間話に興じる若者たち、寝てしまった小さな子どもを抱いて歩く父親や母親。
 元気な彼らをよそに、御輿を静かに見つめているのは老人だ。缶焼酎を手にした小柄な70歳くらいの男性は、足を引きずりながらずっと御輿について歩いている。太った老婦人は杖で体を支えながら、懐かしそうな目でじっと御輿を見つめている。露店を出している初老の女性は縁石に座り、ビールを飲みながら何も言わずに御輿をながめている。どの顔にも貫禄がある。
 彼らの横顔や後ろ姿を見ながら、この人たちはきっとたくさんつらいことを経験してきたのだろうなと思う。意にそぐわないことや理不尽なこと、悲しいこと、こわいこと、頭に来ること、そしてたまに幸せなことをそれぞれ何十年も経験して、何事もなかった顔をして祭りに参加しているのだ。
 オレンジ色の街灯が、夜の祭りを温かく照らす。
 多かれ少なかれどの人も同じだ、人生はそれほど捨てたもんじゃない、何があっても、どんな人でも、祭りの日はみんな同じ光に包まれる。

2009.09.13

愛と夢の国

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 涼しくなったので東京ディズニーランドへ。園内は最後の夏休みをそこで過ごそうという家族連れで大にぎわいだ。
 人垣の間から「ジュビレーション」を鑑賞。だだっ広い敷地の向こうから、異質なものたちが練り歩いてくる。
 殺風景な舞浜の空き地にわらわらと出現する、原色のキャラクターと人工的な造形物。パレードの手前の広場には、真っ白い彼岸花が一面に咲いている。
 
 日が落ちかけるころ、ウエスタンリバー鉄道に乗る。走れども走れども薄暗い裏山だ。
 茂みの間をかき分けてしばらく進むと、インディアンの母娘が列車に向かって手を振っていた。もう何年も何年も、あの母娘はうっすらとほほえみを浮かべながら手を振っているのだろう。深夜、誰もいなくなっても。
 
 ディズニーランドの夜は暗い。エレクトリカルパレードは最大の見せものだ。闇に光る巨大なイルミネーションは見る者を圧倒するが、その人工的な光はうたかたの夢のごとく、目の前をあっという間に通り過ぎる。
「きみも、友達だよ!」
「いっしょに、行こうよ!」

 ディズニーランドは愛と夢を売っている。つかの間の、数千円で買える愛と夢。
 ずっと昔、ここでかりそめの幸せを味わったあと、この世からフェイドアウトした家族のことが新聞に載っていた。「せめてここでは楽しく過ごそう」という最後の悲願は、はたしてかなえられたのだろうか? 
 空には白い月がぷかりと浮かんでいる。入園者が群れをなして一斉に出て行ったあと、しんと静まりかえった巨大なホテルを仰ぎながら、はかなく消えてしまった彼らのことを少しだけ想う。

2009.09.02