お盆の猫

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 死んだ猫が2匹、家に帰ってきた。
 まずい、猫用の食器がほこりかぶってるじゃんと私はあせって食器を洗い、猫缶のストックがないことを思い出す。
 仕方ないコンビニで買ってくるか、しかしグルメな奴らの舌に合う缶詰が果たしてあるのか。
 ぼんやり考えながらとりあえず水をボウルに注ぎ入れていると、猫は高いところで毛づくろいをしている。・・・・・・お盆。そうか、今日はお盆の初日だったなと気づいた。
 いけね、トイレ! トイレを取り替えなくては!
 行って見ると、猫のトイレは2つとも使用済みで汚れている。
 あーあもう自分は猫のために何もしてないじゃん、ダメな飼い主だなあとあわててシートを取り替えようとする。
 そこで目が覚めた。

 そう今日は8月13日、お盆の初日である。自分はすっかり忘れていたが猫たちは毎年きちんと覚えていてきっちりやってきてくれる。意外に几帳面なのだ。

 夕方、スーパーで猫缶を2つ使ってきて西の窓辺に備えた。たっぷり水を張った丼も置く。花も飾る。暑さにぐったりしながら般若心経を唱える。首筋から背中にかけてあせもができていて痛痒い。
 夏もあと3週間か、高速回転で過ぎていくのだなあと思いながらふと見ると、猫は2匹そろっておとなしく自分の目の前に座り、お経をじっと聞いている。

 2012.08.13

 

夏風邪治療

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 夏風邪を引き、ああこりゃいかん早く直さねばと病院へ行って抗生物質をもらって安直に飲んだのがまずかった。
 3日飲めば1週間は効果が持続するという強力な抗生物質のおかげで免疫力が低下して舌は真っ白、上がるに上がれず下がるに下がれない約37度の微熱とのどから気管支にかけての不快感と全身の倦怠感とがすでに1週間以上続いている。
 あとで調べてみたら抗生物質は細菌には効くが風邪のウイルスには効かないとのこと、効く人には効くかもしれないが自分の場合は無駄に免疫力を低下させただけ、ばかだなあばかだなあ薬なんかに頼らず自力でウイルスをやっつけていれば今ごろすっきり回復して風邪耐性もついたのになああ今日もむだにだるいだけえええと演歌調に歌ってみるがもちろんそれで治るわけはない。抗生物質の効きの終焉を待って自力で体内環境を立て直し、再戦闘に臨むしかない。
 とりあえず今具体的にできることは①栄養のあるものを食べる、②よく眠る、③無駄に動いて体力を消耗させないの3つだけである。
 それ以外になんかできないのかと考えてみた。
 
 風邪を治すには体内のマクロファージをはじめとする免疫細胞を活性化させ、ウイルスをどんどん破壊してもらうしかない。「悪いウイルスをひとつずつ取り囲んでやっつけて食べてしまう」というマクロファージや好中球、NK(ナチュラルキラー)細胞はどの方位に属する物質か? と考えた末、「南西」という答えが出た。
 二黒土星の定位置である南西には「地道に努力する」「粘り強い」「ひとつずつコツコツ片付けていく」などの意味があり、さらにここは「ものごとをいつの間にか反転させる」「生きるものをじわじわ死に至らしめ、またその逆もある」という裏鬼門でもあるからだ。
 体内の免疫細胞の60%は腸に生息すると言われる。風邪を引くと下痢もしくは便秘をしやすくなるのは、腸が過度に働きすぎるもしくは働きすぎて疲れ、動く力が衰えるせいだろう。
 胃腸をつかさどる方位は南西である。免疫力に大きな影響を及ぼすのはやはり南西といっていいだろう。
 
 もうひとつ、免疫力を高めるには納豆や味噌、チーズ、ヨーグルトなどの発酵食品が効くと言われている。発酵食品は腸内の善玉菌を増やしていい腸内環境をつくるからだ。
「発酵」という営みは「中央方位」がつかさどる。中央は五黄土星の定位置であり、破壊(腐敗)と再生の方位なのだ。
 五黄には「排泄物」の象意もあるので、中央は南西と同じく腸をつかさどる方位と考えられる。
 以上のことから、「風邪の治癒には南西と中央のパワーを強化すればいい」と結論を出した。

 まず家の中心から見て南西に盛り塩、中心に盛り塩、ついでに東北の表鬼門にも盛り塩をして、自分を取り巻く環境の気を清める。
 東北と南西は超能力持ちの二卵性双生児のようなもの、風邪の治癒に限らず「いざ」というときに同時に清めておくと「兄弟!」と双方でガッと手を取り合って合体&ウルトラマンのようにぐんぐんパワーアップし、家の底力を立て直してくれるはずだ。
 表鬼門・裏鬼門に清らかでまっすぐな空気が漂う家はあまりイヤな目に遭わないし、逆に汚れた空気が漂う家は住人にグチや不満や苦労が多くなるとされている。

 南西は母なる大地の方位なのでフルーツや植物の実など「実りのもの」と相性がいい。大地の営みとして蜂が集めるハチミツもいいと思う。
 体内に南西パワーを注ぎ込むにはフルーツや木の実、田畑で収穫する穀類や豆類、いも、ごぼう、にんじん、大根、かぼちゃなどの根菜類を食べるといいのだ。
 南西は「庶民的な手作り」「田舎風」「煮込み料理」と相性がいいので、外食より家庭で作った「あつあつ」が効く。
 体内に中央のパワーを注ぎ入れるには納豆や味噌汁、ぬか漬けなどの発酵食品を採る。
 書いているうちに気づいたのだが、風邪を引いた子どもに母親がおかゆやおじや、煮込みうどん、温野菜、フルーツ、ヨーグルトのハチミツがけなどを一般的によく与えるのは、体内に南西と中央のパワーを注入するという意味で実に理にかなっているのではないか。(今ほどフルーツが豊富でなかった昔は、子どもの発熱時に桃缶やみかん缶などフルーツの缶詰をよく与えたものである。ちなみに外気を遮断した缶詰は中央のパワーを持っている。)
 というわけで、私はもつ煮込みうどん(牛の大腸を食すことによって自己の大腸をパワーアップさせようという試み)と納豆とバナナ&黒豆混ぜカスピ海ヨーグルトを食卓に並べてマクロファージの復活と権力奪回を計ろうと思うが、想像するとゲーである。これ、平常時でもいっぺんには無理だろう。

2012.07.07

和菓子屋のおばあさん

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 夕方、買い物へ。太陽が姿を隠したとはいえ、まだ空気が熱っぽい。今年はあまりセミが鳴かないなあと思う。
 坂を下って小さな書店で本を買い、ついでに老舗の和菓子屋へ。なんだか甘いものが食べたくなったのだ。
 のれんをくぐると、おなじみのみたらし団子やいちご大福、あんみつ、水ようかんなど涼しげな水菓子がショーケースに並んでいる。すでに売り切れたものもある。
 どれにしようと迷っていると、店の奥からするりとおばあさんが出てきて、店の隅にしつらえた休憩用の椅子にとととと向かいすとんと座った。身長は150センチないくらい、細い身体に茶色のワンピースをまとい、薄い銀色の髪をひとつにまとめている。
 しばらく迷ってから若い店員に「これとこれとこれをください」と注文。背後にふわりと柔らかい視線を感じる。
 夕飯が済んで母屋からクーラーの効いた店に涼みに来たのかな、このくらいの時間になるといつも奥から出てくるのだろうか。
 ここに住んで数年になるが、その店でそのおばあさんを見かけたのは初めてだった。
 包んでもらっている間、さりげなく振り返るとやはり自分を見ている。年の頃は90手前あたりか、小柄なのに大人(たいじん)の風格、目の前でどんな悪党が何をしようと「ふうん」と静かに受け流して「あんたおなか空いてるんじゃないのかい」と団子を5、6本差し出しそうな雰囲気である。
 やはり人間も1世紀近く生きると余分な水分が蒸発して肉体はペラペラ・カサカサのするめみたいになるが、本体である魂はうまみが増し、噛めば噛むほど味わいが出てくるのではなかろうか。
 年寄りとは魔術師のようなもので、何もしなくても、ただいるだけでその空間を柔らかくほぐしてくれる。肉体がひからびて力が失せているぶん、気を自在に操ることができるのではないかと思う。
「おまちどおさまでした」
 包みを渡され、釣り銭をもらって店を出ようとすると、店員に続いて「ありがとうございました」の声が聞こえた。小さいがくもりのない声だ。おじぎをして店を出た。
 家に帰ってソファにごろんと横になり、買ってきた怪談本を読みながら、そういえばあのおばあさんリアルだったのかなあ微動だにしなかったしと一瞬思うがあっ豆大福と団子があるじゃんかと思い出し、あわてて食べた。

2012.07.07

インディアン人形

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 電車を乗り継いで古い博物館へ出かけた。
 展示物を見ているうちにどこかから視線を注がれている気がしてふとガラスケースの奥を見ると、子どもくらいの大きさの人形がぽつんと立っている。ウエーブのかかった黒髪にチョコレート色の肌、大きな黒目。フリンジのついた衣服を身につけているので、たぶんインディアンの子どもだろう。人形の素材はよくわからない、木にしては柔らかい質感だし、ビニールでもないし、布でもなかった。
 いやに生々しいな、まるで生きているみたい、もしかするとこれは死んだ子どもの魂が入った呪物で、蘇りを願って作られたものではないかとしばらく考える。
 ずっと見ていると人形の黒目の奥に引きずり込まれそうな気がして何となくこわくなり、別の展示物の前へ移動した。しかしなぜかそのフロアにいる間じゅう、背中に向かって「ねえこっち、こっち見てよ」と声をかけられているような気がした。

 博物館を出てカプチーノを飲み、さあ帰ろうと夕陽に向かって歩いた。瞳を直撃する光のまぶしさに頭がもうろうとして、そのうち人形のことなどすっかり忘れてしまった。
 帰宅して夕食を済ませ、しばらくテレビを見てからベッドに入った。
 明け方に夢を見た。
 私は殺風景な大通りを歩いている。あたりの景色は何もかも一面の黄土色だ。
 夕陽がまぶしくて向こうがよく見えないが、小柄な誰かが自分のほうに向かって歩いてくる。誰だろう? と目をこらして見ているうちに、脇を通り過ぎて行ってしまった。何となく見たことのある顔だった。
 誰だろう、誰だっけ、ああ思い出せないと振り向くともういなかった。
 あっ、あれはあのインディアンの子どもだと気づいたとたん、目が覚めた。
 ついてきたのかと愕然とする。黄土色の世界は、埋葬された場所から見たこの世の色ではないのか。
 人恋しいのかな、ガラスケースの中にずっと独りぽっちでいるのはやっぱり寂しいんだろうなと気持ちはわかるがなぜ私のところに来る、来ても何もしてやれないよと思う。しかし向こうは念の塊(かたまり)、3次元の思惑などいとも簡単に飛び越えて侵入してきたのだろう。

 次に同じ夢を見たらやばい、すれ違うだけならまだいいが、「こんにちは。覚えてるでしょう? 私のこと」などとにっこり笑って手をつながれたらどうしよう。
 そんなことを考えながら、眠るたびにびくびくしている。

2012.07.02

新大久保

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 大久保から新大久保に向かって大久保通りを歩く。平日の夕方というのにやたら人が多いのは各種専門学校やコリアンタウンが近いせいか。
 向かって右側に皆中(かいちゅう)稲荷神社、宝くじやギャンブルが当たるようになると評判の神社だが、通りの喧噪とは裏腹にひっそり静かで誰もいない。
 新大久保駅の手前で大久保通りを左に渡って細長い路地に何となくふらり入ってみるとそこは異世界、マツキヨから韓国料理店から牛丼屋から八百屋からコンビニから何でもありのアイデンティティめちゃくちゃな空間にエスニックな香辛料の香りが充満している。
 においの出所を探すと、すぐそばにドネルケバブの店(ドネルケバブ・・・立てた串に薄切り肉を刺して何層にも積み重ねたもの。外側からあぶり、焼けたところからナイフで削ぎ落としてパンなどに挟んで食べる)。トルコ人(たぶん)の店主が大きなナイフで焼けた部分を削ぎながら、友人とおぼしき中東系の男たちと何か大声で話している。
 あまりじっと見つめていると「買ってく?」とか言われそうなのでゆっくりスルーすると、その先に今度はアラビア語のような言語がのたくる看板を掲げた輸入食材店。カルディコーヒーファームをもっと古くさく田舎くさく仕立てた感じで、デビッド・リンチの映画に出てきそうなミステリアスな雰囲気だ。
 店の奥はもしや異界に通じているのではと一瞬吸い込まれそうになるが、色が黒くて目が異常に大きい濃い顔立ちの店主が店の前に仁王立ちしているので中に入れず、ここもスルーする。
 目だけを出した真っ黒いブルカやニカブ(顔を覆うかぶりもの)をかぶったおばあさんやおばさんがいきなり目の前に出てきたらこわい、とてもこわいと恐れつつ道を突き進むと、細い道路がクロスする交差点に出た。渡った向こうはしんと静かな住宅街で、目に見えない境界線があからさまに敷かれている。
 Uターンして新大久保駅まで引き返し、大久保通りを今度は東新宿に向かって歩く。

 そこはいわゆるコリアンストリートと呼ばれる道で、韓国レストランや韓流スターのブロマイド屋やCD屋や化粧品屋や正体不明の店が乱雑にひしめきあっている。
 新しめのきれいなスーパーを見つけたので中に入ってみた。
 ごま油を塗った太巻きやトッポッキ(一口大の細長い餅を甘辛く炒めたもの)、チヂミ(韓国風お好み焼き)を実演販売しているそばで、店員が大声で何かしゃべりながら冷蔵ケースの中にキムチをせっせと補充している。
 キムチとひと口に言っても白菜キムチから大根キムチ、キュウリキムチ,水キムチ、イカキムチなどいろいろあり、すべて試食できるようになっている。試食している客の間を縫って奥に進むとインスタントラーメンやお菓子、韓国味噌、酒などが棚に整然と陳列されている。
 以前行ったソウルのみやげ物屋とそっくりだ、そうかここは新大久保という名の韓国なのだなと思う。「韓国風」ではなく純粋に韓国、コストコへ行くとアメリカのにおいがするがここは韓国のにおいがする、どちらも日本であって日本ではない。
 ふと気づくと身長180センチはあろうかと思われるお姉さんが自分のすぐ隣で韓国海苔を物色している。いいにおいがするのでたぶんシャンプーしたばかりだと思う。素足にサンダルを履いたお姉さんは背が高いだけでなく横幅もある。胸がラクダのこぶのように突き出している。
 あまりのダイナマイトボディぶりに顔を見やると男のお姉さんである。すっぴんだから仕事前か、お姉さん好き嫌い激しそうだねと話しかけてみたくなるがよけいなお世話なのでやめておく。
 
 韓国語や中国語や日本語が入り乱れて飛び交う大久保通りを、涼しげな目のきれいな女の子がさっそうと通り過ぎていく。だがよく見ると加工率200%の整形顔、カラコンと縁囲みアイメイク&目頭真っ白、激しく色を抜いた髪、限界ダイエットの末たぶん30キロ台までやせ細り足はガリガリ君の棒のよう、まるで3次元アニメのようにペラペラだ。
 激しい思い込みを身に課した人間や過剰なタトゥーやピアスを入れた人間を見ると気持ちが沈むのはなぜだろう、松井冬子の展覧会を見に行ったときも同じ気分になった、たぶん死の香りがするからだろう。彼らの心は誰も手の届かない闇の中にある。

 横断歩道の信号待ちで隣に立ったおばさんは町内会のチラシの束のようなものを手にしている、この人はたぶん日本人だろうと確信していたらいきなり「アンニョンハセヨー」と大声で知人らしき男性に挨拶、勢いよくハングル語で話し始めたので驚いた。アジア人の顔は本当によく似ている、黙っていたら国籍はまったくわからない。
「食べて!」「飲んで!」「味見して!」と威勢よく飛び交う呼び込みの中を泳ぎまわっていると明治通りの交差点、明治通りから向こうはハングルの喧噪がぷっつり途切れた別世界だ。

 東京都新宿区の韓国は百人町と大久保の中にすっぽり収まり、ダイナミックで粗野で奇妙な錬金術を日々繰り返しているように見える。そのカオスぶりは横浜中華街を濃縮還元してマッコリで煮詰めクミンをちょっぴり振りかけてキムチであえたのちテコンドーに熟達したおばさんたちが「ハッ!」「ハッ!」と勢いよく四方八方に蹴り上げているようなイメージがある。ささいなことがなんだかもうどうでもよくなるような力強さとアバウトさとゴリ押し感に満ちたバビロンの街だ。

2012.06.13

辰巳天中殺のみなさんへ その3

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 全国の辰巳天中殺のみなさんこんにちは。
 天中殺期間の第一関門である辰月(4月)、巳月(5月)を乗り越えられ、いかがお過ごしでしょうか。2012年2月からみなさんの魂はこの宇宙船で過ごされているわけですが、乗り心地はいかがですか? お気づきの点やご用などありましたら、どうぞご遠慮なくキャビンアテンダントまでお声をおかけくださいね。
 さて、同じ辰巳天中殺のグループでも、九星によって現在の状況がそれぞれ異なると思います。九星別に点呼を取り、安否を確認してみましょう。

 一白水星の辰巳さん、はい。比較的お元気ですね。雲行き怪しくなってきたかな? と思いつつも様子見で洗濯物干したら何となく乾いたのでああよかったというところでしょうか。やっぱり気合いでなんとかなるじゃんって安心しすぎないでくださいね、今はまだ序盤戦ですから。
 これから気をつけたいのは人間関係です。ささいなすれ違いや誤解からカッとなって大事な人を傷つけないようにお願いします。甘えすぎ、わがまま、我欲のむき出しは禁止、「いつもありがとう」「お世話になります」「ごめんなさい」で難逃れしてください。

 二黒土星の辰巳さん・・・・・・・、いらっしゃいませんね、どこに行ったかな。ああ、やっぱり冷凍室に潜り込んで冬眠してますね。矢面に立たされて四方八方からやいのやいの言われ、さぞお辛かったことでしょう。
 二黒はめったに弱音を吐かない根性の星ですが、人間だもの、そりゃうまくいかないことだってありますよ。特にこの4月、5月はもまれにもまれて大変でした、ええ、このままそっとしといてあげましょう、じきに誰かにゆり起こされるでしょうから。もしまた試練が始まったら、なすがママならキュウリはパパだ、なんてバカを言いながらね、それなりにゆったりお過ごしくださいね。

 三碧木星の辰巳さん、えっ? もうこんな宇宙船で暗黒の大宇宙をふわふわ彷徨うのはいやだ? 飽きたから地球に帰してくれ? 
 あのねどこにいても一緒なんです、天中殺期間ってエア牢獄にいるようなものですから。大声出しても手足バタバタさせてもみんなからスルーされるでしょう? エネルギーを無駄遣いしないためにも、ここで静かに過ごされてはいかがですか。6月以降は少し気持ちにゆとりができますから、・・・・・・あーあ勝手にハッチ開けて飛び出しちゃったよチャレンジャーだなあ。どうせふんわり引き戻されるでしょうから、放っておきましょう。

 四緑木星の辰巳さん、はい。アクが強めの辰巳天中殺の中で珍しくさわやか系のあなたも、さすがに少し疲れた顔をしていらっしゃいますね。ん? お仕事のスポンサーが離れて行った。え? あなたは恋愛で大もめ中。そうですか。
 天中殺期間にはおおむねどなたさまにも厄落とし現象が起こります、お辛いとは思いますがトラブルイコール軌道修正のチャンス、清算上等、去る者なんか追うもんかの精神をもたれてはいかがでしょう。クローゼットでむだに場所を取ってる服を処分すると、もっと素敵な服が手に入りますよ。

 五黄土星の辰巳さん、あっやばい元気そう! さすが五黄、苦労を苦労と思わないなにくそ精神&てめえこのやろう精神で進むところ敵なしですね。でもちょっと足下見てみてください、15センチほど浮いてませんか? 進んでると思ってたけど実は足をバタバタさせているだけなのでは? 
 あのね、たしかに五黄はいま、勢いあるんです。でもそれは辰巳天中殺以外の五黄のお話で、あなたの場合は勢いが裏目に出て逆噴射する恐れがあるのでお気をつけくださいね。特に新規事業の立ち上げ、投資、転職、家の新築、結婚、遺産相続、みかん狩りなどのイベントは慎重に。自分が得することだけ考えて行動すると神さまからハリ扇くらいます、「お先にどうぞ」もしくは「you go first」を新規メンバーズ登録のパスワードにしてください。

 六白金星の辰巳さん、あっ腕組みしてあぐらかいてる、大仏様みたい。現実主義の辰巳天中殺の中で唯一六白金星は哲学的なんですよね、カッコいいです、さまになってます。でも眉間にしわ寄せて固く目ぇつぶってるということは、もしかすると身辺に一大事ありました? この世の終わりみたいな?
 ・・・・・・仕方ないです、そういうときもありますよ。夏に入れば少しご気分が回復すると思いますので気を楽に・・・・・・あっ寝てる! いびきかいてるじゃないですか、どうりで静かだと思った。繊細なんだか太っ腹なんだか六白ってよくわからないです。

 七赤金星の辰巳さん、・・・・・・いませんね。あっ千鳥足でふらふらこっちに来た。え? フーロローロのロリンクラーでハイロール、ああフードコートのドリンクバーでハイボール飲んできたんですか、うわっ酒臭い。4月、5月は予期せぬトラブル続出できりもみ状態でしたからストレスが半端ないのでしょうね、お察しします。
 七赤はたしかにお酒お好きですけど、辛いときはお酒で解消しようとせずにライブラリー室で漫才や落語やお笑いビデオをご覧になることをお勧めします、笑いって強力な邪気除けになりますから。運気を上げたいなら1日1回笑ってください・・・・・・って盆踊りしながらあっち行っちゃった、なぜ踊ってるのでしょうか。七赤ってどんなときでも陽気なキャラですね、すごくいいと思います。

 八白土星の辰巳さん、はい。あれ、いつもはポーカーフェイスの八白さんが浮かない顔をしていますね。もしかすると金銭面で何か深刻な問題が? 遺産問題でもめてる? 投資が失敗した? 貸したお金が返ってこない?
 うーん困りましたね、それ厄祓い料と思ってあきらめちゃったらどうでしょう、ああやっぱり無理ですか。八白土星はけちんぼいや金銭感覚がしっかりしてますからねえ、でも出てった女房とお金は追っちゃいけません、それなりの理由があって出ていくんですから。いいお勉強になったと思える日が早く訪れるといいですね。

 九紫火星の辰巳さんは・・・・・・保健室ですね、たぶん。絶叫系のジェットコースターに連日乗りまくってたら、いかなスリル好きの九紫さんといえどバテますよそりゃ。4月、5月の乗車ノルマは超過密でしたけど、6月からは回数が少し減るはずですから気を楽になさっていただきたいと思います。
 パキッと竹割ったように見えて意外にデリケートでアーティスト気質なんですよね九紫さんって。気分と体調が回復したらあそこのステージで弾き語りでもしていただきましょうかね、「地球は今夜も青かった」なんてね。
 
 ・・・・・・はい、とりあえずみなさん全員ご無事でよかったです。これからもさらに盛りだくさんな試練に見舞われるかもしれませんが、辰巳さんなら大丈夫、きっと乗り越えられます。
 なにせ6つの天中殺グループの中で最も逆境に強い人たちですし、「こりゃダメだ」と思ったら素直に撤退して物陰に身を潜め、木の実や雑草を食べて栄養補給しながらじっと状況をうかがう野戦部隊のようなたくましさをお持ちですから。コンバット(=アメリカ陸軍歩兵部隊)みたいでかっこいいです。
 
 では、これでミーティングを終わります。どなたさまも肩の力を抜いて気を楽になさり、引き続き快適な空の旅をお楽しみください。thank you.

2012.06.07

巨人のポルカ

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 東京スカイツリーをオープン前日にプレ見。内部は内覧会の客でにぎわっているが、一般客はまだ施設内に入れない。仕方ないので敷地内や周辺を散策する。
 外側だけではやっぱり物足りないなあとツリータウンの南側を流れる川に降り、ウォーキングデッキにしつらえられたベンチでまったりしてみる。隅田川の支流の水は濁ってコーヒー色だ。
 西日に目を細めつつ眼前にそびえ立つタワーを見上げると、この上なく高い。さすが世界一、圧倒的な存在感がある。

 見上げるのに飽きたのでその場を離れ、周辺の街を散策する。
 平日の夕方だからなのか、それとももともと人口が少ないからなのか、町工場や古い家が立ち並ぶ道路沿いには誰も歩いていない。金色の光に染まった街は、まるで猫が眠っているかのように静かだ。
 なぜこんなところに、
 ふと思った。 
 なぜこんな時間が止まっているようなところに、世界一巨大な電波塔を建てたのか。
 
 帰宅して焼鮭と卵焼きの夕飯を食べ終えてから、あ、そうかと気づいて東京の地図を広げてみた。
 ・・・・・・ここがスカイツリー、ここが東京タワー、ここがサンシャイン60。
 ペンと定規を持ってきて、東京の3つの高層建築をそれぞれ直線で結んでみる。
 じゃーん。
 きれいな正三角形が浮かび上がった。中心にあるのは皇居だ。
 眠れる町に白羽の矢が立った理由がわかった。 
 家康お抱えの天才風水師・天海の後を継ぐ誰かが新しい結界を作ったのだ、うんそうだ、そうに違いない。
 城を囲む巨大な精霊が手をつなぎ合い、輪になってポルカを踊っている姿が脳裏に浮かんだ。精霊たちの背中にはそれぞれ東北に延びる管、南西に延びる管、北西に延びる管がつながっている。管とは龍脈のことだ。
 踊れ踊れ、踊るほど日本という名の龍は強くなっていくのだ。

 5月21日の金環日食の翌日22日にスカイツリーがオープンしたのは言うなれば天の岩戸開き、しかも翌平成25年には20年に1度の式年遷宮(ご神体を移動させること)が伊勢神宮で執り行われる。
 この先、この国のバイオリズムは陰から陽へとダイナミックにうねっていくに違いない。私たちの頭上を覆う雨雲はゆっくり消滅し、徐々に希望の光が射してくるに違いない。

2012.05.23

不意の来客

ん
 土曜の昼、わが家に2人の客が来た。
 まずはビールで乾杯、「どうですか、最近」「ぼちぼちですわ」の会話から入り、「んじゃ、ワインでも」。
 納戸から2年前のボジョレーを持ってくる。
 コルクをシュポンと抜くと酢の香りがかすかに立ち上るものの、飲んでみるとまだまだイケる。
「おいしいね」
「ビラージュはやっぱり飲みやすいね」
「この年は当たり年だったらしい、しかし毎年そう言われているような気もする」
 たちまち1本空になる。たいした会話をしているわけではないが、別にいいのである。2本目をまた持ってくる。

 ワインを飲みながらあれやこれや話しているうち日が南西方向に傾く。
 まぶしいのでブラインドを下ろそうとすると「あれ?」とびっくりした声でメンバーAが言う。
 どうしたんだ、天からすごい啓示でも降りてきたのかと問おうとするとAはあらぬ方を向いて目をごしごしこすっている。
「今さあ」
「うん」(メンバーBと自分)
「あそこのトイレからさあ」
「うん」(メンバーBと自分)
「ものすごく背の高い金髪の男が出てきてそのまま廊下の奥の寝室のドアを開けて入っていったけど、この家、自分たちのほかに誰かいる?」
 自分とBは顔を見合わせた。
「そういえば、さっき寝室のほうでバタンと音がしたね」とB。
「どんな顔だった?」
「いや、後ろ姿しか見えなかった」
「A、その男、どんな感じだった?」
「なんだか楽しそうだった、トイレを出てから廊下で何かにけつまずいてつんのめってた」
 ものすごく背の高い金髪の男などうちにはいない、A、念のため聞くが、あなたの酔っ払い度は100点満点中何点かと問うと、「60点くらいかなあ」と答える。
 2本目のワインの瓶はもうすぐ空になる。自分が1、Bが2、Aが3の割合、つまり一番飲んでいるのはAである。
 酒に酔ったうえでの幻覚か、それとも本当に見えたのか。

 西日がきついのでブラインドを下ろす。部屋がスッと暗くなる。
 あのさあもしかするとこの家霊道通ってるかもしれないんだよねとか言ったらいやがるだろうなあと思いつつワインを飲んでいると、まったくなんの脈絡もなくAが「ちょっとおなかすいたなあ」と言い出す。
 キッチンに立ち、用意していたカレーを温めた。まあいいや酔いが覚めればたぶん忘れるだろう、そのまま放っておこうと決め、カレーてんこ盛りの皿を2つテーブルに出す。不意の来客のぶんも出してやろうかと思ったがそこまでする義理もなかろうとやめておく。
「あ、すごいうまい」
「チーズかけるとさらにうまい」
 怒濤の勢いでカレーが目に見える世界から目に見えない世界へと消えていく。
 ブラインドの隙間から空を見ると雲間にオレンジ色の玉が沈みかけている。この先はつるべ落としでいきなり暗くなるだろう。
「じゃ、そろそろ帰る」
 まだいいじゃんちょっと気味が悪いからもう少しいてくれないかなあとこっそり願うが先方にも先方の都合があるので無理に引き留めるわけにいかず、「またどうぞ」とにっこり笑って送り出した。寝室の扉の奥で誰かが聞き耳を立てているような気がしたが、気のせいだと打ち消して、キッチンでひとり山のような洗い物と格闘し始めた。

2012.05.14

路傍の石

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 今の家に住んでから、たまに「あちらの人」を見るようになった。見るのは昼間ではなく寅の刻、つまり明け方の3〜5時、眠っているときだ。
 この時間帯を方位に置き換えると東北、つまり鬼門。「鬼がわらわら出てくるから鬼門と呼ぶ」という説もあるが、偶然にも、寝室は家の中心から見て鬼門方位にあり、自分は北枕で寝ている。
 具体的に何をどう見るのかというと、別に貞子やフレディやチャッキーが目の前に来ていないいないばあするわけではなく、寝ている自分の側を人が通り過ぎていくだけだ。別に具合が悪そうには見えないし、ケガをしているわけでもなく、ただ普通の人が普通に歩いているのだが、夢うつつに「この人は死んだのだ」とピンとくるのが不思議である。
 なぜだろう、出てくる人たちは知り合いでも何でもないし、自分に何か伝えたいことがあるわけでもなさそうだしとあれこれ考えるうちに「もしかすると」とひらめいた。
 確かめるために、寝室の窓を開けて外を見る。
 やっぱり。
 寝室の真北に寺があった。
 念のため、近辺の地図を広げてみる。
 寺はひとつではなく複数あった。
 そうか、ここは通り道になっているのだなと納得。もちろんさまざまな通り道があるだろうが、日本を含む北半球では磁石の針はすべて北に引っ張られるし、それに何より肉体を脱ぎ捨てた魂は東や東南、南など明るい陽の方位へ向かうより、西や北西、北など陰の方位へ向かうほうが落ち着くのではないかと思う。西は西方浄土、北西は神仏を祀る方位、北は最も深い陰の方位であり、肉体と心を安らかに横たえる安らぎの方位なのだ。
 ではなぜ、死んだ人は寺を目指すのか。

「神社は生きている人の願いを叶えるための祈願装置」と前に書いたが、寺は死んだ人を集めてあの世へ送り出す「吸引装置」なのではないか。線香の香りや灯明の光、太鼓、読経の声などで「こっち、こっちですよ」と故人を呼び寄せ、僧侶や参列者が「どうぞ安らかに」「ご冥福をお祈りします」と鎮魂と祈りの念を捧げてあちらの世界へ送り出す。
 死んだ人は「そうか、自分は死んだのだな」と認識し、この世を離れる心の準備をする。何気なく上を見ると誰かが自分に手をさしのべている、この「誰か」は大好きだったおばあちゃんであったりかわいがっていた弟であったり愛しいネコやイヌであったりあるいは金色に輝く観音さまであるなど人によってさまざまと思う。
 今まで生きていた世界に未練や後悔が残っている場合はお迎えの手を無視してもう少しふらふらするかもしれないが、素直な子どもや一人でがんばって生きてきた女性ややりたいことをやって心残りがない人はわりとすんなり悟ってスムーズにあちらへ旅立つのではないだろうか。

 寝ている自分の側を通り過ぎていった人たちは性別も年齢もさまざまで、置かれていた立場も亡くなり方も多種多様だったと推測されるが、向かう方向はみな同じだった。小さくても年を取っていても、誰かと一緒に歩いている人はいなかった。財布や旅行カバンを持っている人もいなかった。やはり死ぬときは身ひとつなのだ。
 その後たぶん寺に吸い込まれ、次のステップに向かってそれぞれの旅立ちをしたのだろう。

 見るのは「たまに」だし、寝室を換えるのも間取り的に無理だし、勝手に引き出しを開けるとかいきなり枕をひっくり返すなどの悪さをするわけではないのでこのまま路傍の石として寝っ転がっていようと思うが、寝室の隅によっこらしょっと座り込んだり、顔を通常サイズの100倍くらいに増大させていきなり人の寝顔をのぞき込んだりするのだけはやめていただきたいと切に願う。

2012.05.08

祈願装置

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 神前にはなぜ丸い鏡が祀られているのだろう?
 神棚を見上げるたび、疑問に思っていた。
 鏡には神さまの前に立つ自分の姿が映る。これで姿勢を正し身なりを整え真顔に戻ってから神さまに向かえということか。
 いや違う。それもあるかもしれないがたぶんそれが本当の目的じゃない。

 鏡は雲の形の台に乗っているからきっと太陽の象徴だ、太陽といえば天照大神(あまてらすおおみかみ)、つまり神道の最高神である太陽神の象徴を祀っているということか。
 神棚はふつう北に設置して南を向ける、もしくは西に設置して東を向けるから、鏡には上ってくる太陽の光や南中する太陽の光が集まって吸収される。吸収された光のパワーはそのままお社(やしろ)内部に広がり、そこから境内もしくは家じゅうにふわりと広がって気を清めるというわけか。うーん、なるほど。
 でも、もっと現実に即した意味があるのではないか。

 その答えを出すためには、まず「神さまって何か」を考えなくてはならない。私たちが神前で頭を下げるとき、いったい誰に向かって頭を下げているのか。
 一般的な作法としてはまず鈴を鳴らし、2回お辞儀して、2回柏手を打ち、最後にもう1回頭を下げる。このときうっすら目を開けて鏡を見ると、さあ誰が映っているでしょう? そう、自分である。私たちは自分に向かって2礼2拍手1礼しているのである。
 ・・・・・・ということはつまり、神前で「どうぞ夢が叶いますように」とお願いしている相手は、自分自身ということになる。

「宇宙に夢をオーダーすると叶う」という考え方がある。漠然と夢を思い浮かべながら、「それが叶ったらどんなにうれしいか」「どんなに楽しい気分になるか」を想像しながらぼんやりイメージしていると、やがて現実化するという考え方である。
 この方法は何かの媒体を必要とするわけではないし、お金も手間もかからないのでいつでもどこでもできるが、やり方に何の制約もないがゆえに「気が散りやすい」「ある程度の集中力が必要」「どうせ無理だろうと否定に傾きやすい」などの難点がある。
 しかし、日常から非日常に意識が切り替わる空間でならやりやすい。そう、神前で。

 鳥居をくぐると、そこは祓い清められたすがすがしい空間だ。参道を歩くうち、心から雑念、邪念が取り払われてすっきりしていく。
 神鏡の前に背筋を伸ばして立ち、「こうなりますように」と手を合わせて祈る。手と手を合わせると体内の気がどこにも逃げずにぐるぐる循環するので気持ちが集中しやすい。祈りはまっすぐ鏡に飛び、ぶつかってそのまま自分にはね返ってくる。
 ・・・・・・たぶんこの行為で、願望が潜在意識にすり込まれるのではないか。すり込まれた情報は無意識の分厚い層に潜り込み、その人を願望達成のための行動に向かわせる。つまりサブリミナルである。(だから、願いごとはシンプルなほうがいい。そのほうがストレートに飛んで深く潜り込むからだ。)
 そう考えて、やっと気づいた。
 神棚は、私たちの願いを叶える祈願装置なのだ。だからこそ、何千年もの間ずっと受け継がれている。

 近くに神社がない人、家に神棚を祀っていない人は、願望達成に丸い鏡を利用するといいのではないか。
 白雪姫に登場する意地悪な王妃のように「鏡よ鏡よ鏡さん、世界で一番美しいのはだあれ?」と夜な夜な問いかけるのは恐ろしいが、「幸せになるぞ!」とか「もっともっときれいになれ!」と語りかけるのはいいと思う。

2012.04.20