家探しの極意

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 3月、4月は引っ越しの季節。すでに物件探しを始めている人も少なくないと思いますが、実は不動産の世界って奥が深く、ネットや店頭でチャチャッと探してチャチャッと決めるのはまず無理、それ相応の時間をかけないと、いい物件にはなかなか巡り会えません。時間をかけても巡り会えないこともままあります。
 立地を優先すれば予算が足りず、立地と予算が折り合っても建物自体が今ひとつなど帯に短したすきに長しでしまいには「もう面倒くさいから適当でいいや」と投げたり妥協しちゃうケースがほとんどと言っていいでしょう。
 悲しいかな努力しなくてもいい家に住める人はほんのわずか、ほとんどの人は「人間、辛抱だ」とか「まあ仕方ないか」「住めば都」などと自分に言い聞かせながら暮らしているのが現実です。
 でも自分を幸せにしてくれそうにない家に住み続けるのって悲しいですよね、日当たりや風通しが悪くても狭くても上下左右から音が響いても古くて陰気でも隣人がちょっとアレでも、家賃やローンは無慈悲に毎月通帳から引き落とされます。どうせ高いお金払って住むなら「あっ自分、この先どんどん幸せになれるかも」とうっすら感じられる家に住みたいものです。
 そこで、物件選びのコツをいくつかご紹介しましょう。読んでおくと、何かのときに役立つかもしれません。

1 吉方位の家を選ぶ
 方位学は理論や統計で説明できるものではなく、あくまでも経験則です。ですから風水や占いが苦手な人はもちろん気にしなくてかまいませんが、「運」とか「ツキ」という言葉に少しでもこだわりのある人は、今住んでいる家から見て吉方位の家を選ぶといいと思います。
 契約時や住んだ後にもし何かアクシデントがあっても「だいじょうぶ、ここは吉方位だからきっといいほうにころぶはず」と自分に言い聞かせ、スムーズに問題を乗り越えられやすくなるからです。気持ちが前向きになるんですね。
「方位がいいからだいじょうぶ」とか「方位が悪いからよくないことが起こる」などと思い込み、実際にそうなっていくことを「暗示」と言います。ただの砂糖を「これは風邪の特効薬だよ」と患者に飲ませた結果、本当に治ってしまうことを「プラセボ効果」と言いますが、これとよく似たようなものですね。
(ちなみに未来を予見する占いのほとんどはプラセボのようなものです。相談者が占い師の言葉を信じ、その通りの軌跡をたどりやすいのは「暗示の種」を植えつけられるからです。ですから、たとえ「当たる」と評判でも、ネガティブなことを言う占い師に近づいてはいけません。どうせ見てもらうなら、元気と勇気をくれる占い師を探すほうがおトクです。だって結局、自分の運を織り上げていくのは自分なのですから。)

 たかが思い込み、されど思い込み。実はこれ、意外にあなどれません。
「こっちへ行けばいいことがある」というプラセボは、不動産購入など人生の一大事に直面したとき、自信を支えてくれる後ろ盾になってくれます。
 吉方位にこだわらないまでも、「その年の凶方位への引っ越しは避ける」と心するだけでも、結果は違ってくるでしょう。
 ただし、転勤などで方位が選べない場合はこの限りではありません。吉方位であろうとなかろうと、あなたは行かなければならないのですから。(気になる人は神社にお参りするなど、対処法はたくさんあります。)
 その場合はこの項目を飛ばし、2以降の項目を読み進めてください。

2 周辺環境を見る
「だいたいどのあたりに住むか」がおおよそ決まったら、次はその土地の環境を調べます。これはネットで見るだけでは絶対にわかりません、実際に足を運び、あなたの目、鼻、耳、直感を駆使して、そのエリアの肌ざわりを確かめてみましょう。
 大きな公園や学校があるところなら昼は活気があっても夜は人気がなくなりますし、繁華街がそばにあるなら昼も夜もにぎやかですが治安の面で少し問題があるかもしれません。工場周辺はにおいや音が気になったり、墓場のすぐそばは少し線香くさかったり鬼太郎と目玉親父がたまに出没したり、坂の上なら体調の悪いときや疲れてるときは外出・帰宅が少しつらいかもしれません。
 どこが住み心地がいいかはあなたが若者か年輩者か、男性か女性か、サラリーマンか自営業か、朝型か夜型かなどによっても違いますから、自分の足で現地へ行ってみて、自分のライフスタイルに合うかどうか確かめてくるといいでしょう。
 平日と休日、朝と夜、雨の日と晴れの日など、条件を変えて何回でも行ってみることをおすすめします。

3 物件を見る
 エリアが特定されたら、次はいよいよ物件を見に行きます。新築のマンションを買う場合は作りものの仮想空間(モデルルーム)を見に行くしかありませんが、中古のマンションなら実際に現地へ行って確かめることができます。
 チェックポイントは①マンションの外見、②エントランス、③廊下とエレベーター(もしくは階段)、④郵便ポスト、⑤ゴミ置き場、⑥(あれば)駐車場です。
 もし「荒れて」いるなら住人の質も推して知るべし、人一倍繊細なあなたがそういうところに住むとたぶん後悔することになるでしょう。
 しかしこれら6つのポイントがすっきりして清潔感があるなら、そのマンションの管理状態と住人のレベルは「問題なし」と見ます。
 あ、自分の住む家の隣人さんの玄関前も要チェックですよ。マンションの狭い通路に自転車とか壺とかマリア像とか置いている家はないですか? ひとつ置くとふたつ、ふたつ置くと3つ・・・・・・としだいに増殖して、あなたが通る隙間が侵略される恐れがあります。見た目もあまりいいものではありませんしね。 
 管理人さんがいるなら、その人にいろいろ話を聞いてみるのもいいでしょう。感じがよくて働き者の管理人さんがいる物件なら、そこは「あたり」です。

4 部屋を見る
 さあ、それではいよいよドアを開けて部屋の中に入ってみましょう。
 あっこの不動産屋のお兄ちゃんルックスはいいけど後頭部が少しヤバイかもなんて見とれていてはいけませんよ、ドアを開けた瞬間がわりと大事なのですから。
 このときに不安やゆううつ感が頭をよぎるなら、やめといたほうが無難かもしれません。こういうのを「直感」とか「予感」とかいいますが、わりと当たります。
 また昼間なのに何となく薄暗かったり、空気がどーんと重苦しく感じられるようなら、そこに住んでもたぶんいいことは何もありません。おそらく前の住人があまり幸せでなかった可能性があり、あなたもそのあおりを受けて同じような運をたどってしまう恐れがあるからです。特に事故物件は要注意です。
 逆に「あっ、ここ空気が軽くていい感じ!」とか「明るくて気持ちのいい部屋だなあ」と素直に思えるなら、あなたとその部屋の相性はグググのグーということです。
 窓から何が見えるか、キッチンやトイレの水の流れはいいか、排水口からイヤなにおいが立ちのぼってこないか、じっとしているときに変な音が聞こえてこないか(外の騒音とかエレベーターの音とか階上・隣の騒音など)もしっかりチェックしましょう。こちらも曜日や時間帯、天気の違うときに何度でも足を運んでみることをおすすめします。

 具体的な間取りについてですが、細かいことをあまり気にしてもきりがないので、全体の輪郭がほぼ長方形ならよしとしましょう。
 凸凹が激しい間取り、三角形の間取り、台形の間取りなどは避けたほうがベターです。何より掃除が大変ですし、家具を置きにくいですし、住んでるうちに何かとストレスがたまってきます。

 マンションの場合は、上に住戸のない角部屋がおすすめです。メゾネットもいいでしょう。開放感がありますし、騒音の心配が少ないからです。
 ただし、「マンションは最上階と1階から先に埋まるのが世間の相場、最後に残るのは中住戸の中層階」ということを覚えておきましょう。人気の部屋は早い者勝ち、もし最上階の角部屋に入居したいなら、運を上げてタイミングのいい人になってください。
 天井は、高いほうが吉です。低いと運が「頭打ち」になりやすいからです。
 必要な部屋数は家族構成によっても異なりますが、1人や2人暮らしなら、ちまちました部屋が複数あるよりも、大きな部屋が1つか2つどーんとあれば充分です。そのほうが気の流れがいいですし、開放感がありますし、掃除もラクです。
 トイレ、浴室、洗面所などの水場は、できるだけ広いほうが吉です。水場には換気のため窓がほしいところですが、マンションではなかなか難しいかもしれません。窓がない場合は換気扇を常に回しておくとか、まめに掃除するとか、植物や生花を飾るなどで気の循環を促しましょう。
「何となく暗い場所」には盛り塩をして気を清めるのもいいかと思います。
「家の顔」と称される玄関ももちろん広いほうが吉。狭いより広いほうが「顔が広くなる」、つまりたくさんの人と知り合いになれます。お客さんを呼ぶときも気後れしません。
 予算の都合上どうしても猫の額くらいの玄関の家に住まなければならないなら、靴や傘はきちんとしまう、小物はあまり置かないなど、できるだけ空間をすっきり保つ工夫が必要です。
 気持ちに余裕と玄関先にスペースがあれば、季節の生花を飾っておくと厄除けになります。ただし水は毎日取り替え、枯れたら捨てるのが鉄則です。「あ、ここ、気配りのできるきちんとした人が住んでるな」と思われます。

 ややマニアックになりますが、家の中心から見た玄関の方位で、住人の気質を知ることもできます。
 北の玄関は人見知りだけど誠実、東北はちょっと気分屋な親分・姉御肌、東は働き者、東南なら人当たりのいいつきあい上手、南なら個性的、南西はかかあ天下(女性が強い)、西はおいしいもの食べたり飲んだりするのが大好き、北西はプライドを持って生きる人。わりと当たってるでしょう?

 実は、今あなたが住んでいる家は偶然手に入れたものではなく、意識する・しないにかかわらずあなた自身が「ここがいいから」「住みやすいから」と選び取ったものです。
 家というのは、あなたやあなたの家族の運をそのまま受け入れて反映する「器」です。日当たりや通気性の悪い家に住む人は運も気持ちも停滞しがちですし、明るく風通しのいい家に住む人は運も気持ちもすこやかでのびのびしています。
 そういう事実を知ると、もう「適当な家でいいや」と妥協することはできませんね。次に暮らす家は、今よりもっとあなたを幸せにしてくれる家でなくてはなりません。そのことを念頭に入れておくだけでも、いい家が見つかる確率はかなり高くなると思います。
 
2012.03.03

辰巳天中殺のみなさんへ その1

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 全国の辰巳天中殺のみなさんこんにちは。
 ようこそ宇宙船「辰巳号」へ、わたくしが今日からみなさんのご案内役を務めま・・・・・・あっそこ気をつけてください、さっき地球に到着したばかりの方々の出口通路になってますから、道をあけてあげてくださいね。いいえゾンビじゃありません、寅卯天中殺のみなさんです。まだ宇宙酔いから覚めなくて・・・・・・あなたがたもそのうちわかりますから。
 はいもう少しこっちのほうにいらして、先頭の方から順に詰めてお座りください。離陸するまでにまだもう少し時間がありますからそんなに緊張しなくてもだいじょうぶですよ、今日は寒いですね、温かいコーヒーとチョコレートでもいかがですか。
 ・・・・・・にしても集まりが今ひとつですね、自主的にいらしたのみなさんだけですか、辰巳は現実主義者だからなあ。
 あ、いいんですよ別に天中殺なんか信じなくても。「それは自分の辞書にはない」とか「そんなもん気にするのは人生のムダ」という考え方もありますし。人生ってつまるところすべて「気のせい」ですから。
 でも、年がら年中同じスピードで走り続けてると疲れますでしょう? ですから12年に一度、2年間だけ、がんばらなくていい時期が天から与えられるんですね。それが天中・・・・・・えっ田中さんこれから新規事業始めるの? 鈴木さんは不動産投資で億万長者をめざす? 佐藤さんは奥さん押しのけて若い愛人と再婚検討中? うふぁっ。
 しかし辰巳のみなさんはやめとけちゅうてもはいわかりましたと素直にうなずくタイプじゃないですから言っても聞きませんよね、基本的に自分の直感や体験しか信じませんから。けっこう頑固なんだよな・・・・・・まあいいや、そのうちご自分で気づくでしょう。

 ええと間もなくこの船は地球を離れて宇宙へと旅立ちます、言うておきますがこの船はちょっと特殊でございます、ときに絶叫系ジェットコースターのような激しい動きを繰り広げますのでそのつもりで。ええアップダウンやループがわりと半端ないのでもちろん禁煙ですはいそこすぐ火を消す。
 ・・・・・・なんか喫煙率高いし私語も多いしすでに一杯やってる人もいますね、あのうここは居酒屋じゃないんですけど。えっ高橋さん仕事が残ってるからもう帰る?うわっ渡辺さん銀座に宝石とドレス買いに行くから降ろしてくれ? うーん、帰ろうとしてもいつの間にかふんわり戻されちゃうんですけどね、まあお好きにどうぞ。
 
 それではみなさん、船が離陸するまで今しばらく時間がございますので、今までの人生を静かに振り返りつつ辰年と巳年の2年間をどう過ごすかぼんやり考えててくださいね。あ、あまり大風呂敷を広げないようにお願いします、ここちょっと狭いんで。
 では・・・・・・えっ? コーヒーおかわり? チョコレートもっとないか? そちらは日本酒と刺身盛り合わせ? あーあ「いい日旅立ち」の大合唱始まっちゃったよ。
 ・・・・・・さすが辰巳のみなさん、いつでもどこでもどんなときでも強くしたたかに生きていらっしゃる。それはそれでいいと思います。
 ではまた。

2012.02.03

寅卯天中殺のみなさんへ その3

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 さて、いよいよ卯年も残すところあとわずか1カ月となりました。
 耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んでいらした全国の寅卯天中殺のみなさん、お疲れさまでした。
「別にたいしたことなかったもん」と泣き顔で唇を噛みしめる人から「イヤイヤイヤーッ、もう二度と体験したくないぃーッ!」と絶叫してる人まで人生いろいろと思いますが、はい、この宇宙旅行ももうすぐ終わりますので、どなたさまもそろそろ帰還準備のほうお願いします。 

 ああ、思えば長い旅でした。2010年寅年では天中殺に入ったという実感がまったく湧かず、いつものペースでガンガン突き進もうとしたらのれんに腕押しで「あれ? なんか変」と違和感を感じ、それでも寅卯天中殺はもともとパワフルだから力ずくで何とかやってきた。「がんばれば何とかなる」「ゴリ押し上等」が共通の合い言葉だった。
 しかし2011年卯年に入るとそうは問屋が卸さない、格段に状況がシビアになって三十六計が通用しない四面楚歌となり、「あ、こりゃダメかも」と焦燥感にとらわれてネットをさまよい歩いた末、このブログを偶然見つけたという方も少なくなかったのではないでしょうか。
 天中殺期間は自分の一番弱いところをつつかれます、たとえば金銭の稼ぎ方や使い方がズレている人は経済の流れがパタッと途絶えたり、他人とのつきあい方を間違えてきた人は「ぼっち」を痛感したり、心に負担をかけてムリにがんばりすぎていた人は心や身体にトラブルが出たりする。思い当たりますか?
 それって「その生き方そろそろ変えたほうがいいかもよ、いつまでもそういうの続けてたらしんどいじゃん」という天の声なんですね。
 そこで気づいてしっかり反省した人はいいけれど、天のアドバイスを見ざる言わざる聞かざるしちゃった人は、天中殺抜けてもまた同じトラブルに遭遇する確率150%、しかも3倍増しにスケールアップしたやつが襲ってくるから要注意、天中殺期間内の今のうちに気持ちと行動を改めたほうがいいと思います。
 あのね、「自分が昔から貫いてきたこの信条は間違っていない」とかたくなに思い込んでいることこそが、実はわりと正しくなかったりするんです。あなたがずっと頼りにしてきた人、頑固に守り通してきたルール、必ず実行してきた「定番のやり方」は、本当にこれからもあなたを幸せにしてくれるでしょうか? もしかするともうきっぱりやめたほうがよろしいかもしれませんよ、あっよけいなお世話ですか。

 みなさんお楽しみ中の宇宙旅行も残すところあとわずか1カ月ですが、2月3日の節分までにぜひ各自で履修しておいていただきたいことがあります。自分と自分を取り巻く環境の見直しと清算です。
 具体的な清算項目は次の通りです。
◆自分で「これ、間違ってるかも」とうっすら感じつつ貫いてきた考え方や行動
◆身体によくない生活習慣(食事や運動、睡眠、クセ等に関すること)
◆一緒にいて楽しくない人間関係、自分のためにならない人間関係
◆住んでいて全然楽しくない家
◆客観的に見てぼっろぼろの残念な家具や寝具や商売道具
◆1年以上使ってない物、なんか好きになれない物、使いにくい物
 もし思い当たる項目があれば、やめるなり縁を切るなり引っ越すなり捨てるなりして身辺をスッキリさせましょう。2年間の無重力状態から地球に帰還したときって身体が重くてしばらく思うように動けません、でも身の回りが軽ければわりとスムーズに時差ぼけから回復できると思います。

 その他の履修科目として・・・・・・、はいそこぼんやりガム噛むの止める、・・・・・・ええと人にやさしくする。人にやさしくできるのは、孤独や不安や挫折感を自ら味わったことのある人だけです。
 この2年間に地獄の1丁目から88丁目まで巡り倒した寅卯天中殺のみなさんなら人の痛みがわかるはずですし、相手の話を静かに聞いてあげることもできるでしょう。
 今までブルドーザーみたいにライバルなぎ倒して人生突っ走ってきた人も、「勝たなきゃ生きてる意味がない」なんて豪語していた人も、天中殺明けには損得抜きで他人に寄り添うことができるようになるのですね。
 もともとダイナミックな思考とパワフルな実行力を備えた寅卯天中殺はトップを張る器をお持ちですが、そこにやさしさと思いやりが加われば最強の存在となりましょう。天中殺、経験してよかったですね。
 それから、何か新しい物をひとつ買っておく。あ、何でもいいんです。
 これから仕事でがんばりたい人は仕事道具、恋人つくるぞ! という人は自分を魅力的に見せる服や靴、結婚するぞ! という人は結婚予定があってもなくても結婚後に2人で使える食器やスリッパ、健康を取り戻すぞ! という人は明るい色のパジャマやシーツ。
 いずれにしてもこれからかなえたい夢をはっきりさせて、それにちなんだものを新調するといいでしょう。で、2月4日から使い始める。それらはすべて、あなたの強い味方になってくれましょう。
 そうそう、2月3日の節分には「福は内! 鬼は外!」のかけ声とともに豆をまきましょう。家をきれいに掃除してから、家の中心から見て鬼門(東北)のスペースから順に、時計回りにまいていきます。これ、最高の厄落としになります。

 これからの1カ月はやることがたくさんあって大変ですが、天中殺からスッキリ足を洗って気分よく新生活をスタートさせるためにも、きっちりやっておきましょう。
 娑婆に帰還されたのちはどうぞ本ブログ卒業生としての自覚と誇りを持ち、明るく元気に世のため人のため・・・・・・、あ、天から何かアナウンスのようなものが。ちょっと耳を澄ませてみましょうか。

 アテンションプリーズ。
 2年間にわたり広大な宇宙を旅してまいりました本宇宙船「寅卯号」は、まもなく舵を地球に向けて帰還態勢に入ります。地球到着予定は2012年2月4日卯の刻、予測される天候は雪のち晴れ、一面の白い雪に覆われたすがすがしい冬景色があなたをやさしく迎えてくれることでしょう。
 これから大気圏に近づくにつれ、突然船体が大きく揺れることがございます。船の運航に支障はありませんが、念のため、どなたさまも今のうちにしっかりシートベルトをお締めください。
 ご気分の悪くなられた方はお気軽にキャビンアテンダントまで、頭痛薬や吐き気止め、青竹踏み、フラフープ等のご用意がございます。
 それでは引き続き、着陸まであともう少し、快適な空の旅をお楽しみください。

 Wellcome to our Space Ship TORAU、and Enjoy Your 2012 Space Odyssey draw to the end. Thank you. 

 寅卯天中殺のみなさん、どうぞお元気で。また12年後にお会いしましょう。

2011.12.26

師走の銀座

 師走の日曜日に銀座を歩く。
 なんでこんなにたくさん人がいるの、あっちの道もこっちの道もぎゅうぎゅうじゃん、そうやっていちいち驚いていると空腹から胃がきりきり痛み出したので、あわてて目の前の喫茶店に飛び込んだ。軽く何か食べなくてはならない。
「いらっしゃいませ」
 満員だったがなんとか席が見つかる。
 やっぱり銀座の店はいいなあ、窓からのながめはきれいだしソファは革張りでふかふかだし店内もゴージャスで高級感たっぷりだ、しゃれた絵だって飾ってあるぜ。おっとお姉ちゃんありがとうクラッシュアイス入りのお冷やかい、しかし何だね店が高級だとメニュー表のしつらえも高級だね、革張りの重い表紙をどかんと開くとコーヒーとミニ茶菓であっ1500円、サンドイッチとかの軽食はうわっ単品で1500円から3000円、それにドリンクプラスすればがーんもはや最低でも2500円、下手すると4000円、これ何かの間違いですかと何度もページをめくり直すがもちろん値段が変わるわけもない。銀座一等地の喫茶店の価格設定は世界一といやが応でも認識する。
「お決まりでございますか?」
 イリュージョンで脱出する前に店員がやって来た。ふるえる人差し指でここここれください、このミニ茶菓ついてるやつと指さす。
「かしこまりました」
 ドキドキする心臓を無視してiphoneを取り出してフリックしたりタップしたりするがもしかすると銀座の3G(携帯電話回線)はパケ放題が通用せず特別価格なのではないかと阿呆な妄想をして恐ろしくなった。
「お待たせいたしました」
 オーダーしたものが運ばれてきた。ミニ茶菓はひとくちで胃袋の中、コーヒーは5分で飲み終わる。再び窓の外に目をやる。人がぞろぞろ歩いているだけなので5分で飽きる。
 このままがまんして座っていようか、いや時間がもったいない、まだ買い物が残っているからそうのんびりしてもいられないと思い伝票をつまんで席を立った。
 15分で1500円ということは1分の席料が100円かと無意味な計算をしてから、仕方ないこういう日もある、お前は銀座のど真ん中に流れる運気を15分間1500円で買ったのだと自分に言い聞かせて再び街に出る。

 薄暗くなり始めた銀座の街は徐々に人が減り始めて少し寂しい。縦横に整然と区画された街路には国内外の一流ブランドのビルが建ち並び、色とりどりのネオンを放って美しい。
 ここに流れる気は力強くて密度が濃く、キリッと筋が通ってすがすがしい、そして粋(いき)である。あまり不幸そうな人は歩いていない、若い夫婦も一人歩きの男も女も親子連れも老人もみなそれぞれの人生を楽しんでいるように見える。
 銀座という街はなぜここまで運が強いのか。
 皇居が近いからであろう。
 そこに龍が生息していなければ、江戸から現在に至る首都東京の、ひいては日本の繁栄はあり得なかったに違いない。
 400年前に家康が見つけて飼い慣らした龍は江戸城が皇居に変わっても生息し続け、鉄道や道路を通じてそのパワーを今もなお全国津々浦々へ流している。銀座は龍のお膝元、だから運が強いのだ。
 なぜ山手線は環状で、真ん中を通る中央線によって陰陽の形状を描くのか? 
 ・・・・・・龍を守るために違いない。
 龍はどうやってパワーアップするのか?
 ・・・・・・それは日本人の行動や心のあり方と深くシンクロするに違いない。
 龍の今のご機嫌は?
 ・・・・・・あまり芳しくないかもしれない、しかし龍は気分屋だから何かをきっかけにいずれ機嫌を直すだろう。
 そんなことを考えながら歩いていると、4丁目の交差点に出た。大通りに面した和光のディスプレイは白とゴールドで品よくダイナミックにまとめられている。「さすがだねえ」と感嘆したとたん「そうよ、だってあたし銀座のシンボルだもん」と言わんばかりにキーンコーン、カーンコーンと上から大きなチャイムが鳴り響いた。
 年の瀬に鐘が鳴るなり大時計
 龍も、かれこれ100年近くこのチャイムを聴いているに違いない。

2011.12.05

北海道開運旅行

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 さあてちょっと気合い入れて開運するかと北海道へ。
 北の果てはさぞや寒かろうと身を案じ、上半身は肌着2枚重ね+タートルセーター+ダウンベスト、下半身はタイツ+厚手のズボン、厚手の靴下。以上を基本装備とし、外を歩くときは重量のあるダウンコート+毛糸の帽子+ダウン手袋、そしてムートンブーツを履いた。そもそも寒いのがものすごく苦手なので、貼るカイロの予備をコートのポケットに8枚しのばせておいた。
 その格好で飛行機に乗り込むと何だかものすごく暑く感じたが、気にせず方位磁石をサパッと取り出し、東北方向に飛んでいるのを確認して、「よし、自分は間違った飛行機には乗っていない」と安心する。
 狭いとこきらい、この飛行機とってもコンパクト、まるでかまくらみたいと夢見心地でうとうとするうち北海道に到着。気持ちのよい晴天である。

 空港から電車に乗って温泉の湧き出る山奥へ移動。あたりには何もない、ほったらかしの大自然だ。
 宿に着いて荷を降ろし、ひと息入れてから散歩に出る。
「行ってらっしゃい、どちらへ?」
 宿のおじさんが温かい笑顔を差し向けてくれる。
「まあ適当に、気の向くままぶらついてきます」と答える。
 氷点下の世界をサクサク歩いていると途中に神社があったので参拝し、境内に降り積もったパウダースノーの上にいきなり仰向けのままドサッと倒れてみる。ひんやり冷たい。起き上がって見てみるとバンザイをした人の形にくっきりへこんでいる。おもしろいのでもう1回別の場所で倒れてみる。・・・・・・飽きたので神社をあとにした。
 東北方位へ出かけたときの開運行動のひとつは「雪山をうろつく」。東北の象意(しょうい=気学的なシンボル)は山、いまひとつの運を打破して新しい運を呼び込みたいときは、東北の吉方位で山肌にふれるといいとされている。

 ふと見やると前方に真白い雪に覆われた山、ああこりゃあちょうどいいわと喜び勇んで山を目指すことにする。
 山麓は人気のハイキングコースになっているらしく、遊歩道が整備され、あちこちに丸太を半分に割ったベンチが設けられている。しかしそれは夏場の話、今は冬、雪の降り積もったベンチに腰掛けようものならたちまち尻が凍るであろう。
 冬の平日の昼間にそこを歩いている人間は皆無、雪上に残された何日か前の誰かの足跡をたどりながら適当に進むのみである。
 スッと天高く伸びるエゾマツや白樺の林を通り過ぎると、あたり一面、白い雪を背負って低くうなだれたハイマツの大群生となる。文字通り地面を這うようにして生えているハイマツの高さは1〜2m、ちょうど人間の身長ほどだ。冬期は観光客が途絶えるせいか好き放題に枝を伸ばし、あちこちで行く手をさえぎっている。
 それを乗り越えたりくぐったりして進むうち、「クマ」という2文字が頭の中に唐突に浮かんだ。
 いやもう冬眠してるだろう、しかし十分なエサを取れなかったクマは冬眠せずに山野をうろつくというしな。・・・・・・そういえばハイキングコース入り口付近でクマに関する注意書きポスターを目にしたような気がするぞ、ええと、大事なのはクマに遭ったときどうするかではなく、まずクマに遭わないようにすることです。
 ええっ!
 背筋がゾッとしておそるおそる周囲を見渡すと自分の周囲360度には茫漠たる白い原野が広がっている。マツの茂みからいきなりクマが出てきてもちっともおかしくないシチュエーションだ。
 あっこれ大声出しても誰も来ないし自分はクマを遠ざける鈴も武器も持ってない、クマの気をそらすドングリやハチミツももちろんない、仕方ないからもし出たらポケットにしのばせたホカホカカイロをシールをはがしてから投げつけてやろうか、たぶん確実にノーダメージかむしろ温かくて喜ぶ、こりゃあ出会ったら最後、食われ損、いざとなったらシラカバによじ登って逃げるしかない、しかしいったい何分間あの細くまっすぐな幹にしがみついていられるかなと絶望的な気分になる。
 動物園で檻越しに見るクマはかわいいが檻なしでこんにちはするクマはかわいくも何ともなく、200%気の荒いデストロイヤーに決まっている。
 背中の神経をギュッと張り詰め、耳を澄ませながら歩くが何の気配もない。早くも西の方角に傾きかけた太陽が一面の雪をただまぶしく照らしている。
 しーん。
 あっ山の入り口にレストハウスが見える、あそこまで行けばとりあえず安心だと歩き出すと、いきなりハイマツが通せんぼ。狭い遊歩道に大きな枝をバーンと何重にも広げているため、乗り越えることもくぐることもできない。
 遊歩道以外の道を探すがハイマツがびっしり群生しているので無理、下手にバリバリかき分けて進むと近辺でぼんやりしているクマを目覚めさせてしまうかもと思い、「慣れぬ旅先で無理は禁物」という座右の銘に従って引き返すことにした。
 うわっこの広大な原野を引き返すんですか、今までよく無事でしたね自分、行きはよいよい帰りはこわいってまったく通りゃんせじゃないですかとクマに聞こえるように大声でつぶやきながら、雪道に深々とついた自分の足跡をたどって戻る。

「あ、お帰りなさい。お散歩いかがでした?」
 宿のお姉さんに笑顔で迎えられたのでがんばって笑顔をつくり、おそるおそる聞いてみた。
「楽しかったです、ところでこの辺、クマ出ます?」
「出ませんよ」
 なあんだやっぱり気の回し過ぎだよ心配して損したなあ、ずるんと脱力。
「あ、でも」
 え?
「先週、山のふもとに1頭出たって言ってたっけ、今年はドングリが少なかったですからねえ」

 東北の別名は「鬼門」、よくも悪くも運が大逆転する方位とされている。「不動の山を動かす方位」とささやかれるように、そのちゃぶ台返しぶりは他のどの方位よりも激烈であり、いにしえの戦国武将などは強行突破や起死回生を願う際、いちかばちかの命がけで東北方位を用いたとされている。
 もちろん現代でも、東北のパワーを取るときは万全の注意を払わなければならない。凶方位は言わずもがな、たとえ吉方位でも、運が好転する際にどんな強烈な毒出しがあるかわからないからだ。
「お夕食は6時からですからねー」
 宿のお姉さんは忙しそうに去っていく。
 うはぁっと口から出かけた魂をあわてて飲み込み、何事もなかった顔をして部屋に戻り、どんまいどんまい吉方位だもの、そのうちきっといいことあるってばとわが身をさすりながらつぶやいているうちに夜がすとんと更け、南の空にとてつもなく大きな満月がにょっこりあらわれた。北海道の夜は寒い。

2011.11.17

黒い服

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 今から振り返ればあまり運のよくなかった20代から30代前半のころ、私は黒い服ばかり着ていた。
 当時は黒い服が流行っていたこともあるが、着ればそれなりになんとかまとまる、体型がカモフラージュできる、汚れがついても目立たないなどという理由から、店へ行っては100発100中黒ばかり選んでいた。今から考えれば本当にカモフラージュしたかったのは体型よりも内面に渦巻く孤独や不安や恐れだったように思う。
 ある日、若者で賑わうファッション街を歩いていると気になるショップがあった。薄暗い店内にふらふら入ると目の前の壁に黒いショートジャケットがぽつんと展示されていた。
 いいなこれと思って眺めていると店員が寄ってきて「着てみますか?」と言う。勧められるまま袖を通すとぴったりだ。値札を見ると、自分に手が届く金額が書いてある。
「いいですよ、これ。ついこの間入ってきたんですけど。手作りの1点もので」
 かっちりしたシンプルなデザインなので仕事にも使えると踏み、財布からなけなしのお金を取り出してすぐに買った。

 翌日、さっそくそのジャケットを着て仕事に行った。新しい服を身につけると普通は意気揚々とするはずなのに、なぜかずっと気が重くゆううつだった。いざ仕事をしようとしても集中できず、一日中ずっとぼんやりとりとめのないことばかり考えていた。
「ダメじゃないか!」
 その日はつまらないミスをして上司から叱られ、いやな気分で家路についた。

 手持ちの服をそれほど持っていないせいで、黒いジャケットの出番は多かった。1週間のうち2、3回は着ていたのではないかと思う。しかしそれを着るたびに気持ちがふさいだり体調が悪くなったり人とぶつかったり仕事がうまくいかなかったりとよくないことばかり起こった。
 最初のうちこそ気に留めていなかったものの、「君、このプロジェクトからはずれてくれないかな」とその服を着ている日にクライアントから眉をひそめて言われたときにはさすがに「この服はおかしいのではないか」と感じざるを得なくなった。もちろん自分の未熟さや不手際もあったのだが、そこまで不運が重なると、本当の理由はそれだけではないように思えた。

 洗えば厄が落ちるのではないかと黒いジャケットを何回かクリーニングに出した。しかし何度洗っても、店から戻ってきた黒いジャケットには重苦しい気がまとわりついているような気がした。
「手作りの1点もので」
 ふと、店員の言葉が脳裏によみがえった。
 物には作り手の思いや念がこもる。もし作り手が服を製作するときに怒りや悲しみ、憎しみ、絶望などの感情にとらわれていたらどうなるだろう? そのネガティブな思いは無言のうちに裁ちばさみや針を通じて布地に潜り込むのではないだろうか。
 もしかするとこのジャケットにはひと針ひと針「不吉」が縫い込まれているのではないか? 黒い布地一面にどす黒い想念が乾いた血のように染み込んでいるのではないか?
 イヤな気持ちになり、クリーニング済みの服をそのまま丸めてゴミ袋に放り込んだ。
 その後、徐々に黒い服からも遠のいた。古来、喪服として使われるように、黒は悲しみや孤独を吸収して留める色と知ったからだ。

「着るだけで気分がよくなる服」「着るとなぜかいいことが起こる服」があるように、「着るだけで気分が落ち込む服」「なぜかよくないことが起こる服」というのも存在する。服はどれも何食わぬ顔をしてクローゼットやタンスの中で静かに眠っているが、持ち主が取り出して身につけた瞬間に息をよみがえらせ、正体をあらわにする。
 物には心が宿る。まず最初に入るのは作り手の心だ。それはたぶん、物の寿命が尽きるまで消えることはない。
 だから最初に着たときによくないことが起こった服には注意しなければならない。しかし「もったいないから」と売ったり譲ったりするのはほかの誰かに不幸をバトンタッチすることになる。勇気を出して早めに見切りをつけ、葬り去るほうがいい。

2011.11.06

土踏まず

 人生にはものすごくストレスの溜まる時期というのがある。無我夢中で生きてるけど肩は凝るし頭痛はするし微熱は出るし下手するとぎっくり腰になるし何だかすべての歯車がかみ合ってない、どろどろのぬかるみに膝までつかりながら必死に走ってる感じ、これでいいかどうかわからないけどとりあえず自分の心身に蓋をして前に進むしかない、という時期である。
 そういうときにストレスをほったらかしにしてズンズン突き進むとどうなるか。足の裏が痛み出すんですね。

 私が最初にそれを経験したのは20代後半だった。仕事とプライベートの両面で過剰な負荷がかかり続けていたある日、突然右足の裏が痛み出し、歩けなくなった。別に靴が合わないわけではない、足をひねってねんざしたわけでもない、歩きすぎて疲れたのかな? と脳天気に放っておくうちどんどん痛みが増し、やがてじっとしていても激痛が走り、眠るのにも支障を来すようになった。
 右足の裏の土踏まず周辺を触ると、ガチガチに固くなっている。少し押すだけでギャッと飛び上がるほど痛い。湿布をしてもまったく効果なし。
 仕方ないので、ある晩意を決し、足の裏を自力で揉みほぐした。痛みで悶絶しそうだった。それが功を奏したのか、痛みはしばらくするとウソのように引いた。(注:みなさんは真似しないできちんと病院へ行ってくださいね。)

 2回目に経験したのは30代前半だ。自分を取り巻く情況はやっぱり暗黒で、毎日「あーあ」な気分で過ごしていたある日、突然足の裏が痛み出した。「あ、まただ」と思った。

 痛みを無視して知り合いと待ち合わせて酒を飲み、店を出ると足の裏で体重を支えることが不可能になっていた。前回と同じ右足である。仕方ないのでタクシーで帰宅し、その晩、うぎゃっとかあふぇっとか忍び泣きながら足裏を揉みほぐした。
 痛みで気を失いそうになりながら、「この状態は前とまったく同じ、そういえば前もストレスてんこ盛りのときだった、そうか、心身に溜まったストレスは足の裏から排出されるのだな」と気づいた。
 心身にむち打ってがんばり続けると、つまり「負けるものか」と無理に硬直し続けると、足の裏もギュッと硬直し、排出されるはずのストレス=厄がスムーズに出なくなって「厄詰まり」を起こすのだ。出るものが出ずに溜まり続けると猛烈に痛い。
 そのときから「足の裏が痛むときは心身が疲れている証拠」と心して、早めにケアするようにした。今でも時たま痛むことはあるが、無理をしないよう心がけているおかげで昔のようにガチガチに凝り固まるようなことはない。 
「足つぼマッサージ」とか「足裏健康法」の人気が衰えないのは、「足の裏はいつも柔らかくほぐしておかないとやっかいなことになる」と、みんなうすうす知っているからではないだろうか。

 余談だが、一日働いて帰宅して靴を脱いだときの足のにおいは、心身から排出された厄のにおいではないかと思う。冬より夏のほうがにおいがきついのは、汗に促されて厄もたっぷり流れ出るからである。
「うわっあたしの足くさい、信じられないくらいくさい」と落ち込む必要なんかない、それはあなたが一日がんばって働いたことの証なのだから。

 
2011.10.22

熊手女

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 おさななじみと1年ぶりにランチ。
 ああっみなさんいい具合に発酵していらっしゃる、年季入ってどこから見てもそれぞれがそれぞれに格好いいぜと午後の日差しのあたる店で芋天を食べながら感動する。
 金銭のからんだつきあいは水の泡のようにはかないが、長年かけて培った損得抜きの人間関係はまるで「ただいま」「おう帰ったか寒かったろう、まあこたつにでも入ってあったまんな、いま鍋とか煮てっから。しらたき多めがよかったな?」というような安堵感がある。親と疎遠だし友達の数も少ないが、そういう「実家」のような存在がいてくれる自分は幸運だったと思う。
 会話は止めども脈絡もなく延々と続く。自分のことを話すのが面倒なのでもっぱら聞き役に回る。
 グループのメンバーは全員まじめにひたむきに生きているのでみなそれなりに幸せだが、その中の1人であるNの話を聞きながら、あ、本当の強運の持ち主というのは実はこういう人なのではないかとハッとした。
 Nはおだやかで親切でいつもニコニコしている謙虚な主婦である。暇さえあれば趣味の手芸をしたり掃除をしたり家族のご飯を作っている。
 小学生のころ「大きくなったら何になるの?」と聞くと「うーん、お嫁さんかなあ」と答え、中学生の頃同じ質問をすると「うーん、お嫁さんかなあ。でももらってくれる人いるかなあ」と答えるくらい地味な人だったのである。ところがどっこい適齢期を迎えるといきなり玉の輿に乗り、2人の子宝に恵まれた。
「ううん、あたしなんて庶民だし平凡だから」「あたしなんか全然たいしたことないよー」が彼女の口癖なのだが、よくよく考えてみると「生まれてから病気らしい病気をしたことがない」「お金に困ったことがない」「恵まれた環境の家に住んでいる」「結婚以来ずっとおしどり夫婦」「誰からも好かれて敵は皆無」「子どもたちもどんどん幸せになっている」など、あまりくわしくは書けないが幸運てんこ盛りの人生を送っている。
 もちろん本人もそれなりに努力していると思うが、おかめ顔の彼女の背中には鯛やエビや打ち出の小槌などが乗っていると思う。歩く大熊手である。 

 ネットやテレビや雑誌ではよく「強運な女性」が登場するが、よくよく見ると虚勢や見栄を張っていたり、どこかで無理をしているような気がする。「こんなにいつも美しく微笑んでいたら、疲れるだろうなあ」とも思う。
 そう考えると、地味ながらも肩に力を入れず自然体でコツコツ幸せの根を大きく広げているNは質実剛健である。風水や家相や方位学とは無縁でも、「ごく自然に王道を歩ける人」はいるのだ。これは先祖の余徳か、本人の人徳か。
 いやもしかすると彼女の幸運の源泉は、Nよりさらにひとまわり強運な彼女の母親にあるようにも思える。
 彼女は一見「ニコニコしている普通のおばさん」だが、強いていえば輪郭が太い。別に太っているわけではない、ただ身体からにじみ出る気がなんとなく強いのである。この「なんとなく」が味噌のように思う。
 NとNの母親のどこがすごいかというと、まったくすごく見えないところである。
 本当にすごい人は、「私、すごいンです」という派手な看板とは無縁の場所で楽しくつつましやかに暮らしている。

2011.10.13

満月の羽田空港

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 仕事ばかりしていると心と身体がギュッと内側に凝り固まるので、機を見てほぐさなければならない。心と身体をほぐすには見晴らしがよくてふだんあまり行かないところへ行くのが一番、ちょうど今は満月だからついでに月光浴もしてやろうと羽田空港へドライブ。
 第一京浜を表示に従ってブンブン進んでいると途中からふっと街が消えて人気(ひとけ)が皆無になる。うわあなにこのモノトーンの世界、まるで人工未来都市のチューブの中を走っているみたい、このトンネルは海の下にもぐっているの、狭いところ苦手なんだけどずいぶん長いな、あれっ第1ターミナルと第2ターミナルの違いがよくわからない、まあいいかと選択肢を適当に選んでパーキングに愛車を止め、足を踏み入れたところが第2ターミナルだった。
 第1と第2の違いはどうやら航空会社の違いらしい。
 到着ロビーに出発ロビー、へええけっこう人がいるじゃん、こんな夕暮れから飛行機に乗って北海道や九州へ出かける人もいるの、うーんここは寂しさとなつかしさと哀愁に満ち満ちた空間だぞと独り言を言いながら展望デッキへ上る。
 扉を開けて外に出るとすでに真っ暗、オレンジ色のまん丸い月が空中にどかんと浮かんでいる。ああ中秋の名月。
 風はまだまだ湿気の多い夏の熱風、でも確実に秋のにおいが混じっている。
 白くて大きな飛行機が力強くうなりながら目の前の滑走路を左から右に走り抜け、月の真下でふわりと浮き上がる。あんな鉄のかたまりが浮くなんてウソみたいと思っている間にどんどん高度を増し、やがて見えなくなった。
 しばらくするとまた別の飛行機がきいいいいーんとうなりながら走ってきてはまたふわりと浮いて空の彼方に消えていく。その繰り返し。
 飛行機が飛ぶなんてここではまったく日常茶飯事、その活発な運行ぶりはまるで山手線、そうか地球は自分を放っといて勝手にガンガン回っているのだなと気づく。
 まわりを見ると2人乗りベンチを無心にこぐカップルや1人たたずむシングル女性、テーブルでパソコンを広げる男性などがあちこちに散らばっている。
 月は一段と明るさを増してこうこうとおだやかな光を放っている。丸い丸いまん丸い、しかも金色なので思わず財布を月光にさらして金運アップの願掛けをしようかと血迷ったがやめておいた。
 お金というのは自分の運と努力の末に後追いしてくるもの、月にとっては人間の勝手な願いなんか知ったこっちゃないし、一生懸命手を振っちゃってバカみたい何やってんのと冷笑されるのがオチである。それよりもう少しぼんやりしようと決め、月明かりに照らされる飛行機の群れをながめる。
 どこからかリーリーリーとスズムシの声、ああ季節は確実に移り変わっている、自分の気が張りめぐらす小さな球体の中で四肢を踏ん張ろうと踏ん張るまいと時間は勝手に前に進んでいると気づいた瞬間、心と身体がぐにゃりとほぐれた。

2011.09.05

まさかの夏風邪

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 病気でも何でもなく雑用で病院へ行った。
 老人が待合室にわんさか座っている。
 何なんだこの混雑は、この夏は街で老人の姿を見かけなくなったと思ったらこんなところに集っていたのか。
 ポカリのペットを持ったお兄ちゃんがフラフラ入ってきて看護婦から体温計を渡されそれを脇の下に当ててさっきからじっと私の隣に座っている。
 このお兄ちゃんかわいそうに、おなかこわして発熱してるのかな、今年は暑いから食べものにでもあたったかと待合室のテレビを見ながらのんびり思う。
 お兄ちゃんは名前を呼ばれてボウフラのように頼りない足取りで診察室へ入っていった。何度あったのかなあ熱、とのんきに思う。

 翌日、くしゃみ3連発。
 翌々日、くしゃみ5連発&ツーッと鼻水。
 あれ花粉症の季節にはまだ早いんじゃないのかななんて脳天気に考えていたら発熱。しかも37度弱の微熱。
 このくらいの微妙な体温が一番やっかいだ、妙に熱っぽくてだるいが横になるほどではない。
 翌朝起きると鼻が完全に詰まっており、あっあのお兄ちゃんにうつされた、こりゃあ完全に夏風邪じゃないのと気づいたときには鼻がまったくきかず咳も出て呼吸が少し苦しくなっていた。
 胸にサロンパスを張り、ショウガ紅茶を飲み、市販の風邪薬を1日に3回飲んで1週間経過してもちっとも治らない。台風が近づくにつれて不安がつのってきたので近所の町医者へ行った。
 待合室で脇の下に体温計を当てて熱を測っている間、壁に貼られたポスターを夢うつつにながめる。
「シミ取りクリーム!」
「アンチエイジングサプリメント!」
 ピピピピピ、36度8分ですか、もっとあると思ったのになあ。
 1人しかいないのですぐに呼ばれる。
「あっ風邪風邪、風邪ですね」
 せっかく病院に来たのに風邪薬だけもらって帰るんじゃおもしろくないなあとさっき見たポスターの商品についていろいろたずねると懇切丁寧に教えてくれる。
「じゃあこれも、それからそれもついでにもらっていこうかなあ」と枯れてドスのきいた声でつぶやくように医者に告げ、大量の薬の束を抱えて家に戻った。
 
 風呂に入ってからおじやを食べ、食後にさあ薬飲むぞ! と戦闘態勢でアンチエイジングのサプリや美白関係の内服薬を数粒一気に飲み干す。風邪薬の袋はテーブルの片隅に追いやられており、1錠も手をつけていない。
 お前バカじゃないの、風邪薬どうして飲まないの、さっき何のために病院へ行ったの、今のその苦しい鼻づまりや微熱で頭がぼんやりしている状態においてお前は風邪治療よりも美白を選ぶのかと自問自答するがどうしても風邪薬を飲む気になれない。
 だってクスリを逆さまから読むとリスクじゃん、そんなもの飲むより自分の免疫力を信じてきちんと発熱して白血球部隊を増やしてウイルスと真っ向から勝負するほうがいさぎよいし体にいいに決まってるもん、それにいきなり見ず知らずの薬をたくさん飲んで気持ち悪くなったらイヤだもん。
 つまるところ、自分は風邪を治すより色白になりたいのであった。バカじゃないのか。

2011.08.22