運のクリーニング

DSC00271
 物を捨てずにため込むいっぽうの家に流れる気は、どんよりして重苦しい。物をためることは、持ち主の残留思念をため込むことに等しいからだ。
 そういう家で暮らす人の精神状態もどんよりして重苦しくなる傾向がある。「過去」に取り巻かれて暮らしているせいである。  
 心がいつも明るくハレている人の家はスッキリしていて、気の流れがいい。家の容量を100とすると、せいぜい50〜60くらいしか物を置いていない。
 しかしゆううつや不安がひんぱんに頭をもたげる人の家にはたいてい90から100、あるいはそれ以上の物がぎゅう詰めにされている傾向がある。
 クローゼットの中には好きでもないのに買った(もらった)服やサイズが微妙に合わない服、流行遅れになった服など「絶対に着ない服」がたっぷり、押し入れには壊れた家電品や捨てるに捨てられない思い出の品がみっちり、本棚にはこれから先100%読まないであろう本や雑誌がぎっしり、ドレッサーの引き出しには古い化粧品や試供品が山積み、冷蔵庫にはいつ作ったかわからないおかずがどっさり。
 ほこりをかぶって色あせた物たちはすべて、昔の自分が引き寄せた「過去」であり、未来に向かう自分の足かせとなる。いらない過去を大事にとっておいても、いいことはほとんどない。 
 古い過去を切り離すことは心の重荷を取り払うことに等しく、それはつまり運のクリーニングにつながる。ディスククリーンナップとデフラグが必要なのは、パソコンに限らない。

2010.06.08

吹けよ風、呼べよ嵐

rimg0250.jpg
 房総へ開運旅行。
 途中、街道沿いにあるものすごくヘンな名前の中華料理店(よく覚えていないがたしか「このばかちんが」とか「おたんこなす」とかそんな名前だったと思う)でラーメン&餃子定食(想定外のどんぶり飯つき)をいただき、砂浜に押し寄せる波に素足をひたし、拾った貝を耳に押し当て、宿に着いてから速攻で露天風呂につかり、地元で採れた食材を使った夕餉をゆっくり味わった。
 やたらにぶ厚いマグロの刺身がスジだらけでかみ切れなかったが、それはいい。うやうやしくさし出されたかき揚げの中身がただのたまねぎだったが、それもまあいい。
 寝る前にもう一度露天風呂につかり、体がポカポカしてきたところで夜10時過ぎに布団に入り、灯りを消す。
 カエルの大合唱を子守歌に、スーッと眠りに落ちた。

 ・・・・・・かゆいっ。
 左足の膝の外側がちくりとかゆくなり、パッと意識が覚醒した。右足のつま先ですりすりしてから、再び目を閉じる。
 派手なザーザー音・・・・・・、外は激しい雨なのだな。そうか、それでカエルが異常に鳴きまくっていたのか。
 あれっ。左足の小指の爪の真下と、右足のふくらはぎがかゆくてかゆくてたまらないっ。
 右足と左足のつま先で交互に擦ってみるも、いっこうにかゆみが治まらないので腕を伸ばし、爪を立ててかきまくる。指でなぞると、ぷくんと大きくふくれている。蚊だ。
 私は銚子旅行を思い出した。あのときも蚊の奇襲攻撃を受けたのだった。
 くそう、またしても。
 その瞬間、真っ暗な部屋が真昼のように明るくなり、どーん! と天地を揺るがすようなものすごい音がとどろいた。雷である。布団から這い出て窓を閉めるとき、網戸の下部が破れてめくれ上がっていることに気づいた。
 蚊のダダ漏れ状態である。
 蚊取り器をONにし、再び寝ようと努める。が、眠れない。そこらじゅうかゆいのである。
 空がうっすら白み始めたころにようやくうとうとして、しばらくしてから時計を見ると朝の6時半。このまま寝ると朝ご飯に間に合わなくなるかもしれないと、ぼんやりした頭を抱えて仕方なく起き上がり、大浴場へ。
 ・・・・・・やはり吉方位の露天風呂は最高だ。体の隅々まで、エネルギーがじわじわ充電されていくのがわかる。見上げると、灰色の雲のすき間にところどころ青空がのぞいている。よかった、なんとか晴れるかも。
 朝食を済ませ、福の神によく似たおかみに手を振り、車で漁港へ向かった。 

 かつお祭りが開催されているせいか、港はかなりのにぎわいである。干物をおみやげに買い、ついでに近くの神社を参拝。
 ああ気分がいい、運が上がってきているのをジンジン感じる。よし、神さまのご託宣をいただこう。
 おみくじをひいていると、空からぽつぽつ雨が降り出した。本降りになりそうだ。おみくじをそのままポケットに入れ、あわてて屋根のある漁港に雨宿りに戻る。
 祭りはすでに終了し、あちらこちらに設置されていた椅子やテーブルはすでに撤去され、がらんとしている。
 雨と風は徐々に勢いを増し、ゴロゴロと雷まで鳴り始めた。雨宿りしていた人たちが、雨の中をちりぢりに走って車に戻る。自分も車まで戻りたい、しかしここから歩いて10分かかるところに停めてある。大渋滞でそこしか停めるところがなかったのだ。
 そのうち空は地獄のような暗黒に染まり、雷が爆弾のようにドカンドカンと景気よく落ち、やがてプールをひっくり返したような集中豪雨がやってきた。こんなに荒れるなんて、誰も教えてくれなかったじゃん。
 小1時間ほどその場で待機。しかし天気はちっとも回復せず、漁港にはもう関係者しか残っていない。
 先ほどから異様な気を背中に感じてさり気なく振り向くと、「ワシは誰からも相手にされんのじゃよオーラ」を発する爺さんが、私のすぐうしろでもそもそとイカの足を食べている。
「いっしょに食べないかね」と誘われたら困るなあと意を決し、思い切って豪雨の中を車まで突っ走る。
 なんとか車にたどり着くも、「海にドボンと落っこっちゃいました」みたいにずぶ濡れだ。
 まあいい、これは大祓の雨であると自分に言い聞かせ、後部座席のトランクからタオルを引っ張り出しているとき、さっき引いたおみくじのことを思い出した。
 そうだ、まだ中身を読んでいなかった。
 私はポケットからおみくじを取り出し、するすると広げてみた。
「吹き荒れる」
 ん?
「吹き荒れる 嵐の風の末(すえ)遂(つい)に 道埋もるまで 雪はふりつむ」
 ええとだいじょうぶ、だってここは吉方位なんだもの、たぶんそのうちきっと何かいいことあるよと自分に言い聞かせ、頭からポタポタしずくをしたたらせたまま急いでその港町をあとにした。

2010.06.07

ズンドコ節

 私はなぜか子どものころからよく虫歯になる。きちんとみがいているつもりでも、いつの間にか必ず虫歯大魔王の手が忍び寄ってくる。緊張性で小心者のため歯医者に行くたびイヤというほど恐怖体験を味わうのだが、このたび3年ぶりに再発生。ことの起こりは検診だ。
「あ、ありますね虫歯。けっこう深いな。じゃ、また来週来てください」
 5月のとある午後、とほほとため息をつきつつ、歯科医院を再度訪問。
 独特の薬の香りと空間に漂う緊張感に一瞬ひるむ。しかしもう後には引けない、虫歯は放っておいては絶対に治らないのだ。
「だいじょうぶ、30分後には私は治療費を払い、ホッとした気分で病院を後にしているだろう」と自分に言い聞かせる。

 殺風景な待合室には誰もいない。ここは予約制で、私が午後一番の患者なのだ。ラジオからピンク・レディの「UFO」がうっすら流れている。軽快なメロディに集中しようとするほど、心臓のドキドキ音が大きくなる。そばに誰かがいたら、「うわっ大きな音!」と驚くだろう。
 で、こういうときに限ってなかなか先生が昼休みから帰ってこないのである。時間より早く来てんのにどうしてこんなに待たせるのかな緊張が体の中で爆発しそうだよ、いっそ診察券置いたまま逃げようかなと逡巡(しゅんじゅん)する矢先、先生が登場。
「はい、やりましょう」
 絶望的な気持ちになる。 

「チクッとしますよ」 
 麻酔の注射針が歯茎に押し込まれる。
 ああっ、これがイヤ。ものすごくイヤ。心臓麻痺起こして死んだらどうしようここは暑いな鼻が詰まって息が苦しい変な味がするからツバ飲み込めないじゃん。
 2本目の注射を打ってしばらくたつと、唇の感覚がなくなってきた。
「はい、口あけて」
 キュウグイーンガリガリガリガリと猛烈なドリル責め。麻酔がかかっているので先生は安心して容赦なくけずる、けずる、そしてまたけずる。頭蓋骨に重低音と衝撃が響きまくる。
 そんなに振動させたら脳味噌が豆腐のように崩れるのではないかと不安になるが、いやひょっとすると活性化されて逆に頭がよくなるのではないかとも思う。「ズンドコ節」を歌い踊る氷川きよしが脳内にあらわれては消える。
 ああやっと終わったと思ったら先生はうれしそうに刃を替えてまたけずり出す。
 永遠にも等しい30分が過ぎた。
「はいうがいしてください。また来週」
 頭に熱が充満した状態でよたーんとしたままフラフラ立ち上がり、上の空で会計を済ませ、外に出る。受付のお姉さんに何か言って大笑いしたような気もするが、よく覚えていない。

 外は初夏を思わせるさわやかな午後だ。自分でもよくわからない気分のまま、停留所でバスを待つ。ホッとしたわけでもない、うれしいわけでもない、かといって落ち込んでいるわけでもない、しかし決してスッキリはしていない。
 バスが来た。空いている席に座る。ああやっと終わった、おなかがすいたからどこかでお茶でも飲んで帰ろうかなと考えるうち、徐々に気が遠くなってくる。過度の緊張による脳貧血と思われる。
 このままま揺られているとたぶん気分が悪くなるだろうと予知し、2つ先の停留所で降り、夢遊病者のようにふらふら歩く。
 駅に向かう坂道にはたくさんの人がせかせかと歩いている。
 私は坂道をゆっくり降りた。体内時計がいつもの3倍のスローペースで時を刻んでいる。ときおり、視界がぐらつくので立ち止まる。
 コンビニのショーウインドウに顔を写すと、唇の右半分がだらんと垂れ下がっている。十分に笑える顔だが、歯がズキズキうずいているので笑えない。ブルドッグのような唇のまま、電車に乗って帰宅。

 夜、布団に入ってからやっと唇の感覚が戻った。削った歯は相変わらずズキズキうずいている。
 どうか今日の試練によって私の脳に奇跡が起こり、明日の朝になったらものすごく頭がよくなって素晴らしいひらめきが次々に浮かびますように、と神さまに祈りながらさみしく眠りについた。
 残念ながらその願いは叶えられず、翌日もそのまた翌日も同じような日々が過ぎてゆくだけだった。

2010.05.30

逢魔が時

img_1439
 日曜日の夕方、散歩がてら街まで買い物に。多くの人が軽く厭世観を覚えながら、お茶の間で夕餉の支度を調える「サザエさんタイム」と呼ばれる時間帯である。
 ゆるやかな坂道を上っていくと、前方に赤いシャツを着た中年男がいる。小ぶりなリュックをかつぎ、スニーカーでスタスタ歩いている。
 男は少し先の信号で立ち止まった。左側に渡り、道路の反対側を歩くつもりなのだろう。
 左側を向いて信号待ちをしている男と、距離が縮まった。40歳前後の、涼しい顔立ちのイケメンだ。
「・・・・・・が、・・・・・・で、」
 何かしゃべっている。携帯で話しているのかと思いきや、両手は体の両脇にだらんと垂れ下がっている。
 じゃあ誰と話しているのだろう? そうか、独り言か。
「・・・・・・空虚さが」
 え?
「残酷な変化を遂げて」
 ええっ?
「・・・・・・絶望に変わる」
 あ、狂ってる。
 外見上はどこにもほころびが見えないその男性は、脈絡のないことを1人でずっとしゃべり続けているのである。しかも、けっこう大きな声で。
 私は足早にそばを通り過ぎた。

 背中に張り付くように、念仏のような男の独り言が聞こえてくる。男は信号を渡るのをやめ、私のすぐ後ろをついてきているのだ。のべつ幕なしに吐き出される無意味な言葉の羅列から、忌まわしい気が放たれてくる。意識をそちらに向けないようにすればするほど、まがまがしい言葉の1つ1つが矢のように耳に突き刺さってくる。
「・・・・・・孤独な」
「・・・・・・行き場のない」
「・・・・・・ぎりぎりの崖っぷちから」
 何かに憑かれているのか、それとも私に呪いを掛けているのか。聖なるものほど追いかけると逃げ、邪悪なものほど逃げると追いかけてくるのはなぜだろう?
 その道は一本道だった。信号で左側の道に渡るか、後戻りするか、そのまままっすぐ進むしかない。私は歩行スピードを一気に上げた。信号を待つのも後戻りするのもいやだった。

 よし、ここまで来ればだいじょうぶだろう。
 しばらく歩いてから振り向いた。かなり歩調を早めたので、息切れしていた。
 背後にぴったり貼り付くように、その男がいた。男と私の距離はまったく変わっていなかった。
 うわあ。
 なかば駆け足になった。それでも男の声が背中を追いかけてくる。ふり返るたび、赤いシャツが目に飛び込んでくる。
 あの色は・・・・・・、
 私はその考えを頭から振りはらった。
 あの赤いシャツを着た男は普通に歩いているのに、なぜ距離が開かないのだろう? そういえばあのシャツの色は、乾いた血の色によく似ている。
 恐怖が背筋を這い上った。

 大きな十字路に出た。すかさず右に曲がり、人混みをかき分けるようにジグザグに歩いた。一直線に飛んでくる念をかわすには、無軌道に動くか、リズムをパッと変えて波長をずらすしかない。
 おそるおそるふり返ると男は消えていた。胸をなで下ろし、そのまま街へ向かった。
 日曜の夕刻は逢魔が時だ。人気の少ないその時間帯には、隠れた者がやってくる。

2010.05.17

人外大魔境・養老渓谷

rimg0215.jpg
 養老渓谷そばの秘湯の宿に1泊。川に面した部屋に案内されて窓を開けると、耳を洗うような川のせせらぎの音。
 宿に着いたのが夕方過ぎだったので渓谷散策はその日はあきらめ、露天風呂に入って夕食をいただく。シカ肉のソテーやしし鍋、鮎の塩焼き、タケノコの炭火焼きなど、ご当地ならではのご馳走が並ぶ。どれもほどよい分量で好感が持てる。
 夕食後、もう一度露天風呂に入ってから床についた。
 ・・・・・・あれ? 眠れない。疲れているからすぐ眠れるはずなのに、奇妙な映像が次から次に頭に浮かんで意識が半覚醒したままだ。
 日本昔話の幻灯絵巻をフラッシュバックで延々と見せられている感じ、ああもう面倒くさい、早く寝たいのになあと何度も寝返りを打つが、意識がなくなる寸前にすかさず映像がパパパッと挿入されてくるので、なかなか意識を失うことができない。
 いったい誰が邪魔してる? そういえば部屋のすぐ外につがいのシカのはく製が飾ってあった、でもあれはそんなに力が強くないからたぶん悪さはしないだろう、じゃあ誰だ。
 しばらく考えてから気がついた。そうか、滝だ! 窓のすぐ下には渓谷が広がっているのだっけ。水場にはさまざまなものが集まるからなあ、カバンにお守り入ってるのに効かないじゃん、やっぱり枕元に置かないとダメだな、あ、雨だ、雨の音が聞こえる、かなり降ってきた。
 うつらうつらするうちに夜が明けた。

 翌朝、朝食を済ませてから渓谷へ降りた。「滝めぐりコース」として川沿いに設置された遊歩道は全長4キロ、約80分の道のりだ。
 雨は小降りでときおりぱらぱら降る程度、傘なしでもいけそうだ。それにしても寒い。
 重く垂れ込めた雲の下、私はコートの襟をかき合わせて遊歩道を歩き始めた。見渡す限り、ほぼ手つかずの大自然。眼下には渓流、その両脇に天高くそびえ立つ岸壁。頭上には生い茂る新緑の木々。ところどころ、うす紫色の藤の花が咲いている。
 平日の朝のせいか、あたりには誰もいない。聞こえるのは水の流れる音だけ。
 川の中は神秘的だ。水が走る岩盤の上に横たわったり、深い青緑色の水の中に沈み込みたいと本気で思う。
 滝をふたつほど通過したあたりで、雨が勢いを増してくる。道の向こうには同じような景色が果てしなく続いている。
 仕方ない、引き返すとするか。これ以上濡れたら風邪を引く。
 いさぎよくUターンする。内心、ホッとしていた。陰気な雨が降る暗い遊歩道をそのまま進み続けるのは少し気が重かった。いや、実を言うとこわかった。神隠しにあってもおかしくない雰囲気だったからである。 

 帰宅後、渓谷の写真をパソコン画面で見ると、そのうちの1枚に大きな紫色のオーブ(丸い光の玉)がくっきり写っていた。拡大すると、刀の鍔(つば)の中にエイリアンもしくは観音さまの顔がきちんと収まっているような感じ。
 歩いている最中、背中がゾクゾクしたのは気温が低いからだけではなかったのだ。無人の大魔境に踏み込んだ「よそ者」は、水辺に棲む者にずっと後をつけられ、監視されていたに違いない。

 2010.05.13

神さま酔い

photo2
 千代田区の祭礼で宮御輿が町内を巡幸。
 活きのいい担ぎ手が御輿を揺らすたび、界隈の空気が清まる。清まった空気は気持ちがいいから、御輿のまわりにだんだん人が集まってくる。みな笑顔である。
 やがてゴールの神社が近くなると気の高ぶった担ぎ手はトランス状態に。ついて歩く人々も軽くトランス状態。
 御輿が無事に神社に戻って一本締め、やれやれ楽しかったと後楽園遊園地(東京ドームシティ)へ足を伸ばす。

 ドームホテルを左に見ながらラクーアに向かってクリスタルアベニューを直進し始めたときから異空間がスタート。目の前に現れるものすべてがヘンである。
 通常の4、5倍はあろうかと思われるボリューミーな体型の女性が道のど真ん中でソフトクリームを食べ、海底でゆらゆら揺らめくワカメのように体がしなるお母さんが同じようにゆらゆらする子どもを連れて歩き、劇画からそのまま出てきたようなゴルゴ13似の濃い顔のおっさんがいきなり目の前にどーんと登場し、ホームレスの人が花壇で1人静かに口を開けたまま瞑想。
 パラシュートやジェットコースターなどのアトラクションは満員、ステージでは目的のよくわからないイベントが開かれていてこれも満員、飲食店も満員。カーネル・サンダースは張り切って武者コスプレ。園内には見渡す限り魑魅魍魎(ちみもうりょう)の群れ。
 疲れて椅子に座り、コーヒーを飲みながらチョコ餅(ココアの粉をたっぷりまぶした餅の中にチョコクリームが入っているぶよんぶよんした菓子)を食べていると、「ここ、いいですか?」と20歳くらいのかわゆい婦女子が2人やってきて、同じテーブルを囲む。「どうぞ」とニッコリ微笑む私の唇はきっとココアの粉で真っ茶色に染まっていたに違いない。
 どこか時代遅れの服を着た婦女子はおいしそうにソフトクリームをなめ、食べ終わると風のように立ち上がり、そのままスーッと薄くなって上空に消えた。昭和何年代からタイムスリップして来たのだろうと考えていると、早くも夜の風が「ねえーん、ほほほほ」とほおをなでる。たくさんの親子連れを乗せたメリーゴーラウンドが回り始めた。メリーゴーラウンドはいつ見ても哀しい。
 ごう音とともに龍が空を駆け抜けていく。龍に乗せられた若者たちは「祇園精舎の鐘の声」を金切り声で大合唱。ああ無常。
 風が殺気をはらんできたので、園を後にする。

 駅に続く地下道を歩くうち、脳内ライトがオレンジ色の電球から昼白色の蛍光灯に切り替わった。宮御輿の酔いが覚めたのだなと思った。

2010.05.05

インド綿のブラウス

rimg0059.jpg_1
 気温が上がって寝苦しくなってきたので、パジャマを衣替えしようと思い立った。
 クローゼットの奥から夏用の寝間着を取り出し、まとめてガーッと洗濯、日光に当てて一気干し。オレンジ色やピンク色の服が並ぶなか、白地に青い小花柄のインド綿のブラウスがはたはたとひらめく。
 
 ちょうど1年前の今ごろ、私は死んだようにベッドに横たわっていた。飲み過ぎである。グループで飲みに行き、調子に乗ってワインを何本か空けたと思う(どのくらい飲んだか、途中から覚えていない)。
 安物のワインをがぶ飲みした後遺症はそれまでに経験したことがないほどひどく、飲んでから丸3日間、ひどい吐き気と頭痛と倦怠感に襲われて体がまったく動かなかった。そのとき着ていたのが、そのインド綿のブラウスだった。
 本来なら、捨てるべきだった。しかしあまり回数を着ていなかったこと、着心地がよかったこと、柄が美しかったことから、私はそれを捨てずにクローゼットの奥にしまい込んでいた。

 洗濯した夜、私はそれを再び身につけ、眠りに落ちた。
 女に馬乗りになり、両手に渾身の力を込めてその女の頭の骨をにぎりつぶそうとする夢を見た。女はなかなか死なない。されるがまま横たわりながら、私に罵詈雑言を浴びせかけて笑っている。(夢の中で、顔こそ違うが彼女は私の母親であることがうっすらわかっている。)
 はっと目が覚めた。重い気分のまま、丑三つ時の暗い世界をたゆたう。
 このブラウス、着るんじゃなかった。
 はっとそう気づいた。
 ひどい思いを味わったときに身につけていた衣服の繊維には、よくない気が染みつく。その気は洗濯しても日に干しても蒸発せず、再び悪さを働く。目に見える汚れより、見えない汚れのほうがたちが悪いのだ。

 やっぱり、もう捨てるしかない。
 翌朝、私はそのブラウスをゴミ箱に放り込んだ。はかなげなインド香が一瞬鼻をかすめ、しばらくしてからぷつんと消えた。

2010.05.05

老人の謎かけ

rimg0047.jpg
 ある昼下がり、用事で渋谷駅南口のバスターミナルへ。
 花が咲き乱れたモヤイ像をながめながら停留所でバスを待つ。2人掛けのベンチにはすでに老人が2人。そこへ、さらに年上の老人が歩行器で体を支えながら登場。
「申し訳ないけど、座らせていただけるかしら」
 しわがれた鶴の一声でベンチがサーッと空く。
「もうね、腰がね、」
 よっこいしょと座ってから、彼女はそばにいた別の老人に話しかける。
「痛くてね。この年になるともう病院に行っても治らないの、ぞうきんをぎゅうぎゅう絞りあげてるようなものだから」
 よく意味はわからないが、年を取るということはぞうきんを絞りながら生きるようなものなのかとわかったようなわからないような気分になる。

 バスが来た。2人掛けシートの窓側に座る。
 すらりと背の高い、背筋の伸びた、70代後半くらいの品のある女性が途中で乗ってきて隣に座る。しばらくして、彼女がおもむろに口を開いた。
「こういうとこで降りたらダメなのよ」
 えっ?
 私はイヤホンをはずす。
 彼女の声は再生速度をわざと間延びさせたようにゆっくりであるうえ、低音のハスキーボイスでつぶやくようにしゃべるから、水樹奈々なんか聞いてたら言葉を聞き取れないのである。
「横断歩道がないでしょう、無理して渡るとはねられちゃうの。だからちょっと面倒でも、この先で降りるといいのよ」
 見ると、次の停留所の真ん前には信号機つきの横断歩道がある。
 なるほど、そういうことか。しかしなぜそれをわざわざ私に教える。予言なのか暗示なのか、それとも単なる世間話なのか。
「ここは大きな病院があるでしょう、・・・・・・この辺りを歩いているのは病人ばかり、・・・・・・だからみんなゆっくり静かに通りを歩くの」
 止めどなく彼女はしゃべっている。断片的な言葉をつなぎ合わせる作業は夢占いに似ている。
 ときおり話が飛んでも、最終的に戻るのは「たとえそこが目的地に最も近くても、横断歩道のないところでバスを降りてはいけない」である。
 はい、はいと静かにうなずきながら、私の頭は解読作業でフル回転している。 
「ふふ、頭は生きてるうちに使わないとね」 
道路の先に、大きな横断歩道が見えてきた。
 老人はゆっくり立ち上がり、一瞬いたずらっ子のように微笑んでから、風のように軽やかにバスを降りた。
 老人の謎かけが解けたような解けないような宙ぶらりんな気分のまま、私はじっと窓の外をながめる。バスが次の停留所に向かって走り出した。

2010.04.27

 

羊たちの沈黙  

rimg0040.jpg_1
 日常の軌道をはずれて小旅行。雲ひとつない青空のもと、愛車のまち子(傷だらけの12歳)はわき目もふらず山上の牧場へ。まち子のボディは私のカルマによってボコボコだが、文句ひとつ言わずよく働いてくれるので感謝している。
 朝8時に出発して昼ごろ到着。都市部の緊張に慣れた目・鼻・耳には、郊外の光・風・空気すべてがおだやかで心地よく感じられる。
 ハイキング気分で小山を登ると、頂上には広大な牧草地。GW後なので観光客はまばら。柵に囲われた放牧場では、明るく温かい光を浴びながら羊の群れが昼寝をしたり、のんびり草をはんでいる。
 坂の下に、巨大倉庫のような大きな建物が2棟見える。坂を下って行ってみる。人の姿がどんどん消えていく。

 ひとつめの建物に到着。建物の外に柵で囲まれた小さな空間があり、そこにへその緒の垂れ下がった子羊と母羊が収容されている。子羊は力なく地面に座り、母羊は不安げにそのまわりをぐるぐる回っている。
 建物の中に入ると、中は一面に干し草が敷かれ、がらんとしている。薄暗いそこは、巨大な羊小屋だったのだ。
 建物を出ると、道の途中に大きな黒い牧羊犬が死んだように横たわっている。 
 ふたつめの羊小屋に到着。中に入る。
 だだっ広い空間に羊が群れている。100匹近くいるだろうか。私が近づいても彼らはぼんやりたたずんだまま、あるいは寝たまま動かない。誰かに時計の針を止められて、ストップモーションがかかっているようだ。
 羊の瞳をのぞき込むと横長の長方形で、頭をなでて話しかけてもぴくりとも動かない。静かな空間に、カツカツと歯をかみ合わせる音だけが響く。エサを食べているのだ。 
 ダイアン・アーバスの「UNTITLED」をふと思い出した。その写真集は知的障害者の施設で暮らす人々の姿を収めたもので、アーバスの遺作となったものだ。(彼女は撮影後にうつが悪化し、自死している。)
 がらんどうの目をした人たちの姿と、目の前の羊が頭の中で重なる。
 ・・・・・・ここにいてはいけない。
 こわくなり、足早にその空間を去った。

 山は強い日差しを浴び、みずみずしい春の草木が勢いよく萌えている。放牧場の羊たちは私のことなど意に介さず、ただ静かにたたずんでいる。

2010.04.17

 

小坊主

 モンチッチ度がかなり高くなってきたので美容院へ。しかしいつもの美容院では髪の長めなモンチッチから髪の短めなモンチッチくらいにしか変化できないだろうと思い、思いきって未知の美容院でイメチェンしようと決意。

 以前から気になっていた店へ電話をかけ、予約を取る。 
「いらっしゃいませ」
 清潔感のある白いインテリア。
 うん、いいだろう。
 鏡の前に座る。下半身がやたらに太く映るのは気のせいか。
 スタイリストがやってきた。伊勢丹メンズ系のモードTシャツに細身のパンツ、かなりおしゃれなお兄ちゃんである。
「ええと、もうちょっとさっぱりさせてシャープな感じにしたいんですけど」
「そうですね、ここら辺とここら辺を軽くしてあげると今のダサさ、田舎くささが取れると思います。ベリーショートはもともとお似合いなんですけど、お客さまの場合はかっこよさの一歩手前で止まっちゃってます」
 ああそうかい。じゃあ、変身させてもらおうじゃん。

 ブルージーなジャズの流れる店内に、シャキシャキシャキ・・・とはさみの音がリズミカルに響く。
「今思ったんですけどお客さま、」
「はい?」
「右と左でアシメトリーにすると格好いいですよ、前髪は少し不揃いにしてバランスをとって。髪型で自己主張してみませんか」
 とんでもねえという気持ちとおもしろそうじゃんという気持ちが交錯し、結局おもしろそうじゃんが勝った。なぜ勝つ。
「じゃあ、お願いします」
 カットのあとシャンプーをして、再び鏡の前へ。おそるおそる前を見る。左のもみあげが超短くて右のもみあげが超長い。前髪はギザギザで中央部が極端に短い。ぱっと見「カット、失敗しちゃいました」である。

「あのう、やっぱり左右の長さをそろえてもらえますか」
 お兄ちゃんは無言でハサミをさばく。結果、私のもみあげは左右とも超短くなり、ついでに前髪も超短くなった。これでモンチッチからは脱皮できた。心ある人なら「“ローズマリーの赤ちゃん”のミア・ファローみたい」と言ってくれるだろう。
 しかし心ない人はこう言うであろう。
「小坊主じゃん」

2010.04.10