松葉杖

 1年ぶりに会う友人とランチのため家を出て最寄り駅に向かうと、横断歩道の手前で松葉杖をついた人に遭遇。
 横断歩道を渡るとまた松葉杖の人が向こうからやってきた。
 追い越して進むとまたまた松葉杖の人がいる。
 何も考えず電車に乗り、乗り換えのため改札を出るとこれまた松葉杖の人が向こうから歩いてくる。
 今日は松葉杖をよく見るなあと思いつつK駅に到着、少し早く着いたので駅周辺をブラブラしていると目の前に松葉杖の人。
 もしや自分の気づかぬうちにどこかで天変地異や事故でもあったのかと一瞬不安になるが、街はいつもと変わらず明るくにぎやか、どうもそうではないらしい。

 時間通りにやってきた友人は相変わらずきれいでスタイル抜群。この人はいつ見ても美しい、まったく現実感のないところもすばらしいと頭の中でほめたたえながらイタリアンの店に入る。チキンのバルサミコ酢ソテーと前菜、パスタ、サラダの盛り合わせプレートに赤ワインとパンとデザートがついて1000円はお値打ちだ。
 ワイングラスを持ち上げた瞬間「ほどほどにな」と右肩上からささやき声、いいじゃんたまにはと無視してひとくち飲むと、これがうまい。加速がつかないよう注意しながら、ワイン1杯と料理を約3時間かけてちびちび味わう。
 ものすごくおもしろい友人の話に笑い転げていると、「お昼の部はもう終わりです」と店の人が勘定書を持ってきた。仕方ないので店を出て、K駅周辺をそぞろ歩く。

 公園やデパートや商店街や路地や神社仏閣がギュッと詰まったこの街は、平日・週末に関係なく1年じゅう大勢の老若男女でにぎわっている。おおらかで豊かな雰囲気からして、街を守護しているのは弁天さまではなかろうか。
 友人と商店街をそぞろ歩いていると、松葉杖の人がふっと目の前を通り過ぎる。
 これは絶対何かある、松葉杖が意味するものは何だろう?
 不自由? 足かせ? 依存? 故障? 
 いろいろ考えるが、思い当たらない。

 友人と別れ、足もとに気をつけながら電車に乗った。電車はガラガラ、広いシートに余裕で座ってぼんやり窓の景色をながめていると、松葉杖をついた女の子が突然やってきて目の前にどさっと座る。体のわきに2本の松葉杖を置き、無心に携帯を操作している。左の足首から甲にかけて包帯ぐるぐる巻き。
 うわあもう勘弁して、これ何の警告なの。
 2つめの駅でドアが閉まる寸前、女の子は思いついたように立ち上がってするりと降りた。あ、松葉杖の力を借りなくてもほぼ歩けるんだ、見た目ほど重症じゃないじゃん。
 何事もなく帰宅し、風呂に入って懸命に松葉杖の意味を考えるがやっぱりわからない。ま、いいやとぐっすり就寝。
 で、翌朝やっと気がついた。
「今は思うようにならないかも知れないが、何とかがんばって歩きなさい」
 たぶんこれだ。思い当たる節がある。
「こいつはボーッとしててたぶん1回じゃわからんから、ダメ押しでしつこく啓示してやろう」と神さまは思ったのであろう。粋なはからい、どうもありがとう。

2010.10.23

雄島

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 数年前、仙台の松島にハマッたことがある。自宅から吉方位であったこと、気に入ったホテルがあったこと、食べものがおいしかったことなど理由はいろいろだが、何より好みの観光名所が集中していたのである。
 雄大な杉並木を通り抜けて行く瑞巌寺、渡り橋の底の透かしから海が見えるスリル満点な五大堂、朱塗りの長い橋を渡って行くアドベンチャーな福浦島、かわいいイルカやアザラシに会えるマリンピア、名菓「萩の月」「萩の調(しらべ)」で知られる菓匠三全(イートインあり)。
「バラ寺」「苔寺」と呼ばれる円通院もすばらしい。植物が膝の高さまでうっそうと生い茂る墓所は、1人でぼんやりするには最高の場所だ。
 しかしなんと言っても特筆すべきは雄島(おしま)であろう。神秘的な切通しを抜けた先には、真っ赤な渡月橋。その橋を渡った向こうは静けさと神秘に満ちた異界である。
 小さな島内には石塔や仏像が建ち並び、島の岩肌のあちこちに四角い岩窟が彫られている。岩窟は、ちょうど人が1人座れるくらいの大きさだ。
 雄島はその昔、見仏上人という高僧がこもって修行をした島であり、僧や俗世を捨てた者たちがここに集まり、岩窟に座って修行したという。 

 夏が近いある晴れた日、私はこの島を訪れ、小高い丘に座って松島の海を1人でぼんやりながめていた。周囲には誰もいない。
 海に浮かぶ島々を縫うように、白い遊覧船がゆっくり進んで行く。のどかな風景だ。
 おだやかな日差しがぽかぽかと温かく気持ちがいいので、靴を脱いで素足になった。土が温かい。白い足の甲を1匹の蟻が渡ってゆく。それをじっと見つめるうち、「この島で暮したらどうなるだろう」と思い、しばし夢想にふけった。
 1、2時間くらいそうしていただろうか。背中の向こうが何となく頼りなくなり、立ち上がって歩き出した。
 薄暗い木々のふもとで座禅を組む、巨大な仏像が眼前にあらわれた。何だかその仏像が生きているような気がして不安になり、出口に向かった。

 岩壁にぐるりと取り囲まれた薄暗い広場に出た。空気がしんと冷えている。
 岩壁は1カ所トンネル状にぶち抜かれており、光の射す明るいあちら側に通じている。そこを通って島内から出る構造だ。
 岩壁にはさまざまな形の岩窟がうがたれていた。仏像や卒塔婆が収められている岩窟もあった。
 じっと見ているうち、岩窟の中で座禅を組んだまま静かに事切れた僧の姿がふと目に浮かんだ。
 あ、まずい。
 広場の草むらに、たくさんの死体が転がっている映像が脳裏をよぎる。
 そうか、ここ、死体置き場だったんだ。
 そう気づいて鳥肌が立った。
 早くここを立ち去らねば。しかし外に出るには、この薄暗いトンネルを通り抜けなければならない。トンネルはけっこう奥行きがある、何秒間歩けばいいのか。もし、途中で何かに捕まって身動きができなくなったら?
 私はこわごわトンネルに足を踏み入れた。
 ひんやり冷たい空気が全身にまとわりついた。
 できるだけ五感を閉じて歩いた。
 雄島はその昔、御島とも書かれた。オシマ、オンシマ、・・・・・・、怨島?
 自分を取り巻く空気が冷気を増した。明るい世界の向こうへ走った。 

 雄島が「あの世とこの世の境目」であり、「死者の骨や遺髪を葬り、浄土往生を願う日本有数の霊場」と知ったのは自宅に戻ってからのことだ。
 その島を一歩も出ず、12年間にわたって修行した見仏上人はやがて法力を身につけ、鬼神を操ったり、瞬間移動を行うようになったと言われる。
 いつ行っても、あの島にほとんど人がいない理由がこれでわかった。雄島は死者の島なのだ。
 それでも、無性に惹かれるのはなぜだろう?
「岩窟の中に座ったらどんな気持ちになるだろう」とつい想像してうっとりしてしまうのは、私という人間の性(さが)なのだろうか。

2010.10.13

遷座

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 いつの間にか立秋が過ぎ、処暑が過ぎた。
 処暑と言えば「暑さがおさまり朝夕は涼しくなる頃」のはずだが、そういう気配はみじんもなく、夜になっても逃げ場のない熱気がむわっと空中をさまよっている。こんなに暑い夏は久しぶりだ。
 
 夜、神楽坂を歩いていると人だかりに遭遇した。赤城神社の遷御の儀の真っ最中だった。
 人垣の中に入ってしばらく見ていると、裃(かみしも)を着てたいまつを持った人の後に続き、正装した神職が4人、ぼんやり光る白い絹垣の柱を持って歩いてくる。
 四角く囲われた絹垣の中にはもうひとり神職がいて、御霊(みたま)を捧げ持ってするする歩いていると思われるが、中は見えない。もちろん、のぞき見してもいけない。一般人が御霊の姿をじかに見ることは禁じられているのだ。
 白い絹垣がふわりと目の前を通り過ぎた瞬間、何かものすごくピュアで稚拙なもの、わかりやすくたとえるならケガレのない稚児のようなものの存在が感じられた。「原型」という言葉が頭をかすめる。
 それは一見すると弱々しくてはかないが、いざとなると人知を越えたすさまじい力を発揮するのではないか。だからこそ世間から隔離され、機嫌を損ねないよう、うやうやしく神殿に奉られているに違いない。
 和御霊(にぎみたま)と荒御霊(あらみたま)。神さまには両極の二面性がある。だからこわい。

「暑いぞ、この国はいつからこんなに暑くなったのじゃ」
 白い絹垣にガードされた神さまは、久しぶりに娑婆に出てさぞびっくりされたであろう。
 新しい本殿に鎮座ましましたあと、冷たい水や酒、もしかするとビールまでもグビグビ飲まれ、プッフワァーッ!! もっと持ってこーいっ!!! と鼻の下に白いヒゲをふちどられたであろうことは想像に難くない。

2010.08.24

 

バス停の教え

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 休日の夜、帰宅のため駅前のターミナルでバスを待っていた。濃いブルーの空がときおりピカピカッとストロボのように光るのをぼんやりながめていると、「雨は降らないのに雷がすごいわねえ、ああ、あんなに空が明るい。大自然というのは本当に人知の及ばない世界ね」と自分の前に並んでいた60歳くらいの小柄な婦人が私に言う。
 おかっぱ頭ですっぴん、涼しげなワンピース、くるぶし丈のソックス。童女がそのまま年を重ねたような風貌。
「私が子どものとき、伊勢湾台風が来てね。あっという間に水がこの辺まで上がってきたの」
 水平にした手を、鼻のあたりまで持ち上げる。
「すぐ2階に避難して外を眺めていたら、うちの犬が水の中を犬かきして泳いでいるのが見えたから、それを家に引き上げて。ああ、私たちは自然には歯が立たないんだなあって思ったわ」
 あ、また光った、すごいね、そう言って空を見上げてから人なつこい目で私を見る。
「真っ先に救援物資を送ってくれたのは中国でも韓国でもない、アメリカよ。いろいろな意見があるけれど、安保条約ってこういうときに効くんだって思ったわ。一度交わした約束っていうのは、きちんと効力を発揮するものなのよ。安保条約に限らず、世の中はすべてそう。そういうしくみになっているの」
 バスが来た。
 バスで見知らぬ人から話しかけられるのはこれで何度目だろう、経験を積んだ人の話はおもしろい、こういう話はネットやテレビでは絶対に聞けないものなあ。
 バスを降りると小雨がパラパラ降っている。私は雨粒を肌に感じながら「約束」について考えた。
 約束は、人間同士だけでかわすものとは限らない。人間と神さまの間にもかわされるはずだ。
「神さまどうかこの地域をお守りください、毎日お供え物をして、年に一度は派手なお祭りをしますから」
「この仕事で成功したいのです。そうすればたくさんの人が幸せになれます」
「私は大金持ちになり、それを恵まれない人たちに分けてあげたいのです」
 その夢や希望が本人にとっても神さまにとっても何らかのメリットがあり、なおかつ途中で契約違反をしない限り、取り交わされた約束はいざというとき確実に効力を発揮するだろう。
 だがこういう場合はどうだろう?
「神さま、どうかお金持ちになれますように」
「玉の輿に乗れますように」
「この世の幸せがすべて手に入りますように」
 どんなにたくさんお賽銭を投げてそう祈っても、「お前はそれでいいだろうよ、だけどそれ、わしに何のメリットがあるの?」と神さまは軽く一蹴することだろう。
 自分の希望が叶うことで、相手にもメリットが生じること。それをきちんと踏まえたうえで交渉するのが、約束を取り付ける際のコツだと思う。一方通行はただの「お願い」、双方向性があるのが「約束」。相手が人間であれ神さまであれ、そこに注意すれば夢はずっと叶いやすくなるのではないだろうか。

2010.07.25

さわらぬ神にたたりなし

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 10年ほど前、あちこちの神社をめぐり歩いたことがある。今のように「パワースポット」が流行するはるか以前のことだ。
 当時の私は悩みを抱えていて、今から思えば「少しでも運が上がっていい方向に向かいますように」とわらにでもすがる気持ちだったのだと思う。移動や散歩途中で神社仏閣を見かけては、いそいそとお参りしていた。

 その日も、自宅から小一時間ほど歩いてとある町まで散歩した。
 にぎやかな駅前の繁華街に向かう坂の途中に、大きな寺があった。何度もそばを通ってはいたが、何となく「一見さんお断り」のような雰囲気があったため、そこに入ったことはなかった。しかしその日に限ってなぜか入ってみようと思った。
 夏の終わりの夕方で、自分の影が妙に細長く伸びていたのを覚えている。
 境内には誰もいなかった。本堂を見て庭園をひとまわりしたが、だだっ広いだけで神気を感じなかった。その寺は妙にあっけらかんとして、「空洞」という印象だった。
 少々がっかりして門に向かうと、巨大な老木が立っていた。よくみると根もとのほうに大きなうろ、つまり空洞がある。その中に木彫りの一寸法師が収まっていた。なかなか精悍な顔つきである。
 スクナヒコナを祀っているのかな? と思い、手を合わせた。ちなみにスクナヒコナは大国主命(オオクニヌシノミコト)と力を合わせて日本を作った神さまであり、医療の神さまでもある。
 一寸法師に祈っていると、木の根もとからなまぐさいにおいがふわりと立ち上ってきた。気のせいだと思った。 

 寺の外に歩き出してから、あれ? と違和感を覚えた。背中がずしりと重く、胃がムカムカして非常に気分が悪いのである。
 ガマンして、そのまま歩いて帰る。
 帰宅して塩風呂に入ったあとも、何とも言えないいやな感じが続いた。まるで背中に子どもがべったりのしかかっているような重苦しさなのである。
 自問自答するうち、あの一寸法師のせいだと確信。こちらが無防備に手を合わせたので、すかさず憑依してきたのだろう。
 その晩、目に見えない邪気、それもかなりたちの悪いやつと無言の攻防戦を繰り広げることになった。「押されたら押し戻す」を続けてぐったり気疲れしながら、下手に見知らぬ寺に入るもんじゃない、縁起ものだからといって何でもかんでも手を合わせるとひどい目に遭う、これは神頼みで問題を解決したいというさもしい欲得の罰が当たったのだと深く反省した。
 
 人間にもいい人と悪い人がいるように、神さまにもいい神霊と悪い神霊がいる。
 プロや経験値の高い人ならひと目見て「これはありがたい神さま」とか「近づかないほうがいい神さま」などとわかるだろうが、素人にはほとんど見分けがつかない。
 昨今はパワースポットブームでたくさんの人が神社仏閣を訪れるが、「助けてください」の欲得の心は時として魔を呼び寄せる。
 
有名な場所でも、直感で「あ、ここヤバそうかも」「ちょっと違うかも」と感じたら、そのままUターンするか素通りすることをおすすめする。わけのわからないものにうっかり関わると、ろくなことにならないからである。

2010.06.16

逢魔が時

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 日曜日の夕方、散歩がてら街まで買い物に。多くの人が軽く厭世観を覚えながら、お茶の間で夕餉の支度を調える「サザエさんタイム」と呼ばれる時間帯である。
 ゆるやかな坂道を上っていくと、前方に赤いシャツを着た中年男がいる。小ぶりなリュックをかつぎ、スニーカーでスタスタ歩いている。
 男は少し先の信号で立ち止まった。左側に渡り、道路の反対側を歩くつもりなのだろう。
 左側を向いて信号待ちをしている男と、距離が縮まった。40歳前後の、涼しい顔立ちのイケメンだ。
「・・・・・・が、・・・・・・で、」
 何かしゃべっている。携帯で話しているのかと思いきや、両手は体の両脇にだらんと垂れ下がっている。
 じゃあ誰と話しているのだろう? そうか、独り言か。
「・・・・・・空虚さが」
 え?
「残酷な変化を遂げて」
 ええっ?
「・・・・・・絶望に変わる」
 あ、狂ってる。
 外見上はどこにもほころびが見えないその男性は、脈絡のないことを1人でずっとしゃべり続けているのである。しかも、けっこう大きな声で。
 私は足早にそばを通り過ぎた。

 背中に張り付くように、念仏のような男の独り言が聞こえてくる。男は信号を渡るのをやめ、私のすぐ後ろをついてきているのだ。のべつ幕なしに吐き出される無意味な言葉の羅列から、忌まわしい気が放たれてくる。意識をそちらに向けないようにすればするほど、まがまがしい言葉の1つ1つが矢のように耳に突き刺さってくる。
「・・・・・・孤独な」
「・・・・・・行き場のない」
「・・・・・・ぎりぎりの崖っぷちから」
 何かに憑かれているのか、それとも私に呪いを掛けているのか。聖なるものほど追いかけると逃げ、邪悪なものほど逃げると追いかけてくるのはなぜだろう?
 その道は一本道だった。信号で左側の道に渡るか、後戻りするか、そのまままっすぐ進むしかない。私は歩行スピードを一気に上げた。信号を待つのも後戻りするのもいやだった。

 よし、ここまで来ればだいじょうぶだろう。
 しばらく歩いてから振り向いた。かなり歩調を早めたので、息切れしていた。
 背後にぴったり貼り付くように、その男がいた。男と私の距離はまったく変わっていなかった。
 うわあ。
 なかば駆け足になった。それでも男の声が背中を追いかけてくる。ふり返るたび、赤いシャツが目に飛び込んでくる。
 あの色は・・・・・・、
 私はその考えを頭から振りはらった。
 あの赤いシャツを着た男は普通に歩いているのに、なぜ距離が開かないのだろう? そういえばあのシャツの色は、乾いた血の色によく似ている。
 恐怖が背筋を這い上った。

 大きな十字路に出た。すかさず右に曲がり、人混みをかき分けるようにジグザグに歩いた。一直線に飛んでくる念をかわすには、無軌道に動くか、リズムをパッと変えて波長をずらすしかない。
 おそるおそるふり返ると男は消えていた。胸をなで下ろし、そのまま街へ向かった。
 日曜の夕刻は逢魔が時だ。人気の少ないその時間帯には、隠れた者がやってくる。

2010.05.17

人外大魔境・養老渓谷

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 養老渓谷そばの秘湯の宿に1泊。川に面した部屋に案内されて窓を開けると、耳を洗うような川のせせらぎの音。
 宿に着いたのが夕方過ぎだったので渓谷散策はその日はあきらめ、露天風呂に入って夕食をいただく。シカ肉のソテーやしし鍋、鮎の塩焼き、タケノコの炭火焼きなど、ご当地ならではのご馳走が並ぶ。どれもほどよい分量で好感が持てる。
 夕食後、もう一度露天風呂に入ってから床についた。
 ・・・・・・あれ? 眠れない。疲れているからすぐ眠れるはずなのに、奇妙な映像が次から次に頭に浮かんで意識が半覚醒したままだ。
 日本昔話の幻灯絵巻をフラッシュバックで延々と見せられている感じ、ああもう面倒くさい、早く寝たいのになあと何度も寝返りを打つが、意識がなくなる寸前にすかさず映像がパパパッと挿入されてくるので、なかなか意識を失うことができない。
 いったい誰が邪魔してる? そういえば部屋のすぐ外につがいのシカのはく製が飾ってあった、でもあれはそんなに力が強くないからたぶん悪さはしないだろう、じゃあ誰だ。
 しばらく考えてから気がついた。そうか、滝だ! 窓のすぐ下には渓谷が広がっているのだっけ。水場にはさまざまなものが集まるからなあ、カバンにお守り入ってるのに効かないじゃん、やっぱり枕元に置かないとダメだな、あ、雨だ、雨の音が聞こえる、かなり降ってきた。
 うつらうつらするうちに夜が明けた。

 翌朝、朝食を済ませてから渓谷へ降りた。「滝めぐりコース」として川沿いに設置された遊歩道は全長4キロ、約80分の道のりだ。
 雨は小降りでときおりぱらぱら降る程度、傘なしでもいけそうだ。それにしても寒い。
 重く垂れ込めた雲の下、私はコートの襟をかき合わせて遊歩道を歩き始めた。見渡す限り、ほぼ手つかずの大自然。眼下には渓流、その両脇に天高くそびえ立つ岸壁。頭上には生い茂る新緑の木々。ところどころ、うす紫色の藤の花が咲いている。
 平日の朝のせいか、あたりには誰もいない。聞こえるのは水の流れる音だけ。
 川の中は神秘的だ。水が走る岩盤の上に横たわったり、深い青緑色の水の中に沈み込みたいと本気で思う。
 滝をふたつほど通過したあたりで、雨が勢いを増してくる。道の向こうには同じような景色が果てしなく続いている。
 仕方ない、引き返すとするか。これ以上濡れたら風邪を引く。
 いさぎよくUターンする。内心、ホッとしていた。陰気な雨が降る暗い遊歩道をそのまま進み続けるのは少し気が重かった。いや、実を言うとこわかった。神隠しにあってもおかしくない雰囲気だったからである。 

 帰宅後、渓谷の写真をパソコン画面で見ると、そのうちの1枚に大きな紫色のオーブ(丸い光の玉)がくっきり写っていた。拡大すると、刀の鍔(つば)の中にエイリアンもしくは観音さまの顔がきちんと収まっているような感じ。
 歩いている最中、背中がゾクゾクしたのは気温が低いからだけではなかったのだ。無人の大魔境に踏み込んだ「よそ者」は、水辺に棲む者にずっと後をつけられ、監視されていたに違いない。

 2010.05.13

神さま酔い

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 千代田区の祭礼で宮御輿が町内を巡幸。
 活きのいい担ぎ手が御輿を揺らすたび、界隈の空気が清まる。清まった空気は気持ちがいいから、御輿のまわりにだんだん人が集まってくる。みな笑顔である。
 やがてゴールの神社が近くなると気の高ぶった担ぎ手はトランス状態に。ついて歩く人々も軽くトランス状態。
 御輿が無事に神社に戻って一本締め、やれやれ楽しかったと後楽園遊園地(東京ドームシティ)へ足を伸ばす。

 ドームホテルを左に見ながらラクーアに向かってクリスタルアベニューを直進し始めたときから異空間がスタート。目の前に現れるものすべてがヘンである。
 通常の4、5倍はあろうかと思われるボリューミーな体型の女性が道のど真ん中でソフトクリームを食べ、海底でゆらゆら揺らめくワカメのように体がしなるお母さんが同じようにゆらゆらする子どもを連れて歩き、劇画からそのまま出てきたようなゴルゴ13似の濃い顔のおっさんがいきなり目の前にどーんと登場し、ホームレスの人が花壇で1人静かに口を開けたまま瞑想。
 パラシュートやジェットコースターなどのアトラクションは満員、ステージでは目的のよくわからないイベントが開かれていてこれも満員、飲食店も満員。カーネル・サンダースは張り切って武者コスプレ。園内には見渡す限り魑魅魍魎(ちみもうりょう)の群れ。
 疲れて椅子に座り、コーヒーを飲みながらチョコ餅(ココアの粉をたっぷりまぶした餅の中にチョコクリームが入っているぶよんぶよんした菓子)を食べていると、「ここ、いいですか?」と20歳くらいのかわゆい婦女子が2人やってきて、同じテーブルを囲む。「どうぞ」とニッコリ微笑む私の唇はきっとココアの粉で真っ茶色に染まっていたに違いない。
 どこか時代遅れの服を着た婦女子はおいしそうにソフトクリームをなめ、食べ終わると風のように立ち上がり、そのままスーッと薄くなって上空に消えた。昭和何年代からタイムスリップして来たのだろうと考えていると、早くも夜の風が「ねえーん、ほほほほ」とほおをなでる。たくさんの親子連れを乗せたメリーゴーラウンドが回り始めた。メリーゴーラウンドはいつ見ても哀しい。
 ごう音とともに龍が空を駆け抜けていく。龍に乗せられた若者たちは「祇園精舎の鐘の声」を金切り声で大合唱。ああ無常。
 風が殺気をはらんできたので、園を後にする。

 駅に続く地下道を歩くうち、脳内ライトがオレンジ色の電球から昼白色の蛍光灯に切り替わった。宮御輿の酔いが覚めたのだなと思った。

2010.05.05

インド綿のブラウス

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 気温が上がって寝苦しくなってきたので、パジャマを衣替えしようと思い立った。
 クローゼットの奥から夏用の寝間着を取り出し、まとめてガーッと洗濯、日光に当てて一気干し。オレンジ色やピンク色の服が並ぶなか、白地に青い小花柄のインド綿のブラウスがはたはたとひらめく。
 
 ちょうど1年前の今ごろ、私は死んだようにベッドに横たわっていた。飲み過ぎである。グループで飲みに行き、調子に乗ってワインを何本か空けたと思う(どのくらい飲んだか、途中から覚えていない)。
 安物のワインをがぶ飲みした後遺症はそれまでに経験したことがないほどひどく、飲んでから丸3日間、ひどい吐き気と頭痛と倦怠感に襲われて体がまったく動かなかった。そのとき着ていたのが、そのインド綿のブラウスだった。
 本来なら、捨てるべきだった。しかしあまり回数を着ていなかったこと、着心地がよかったこと、柄が美しかったことから、私はそれを捨てずにクローゼットの奥にしまい込んでいた。

 洗濯した夜、私はそれを再び身につけ、眠りに落ちた。
 女に馬乗りになり、両手に渾身の力を込めてその女の頭の骨をにぎりつぶそうとする夢を見た。女はなかなか死なない。されるがまま横たわりながら、私に罵詈雑言を浴びせかけて笑っている。(夢の中で、顔こそ違うが彼女は私の母親であることがうっすらわかっている。)
 はっと目が覚めた。重い気分のまま、丑三つ時の暗い世界をたゆたう。
 このブラウス、着るんじゃなかった。
 はっとそう気づいた。
 ひどい思いを味わったときに身につけていた衣服の繊維には、よくない気が染みつく。その気は洗濯しても日に干しても蒸発せず、再び悪さを働く。目に見える汚れより、見えない汚れのほうがたちが悪いのだ。

 やっぱり、もう捨てるしかない。
 翌朝、私はそのブラウスをゴミ箱に放り込んだ。はかなげなインド香が一瞬鼻をかすめ、しばらくしてからぷつんと消えた。

2010.05.05

老人の謎かけ

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 ある昼下がり、用事で渋谷駅南口のバスターミナルへ。
 花が咲き乱れたモヤイ像をながめながら停留所でバスを待つ。2人掛けのベンチにはすでに老人が2人。そこへ、さらに年上の老人が歩行器で体を支えながら登場。
「申し訳ないけど、座らせていただけるかしら」
 しわがれた鶴の一声でベンチがサーッと空く。
「もうね、腰がね、」
 よっこいしょと座ってから、彼女はそばにいた別の老人に話しかける。
「痛くてね。この年になるともう病院に行っても治らないの、ぞうきんをぎゅうぎゅう絞りあげてるようなものだから」
 よく意味はわからないが、年を取るということはぞうきんを絞りながら生きるようなものなのかとわかったようなわからないような気分になる。

 バスが来た。2人掛けシートの窓側に座る。
 すらりと背の高い、背筋の伸びた、70代後半くらいの品のある女性が途中で乗ってきて隣に座る。しばらくして、彼女がおもむろに口を開いた。
「こういうとこで降りたらダメなのよ」
 えっ?
 私はイヤホンをはずす。
 彼女の声は再生速度をわざと間延びさせたようにゆっくりであるうえ、低音のハスキーボイスでつぶやくようにしゃべるから、水樹奈々なんか聞いてたら言葉を聞き取れないのである。
「横断歩道がないでしょう、無理して渡るとはねられちゃうの。だからちょっと面倒でも、この先で降りるといいのよ」
 見ると、次の停留所の真ん前には信号機つきの横断歩道がある。
 なるほど、そういうことか。しかしなぜそれをわざわざ私に教える。予言なのか暗示なのか、それとも単なる世間話なのか。
「ここは大きな病院があるでしょう、・・・・・・この辺りを歩いているのは病人ばかり、・・・・・・だからみんなゆっくり静かに通りを歩くの」
 止めどなく彼女はしゃべっている。断片的な言葉をつなぎ合わせる作業は夢占いに似ている。
 ときおり話が飛んでも、最終的に戻るのは「たとえそこが目的地に最も近くても、横断歩道のないところでバスを降りてはいけない」である。
 はい、はいと静かにうなずきながら、私の頭は解読作業でフル回転している。 
「ふふ、頭は生きてるうちに使わないとね」 
道路の先に、大きな横断歩道が見えてきた。
 老人はゆっくり立ち上がり、一瞬いたずらっ子のように微笑んでから、風のように軽やかにバスを降りた。
 老人の謎かけが解けたような解けないような宙ぶらりんな気分のまま、私はじっと窓の外をながめる。バスが次の停留所に向かって走り出した。

2010.04.27