む
 私は「血のつながり」とか「親子のきずな」という言葉がとても苦手だ。「仲のいい母娘」という概念も信じていないし、成年を過ぎてなお親元を離れない人間にも違和感を覚える。自分が親子関係でかなりしんどい思いをしてきたからだ。
「親子はなかよくすべきもの」という一般常識が世間にはあるが、そんなものからは1ミリでも遠くへ離れていたいと思う。

「子どもは自分の所有物」とかたくなに思い込んでいた母親は、私が成長して社会人になってもなお、執拗にまとわりついた。
「私のもとにずっといなさい、私の踏み台になりなさい」 
 その念の強さは尋常ではなく、まるでたちの悪い呪術師のようだった。
 すきを見て、私は逃げた。私は私の人生を生きねばならないからだ。
 しかし逃げても逃げても母親はどこまでも追いかけてきた。赤黒い炎をゆらめかせながら背後に手を伸ばしてくるその姿が、私には鬼に見えた。
 今でも、恐ろしい化け物に追いかけられる夢をたまに見る。

 自分を守るために実家から20年以上遠ざかっていたものの、あるとき、やむを得ない事情で一時期だけ母親の世話をすることになった。
 月日がこれだけたっているのだから、もしかすると親子関係が修復できるかもしれないと淡い期待を抱きつつ、約1カ月間、彼女が入院している病院に通い続けた。しかし退院まぎわ、再び鬼があらわれた。
 私が抱いていた甘い期待は静かに死に、絶望に変わった。だめなものはだめだとわかった。 

 寺山修司は、自分を過剰に溺愛する母親を「死んでください、お母さん」と詩に詠んだ。同じことを、私も何度願ったことだろう。その気持ちはたぶん、鬼を母親に持つ本人にしかわからない。兄弟にも理解できないと思う。
 もちろん、そういう特殊な環境で育ったからこそ得られるものもあるだろう。しかし母親がかけた呪いはあまりにも強力で、今でも私の日常にときおり忍びより、暗い影を落とす。

 彼女は今、遠く離れた兄の家で暮らしている。母親も、そしてその傀儡(かいらい)である父親も兄も、どうぞお達者でと思う。しかし私の心の中で、家族関係はすでに焼け野原と化している。
 それはそれでいい。私はそれ以外の場所に花の種を植えながら、ただ前を向いて生きていくだけだ。

2010.03.20

春のお彼岸

DSC00457
 風が強い。メアリー・ポピンズが「ギャアーッ」と悲鳴を上げて世界の裏側まで一気に吹き飛ばされそうなくらいの強風である。
 そういえば、もう春のお彼岸ウィークに入っている。この時期は例年強風が吹きまくるが、ことしも同じだ。

 お彼岸の時期は太陽が真東から昇り、真西へ沈む。
 西は西方浄土、つまり「あの世」の方位である。昔の人は「お彼岸の時期は最もあの世が近くなる」と考え、沈みゆく太陽に向かって手を合わせた。
 思いはこの世とあの世の境を越えて瞬時に通じる。祈りを受け取った彼方の者もまた、この世に生きる者たちに思いをはせる。すると彼岸(ひがん)と此岸(しがん)の間に神風が吹き、境界がめりめりっと避けて大きな道が通じるのだ。
 ふだんはあの世に携帯なんか通じないが、この1週間だけはあの世への携帯アンテナが3本立つ。もちろん、あちらからの通信もスムーズになるから、虫の知らせが多くなる。 
「お前、元気でやってるの」
「先に逝っちゃってゴメンね。寂しいかい」
「お父さん、あっちはとっても楽しいのよ」
「生きてるときはいぢわるしてゴメンね」
 あの世の人だって、言いたいことはたくさんあるのだ。

 お墓に行って菊を供えるのもいいし、夕陽をぼんやりながめるのもいいし、「おばあちゃんが好きだったなあ」と自宅でぼた餅をほおばるのもいい。それだけで、思いは通じると思う。
「思い出してくれてありがとう、そっちは大変だと思うけど、がんばって」
 あなたは寝ている間にそうささやかれ、ぎゅっと抱きしめられているに違いない。

2010.03.20

鼻天国

 遠い昔、もしかすると自分は犬だったのではないかと確信するくらい嗅覚が敏感な私は、鼻地獄を味わうことが少なくない。
「鼻地獄」とは、
◆満員電車で真ん前に立つ人のきついシャンプーや整髪料、コロンのにおい
◆隣で立ち読みする人のちょっと困ったにおい(「何日お風呂に入ってないか当ててごらんよ」と挑発してくるようなにおい。なぜか「精神世界」のコーナーでよく遭遇)
◆レストランで近くの席に座った人の甘い香水の香り
◆朝の新幹線で隣に座った人の二日酔いのにおい
◆雨の日の地下鉄のにおい(ケモノくさい)
 などのことである。
 目や耳なら何とかふさげても、鼻だけはごまかせないのでやっかいだ。だから映画やコンサートや食事に出かけたり、長距離電車に乗るときは「どうか何事もありませんように」と胸で十字を切っている。 

 地獄があるなら、極楽もある。
 先日、近所の神社へ散歩に出かけた。平日の午後のせいか、町を歩く人は少ない。何も考えずに歩いていると、突然、鼻腔内の細胞がぴくりと反応。
 あっ、これは・・・・・・!
 ジンチョウゲの香りである。
 そうか、もう3月か。
「ねえねえ、春ですよ。私、咲いてるんですよ」
 道路沿いにぽつぽつ植わったジンチョウゲはどれもまだつぼみが固く閉じていたが、なぜか目の前の1本だけ、赤い花がいっせいにぷわっと咲いていた。がんばって、けなげに春を知らせているのだ。
 私は胸いっぱいにその香りを吸う。体内をめぐる血液に、春が溶け込む。これぞ鼻天国。

2010.03.04