牛丼

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 知人に連れられて浅草へ。
 どじょうを堪能したのち老舗のバーへ行く。裏通りをうねうね歩き、迷路のような細い路地に入った記憶があるが、詳細はまったく覚えていない。ただカウンターの後ろにずらりと並んだウイスキーの瓶がまぶしいほどピカピカに光り輝いていたことだけは覚えている。
「あんたたちどぜう鍋食べてきたでしょうわかるわよそれにしても寒いわねえあたしババシャツ2枚着てるの米はやっぱりコシヒカリだよ西郷隆盛のあそこはとてつもなく大きかったらしいねえいや見たわけじゃないけどさ」
 70歳くらいのベテランママの途切れなく続くマシンガントークを一身に浴びて店を出ると夜12時すぎ。小腹がすいたので牛丼をテイクアウトしようと思い立ち、数年ぶりに牛丼屋に入った。
  
 入り口に四角い食券販売機があり、若くて真っ黒いカップルがああでもないこうでもないと迷っている。数分後にようやく彼らが去って番が回ってきたので牛丼の普通サイズ券を2つ(翌朝のぶんも)買い、カウンター席に座った。
 店内はほぼ満員、蛍光灯のオレンジ色の光がぼんやり灯っている。
「あのう」
「ちょっとお待ちくださいねー、今行きます」
 店員はものすごく忙しそうだ。牛丼を盛りつけたり調理したり空の食器を片付けたりテーブル拭いたりおかわりをよそったりと片時も休まず動き回っている。
 私の左隣に座っているやせたメガネの青年はすでに食べ終えたようで、空の丼に箸を乗せてじっとしている。あまりにも動かないのでそっと盗み見ると、背筋をピンと伸ばして丸めた右手を口に当てている。楊枝で歯の掃除でもしているのかと思ったがどうもそうではないらしい。ただ単に丸めた右手を口に当てているだけだ。
 あれどうしてこの人動かないの瞑想でもしているのと考えを巡らせていると目の前に30代半ばの男性店員が来たので「牛丼2つ、テイクアウトで」とお願いする。
 極太の眉が左右1本につながった彼は「少々お待ちください」と言い残してすぐ向こうへ去った。隣の青年は相変わらず微動だにしない。
 50代後半と見られる半眼のちょっとくたびれた女性店員がいつの間にか目の前に立って「お箸はどうします?」と聞いてきたので「あ、お願いします」と答えると「あっちにありますから取ってきてくださいね」と言う。指さしたほうを見ると店の奥である。
 牛丼を食べたり味噌汁をすすっている人たちの背中を縫うようにして割り箸を取りに行く。
 カウンターに戻ってしばらく待つ。隣の青年はまだ右手を口に当てたままだ。だいじょうぶかもしかするとやばいのではないかこの人と思っていると先ほどの女性店員がまたやってきて「お箸はどうします?」と同じことを聞いてくる。あ、今さっき取ってきましたからとテーブルの上に置いた箸を指さすと、「取ってきましたからもういいって」と一本眉の男性店員に告げる。
 隣の青年が静かに立ち上がり、そのまま音もなく店の外へ消えた。
 呪いでもかけられていたのか、しばりが解けてよかったなと人ごとながらホッとしていると、右隣にいた中年の男性客が運ばれてきた膳を前にして「小鉢がないんだけど」と独り言のように言う。
「小鉢はもう出ないんですよ、昔はあったんですけどね」と女性店員が答え、しばらく2人でぼそぼそ話している。耳を澄ますがまったく聞き取れない。
「紅しょうがはつけますか?」
 一本眉が遠い調理場から唐突に問いを投げかけてきたので「お願いします」と大声で答える。
「七味はどうしますか?」と続けて聞くので「それもお願いします」と大声で言う。
 しばらくすると一本眉がカウンターから出てきて大きな図体を小さく丸め、客の背中を縫いながら私のところまでわざわざ牛丼の袋を持ってきてくれた。カウンターの中から渡してくれれば早いしラクなのになあと思いつつ礼を言って店を出る。

 冬土用の深夜は寒い。冷たい風に逆らうように家路を急いだ。
 家に戻って袋から牛丼を取り出す。
「あっ」と声が出る。
 紅しょうが8袋、七味7袋。ちなみに紅しょうが1袋あたりの分量はかなりあり、1袋で牛丼1個を十分まかなえる。紅しょうが好きでも2袋入れればちょっと多い、4袋入れたら牛丼ではなく紅しょうが丼になるだろう。いやそんなことを言ってはばちが当たる、紅しょうがも七味も自分的には大好きだからよかったじゃないかと紅しょうが1袋と七味1袋を乗せて牛丼をいただく。
 久しぶりに食べたそれはものすごくおいしかった。
 消化のために小1時間ほどつまらないテレビを見てから床につく。牛丼屋の光景がぐるぐる頭の中を駆け巡る。そういえばあの店の照明はオレンジ色だった、なぜ満席なのにしーんとしていたのだろう、店員も客も妙に浮世離れしててなんだかロッキーホラーショウみたいだったなどとつらつら考えるうち眠ってしまった。 

 翌朝、冷蔵庫を開けてみた。がらんとした庫内に牛丼、紅しょうが7袋、七味6袋がころがっている。やはりきのうの店にいた彼らは宇宙人であり、彼らはカムフラージュのために牛丼屋の店員と客を装って作戦会議を開いていたのではないか、そしてこれは突然の訪問客に対するささやかなプレゼントだったのではないか、なんだか妙にやさしい宇宙人だったなあと冷蔵庫の前で呆然とたたずんだ。

2010.12.31

黒い森

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 ずいぶん昔、暮れも押し詰まったちょうど今くらいのころ、仕事でとある町へ出かけた。朝から仕事を始めて、終わったのは午後2時か3時ごろだった。

 帰路につくため最寄りのバス停まで人気のない道を延々と歩き、1人でバスが来るのを待っていた。夕方と言うにはまだ早すぎる時刻だったが、しんと冷えた静かな空気があたりに漂っていた。
 寒さにうんざりしながら道路の反対側に目をやると、人の背丈ほどの高さの塀にぐるりと囲われた敷地の内側に、暗い森が広がっていた。
 あそこはいったい何だろうと見ていると、敷地の門からぞろぞろ人が出てきた。10人ばかりの男性が、出てすぐのところで所在なさげに立ち止まった。誰かと手をつないだり、一人で立ちすくんだり、じっと地面を見つめたり、まるで屋外に放置された銅像のようだった。
 門には鉄格子の扉がついていた。扉の横の古ぼけた看板に○○精神病院とあった。そこではじめて、入院患者が外に出てきたのだと気づいた。
 引率者らしき人が「じゃ行きますよ」と言うと、みな一斉にうなずいた。若者から老人まで年齢はバラバラだったが、どの顔もみな無邪気で屈託がなかった。
 そうか、これからみんなで散歩に行くのだな。
 私の乗るバスが来た。
 がらがらの車内に乗り込んだ私はあれこれ想像をめぐらせた。
 あの人たちは咲いている花に見とれたり、馴染みの猫に出会ったり、どこかの店で好きな菓子を買ったりするのだろうか。歌はうたうだろうか、何を口ずさむのだろう。
 男たちは一列に並び、弱く輝く太陽に向かってゆっくり歩き出した。まるでオレンジ色の光に吸い込まれる蟻のように。
 バスが発車した。私はガラス窓越しに振り返った。
 薄暗い塀の外にいた男たちはすでにどこかに消えていて、ただ黒い森だけがひっそり息づいていた。

2010.12.23

年の瀬の3つの話

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★神社
 大祓の人形(ひとがた)に思いっきり息を吹きかけて神社へ持参。毎年末たいてい天気がいいのは大掃除や参拝に不自由しないようにとの天の采配か。
 雲ひとつない青空、日陰は冷たく、日なたは温かい。
 暮れの神社は人がまばら、空気が澄んでいて気持ちがいい。
 今年も1年間ありがとうございましたと神前で頭を下げてから人形を納める。
 ああこれでひと安心、しかしこの階段を転げ落ちたらしゃれにならんわいと自分をいましめつつ、ものすごく急な階段をゆっくり降りた。 

★白い犬
 郵便局へ行く途中、初めての裏道を通ると古ぼけた店の前に白い中型犬が店内を向いてせつなそうに座っている。首輪はついているがリードはついてない。
 どうしたの1人でなにやってんのこのお店に住んでるの、それにしちゃ店と距離置いてるじゃんもしかすると何かわけありでしめ出されたのといそいそ近寄る。
 日本犬系の雑種、老犬のせいかぶよぶよ太め。手を差し出すと立ち上がって指のにおいをクンクン嗅ぎ、それから困ったような目をしてこちらと少し距離を置いた。
 あこいつ警戒してやがる、なんだよ自分は大の犬好きなんだぞとアピールするが何の効き目もない。犬も人間も年寄りはがんこだ。
 仕方ないので手を引っ込め、悲しみを覚えつつ郵便局へ向かった。 

★遊就館
 市ヶ谷へ出かけたついでに靖国神社へ。ここはいつ来ても凛と引き締まった空気が流れていて、自然に背筋が伸びる。
 拝殿で頭を下げてから、戦争で亡くなった人の遺品を展示した遊就館へ。
 館内は想像以上に広い。最初は歴史の教科書に出てくるような鎧や刀などが展示されてやんわりした雰囲気だったが、歩き進むうちしだいにシリアスな様相を帯びてきた。
 女性の髪で編んだ真っ黒い太縄(白髪も交じっている)とか血染めの白シャツとか弾が貫通してぼろぼろになった軍服とか独身のまま命を落とした息子に贈った花嫁人形など、せつない思いのこもった遺品が数え切れないほど展示されている。
 最後は戦争で亡くなった人たちの顔写真がずらり。いったい何千枚あるのかわからない。もちろん、同じ顔はひとつもない。精悍な顔、やんちゃな顔、やさしい顔、気弱な顔、思慮深い男性の顔に混じり、まだ少女の面影を残したあどけない女性の顔もある。
 あまりにも無邪気で屈託のない笑顔。みんな、もっと生きたかっただろうなあ。生きてれば楽しいことがたくさんあっただろうになあ。
 はかない笑顔に取り囲まれるうち、涙が出てきた。
 外に出るとすでにあたりは暗く、伝書鳩や軍犬や軍馬の像がひっそり立っている。 動物も大変だったなあと思う。
 再度拝殿へ戻り、深く頭を下げた。
 ここに祀られている人たちは、今の日本を見てどう思うだろう?
 ふとそう考えた。
 愛のない国になってしまったなあ。
 そんな声が頭の中に入ってきた。
 境内の南門から出て靖国通りを歩く。
 じゃあどうすればいい? 誰だって愛がほしい、でもその方法が見つからなくて悶々としてる。
 簡単だよ、人にやさしくすればいいのさ。人にやさしくすると、人からやさしくされるだろう。その繰り返しで人はだんだん幸せになっていくんだよ。
 市ヶ谷駅が見えてきた。紺色の街に、飲食店の灯りがふんわり輝いている。いい色だなあ、この年末は冷たい人も温かい人もみな等しく温かい光に包まれますようにと横断歩道を渡りながら祈った。

2010.12.19

ヴァンパイア城

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 ある晴れた日の朝、大学病院へ。
 おだやかで気持ちいい日だね、中庭の紅葉がきれいじゃん、へえ今どきの病院はおしゃれなカフェとかコンビニとかあるの、受付も支払いも無人機かあ、建物吹き抜けでおしゃれだね殺風景なデパートみたいと最新の設備にいちいち感動する。自分が体調をくずしたわけではなく、付き添いなので気分は軽い。
 受付を済ませて検査室の待合へ行くと、朝いちで来たはずなのにすでに順番待ちの長蛇の列。うわあみなさんいったい何時に来たのと不思議に思う。きっと業界ならではの暗黙のルールというか必勝テクがあるのだと思う。
 患者が次々に検査室に吸い込まれては吐き出される。大学病院はとても合理的なシステムのもとで運営されている。
 名前を呼ばれるまでぼんやりガラス張り&吹き抜けの院内を観察。だだっ広い入り口から続々と患者が入ってきて受付作業を済ませるとエスカレーターでぐいーんと上り、それぞれ目的の階へ散らばっていく。世の中にはこんなにたくさん病人がいるのかと驚く。
 音楽が流れているようだが、かすかすぎてほとんど聞こえない。ブライアン・イーノのmusic for airportのような心の鎮まる環境音楽を流せばすてきなのにと思う。
 建物は広いし天井はガラス張りだし開放的な吹き抜けだし廊下のところどころに観葉植物が置いてあるのでこの病院には変な気が溜まってない、でも決して楽しいところではない。

 検査が終わり、会計を済ませて外に出るとすでに昼。さあ昼飯でもがつんといきましょうかと一歩踏み出してから気づく。あれ? 元気ないぞ自分。別にどこがどうというわけではないが萎えている。
 今日はぽかぽかして快適じゃんとウキウキする身体の中で、「いやあそんな、それほどでも」と心がどんよりとぐろを巻いている。
 なぜこういうアンビバレンツが起こるのか。
 話は簡単、病院で気を吸い取られたのである。
 病院とは体内の気が陰に傾いた人間が集まる場所だ。そこに陽の気が満ちた人間が行くとどうなるか。浸透圧の作用で陽の気を吸い取られてしまうのである。結果、どこも悪くないのに気持ちが沈む。
 うわあやべえ陰気に傾いちゃったとしばらく日なたで太陽光線を浴び、帰宅してから着ていた服をバサッと洗濯機に放り込んで新しい服に着替え、気を取り直した。 

 相対するだけで精気を奪われてぐったりしてしまう相手をエネルギーヴァンパイアと呼ぶが、建物にも「行くだけで疲れる」とか「そこで過ごすだけでゆううつになる」という空間がある。それを「ヴァンパイア城」と呼ぶ。
 ヴァンパイア城に長居は無用。帰還したら速攻で塩風呂に入り、衣服をすべて取り替えてから(繊維には気がからみつく)、温かい飲みもの&甘いものなどでじんわり自分を取り戻すのがパワーゲージ回復のルールである。

2010.12.01