牛丼

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 知人に連れられて浅草へ。
 どじょうを堪能したのち老舗のバーへ行く。裏通りをうねうね歩き、迷路のような細い路地に入った記憶があるが、詳細はまったく覚えていない。ただカウンターの後ろにずらりと並んだウイスキーの瓶がまぶしいほどピカピカに光り輝いていたことだけは覚えている。
「あんたたちどぜう鍋食べてきたでしょうわかるわよそれにしても寒いわねえあたしババシャツ2枚着てるの米はやっぱりコシヒカリだよ西郷隆盛のあそこはとてつもなく大きかったらしいねえいや見たわけじゃないけどさ」
 70歳くらいのベテランママの途切れなく続くマシンガントークを一身に浴びて店を出ると夜12時すぎ。小腹がすいたので牛丼をテイクアウトしようと思い立ち、数年ぶりに牛丼屋に入った。
  
 入り口に四角い食券販売機があり、若くて真っ黒いカップルがああでもないこうでもないと迷っている。数分後にようやく彼らが去って番が回ってきたので牛丼の普通サイズ券を2つ(翌朝のぶんも)買い、カウンター席に座った。
 店内はほぼ満員、蛍光灯のオレンジ色の光がぼんやり灯っている。
「あのう」
「ちょっとお待ちくださいねー、今行きます」
 店員はものすごく忙しそうだ。牛丼を盛りつけたり調理したり空の食器を片付けたりテーブル拭いたりおかわりをよそったりと片時も休まず動き回っている。
 私の左隣に座っているやせたメガネの青年はすでに食べ終えたようで、空の丼に箸を乗せてじっとしている。あまりにも動かないのでそっと盗み見ると、背筋をピンと伸ばして丸めた右手を口に当てている。楊枝で歯の掃除でもしているのかと思ったがどうもそうではないらしい。ただ単に丸めた右手を口に当てているだけだ。
 あれどうしてこの人動かないの瞑想でもしているのと考えを巡らせていると目の前に30代半ばの男性店員が来たので「牛丼2つ、テイクアウトで」とお願いする。
 極太の眉が左右1本につながった彼は「少々お待ちください」と言い残してすぐ向こうへ去った。隣の青年は相変わらず微動だにしない。
 50代後半と見られる半眼のちょっとくたびれた女性店員がいつの間にか目の前に立って「お箸はどうします?」と聞いてきたので「あ、お願いします」と答えると「あっちにありますから取ってきてくださいね」と言う。指さしたほうを見ると店の奥である。
 牛丼を食べたり味噌汁をすすっている人たちの背中を縫うようにして割り箸を取りに行く。
 カウンターに戻ってしばらく待つ。隣の青年はまだ右手を口に当てたままだ。だいじょうぶかもしかするとやばいのではないかこの人と思っていると先ほどの女性店員がまたやってきて「お箸はどうします?」と同じことを聞いてくる。あ、今さっき取ってきましたからとテーブルの上に置いた箸を指さすと、「取ってきましたからもういいって」と一本眉の男性店員に告げる。
 隣の青年が静かに立ち上がり、そのまま音もなく店の外へ消えた。
 呪いでもかけられていたのか、しばりが解けてよかったなと人ごとながらホッとしていると、右隣にいた中年の男性客が運ばれてきた膳を前にして「小鉢がないんだけど」と独り言のように言う。
「小鉢はもう出ないんですよ、昔はあったんですけどね」と女性店員が答え、しばらく2人でぼそぼそ話している。耳を澄ますがまったく聞き取れない。
「紅しょうがはつけますか?」
 一本眉が遠い調理場から唐突に問いを投げかけてきたので「お願いします」と大声で答える。
「七味はどうしますか?」と続けて聞くので「それもお願いします」と大声で言う。
 しばらくすると一本眉がカウンターから出てきて大きな図体を小さく丸め、客の背中を縫いながら私のところまでわざわざ牛丼の袋を持ってきてくれた。カウンターの中から渡してくれれば早いしラクなのになあと思いつつ礼を言って店を出る。

 冬土用の深夜は寒い。冷たい風に逆らうように家路を急いだ。
 家に戻って袋から牛丼を取り出す。
「あっ」と声が出る。
 紅しょうが8袋、七味7袋。ちなみに紅しょうが1袋あたりの分量はかなりあり、1袋で牛丼1個を十分まかなえる。紅しょうが好きでも2袋入れればちょっと多い、4袋入れたら牛丼ではなく紅しょうが丼になるだろう。いやそんなことを言ってはばちが当たる、紅しょうがも七味も自分的には大好きだからよかったじゃないかと紅しょうが1袋と七味1袋を乗せて牛丼をいただく。
 久しぶりに食べたそれはものすごくおいしかった。
 消化のために小1時間ほどつまらないテレビを見てから床につく。牛丼屋の光景がぐるぐる頭の中を駆け巡る。そういえばあの店の照明はオレンジ色だった、なぜ満席なのにしーんとしていたのだろう、店員も客も妙に浮世離れしててなんだかロッキーホラーショウみたいだったなどとつらつら考えるうち眠ってしまった。 

 翌朝、冷蔵庫を開けてみた。がらんとした庫内に牛丼、紅しょうが7袋、七味6袋がころがっている。やはりきのうの店にいた彼らは宇宙人であり、彼らはカムフラージュのために牛丼屋の店員と客を装って作戦会議を開いていたのではないか、そしてこれは突然の訪問客に対するささやかなプレゼントだったのではないか、なんだか妙にやさしい宇宙人だったなあと冷蔵庫の前で呆然とたたずんだ。

2010.12.31

黒い森

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 ずいぶん昔、暮れも押し詰まったちょうど今くらいのころ、仕事でとある町へ出かけた。朝から仕事を始めて、終わったのは午後2時か3時ごろだった。

 帰路につくため最寄りのバス停まで人気のない道を延々と歩き、1人でバスが来るのを待っていた。夕方と言うにはまだ早すぎる時刻だったが、しんと冷えた静かな空気があたりに漂っていた。
 寒さにうんざりしながら道路の反対側に目をやると、人の背丈ほどの高さの塀にぐるりと囲われた敷地の内側に、暗い森が広がっていた。
 あそこはいったい何だろうと見ていると、敷地の門からぞろぞろ人が出てきた。10人ばかりの男性が、出てすぐのところで所在なさげに立ち止まった。誰かと手をつないだり、一人で立ちすくんだり、じっと地面を見つめたり、まるで屋外に放置された銅像のようだった。
 門には鉄格子の扉がついていた。扉の横の古ぼけた看板に○○精神病院とあった。そこではじめて、入院患者が外に出てきたのだと気づいた。
 引率者らしき人が「じゃ行きますよ」と言うと、みな一斉にうなずいた。若者から老人まで年齢はバラバラだったが、どの顔もみな無邪気で屈託がなかった。
 そうか、これからみんなで散歩に行くのだな。
 私の乗るバスが来た。
 がらがらの車内に乗り込んだ私はあれこれ想像をめぐらせた。
 あの人たちは咲いている花に見とれたり、馴染みの猫に出会ったり、どこかの店で好きな菓子を買ったりするのだろうか。歌はうたうだろうか、何を口ずさむのだろう。
 男たちは一列に並び、弱く輝く太陽に向かってゆっくり歩き出した。まるでオレンジ色の光に吸い込まれる蟻のように。
 バスが発車した。私はガラス窓越しに振り返った。
 薄暗い塀の外にいた男たちはすでにどこかに消えていて、ただ黒い森だけがひっそり息づいていた。

2010.12.23

年の瀬の3つの話

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★神社
 大祓の人形(ひとがた)に思いっきり息を吹きかけて神社へ持参。毎年末たいてい天気がいいのは大掃除や参拝に不自由しないようにとの天の采配か。
 雲ひとつない青空、日陰は冷たく、日なたは温かい。
 暮れの神社は人がまばら、空気が澄んでいて気持ちがいい。
 今年も1年間ありがとうございましたと神前で頭を下げてから人形を納める。
 ああこれでひと安心、しかしこの階段を転げ落ちたらしゃれにならんわいと自分をいましめつつ、ものすごく急な階段をゆっくり降りた。 

★白い犬
 郵便局へ行く途中、初めての裏道を通ると古ぼけた店の前に白い中型犬が店内を向いてせつなそうに座っている。首輪はついているがリードはついてない。
 どうしたの1人でなにやってんのこのお店に住んでるの、それにしちゃ店と距離置いてるじゃんもしかすると何かわけありでしめ出されたのといそいそ近寄る。
 日本犬系の雑種、老犬のせいかぶよぶよ太め。手を差し出すと立ち上がって指のにおいをクンクン嗅ぎ、それから困ったような目をしてこちらと少し距離を置いた。
 あこいつ警戒してやがる、なんだよ自分は大の犬好きなんだぞとアピールするが何の効き目もない。犬も人間も年寄りはがんこだ。
 仕方ないので手を引っ込め、悲しみを覚えつつ郵便局へ向かった。 

★遊就館
 市ヶ谷へ出かけたついでに靖国神社へ。ここはいつ来ても凛と引き締まった空気が流れていて、自然に背筋が伸びる。
 拝殿で頭を下げてから、戦争で亡くなった人の遺品を展示した遊就館へ。
 館内は想像以上に広い。最初は歴史の教科書に出てくるような鎧や刀などが展示されてやんわりした雰囲気だったが、歩き進むうちしだいにシリアスな様相を帯びてきた。
 女性の髪で編んだ真っ黒い太縄(白髪も交じっている)とか血染めの白シャツとか弾が貫通してぼろぼろになった軍服とか独身のまま命を落とした息子に贈った花嫁人形など、せつない思いのこもった遺品が数え切れないほど展示されている。
 最後は戦争で亡くなった人たちの顔写真がずらり。いったい何千枚あるのかわからない。もちろん、同じ顔はひとつもない。精悍な顔、やんちゃな顔、やさしい顔、気弱な顔、思慮深い男性の顔に混じり、まだ少女の面影を残したあどけない女性の顔もある。
 あまりにも無邪気で屈託のない笑顔。みんな、もっと生きたかっただろうなあ。生きてれば楽しいことがたくさんあっただろうになあ。
 はかない笑顔に取り囲まれるうち、涙が出てきた。
 外に出るとすでにあたりは暗く、伝書鳩や軍犬や軍馬の像がひっそり立っている。 動物も大変だったなあと思う。
 再度拝殿へ戻り、深く頭を下げた。
 ここに祀られている人たちは、今の日本を見てどう思うだろう?
 ふとそう考えた。
 愛のない国になってしまったなあ。
 そんな声が頭の中に入ってきた。
 境内の南門から出て靖国通りを歩く。
 じゃあどうすればいい? 誰だって愛がほしい、でもその方法が見つからなくて悶々としてる。
 簡単だよ、人にやさしくすればいいのさ。人にやさしくすると、人からやさしくされるだろう。その繰り返しで人はだんだん幸せになっていくんだよ。
 市ヶ谷駅が見えてきた。紺色の街に、飲食店の灯りがふんわり輝いている。いい色だなあ、この年末は冷たい人も温かい人もみな等しく温かい光に包まれますようにと横断歩道を渡りながら祈った。

2010.12.19

ヴァンパイア城

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 ある晴れた日の朝、大学病院へ。
 おだやかで気持ちいい日だね、中庭の紅葉がきれいじゃん、へえ今どきの病院はおしゃれなカフェとかコンビニとかあるの、受付も支払いも無人機かあ、建物吹き抜けでおしゃれだね殺風景なデパートみたいと最新の設備にいちいち感動する。自分が体調をくずしたわけではなく、付き添いなので気分は軽い。
 受付を済ませて検査室の待合へ行くと、朝いちで来たはずなのにすでに順番待ちの長蛇の列。うわあみなさんいったい何時に来たのと不思議に思う。きっと業界ならではの暗黙のルールというか必勝テクがあるのだと思う。
 患者が次々に検査室に吸い込まれては吐き出される。大学病院はとても合理的なシステムのもとで運営されている。
 名前を呼ばれるまでぼんやりガラス張り&吹き抜けの院内を観察。だだっ広い入り口から続々と患者が入ってきて受付作業を済ませるとエスカレーターでぐいーんと上り、それぞれ目的の階へ散らばっていく。世の中にはこんなにたくさん病人がいるのかと驚く。
 音楽が流れているようだが、かすかすぎてほとんど聞こえない。ブライアン・イーノのmusic for airportのような心の鎮まる環境音楽を流せばすてきなのにと思う。
 建物は広いし天井はガラス張りだし開放的な吹き抜けだし廊下のところどころに観葉植物が置いてあるのでこの病院には変な気が溜まってない、でも決して楽しいところではない。

 検査が終わり、会計を済ませて外に出るとすでに昼。さあ昼飯でもがつんといきましょうかと一歩踏み出してから気づく。あれ? 元気ないぞ自分。別にどこがどうというわけではないが萎えている。
 今日はぽかぽかして快適じゃんとウキウキする身体の中で、「いやあそんな、それほどでも」と心がどんよりとぐろを巻いている。
 なぜこういうアンビバレンツが起こるのか。
 話は簡単、病院で気を吸い取られたのである。
 病院とは体内の気が陰に傾いた人間が集まる場所だ。そこに陽の気が満ちた人間が行くとどうなるか。浸透圧の作用で陽の気を吸い取られてしまうのである。結果、どこも悪くないのに気持ちが沈む。
 うわあやべえ陰気に傾いちゃったとしばらく日なたで太陽光線を浴び、帰宅してから着ていた服をバサッと洗濯機に放り込んで新しい服に着替え、気を取り直した。 

 相対するだけで精気を奪われてぐったりしてしまう相手をエネルギーヴァンパイアと呼ぶが、建物にも「行くだけで疲れる」とか「そこで過ごすだけでゆううつになる」という空間がある。それを「ヴァンパイア城」と呼ぶ。
 ヴァンパイア城に長居は無用。帰還したら速攻で塩風呂に入り、衣服をすべて取り替えてから(繊維には気がからみつく)、温かい飲みもの&甘いものなどでじんわり自分を取り戻すのがパワーゲージ回復のルールである。

2010.12.01

わんぱくフリッパー

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 何年か前、とある海辺の水族館へ一人で出かけた。どんより曇った午後だったと記憶している。平日のせいか入場者は少なく、広い園内は閑散としていた。
 大きなウミガメに触ったり、いきなり現れた巨大なデンキウナギにびっくりしたり、ピラニアの歯を見てうわあ破壊力あるうと思ったり、ふわふわ漂うクラゲをぼんやりながめたりしてから、少し離れた「イルカのプール」まで足を伸ばした。
 そこは2階建て構造になっており、上からはプールの水面からイルカを見下ろすことができ、階段を下るとぶ厚いガラス越しに泳ぐイルカがながめられるつくりになっていた。
 まずは上階でイルカが顔を出してくれるのを待つ。
 来ない。手をたたいても「おーい」と呼んでも来ない。
 潮風のさみしい香りが園内をさまよう。
 鼻水をすすり、背中を丸め、コートのポケットに両手を突っ込んでじっと待つ。
 やっぱり来ない。
 首を伸ばして下をのぞき込むと、黒っぽい大きなイルカが3頭ほどプールの底をゆっくり回遊している。なあんだ下にいるんじゃんと階段を下り、ぶ厚いガラスに顔をへばりつけて「イルカさーんこっちこっちー、こっちおいでよぅー」と両手をひらひら振った。
 ああイルカと仲良しになりたい癒やされたい、早くこっちにいらしゃいとガラスの水槽をパンパンたたいていたら、3頭がくるりと方向転換して一斉にこちらに泳いできた。
 君たちさみしかったろう、今日はお客さんが少ないもんね、私と一緒に遊びましょう。
 イルカの泳ぐスピードが尋常ではない。ものすごい勢いでグングンこちらに突進し、ガラスにぶつかる直前で彼らは体をくの字に曲げ、上半身を激しく前後に振り始めた。顔を見ると、目がつり上がっている。口元が般若のように裂けている。どう見ても威嚇である。これは人なつこくてさみしがりやのイルカさんが親愛の情を示しているのでは決してなく、私という侵入者に対して敵意をむき出しにしているのだと気づいた。
 イルカになぜここまできらわれなければいけないのかと呆然としていると、蛍の光が流れ始めた。薄暗い園内にはもう誰もいない。
 肩を落として出口へ向かった。おそるおそるプールを振り返ると、イルカはまだ上半身を激しく降り続けている。
「帰れ!」
「ボケ!」
「もう来るな!」
 彼らの発する超音波を翻訳したら、きっとそんな内容になったと思う。
 イルカと聞くとかわいくて賢い「わんぱくフリッパー」を連想する人は少なくないと思うが、それはあくまでも彼らの表向きの顔に過ぎない。裏の顔も知りたい人は、寒い曇り空の夕刻、人気のない水族館へ行くことをおすすめする。運がよければ、あなたも特別なおもてなしを受けるだろう。

2010.11.23

同窓会

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 幼なじみ4人で同窓会。毎年会っているので「うわあこんなになっちゃって」という驚きは一切なく、「元気だった?」程度の軽い再会である。
 待ち合わせは新宿御苑。
 1人が電車のアクシデントで遅れるというので、3人で庭園内のベンチに座って待つ。秋の空は高い。
 視線を降ろすと黄金に色づき始めた木々を写生する老婦人、赤い薔薇のそばにぼんやりたたずむ青年、仲よく手をつなぐ若いカップル。芝生で寝そべる男のそばでは、ベレー帽をかぶった園児の集団が弁当を広げている。
 日々是好日。 
 晴れた昼間とはいえ、立冬を2週間過ぎた風は冷たい。
 人差し指の側面で鼻水をぬぐっていると「で? あなたは最近いかがですか」と話をふられる。
「ええ、私はいま地上を離れ、暗黒の宇宙空間をたった1人でふわふわさまよっているような状態です」と本当のことは言わずに「ま、ぼちぼちですわ」と答える。
 ほう、と幼なじみが遠くを見ながら口を開く。
「わたくし手術をしましてね、最近では大手術をしてもじっと寝かせておいてくれないのですね、もう翌日から体力回復とリハビリのためにどんどん歩けと医者が言うのです。おなかからチューブを何本も垂らしつつ点滴スタンドをガラガラ押して病院内を歩き回っているとき、まるで自分がキャプテンEOに出てくる女王様になったような気がいたしました」
 人差し指を突き出しながらこわい顔でファイアー! とかネイティブ英語をキメてひとりで遊んでいたのでしょう、と別の幼なじみが微笑み、で、わたくしはと続ける。
「先日父が亡くなりましてお墓を作ったのですが、最近は○○家の墓とか先祖代々の墓とかではなく、好きな言葉を刻むのですね、和とか愛とか祈とか。そうすることで戸籍上の名前を気にすることなく、好きな人と一緒にお墓に入れる。21世紀のお墓は自由度が高まっているのですね」
 地獄上等とか夜露死苦とか刻んだら受けるだろうかとバカなことを考えながらティッシュを取り出し鼻をズビズバかんでいると最後の1人がやってきた。
「腹が減ったから庭園散策はやめてランチにしようぜ」と全員一致、近くのイタリアンへ。

 ストーブつきのオープンテラスの4人テーブルが運よく空いていたので、そこに陣取る。まずはシャンペンで乾杯。
「これおいしいっ」と口々に叫びながらパスタやピザをたらふくつまみ、「兄ちゃん、もう1杯持ってきてんか」とみんなでワインをおかわりする。
 ああ3杯目に手を伸ばしてしまっていいものだろうか、いいに決まっていると即断即決して結局1人につきシャンペン1杯と赤ワイン(大盛)2杯を飲み干す。
 4人でグラス合計12杯(大盛)の酒をたいらげ、ああ酔っぱらった、いい気分だからついでに酉の市でもなめてくかとよれた足取りで神社に立ち寄り、二礼二拍手一礼。
 自分だけおみくじを引いて「ここは大吉出ないんだよね-」と言いながらクルクル広げてみると43番大吉。図に乗ってA、B、C全員に見せびらかす。
 酔った勢いで映画DVDと音楽CDを山ほどレンタルし、帰宅後に新作ホラー映画を一気に2本見る。
 映画に悪酔いしたのかそれともワインに悪酔いしたのかそのうちに頭痛が始まり、あわてて鎮痛薬を飲んだ。
 やがて薬が効き始め、疲れたからもう寝てやれと布団にもぐり込み、面倒なことは何もかも置き去って一途に眠りの世界へ駆け込んだ。

2010.11.21

後ろ前

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 明け方、顔見知りの女性が夢に現れた。
「私、結婚するのです。お世話になりました」
「それはよかったですね。お幸せに」
 そう言いながら女性を見ると、真っ黒いオーバーを着ている。仕立てのよい上質なウールのオーバーは、品のいい彼女にとてもよく似合っている。だがよく見ると、後ろ前だ。
 あれ? 顔の下に後ろ身頃がきている。なんか変だなあと思っているうちに目が覚めた。

 洋服を後ろ前に着るのは、着物を左前に着ることと同じではないか。左前は死人前、つまり死人の着付けだ。
 もしかすると彼女、あまりよくない流れに身を置いているのだろうか。変な夢見ちゃったなあ、でも特別に親しい間柄でもないからよけいなおせっかいはできない、私にできるのは推移を見守ることだけだと思い、そのまま放っておくしかなかった。
 
 しばらくしてから、その女性が結婚したという噂を聞いた。その後、夢には一度も出てこない。「便りがないのは元気な証拠」であることを祈る。

2010.11.06

石仏の教え

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 夢を見た。タンスから石仏を取り出し、庭に置いている夢だ。(夢だからちっとも重くない。)
 人間と同じ大きさの石仏が3〜4体、みな、おだやかな顔を太陽に向けている。
 すると、どこからか声が聞こえた。
「奥深くにあるものほど、たまには取り出して明るい日に当てなさい」
 あっ、それが極意なのかとハッと気づいて目が覚めた。

2010.11.04

松葉杖

 1年ぶりに会う友人とランチのため家を出て最寄り駅に向かうと、横断歩道の手前で松葉杖をついた人に遭遇。
 横断歩道を渡るとまた松葉杖の人が向こうからやってきた。
 追い越して進むとまたまた松葉杖の人がいる。
 何も考えず電車に乗り、乗り換えのため改札を出るとこれまた松葉杖の人が向こうから歩いてくる。
 今日は松葉杖をよく見るなあと思いつつK駅に到着、少し早く着いたので駅周辺をブラブラしていると目の前に松葉杖の人。
 もしや自分の気づかぬうちにどこかで天変地異や事故でもあったのかと一瞬不安になるが、街はいつもと変わらず明るくにぎやか、どうもそうではないらしい。

 時間通りにやってきた友人は相変わらずきれいでスタイル抜群。この人はいつ見ても美しい、まったく現実感のないところもすばらしいと頭の中でほめたたえながらイタリアンの店に入る。チキンのバルサミコ酢ソテーと前菜、パスタ、サラダの盛り合わせプレートに赤ワインとパンとデザートがついて1000円はお値打ちだ。
 ワイングラスを持ち上げた瞬間「ほどほどにな」と右肩上からささやき声、いいじゃんたまにはと無視してひとくち飲むと、これがうまい。加速がつかないよう注意しながら、ワイン1杯と料理を約3時間かけてちびちび味わう。
 ものすごくおもしろい友人の話に笑い転げていると、「お昼の部はもう終わりです」と店の人が勘定書を持ってきた。仕方ないので店を出て、K駅周辺をそぞろ歩く。

 公園やデパートや商店街や路地や神社仏閣がギュッと詰まったこの街は、平日・週末に関係なく1年じゅう大勢の老若男女でにぎわっている。おおらかで豊かな雰囲気からして、街を守護しているのは弁天さまではなかろうか。
 友人と商店街をそぞろ歩いていると、松葉杖の人がふっと目の前を通り過ぎる。
 これは絶対何かある、松葉杖が意味するものは何だろう?
 不自由? 足かせ? 依存? 故障? 
 いろいろ考えるが、思い当たらない。

 友人と別れ、足もとに気をつけながら電車に乗った。電車はガラガラ、広いシートに余裕で座ってぼんやり窓の景色をながめていると、松葉杖をついた女の子が突然やってきて目の前にどさっと座る。体のわきに2本の松葉杖を置き、無心に携帯を操作している。左の足首から甲にかけて包帯ぐるぐる巻き。
 うわあもう勘弁して、これ何の警告なの。
 2つめの駅でドアが閉まる寸前、女の子は思いついたように立ち上がってするりと降りた。あ、松葉杖の力を借りなくてもほぼ歩けるんだ、見た目ほど重症じゃないじゃん。
 何事もなく帰宅し、風呂に入って懸命に松葉杖の意味を考えるがやっぱりわからない。ま、いいやとぐっすり就寝。
 で、翌朝やっと気がついた。
「今は思うようにならないかも知れないが、何とかがんばって歩きなさい」
 たぶんこれだ。思い当たる節がある。
「こいつはボーッとしててたぶん1回じゃわからんから、ダメ押しでしつこく啓示してやろう」と神さまは思ったのであろう。粋なはからい、どうもありがとう。

2010.10.23

雄島

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 数年前、仙台の松島にハマッたことがある。自宅から吉方位であったこと、気に入ったホテルがあったこと、食べものがおいしかったことなど理由はいろいろだが、何より好みの観光名所が集中していたのである。
 雄大な杉並木を通り抜けて行く瑞巌寺、渡り橋の底の透かしから海が見えるスリル満点な五大堂、朱塗りの長い橋を渡って行くアドベンチャーな福浦島、かわいいイルカやアザラシに会えるマリンピア、名菓「萩の月」「萩の調(しらべ)」で知られる菓匠三全(イートインあり)。
「バラ寺」「苔寺」と呼ばれる円通院もすばらしい。植物が膝の高さまでうっそうと生い茂る墓所は、1人でぼんやりするには最高の場所だ。
 しかしなんと言っても特筆すべきは雄島(おしま)であろう。神秘的な切通しを抜けた先には、真っ赤な渡月橋。その橋を渡った向こうは静けさと神秘に満ちた異界である。
 小さな島内には石塔や仏像が建ち並び、島の岩肌のあちこちに四角い岩窟が彫られている。岩窟は、ちょうど人が1人座れるくらいの大きさだ。
 雄島はその昔、見仏上人という高僧がこもって修行をした島であり、僧や俗世を捨てた者たちがここに集まり、岩窟に座って修行したという。 

 夏が近いある晴れた日、私はこの島を訪れ、小高い丘に座って松島の海を1人でぼんやりながめていた。周囲には誰もいない。
 海に浮かぶ島々を縫うように、白い遊覧船がゆっくり進んで行く。のどかな風景だ。
 おだやかな日差しがぽかぽかと温かく気持ちがいいので、靴を脱いで素足になった。土が温かい。白い足の甲を1匹の蟻が渡ってゆく。それをじっと見つめるうち、「この島で暮したらどうなるだろう」と思い、しばし夢想にふけった。
 1、2時間くらいそうしていただろうか。背中の向こうが何となく頼りなくなり、立ち上がって歩き出した。
 薄暗い木々のふもとで座禅を組む、巨大な仏像が眼前にあらわれた。何だかその仏像が生きているような気がして不安になり、出口に向かった。

 岩壁にぐるりと取り囲まれた薄暗い広場に出た。空気がしんと冷えている。
 岩壁は1カ所トンネル状にぶち抜かれており、光の射す明るいあちら側に通じている。そこを通って島内から出る構造だ。
 岩壁にはさまざまな形の岩窟がうがたれていた。仏像や卒塔婆が収められている岩窟もあった。
 じっと見ているうち、岩窟の中で座禅を組んだまま静かに事切れた僧の姿がふと目に浮かんだ。
 あ、まずい。
 広場の草むらに、たくさんの死体が転がっている映像が脳裏をよぎる。
 そうか、ここ、死体置き場だったんだ。
 そう気づいて鳥肌が立った。
 早くここを立ち去らねば。しかし外に出るには、この薄暗いトンネルを通り抜けなければならない。トンネルはけっこう奥行きがある、何秒間歩けばいいのか。もし、途中で何かに捕まって身動きができなくなったら?
 私はこわごわトンネルに足を踏み入れた。
 ひんやり冷たい空気が全身にまとわりついた。
 できるだけ五感を閉じて歩いた。
 雄島はその昔、御島とも書かれた。オシマ、オンシマ、・・・・・・、怨島?
 自分を取り巻く空気が冷気を増した。明るい世界の向こうへ走った。 

 雄島が「あの世とこの世の境目」であり、「死者の骨や遺髪を葬り、浄土往生を願う日本有数の霊場」と知ったのは自宅に戻ってからのことだ。
 その島を一歩も出ず、12年間にわたって修行した見仏上人はやがて法力を身につけ、鬼神を操ったり、瞬間移動を行うようになったと言われる。
 いつ行っても、あの島にほとんど人がいない理由がこれでわかった。雄島は死者の島なのだ。
 それでも、無性に惹かれるのはなぜだろう?
「岩窟の中に座ったらどんな気持ちになるだろう」とつい想像してうっとりしてしまうのは、私という人間の性(さが)なのだろうか。

2010.10.13