老人の謎かけ

rimg0047.jpg
 ある昼下がり、用事で渋谷駅南口のバスターミナルへ。
 花が咲き乱れたモヤイ像をながめながら停留所でバスを待つ。2人掛けのベンチにはすでに老人が2人。そこへ、さらに年上の老人が歩行器で体を支えながら登場。
「申し訳ないけど、座らせていただけるかしら」
 しわがれた鶴の一声でベンチがサーッと空く。
「もうね、腰がね、」
 よっこいしょと座ってから、彼女はそばにいた別の老人に話しかける。
「痛くてね。この年になるともう病院に行っても治らないの、ぞうきんをぎゅうぎゅう絞りあげてるようなものだから」
 よく意味はわからないが、年を取るということはぞうきんを絞りながら生きるようなものなのかとわかったようなわからないような気分になる。

 バスが来た。2人掛けシートの窓側に座る。
 すらりと背の高い、背筋の伸びた、70代後半くらいの品のある女性が途中で乗ってきて隣に座る。しばらくして、彼女がおもむろに口を開いた。
「こういうとこで降りたらダメなのよ」
 えっ?
 私はイヤホンをはずす。
 彼女の声は再生速度をわざと間延びさせたようにゆっくりであるうえ、低音のハスキーボイスでつぶやくようにしゃべるから、水樹奈々なんか聞いてたら言葉を聞き取れないのである。
「横断歩道がないでしょう、無理して渡るとはねられちゃうの。だからちょっと面倒でも、この先で降りるといいのよ」
 見ると、次の停留所の真ん前には信号機つきの横断歩道がある。
 なるほど、そういうことか。しかしなぜそれをわざわざ私に教える。予言なのか暗示なのか、それとも単なる世間話なのか。
「ここは大きな病院があるでしょう、・・・・・・この辺りを歩いているのは病人ばかり、・・・・・・だからみんなゆっくり静かに通りを歩くの」
 止めどなく彼女はしゃべっている。断片的な言葉をつなぎ合わせる作業は夢占いに似ている。
 ときおり話が飛んでも、最終的に戻るのは「たとえそこが目的地に最も近くても、横断歩道のないところでバスを降りてはいけない」である。
 はい、はいと静かにうなずきながら、私の頭は解読作業でフル回転している。 
「ふふ、頭は生きてるうちに使わないとね」 
道路の先に、大きな横断歩道が見えてきた。
 老人はゆっくり立ち上がり、一瞬いたずらっ子のように微笑んでから、風のように軽やかにバスを降りた。
 老人の謎かけが解けたような解けないような宙ぶらりんな気分のまま、私はじっと窓の外をながめる。バスが次の停留所に向かって走り出した。

2010.04.27

 

羊たちの沈黙  

rimg0040.jpg_1
 日常の軌道をはずれて小旅行。雲ひとつない青空のもと、愛車のまち子(傷だらけの12歳)はわき目もふらず山上の牧場へ。まち子のボディは私のカルマによってボコボコだが、文句ひとつ言わずよく働いてくれるので感謝している。
 朝8時に出発して昼ごろ到着。都市部の緊張に慣れた目・鼻・耳には、郊外の光・風・空気すべてがおだやかで心地よく感じられる。
 ハイキング気分で小山を登ると、頂上には広大な牧草地。GW後なので観光客はまばら。柵に囲われた放牧場では、明るく温かい光を浴びながら羊の群れが昼寝をしたり、のんびり草をはんでいる。
 坂の下に、巨大倉庫のような大きな建物が2棟見える。坂を下って行ってみる。人の姿がどんどん消えていく。

 ひとつめの建物に到着。建物の外に柵で囲まれた小さな空間があり、そこにへその緒の垂れ下がった子羊と母羊が収容されている。子羊は力なく地面に座り、母羊は不安げにそのまわりをぐるぐる回っている。
 建物の中に入ると、中は一面に干し草が敷かれ、がらんとしている。薄暗いそこは、巨大な羊小屋だったのだ。
 建物を出ると、道の途中に大きな黒い牧羊犬が死んだように横たわっている。 
 ふたつめの羊小屋に到着。中に入る。
 だだっ広い空間に羊が群れている。100匹近くいるだろうか。私が近づいても彼らはぼんやりたたずんだまま、あるいは寝たまま動かない。誰かに時計の針を止められて、ストップモーションがかかっているようだ。
 羊の瞳をのぞき込むと横長の長方形で、頭をなでて話しかけてもぴくりとも動かない。静かな空間に、カツカツと歯をかみ合わせる音だけが響く。エサを食べているのだ。 
 ダイアン・アーバスの「UNTITLED」をふと思い出した。その写真集は知的障害者の施設で暮らす人々の姿を収めたもので、アーバスの遺作となったものだ。(彼女は撮影後にうつが悪化し、自死している。)
 がらんどうの目をした人たちの姿と、目の前の羊が頭の中で重なる。
 ・・・・・・ここにいてはいけない。
 こわくなり、足早にその空間を去った。

 山は強い日差しを浴び、みずみずしい春の草木が勢いよく萌えている。放牧場の羊たちは私のことなど意に介さず、ただ静かにたたずんでいる。

2010.04.17

 

小坊主

 モンチッチ度がかなり高くなってきたので美容院へ。しかしいつもの美容院では髪の長めなモンチッチから髪の短めなモンチッチくらいにしか変化できないだろうと思い、思いきって未知の美容院でイメチェンしようと決意。

 以前から気になっていた店へ電話をかけ、予約を取る。 
「いらっしゃいませ」
 清潔感のある白いインテリア。
 うん、いいだろう。
 鏡の前に座る。下半身がやたらに太く映るのは気のせいか。
 スタイリストがやってきた。伊勢丹メンズ系のモードTシャツに細身のパンツ、かなりおしゃれなお兄ちゃんである。
「ええと、もうちょっとさっぱりさせてシャープな感じにしたいんですけど」
「そうですね、ここら辺とここら辺を軽くしてあげると今のダサさ、田舎くささが取れると思います。ベリーショートはもともとお似合いなんですけど、お客さまの場合はかっこよさの一歩手前で止まっちゃってます」
 ああそうかい。じゃあ、変身させてもらおうじゃん。

 ブルージーなジャズの流れる店内に、シャキシャキシャキ・・・とはさみの音がリズミカルに響く。
「今思ったんですけどお客さま、」
「はい?」
「右と左でアシメトリーにすると格好いいですよ、前髪は少し不揃いにしてバランスをとって。髪型で自己主張してみませんか」
 とんでもねえという気持ちとおもしろそうじゃんという気持ちが交錯し、結局おもしろそうじゃんが勝った。なぜ勝つ。
「じゃあ、お願いします」
 カットのあとシャンプーをして、再び鏡の前へ。おそるおそる前を見る。左のもみあげが超短くて右のもみあげが超長い。前髪はギザギザで中央部が極端に短い。ぱっと見「カット、失敗しちゃいました」である。

「あのう、やっぱり左右の長さをそろえてもらえますか」
 お兄ちゃんは無言でハサミをさばく。結果、私のもみあげは左右とも超短くなり、ついでに前髪も超短くなった。これでモンチッチからは脱皮できた。心ある人なら「“ローズマリーの赤ちゃん”のミア・ファローみたい」と言ってくれるだろう。
 しかし心ない人はこう言うであろう。
「小坊主じゃん」

2010.04.10

おみくじ

img_1435
 清明の日、浅草の隅田公園へお花見。
 4月に入ったとはいえまだ肌冷たい曇天のもと、隅田川沿いにびっしり宴席が並ぶ。
 ときおりぱらつく小雨に襟をかき合わせつつ空を見上げると灰色。
 桜もそれに同調して灰色。隅田川も灰色。 
 早々に切り上げ、外人だらけの仲見世通りをかき分けて浅草寺へ。
 2頭の白い巨犬と遭遇。うれしくて犬の尻をポンポンたたき、ふとあちらを見て振り返ったらいつの間にか煙のように消えていた。

 浅草寺の本堂を参拝してから、わきのおみくじ所でくじを引く。
 第74番 凶
 そうか、このところゆううつなのは運気が悪いからなのか。そうだよなあ、これで大吉だったらこの程度かって逆にがっかりするもんなあと妙に納得しながら本堂を出ると、また同じようなおみくじ所がある。
 よし、もう1回。
 第75番 凶
 願望 かないにくいでしょう
 病気 かかると危ないでしょう
 失物 戻らないでしょう
 新築・引っ越し 悪いでしょう
 旅行 悪いでしょう
 つきあい 悪いでしょう
 がーん。1回目とほぼ一緒である。しかも1番違い。
「お前は凶。凶ちゅうとるのに同じこと何回も言わすんじゃないよ」
 観音様が眉間に薄くしわを寄せて私にほほえみかける。 

 2枚のおみくじをにぎりしめながら境内を出て、赤いねんねこを着た母子地蔵に涙ぐみ、ふところの広そうな二尊仏を見上げてうっとりする。
 空はやっぱり灰色だ。
 ああ救いがないなあ、娑婆に救いが届くまでにはまだまだ人智を越えた時間がかかるよなあと思う。

2010.04.06