嵐の予感

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 ゴールデンウィーク前の平日に郊外の動物園へ。そこは動物たちと比較的自由にふれあえるうえ園内がだだっ広く閑散としているので気に入っている。
 駐車場から車を出すとすごい風。一抹の不安を感じるが今さらドライブを止めるのも何なので強行する。
 大きな道路の交差点で信号待ちする間、車がグラグラ揺れる。すわ大地震かとあせって外を見ると、通り沿いに並んだ大木の枝が吹き流しのように同じ方向になびいている。
 この強風ぶりは普通じゃない、下手すると車が吹き飛びそうだ、相撲取りを2人呼んで重し代わりに後部座席に座ってもらいたいと本気で願う。しかし平日のビジネス街に相撲取りは1人も歩いていない。
 信号がぼわんと青に変わる。
 目の前に大きな川をまたいで橋が架かっている。橋は天高くアーチしている。これ横から突風が吹いたらいとも簡単に川の中に飛ばされてどぼんだわとあせりつつ橋を渡る。
 しばらく進むとまたアーチ橋。
 冷や汗をかいて越えるとまたまたアーチ橋。
 いったい何度渡れば許してくれるのかとイヤになりかけると梨畑。行けども行けども梨畑、看板を見てものすごく梨を食べたくなるが季節が違うのでもちろん一個も売ってない。 

 車のまばらなだだっ広い専用駐車場で車を降りた。
 周囲の竹林がものすごい勢いでゆがんでは元に戻る。風はどんどん強くなる。空はどんより薄暗い。
 自販機でチケットを買って園に入り、坂を少し上るとミニホースが放牧場にいた。呼びかけても反応なし、ただ目を伏せてじっと立っている。
 その向こうには白黒まだらのウシがいる。近づいて手をたたくがそっぽを向いたまま反応なし、遠い目をしてじっとしている。
 ブタやヤギやヒツジは尻をポンポンとたたいても頭をなでても興味なさそうに寝ているだけ、あるいはうるさそうに向こうへ行ってしまう。
 ハムスターを膝に乗せるとだらんとしたまま動かない。
 そうか人間があの手この手で気を引いたり気持ちを通わせようとしても彼らには一切興味がないのだなと悟る。これらの動物が持ち合わせているのは他者とすり合わせる感情ではなく、生きるか死ぬか、安全か危険か、居心地がいいか悪いかを感じ取る本能だけだ。
 ああ何だかつまらないなあと鳥小屋へ行く。
 黄色いとさかを持つ白いオウム、キバタンが大きなケージの中にいる。手を伸ばすと爪を絡みつかせてつかまろうとする。
 ああ人なつこくてかわいいと10分ほど頭をなでてからその場を離れようとすると、いきなり「コンニチハ」としゃべって体を上下に大きく揺すった。
 そうか寂しいのか他に誰もいないもんなあとしばらく相手をしてから去ろうとするとまた「コンニチハ」。
 それを5回ほど繰り返してごめんねきりがないからさと離れると「コンニチハ、コンニチハ」と連呼して体を大きく揺すり、さらに「ウワアアアアアーン!」と子どもが泣くように大声で鳴き始めた。
 うわあたまらん人間と一緒じゃん、また来るよきっと来るからねと心を鬼にして両手で両耳を塞ぎながらパタパタ走り去った。

 ブタは眠そうな目でぼんやりしている、ロバは柵の中をぐるぐる回っている、高齢のキツネは体を丸めて眠っている。動物には動物の時間が流れている、彼らが見聞きしている世界は人間の私とはまったく別のものだと妙な孤独感を感じながら放牧場の脇を通って出口へ向かった。
 風がひゅううううと木の枝を大きくしならせて低くうなる。じわりと雨のにおいが立ち上る。嵐の予感。ミニホースは相変わらず哀しく澄んだ目をしてただじっと立っている。

2011.04.20

食べてはいけないもの

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 昔から、食べてはいけないものを食べると必ず夢でさとされる。強烈だったのは過去に3回。
 その1。その昔ヘビースモーカーだったころ、「もうやめよう、体に悪いし」と思いながらも吸いまくっていたある日、タバコをむしゃむしゃ食べている夢を見せられた。
 その2。とあるマフィンにハマってそればかり食べていたとき、段ボールがこなごなになったものを口いっぱいにほおばっている夢を見せられた。
 その3。どこで作っているかわからない安すぎる豆腐を食べたとき、リキッドファンデーションをたらたら飲んでいる夢を見せられた。
 それらの夢を見ている間、無性に気持ちが悪くて、ずっと夢の中で吐き気をこらえていた。
「それ、人間の食べるものじゃないよ」
「お前はそんなものを食べて喜んでいるのだよ」
 そう誰かからいましめられたのだと思う。見たのは3回とも明け方で、目が覚めてからもずっとひどい気分だった。明け方に見る夢は純粋な夢というより、何かの示唆であることが多い。
 以来、それらのものは一切口にしていないが、今でもその夢を思い出すたびに気分が悪くなる。 

2011.04.19

バスわらし

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 3月上旬のある日、水戸の偕楽園へ梅を見に行った。
 水戸へは、上野から特急に乗って1時間あまり。昼前に到着し、駅前で偕楽園行きのバスを待つ。
 バス停は観光客で長蛇の列、しかし運よく一人席に座れる。私の前には70代のやせた男性が座る。座席はすぐに埋まり、通路に人があふれた。
 目の前の男性のわきに、品のいい60代の女性と孫娘が立つ。バスが発車すると、小さな女の子が男性に向かっていきなり話しかけた。
「おじいちゃん」
 まっすぐ男性を見ている。
「こんにちは」
 彼が気を利かせて席を替わろうとすると、女性が「いえいいのです、おかまいなく」とさえぎった。
「今ちょうど梅が見ごろですのでね、私もこの子を連れて見に来たんですよ。偕楽園は初めてですか?」
 どうやら地元の人のようである。
「偕楽園は入り方が2種類ありましてね、バスの終点で降りて東門から入るのが一般的なんですけれど、手前で降りて表門から入るルートもあります」
「ほう」
「東門から入りますとすぐ梅林に出られますが、表門から入りますと竹林を抜けてから梅林へ行くことになります。竹林は陰の世界、梅林は陽の世界。つまり陰から陽へと、2つの異なる世界の移り変わりが味わえるのですね。通好みの方にはそちらのルートが好まれているようですよ」
「なるほどねえ」
 男性がゆっくりうなずく。知的な雰囲気の漂う老人だ。
 立ち続けているのに飽きたのか、女の子が床にぺたんと座ろうとする。やめなさい、きちんと立っていなさいと女性がいさめる。
 ひざに座るかい? と男性が両腕を差し出すと、女の子はパッと遠のいていやいやをした。
「すみません、おかまいなく。この子はまだ3歳なので、じっとしているのが苦手なのです。もうすぐ着きますから」
 よろしければ表門をご案内しましょうか? とたずねる女性に、いえ今回は、と男性がかぶりを振る。
 女の子は笑顔でもなくかといって不機嫌そうでもなく、窓の外を見ながらきらきらと黒い瞳を輝かせている。あ、この子はふつうの子じゃないと思う。全身から「何か清らかなもの」が立ちのぼっているのだ。言葉ではうまく言い表せないが、すがすがしい何かが。
「おじいちゃん」
 女の子がふと男性を見て言う。
「怒らないでね」
 3歳の子どもにしては妙にはっきりした口調で言い放ち、そのまま邪気のない顔でまた窓の景色をじっと見つめている。ひざに座らなかったことをあやまっているのか、にしてもなんだか不思議な子だなと思っているうち終点に着いた。

 寒空に枝を伸ばす梅はまだ6分咲き、しかし園内はどこから集まってきたのか大勢の団体客や年輩者、親子連れでいっぱい。空は晴れているのにどことなく暗い、春はまだ先だなあとコートの襟を立て、梅林を抜けて人気のない竹林のほうへ向かった。
 昼なおうっそうと暗い林は、なるほど先ほどの女性が言っていた通り、わびしくてさびしい静かな陰の世界だ。
 林を抜け、坂を下りて、「玉のように美しく澄んだ水のわき出る泉」とされる吐玉泉(とぎょくせん)を見に行く。しかし行ってみてすぐに腰が引けた。
 ここは陰の気が強すぎる、長居は無用とそそくさと立ち去り、そこから低地の川沿いに伝って南門へ進む。
 南門の崖の下には鉄道線路を挟んで大きな駐車場があり、その向こうに鈍色(にびいろ)の千波湖が広がっている。
 どうしてこんなに風景が寂しいのだろうとしばし呆然とする。
 あっそういえばおなかがすいた、入り口のそばにレストハウスがあったっけと思い出し、東門に戻る。南門から東門のほうを見上げるとかなりの急傾斜、これはお年寄りにはきついだろうなあと思いながら坂道を上る。
 ランチタイムを過ぎた食堂は人がまばら。納豆定食と梅酒を堪能し、軽く酔って再び梅林を一周。あちこちで可憐な桃色の花が咲いているにもかかわらず、どこか景色が沈んで見えるのは気のせいか。歩いているうち、どんどん気持ちが落ち込んでいく。
 偕楽園を出たら水戸の町を観光して回るつもりだったが、なんだか疲れてそのままバスに乗り、時間は早いが帰ることにした。
 水戸駅で天狗納豆と梅干しと梅酒をおみやげに買い、常磐線に乗って帰宅。M9の大地震が発生したのは、その翌日だった。  

 あの日、梅林から竹林へ移動したように、私は陰と陽の狭間を歩いていたのだと思う。ほんの1日ずれていたら震災に巻き込まれていたし、思えば少し奇妙な旅だった。
 まず、可憐な花をほころばせている梅林が妙にはかなく頼りなく見えた。大地が崩れて地盤が沈む運命を、梅の木たちは予見していたのだろうか。
 それから、バスの中の小さな女の子。
 岩手県や宮城県などの東北地方には、座敷わらしの伝説がある。座敷わらしとは「座敷に住む子どもの精霊」のことで、ときにいたずらもするが、住む家に幸運をもたらすと言われる。もしかするとあれは座敷わらしで、私たちに何かを知らせるためにわざわざやってきたのだろうか。
「おじいちゃん、怒らないでね」
 メッセージは、いつの世も無垢な者の口を借りて降りてくる。
「これからひどいことが起こるけれど、それはもう仕方のないことだから。だから、こらえてね」
 あの子はもしかするとそんなことを言いたかったのではないかと、震災から1カ月たった今にして思う。

2011.04.06

バベルの塔

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 平安時代、鴨長明(かものちょうめい)という歌人・随筆家がいた。いいとこのお坊ちゃんでありながら一族の権力争いに負けて50歳の春に出家し、54歳で人里離れた場所に方丈(ほうじょう)という小さな庵を建て、62歳で没するまでそこで1人で暮らした人である。

 彼は20代のとき、京の都で立て続けに発生した大火災や竜巻、飢饉、大地震を体験し、そのときのことを後に「方丈記」という随筆にまとめている。火事や竜巻で一晩のうちに消失した町のようす、飢えや流行病に苦しむ人々の凄惨な姿、日に日に荒れ果てていく都の姿などがそこには鮮明に描かれている。
 元暦二年(1185年)に京都で発生した大地震については、こんな記述がある。
「山は崩れ落ちて土砂で河が埋まり、海が傾いて津波が押し寄せた。大地は裂けて水が噴き出し、大岩が割れて谷底に落下した」
 推定マグニチュードは7.4、余震は3カ月ほど続いたそうである。地震の恐ろしさは、12世紀の昔も21世紀の今もまったく変わらない。

 4月4日に得た易卦は「山地剥(さんちはく)」。
「山が崩れ落ちる」という崩壊の象であり、タロットで言えばTOWER(バベルの塔)、つまり「災難」「破壊」「事故」の卦である。
 そういえばバベルの塔と原子炉は形がよく似ている、メルトダウンして今まさに朽ちなんとしている原子炉は、高度成長期に生まれてどんどん高く積み上げられたバベルの塔だったのではないか。
 だとすると今回の地震と大津波は、人間のおごり高ぶりを戒めようとする神意だったのか。
 ではなぜ、岩手や宮城、福島など東北の人たちの命が集中的に奪われたのだろう?

 方丈記の話に戻ろう。
「飢饉時にはいくら金や財宝を持っていても何の役にも立たない」
「見栄を張って建てた大きな家も、災害が来ればあっけなく滅びる」
 一貫して無常観の漂うこの随筆には、「しかし、感動するような出来事もあった」と記されてもいる。
「飢饉や病が横行するなか、仲のいい夫婦は、愛情の深いほうが必ず先に死んだ。なぜなら自分より相手の身をいたわるあまり、やっとのことで得た食べものも相手にあげてしまうからである。親子の場合は、子を思う親のほうが必ず先に逝く」
 その一文を読んで頭に浮かんだのは「聖性」「犠牲(Sacrifice)」という言葉だった。よけいなことを言わず、ただニッコリ笑って「お食べ」と命の糧を相手に差し出す、深い慈悲と徳を有する人たち。人の罪を背負ってはりつけに処されたキリストの姿と、無口だが情の厚い東北人の姿がかぶる。

 山地剥は易のセオリーでは「足もとが崩れる」という凶卦だが、それほど悲観的になることもない。「今まで君臨していた古い価値観が崩れることによって新しい価値観が生まれる」と解釈できるし、便秘が治ったり生理が始まるときにも実はこの卦が出る。つまり「つっかえていたものが崩れ(はがれ)落ちて道が開通する」とか「出口の見えなかったトンネルが貫通して見通しが出てくる」という見方もできるのだ。  
 今回の災害や事故をきっかけに、今まで「当たり前」と思っていたことに亀裂が生じ、ものごとの原点を見直す人が増えることだろう。たとえば人の手に負えない怪物をちゃちな箱で囲って安易に設置すること、人より多く稼いだり、権力や地位を得ることが幸せであると勘違いすること、人が人の下に人をつくっておとしめること、命を繁殖して金を儲けたりペットショップで命の売り買いをすること、その他もろもろ。
 それら古い時代の価値観があまねくこなごなに砕け散り、かわりにすべての生きとし生けるものが心の底から「楽しいね」「うれしいね」と感じられる社会にやがて進化していけばいいと心から思う。

 日本の別称は、豊葦原瑞穂国(とよあしはらみずほのくに)。「美しく豊かな大地に、みずみずしい黄金色の稲穂が育つ国」という意味だ。
 たしかにこの世は陰から陽へ、陽から陰へとダイナミックにうねりながら無常に変化していく。しかしたとえどんなにおそろしい天災や人災に見舞われようと、日本人が果敢に這い上がる力を有していることは、歴史で証明されている。
 これは日本人のDNAが豊葦原瑞穂国の原形を記憶しており、いかなる目にあっても本来あるべき姿を取り戻そうとするからに違いない。私たちの魂には、起き上がりこぼしが刻印されているのだ。

2011.04.04

吉方位の御利益

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 どんなに高名な占い師でも、吉方位へ行った人たちを1人1人つぶさに追跡調査して大々的な統計やアンケートを取っているわけではない。だから「そっちへ行けば100%の確率で運が上がる」などと断言できるものではない。
 信じる人も信じない人も、基本的には足の向くまま気の向くまま、自分が「そっち」と思うなら「そっち」へ行けばいいし、「あっち」と思うなら「あっち」へ行くのが本来の自然な姿だと思う。
 でももし自分の選ぶ方向に不安や迷いがあるなら、もしくはその選択に人生がかかっているなら、「吉方位か・凶方位か」を知っておくことは決してむだにならないのではないか。
 たとえ賭けに自信がなくても、「こっちは吉方位だからきっとうまくいく」と自分に言い聞かせるだけで、力が増す。一種のプラセボ効果と言ってもいい。
 実際、吉方位へ行くと、「何かいいことが起こるに違いない」「少なくとも悪いことは起こらない」「たとえ悪いことが起こったとしても、それは毒出しである」などと、そこで起こることを前向きに受け止められるようになる。心にゆとりが生まれるのだ。そこから幸運の扉が開く確率は高い。吉方位のご利益はまさにそこにある。

2011.04.01