巨人のポルカ

DSC00578
 東京スカイツリーをオープン前日にプレ見。内部は内覧会の客でにぎわっているが、一般客はまだ施設内に入れない。仕方ないので敷地内や周辺を散策する。
 外側だけではやっぱり物足りないなあとツリータウンの南側を流れる川に降り、ウォーキングデッキにしつらえられたベンチでまったりしてみる。隅田川の支流の水は濁ってコーヒー色だ。
 西日に目を細めつつ眼前にそびえ立つタワーを見上げると、この上なく高い。さすが世界一、圧倒的な存在感がある。

 見上げるのに飽きたのでその場を離れ、周辺の街を散策する。
 平日の夕方だからなのか、それとももともと人口が少ないからなのか、町工場や古い家が立ち並ぶ道路沿いには誰も歩いていない。金色の光に染まった街は、まるで猫が眠っているかのように静かだ。
 なぜこんなところに、
 ふと思った。 
 なぜこんな時間が止まっているようなところに、世界一巨大な電波塔を建てたのか。
 
 帰宅して焼鮭と卵焼きの夕飯を食べ終えてから、あ、そうかと気づいて東京の地図を広げてみた。
 ・・・・・・ここがスカイツリー、ここが東京タワー、ここがサンシャイン60。
 ペンと定規を持ってきて、東京の3つの高層建築をそれぞれ直線で結んでみる。
 じゃーん。
 きれいな正三角形が浮かび上がった。中心にあるのは皇居だ。
 眠れる町に白羽の矢が立った理由がわかった。 
 家康お抱えの天才風水師・天海の後を継ぐ誰かが新しい結界を作ったのだ、うんそうだ、そうに違いない。
 城を囲む巨大な精霊が手をつなぎ合い、輪になってポルカを踊っている姿が脳裏に浮かんだ。精霊たちの背中にはそれぞれ東北に延びる管、南西に延びる管、北西に延びる管がつながっている。管とは龍脈のことだ。
 踊れ踊れ、踊るほど日本という名の龍は強くなっていくのだ。

 5月21日の金環日食の翌日22日にスカイツリーがオープンしたのは言うなれば天の岩戸開き、しかも翌平成25年には20年に1度の式年遷宮(ご神体を移動させること)が伊勢神宮で執り行われる。
 この先、この国のバイオリズムは陰から陽へとダイナミックにうねっていくに違いない。私たちの頭上を覆う雨雲はゆっくり消滅し、徐々に希望の光が射してくるに違いない。

2012.05.23

不意の来客

ん
 土曜の昼、わが家に2人の客が来た。
 まずはビールで乾杯、「どうですか、最近」「ぼちぼちですわ」の会話から入り、「んじゃ、ワインでも」。
 納戸から2年前のボジョレーを持ってくる。
 コルクをシュポンと抜くと酢の香りがかすかに立ち上るものの、飲んでみるとまだまだイケる。
「おいしいね」
「ビラージュはやっぱり飲みやすいね」
「この年は当たり年だったらしい、しかし毎年そう言われているような気もする」
 たちまち1本空になる。たいした会話をしているわけではないが、別にいいのである。2本目をまた持ってくる。

 ワインを飲みながらあれやこれや話しているうち日が南西方向に傾く。
 まぶしいのでブラインドを下ろそうとすると「あれ?」とびっくりした声でメンバーAが言う。
 どうしたんだ、天からすごい啓示でも降りてきたのかと問おうとするとAはあらぬ方を向いて目をごしごしこすっている。
「今さあ」
「うん」(メンバーBと自分)
「あそこのトイレからさあ」
「うん」(メンバーBと自分)
「ものすごく背の高い金髪の男が出てきてそのまま廊下の奥の寝室のドアを開けて入っていったけど、この家、自分たちのほかに誰かいる?」
 自分とBは顔を見合わせた。
「そういえば、さっき寝室のほうでバタンと音がしたね」とB。
「どんな顔だった?」
「いや、後ろ姿しか見えなかった」
「A、その男、どんな感じだった?」
「なんだか楽しそうだった、トイレを出てから廊下で何かにけつまずいてつんのめってた」
 ものすごく背の高い金髪の男などうちにはいない、A、念のため聞くが、あなたの酔っ払い度は100点満点中何点かと問うと、「60点くらいかなあ」と答える。
 2本目のワインの瓶はもうすぐ空になる。自分が1、Bが2、Aが3の割合、つまり一番飲んでいるのはAである。
 酒に酔ったうえでの幻覚か、それとも本当に見えたのか。

 西日がきついのでブラインドを下ろす。部屋がスッと暗くなる。
 あのさあもしかするとこの家霊道通ってるかもしれないんだよねとか言ったらいやがるだろうなあと思いつつワインを飲んでいると、まったくなんの脈絡もなくAが「ちょっとおなかすいたなあ」と言い出す。
 キッチンに立ち、用意していたカレーを温めた。まあいいや酔いが覚めればたぶん忘れるだろう、そのまま放っておこうと決め、カレーてんこ盛りの皿を2つテーブルに出す。不意の来客のぶんも出してやろうかと思ったがそこまでする義理もなかろうとやめておく。
「あ、すごいうまい」
「チーズかけるとさらにうまい」
 怒濤の勢いでカレーが目に見える世界から目に見えない世界へと消えていく。
 ブラインドの隙間から空を見ると雲間にオレンジ色の玉が沈みかけている。この先はつるべ落としでいきなり暗くなるだろう。
「じゃ、そろそろ帰る」
 まだいいじゃんちょっと気味が悪いからもう少しいてくれないかなあとこっそり願うが先方にも先方の都合があるので無理に引き留めるわけにいかず、「またどうぞ」とにっこり笑って送り出した。寝室の扉の奥で誰かが聞き耳を立てているような気がしたが、気のせいだと打ち消して、キッチンでひとり山のような洗い物と格闘し始めた。

2012.05.14

路傍の石

DSC00589
 今の家に住んでから、たまに「あちらの人」を見るようになった。見るのは昼間ではなく寅の刻、つまり明け方の3〜5時、眠っているときだ。
 この時間帯を方位に置き換えると東北、つまり鬼門。「鬼がわらわら出てくるから鬼門と呼ぶ」という説もあるが、偶然にも、寝室は家の中心から見て鬼門方位にあり、自分は北枕で寝ている。
 具体的に何をどう見るのかというと、別に貞子やフレディやチャッキーが目の前に来ていないいないばあするわけではなく、寝ている自分の側を人が通り過ぎていくだけだ。別に具合が悪そうには見えないし、ケガをしているわけでもなく、ただ普通の人が普通に歩いているのだが、夢うつつに「この人は死んだのだ」とピンとくるのが不思議である。
 なぜだろう、出てくる人たちは知り合いでも何でもないし、自分に何か伝えたいことがあるわけでもなさそうだしとあれこれ考えるうちに「もしかすると」とひらめいた。
 確かめるために、寝室の窓を開けて外を見る。
 やっぱり。
 寝室の真北に寺があった。
 念のため、近辺の地図を広げてみる。
 寺はひとつではなく複数あった。
 そうか、ここは通り道になっているのだなと納得。もちろんさまざまな通り道があるだろうが、日本を含む北半球では磁石の針はすべて北に引っ張られるし、それに何より肉体を脱ぎ捨てた魂は東や東南、南など明るい陽の方位へ向かうより、西や北西、北など陰の方位へ向かうほうが落ち着くのではないかと思う。西は西方浄土、北西は神仏を祀る方位、北は最も深い陰の方位であり、肉体と心を安らかに横たえる安らぎの方位なのだ。
 ではなぜ、死んだ人は寺を目指すのか。

「神社は生きている人の願いを叶えるための祈願装置」と前に書いたが、寺は死んだ人を集めてあの世へ送り出す「吸引装置」なのではないか。線香の香りや灯明の光、太鼓、読経の声などで「こっち、こっちですよ」と故人を呼び寄せ、僧侶や参列者が「どうぞ安らかに」「ご冥福をお祈りします」と鎮魂と祈りの念を捧げてあちらの世界へ送り出す。
 死んだ人は「そうか、自分は死んだのだな」と認識し、この世を離れる心の準備をする。何気なく上を見ると誰かが自分に手をさしのべている、この「誰か」は大好きだったおばあちゃんであったりかわいがっていた弟であったり愛しいネコやイヌであったりあるいは金色に輝く観音さまであるなど人によってさまざまと思う。
 今まで生きていた世界に未練や後悔が残っている場合はお迎えの手を無視してもう少しふらふらするかもしれないが、素直な子どもや一人でがんばって生きてきた女性ややりたいことをやって心残りがない人はわりとすんなり悟ってスムーズにあちらへ旅立つのではないだろうか。

 寝ている自分の側を通り過ぎていった人たちは性別も年齢もさまざまで、置かれていた立場も亡くなり方も多種多様だったと推測されるが、向かう方向はみな同じだった。小さくても年を取っていても、誰かと一緒に歩いている人はいなかった。財布や旅行カバンを持っている人もいなかった。やはり死ぬときは身ひとつなのだ。
 その後たぶん寺に吸い込まれ、次のステップに向かってそれぞれの旅立ちをしたのだろう。

 見るのは「たまに」だし、寝室を換えるのも間取り的に無理だし、勝手に引き出しを開けるとかいきなり枕をひっくり返すなどの悪さをするわけではないのでこのまま路傍の石として寝っ転がっていようと思うが、寝室の隅によっこらしょっと座り込んだり、顔を通常サイズの100倍くらいに増大させていきなり人の寝顔をのぞき込んだりするのだけはやめていただきたいと切に願う。

2012.05.08