北海道開運旅行

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 さあてちょっと気合い入れて開運するかと北海道へ。
 北の果てはさぞや寒かろうと身を案じ、上半身は肌着2枚重ね+タートルセーター+ダウンベスト、下半身はタイツ+厚手のズボン、厚手の靴下。以上を基本装備とし、外を歩くときは重量のあるダウンコート+毛糸の帽子+ダウン手袋、そしてムートンブーツを履いた。そもそも寒いのがものすごく苦手なので、貼るカイロの予備をコートのポケットに8枚しのばせておいた。
 その格好で飛行機に乗り込むと何だかものすごく暑く感じたが、気にせず方位磁石をサパッと取り出し、東北方向に飛んでいるのを確認して、「よし、自分は間違った飛行機には乗っていない」と安心する。
 狭いとこきらい、この飛行機とってもコンパクト、まるでかまくらみたいと夢見心地でうとうとするうち北海道に到着。気持ちのよい晴天である。

 空港から電車に乗って温泉の湧き出る山奥へ移動。あたりには何もない、ほったらかしの大自然だ。
 宿に着いて荷を降ろし、ひと息入れてから散歩に出る。
「行ってらっしゃい、どちらへ?」
 宿のおじさんが温かい笑顔を差し向けてくれる。
「まあ適当に、気の向くままぶらついてきます」と答える。
 氷点下の世界をサクサク歩いていると途中に神社があったので参拝し、境内に降り積もったパウダースノーの上にいきなり仰向けのままドサッと倒れてみる。ひんやり冷たい。起き上がって見てみるとバンザイをした人の形にくっきりへこんでいる。おもしろいのでもう1回別の場所で倒れてみる。・・・・・・飽きたので神社をあとにした。
 東北方位へ出かけたときの開運行動のひとつは「雪山をうろつく」。東北の象意(しょうい=気学的なシンボル)は山、いまひとつの運を打破して新しい運を呼び込みたいときは、東北の吉方位で山肌にふれるといいとされている。

 ふと見やると前方に真白い雪に覆われた山、ああこりゃあちょうどいいわと喜び勇んで山を目指すことにする。
 山麓は人気のハイキングコースになっているらしく、遊歩道が整備され、あちこちに丸太を半分に割ったベンチが設けられている。しかしそれは夏場の話、今は冬、雪の降り積もったベンチに腰掛けようものならたちまち尻が凍るであろう。
 冬の平日の昼間にそこを歩いている人間は皆無、雪上に残された何日か前の誰かの足跡をたどりながら適当に進むのみである。
 スッと天高く伸びるエゾマツや白樺の林を通り過ぎると、あたり一面、白い雪を背負って低くうなだれたハイマツの大群生となる。文字通り地面を這うようにして生えているハイマツの高さは1〜2m、ちょうど人間の身長ほどだ。冬期は観光客が途絶えるせいか好き放題に枝を伸ばし、あちこちで行く手をさえぎっている。
 それを乗り越えたりくぐったりして進むうち、「クマ」という2文字が頭の中に唐突に浮かんだ。
 いやもう冬眠してるだろう、しかし十分なエサを取れなかったクマは冬眠せずに山野をうろつくというしな。・・・・・・そういえばハイキングコース入り口付近でクマに関する注意書きポスターを目にしたような気がするぞ、ええと、大事なのはクマに遭ったときどうするかではなく、まずクマに遭わないようにすることです。
 ええっ!
 背筋がゾッとしておそるおそる周囲を見渡すと自分の周囲360度には茫漠たる白い原野が広がっている。マツの茂みからいきなりクマが出てきてもちっともおかしくないシチュエーションだ。
 あっこれ大声出しても誰も来ないし自分はクマを遠ざける鈴も武器も持ってない、クマの気をそらすドングリやハチミツももちろんない、仕方ないからもし出たらポケットにしのばせたホカホカカイロをシールをはがしてから投げつけてやろうか、たぶん確実にノーダメージかむしろ温かくて喜ぶ、こりゃあ出会ったら最後、食われ損、いざとなったらシラカバによじ登って逃げるしかない、しかしいったい何分間あの細くまっすぐな幹にしがみついていられるかなと絶望的な気分になる。
 動物園で檻越しに見るクマはかわいいが檻なしでこんにちはするクマはかわいくも何ともなく、200%気の荒いデストロイヤーに決まっている。
 背中の神経をギュッと張り詰め、耳を澄ませながら歩くが何の気配もない。早くも西の方角に傾きかけた太陽が一面の雪をただまぶしく照らしている。
 しーん。
 あっ山の入り口にレストハウスが見える、あそこまで行けばとりあえず安心だと歩き出すと、いきなりハイマツが通せんぼ。狭い遊歩道に大きな枝をバーンと何重にも広げているため、乗り越えることもくぐることもできない。
 遊歩道以外の道を探すがハイマツがびっしり群生しているので無理、下手にバリバリかき分けて進むと近辺でぼんやりしているクマを目覚めさせてしまうかもと思い、「慣れぬ旅先で無理は禁物」という座右の銘に従って引き返すことにした。
 うわっこの広大な原野を引き返すんですか、今までよく無事でしたね自分、行きはよいよい帰りはこわいってまったく通りゃんせじゃないですかとクマに聞こえるように大声でつぶやきながら、雪道に深々とついた自分の足跡をたどって戻る。

「あ、お帰りなさい。お散歩いかがでした?」
 宿のお姉さんに笑顔で迎えられたのでがんばって笑顔をつくり、おそるおそる聞いてみた。
「楽しかったです、ところでこの辺、クマ出ます?」
「出ませんよ」
 なあんだやっぱり気の回し過ぎだよ心配して損したなあ、ずるんと脱力。
「あ、でも」
 え?
「先週、山のふもとに1頭出たって言ってたっけ、今年はドングリが少なかったですからねえ」

 東北の別名は「鬼門」、よくも悪くも運が大逆転する方位とされている。「不動の山を動かす方位」とささやかれるように、そのちゃぶ台返しぶりは他のどの方位よりも激烈であり、いにしえの戦国武将などは強行突破や起死回生を願う際、いちかばちかの命がけで東北方位を用いたとされている。
 もちろん現代でも、東北のパワーを取るときは万全の注意を払わなければならない。凶方位は言わずもがな、たとえ吉方位でも、運が好転する際にどんな強烈な毒出しがあるかわからないからだ。
「お夕食は6時からですからねー」
 宿のお姉さんは忙しそうに去っていく。
 うはぁっと口から出かけた魂をあわてて飲み込み、何事もなかった顔をして部屋に戻り、どんまいどんまい吉方位だもの、そのうちきっといいことあるってばとわが身をさすりながらつぶやいているうちに夜がすとんと更け、南の空にとてつもなく大きな満月がにょっこりあらわれた。北海道の夜は寒い。

2011.11.17

黒い服

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 今から振り返ればあまり運のよくなかった20代から30代前半のころ、私は黒い服ばかり着ていた。
 当時は黒い服が流行っていたこともあるが、着ればそれなりになんとかまとまる、体型がカモフラージュできる、汚れがついても目立たないなどという理由から、店へ行っては100発100中黒ばかり選んでいた。今から考えれば本当にカモフラージュしたかったのは体型よりも内面に渦巻く孤独や不安や恐れだったように思う。
 ある日、若者で賑わうファッション街を歩いていると気になるショップがあった。薄暗い店内にふらふら入ると目の前の壁に黒いショートジャケットがぽつんと展示されていた。
 いいなこれと思って眺めていると店員が寄ってきて「着てみますか?」と言う。勧められるまま袖を通すとぴったりだ。値札を見ると、自分に手が届く金額が書いてある。
「いいですよ、これ。ついこの間入ってきたんですけど。手作りの1点もので」
 かっちりしたシンプルなデザインなので仕事にも使えると踏み、財布からなけなしのお金を取り出してすぐに買った。

 翌日、さっそくそのジャケットを着て仕事に行った。新しい服を身につけると普通は意気揚々とするはずなのに、なぜかずっと気が重くゆううつだった。いざ仕事をしようとしても集中できず、一日中ずっとぼんやりとりとめのないことばかり考えていた。
「ダメじゃないか!」
 その日はつまらないミスをして上司から叱られ、いやな気分で家路についた。

 手持ちの服をそれほど持っていないせいで、黒いジャケットの出番は多かった。1週間のうち2、3回は着ていたのではないかと思う。しかしそれを着るたびに気持ちがふさいだり体調が悪くなったり人とぶつかったり仕事がうまくいかなかったりとよくないことばかり起こった。
 最初のうちこそ気に留めていなかったものの、「君、このプロジェクトからはずれてくれないかな」とその服を着ている日にクライアントから眉をひそめて言われたときにはさすがに「この服はおかしいのではないか」と感じざるを得なくなった。もちろん自分の未熟さや不手際もあったのだが、そこまで不運が重なると、本当の理由はそれだけではないように思えた。

 洗えば厄が落ちるのではないかと黒いジャケットを何回かクリーニングに出した。しかし何度洗っても、店から戻ってきた黒いジャケットには重苦しい気がまとわりついているような気がした。
「手作りの1点もので」
 ふと、店員の言葉が脳裏によみがえった。
 物には作り手の思いや念がこもる。もし作り手が服を製作するときに怒りや悲しみ、憎しみ、絶望などの感情にとらわれていたらどうなるだろう? そのネガティブな思いは無言のうちに裁ちばさみや針を通じて布地に潜り込むのではないだろうか。
 もしかするとこのジャケットにはひと針ひと針「不吉」が縫い込まれているのではないか? 黒い布地一面にどす黒い想念が乾いた血のように染み込んでいるのではないか?
 イヤな気持ちになり、クリーニング済みの服をそのまま丸めてゴミ袋に放り込んだ。
 その後、徐々に黒い服からも遠のいた。古来、喪服として使われるように、黒は悲しみや孤独を吸収して留める色と知ったからだ。

「着るだけで気分がよくなる服」「着るとなぜかいいことが起こる服」があるように、「着るだけで気分が落ち込む服」「なぜかよくないことが起こる服」というのも存在する。服はどれも何食わぬ顔をしてクローゼットやタンスの中で静かに眠っているが、持ち主が取り出して身につけた瞬間に息をよみがえらせ、正体をあらわにする。
 物には心が宿る。まず最初に入るのは作り手の心だ。それはたぶん、物の寿命が尽きるまで消えることはない。
 だから最初に着たときによくないことが起こった服には注意しなければならない。しかし「もったいないから」と売ったり譲ったりするのはほかの誰かに不幸をバトンタッチすることになる。勇気を出して早めに見切りをつけ、葬り去るほうがいい。

2011.11.06

土踏まず

 人生にはものすごくストレスの溜まる時期というのがある。無我夢中で生きてるけど肩は凝るし頭痛はするし微熱は出るし下手するとぎっくり腰になるし何だかすべての歯車がかみ合ってない、どろどろのぬかるみに膝までつかりながら必死に走ってる感じ、これでいいかどうかわからないけどとりあえず自分の心身に蓋をして前に進むしかない、という時期である。
 そういうときにストレスをほったらかしにしてズンズン突き進むとどうなるか。足の裏が痛み出すんですね。

 私が最初にそれを経験したのは20代後半だった。仕事とプライベートの両面で過剰な負荷がかかり続けていたある日、突然右足の裏が痛み出し、歩けなくなった。別に靴が合わないわけではない、足をひねってねんざしたわけでもない、歩きすぎて疲れたのかな? と脳天気に放っておくうちどんどん痛みが増し、やがてじっとしていても激痛が走り、眠るのにも支障を来すようになった。
 右足の裏の土踏まず周辺を触ると、ガチガチに固くなっている。少し押すだけでギャッと飛び上がるほど痛い。湿布をしてもまったく効果なし。
 仕方ないので、ある晩意を決し、足の裏を自力で揉みほぐした。痛みで悶絶しそうだった。それが功を奏したのか、痛みはしばらくするとウソのように引いた。(注:みなさんは真似しないできちんと病院へ行ってくださいね。)

 2回目に経験したのは30代前半だ。自分を取り巻く情況はやっぱり暗黒で、毎日「あーあ」な気分で過ごしていたある日、突然足の裏が痛み出した。「あ、まただ」と思った。

 痛みを無視して知り合いと待ち合わせて酒を飲み、店を出ると足の裏で体重を支えることが不可能になっていた。前回と同じ右足である。仕方ないのでタクシーで帰宅し、その晩、うぎゃっとかあふぇっとか忍び泣きながら足裏を揉みほぐした。
 痛みで気を失いそうになりながら、「この状態は前とまったく同じ、そういえば前もストレスてんこ盛りのときだった、そうか、心身に溜まったストレスは足の裏から排出されるのだな」と気づいた。
 心身にむち打ってがんばり続けると、つまり「負けるものか」と無理に硬直し続けると、足の裏もギュッと硬直し、排出されるはずのストレス=厄がスムーズに出なくなって「厄詰まり」を起こすのだ。出るものが出ずに溜まり続けると猛烈に痛い。
 そのときから「足の裏が痛むときは心身が疲れている証拠」と心して、早めにケアするようにした。今でも時たま痛むことはあるが、無理をしないよう心がけているおかげで昔のようにガチガチに凝り固まるようなことはない。 
「足つぼマッサージ」とか「足裏健康法」の人気が衰えないのは、「足の裏はいつも柔らかくほぐしておかないとやっかいなことになる」と、みんなうすうす知っているからではないだろうか。

 余談だが、一日働いて帰宅して靴を脱いだときの足のにおいは、心身から排出された厄のにおいではないかと思う。冬より夏のほうがにおいがきついのは、汗に促されて厄もたっぷり流れ出るからである。
「うわっあたしの足くさい、信じられないくらいくさい」と落ち込む必要なんかない、それはあなたが一日がんばって働いたことの証なのだから。

 
2011.10.22

熊手女

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 おさななじみと1年ぶりにランチ。
 ああっみなさんいい具合に発酵していらっしゃる、年季入ってどこから見てもそれぞれがそれぞれに格好いいぜと午後の日差しのあたる店で芋天を食べながら感動する。
 金銭のからんだつきあいは水の泡のようにはかないが、長年かけて培った損得抜きの人間関係はまるで「ただいま」「おう帰ったか寒かったろう、まあこたつにでも入ってあったまんな、いま鍋とか煮てっから。しらたき多めがよかったな?」というような安堵感がある。親と疎遠だし友達の数も少ないが、そういう「実家」のような存在がいてくれる自分は幸運だったと思う。
 会話は止めども脈絡もなく延々と続く。自分のことを話すのが面倒なのでもっぱら聞き役に回る。
 グループのメンバーは全員まじめにひたむきに生きているのでみなそれなりに幸せだが、その中の1人であるNの話を聞きながら、あ、本当の強運の持ち主というのは実はこういう人なのではないかとハッとした。
 Nはおだやかで親切でいつもニコニコしている謙虚な主婦である。暇さえあれば趣味の手芸をしたり掃除をしたり家族のご飯を作っている。
 小学生のころ「大きくなったら何になるの?」と聞くと「うーん、お嫁さんかなあ」と答え、中学生の頃同じ質問をすると「うーん、お嫁さんかなあ。でももらってくれる人いるかなあ」と答えるくらい地味な人だったのである。ところがどっこい適齢期を迎えるといきなり玉の輿に乗り、2人の子宝に恵まれた。
「ううん、あたしなんて庶民だし平凡だから」「あたしなんか全然たいしたことないよー」が彼女の口癖なのだが、よくよく考えてみると「生まれてから病気らしい病気をしたことがない」「お金に困ったことがない」「恵まれた環境の家に住んでいる」「結婚以来ずっとおしどり夫婦」「誰からも好かれて敵は皆無」「子どもたちもどんどん幸せになっている」など、あまりくわしくは書けないが幸運てんこ盛りの人生を送っている。
 もちろん本人もそれなりに努力していると思うが、おかめ顔の彼女の背中には鯛やエビや打ち出の小槌などが乗っていると思う。歩く大熊手である。 

 ネットやテレビや雑誌ではよく「強運な女性」が登場するが、よくよく見ると虚勢や見栄を張っていたり、どこかで無理をしているような気がする。「こんなにいつも美しく微笑んでいたら、疲れるだろうなあ」とも思う。
 そう考えると、地味ながらも肩に力を入れず自然体でコツコツ幸せの根を大きく広げているNは質実剛健である。風水や家相や方位学とは無縁でも、「ごく自然に王道を歩ける人」はいるのだ。これは先祖の余徳か、本人の人徳か。
 いやもしかすると彼女の幸運の源泉は、Nよりさらにひとまわり強運な彼女の母親にあるようにも思える。
 彼女は一見「ニコニコしている普通のおばさん」だが、強いていえば輪郭が太い。別に太っているわけではない、ただ身体からにじみ出る気がなんとなく強いのである。この「なんとなく」が味噌のように思う。
 NとNの母親のどこがすごいかというと、まったくすごく見えないところである。
 本当にすごい人は、「私、すごいンです」という派手な看板とは無縁の場所で楽しくつつましやかに暮らしている。

2011.10.13

満月の羽田空港

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 仕事ばかりしていると心と身体がギュッと内側に凝り固まるので、機を見てほぐさなければならない。心と身体をほぐすには見晴らしがよくてふだんあまり行かないところへ行くのが一番、ちょうど今は満月だからついでに月光浴もしてやろうと羽田空港へドライブ。
 第一京浜を表示に従ってブンブン進んでいると途中からふっと街が消えて人気(ひとけ)が皆無になる。うわあなにこのモノトーンの世界、まるで人工未来都市のチューブの中を走っているみたい、このトンネルは海の下にもぐっているの、狭いところ苦手なんだけどずいぶん長いな、あれっ第1ターミナルと第2ターミナルの違いがよくわからない、まあいいかと選択肢を適当に選んでパーキングに愛車を止め、足を踏み入れたところが第2ターミナルだった。
 第1と第2の違いはどうやら航空会社の違いらしい。
 到着ロビーに出発ロビー、へええけっこう人がいるじゃん、こんな夕暮れから飛行機に乗って北海道や九州へ出かける人もいるの、うーんここは寂しさとなつかしさと哀愁に満ち満ちた空間だぞと独り言を言いながら展望デッキへ上る。
 扉を開けて外に出るとすでに真っ暗、オレンジ色のまん丸い月が空中にどかんと浮かんでいる。ああ中秋の名月。
 風はまだまだ湿気の多い夏の熱風、でも確実に秋のにおいが混じっている。
 白くて大きな飛行機が力強くうなりながら目の前の滑走路を左から右に走り抜け、月の真下でふわりと浮き上がる。あんな鉄のかたまりが浮くなんてウソみたいと思っている間にどんどん高度を増し、やがて見えなくなった。
 しばらくするとまた別の飛行機がきいいいいーんとうなりながら走ってきてはまたふわりと浮いて空の彼方に消えていく。その繰り返し。
 飛行機が飛ぶなんてここではまったく日常茶飯事、その活発な運行ぶりはまるで山手線、そうか地球は自分を放っといて勝手にガンガン回っているのだなと気づく。
 まわりを見ると2人乗りベンチを無心にこぐカップルや1人たたずむシングル女性、テーブルでパソコンを広げる男性などがあちこちに散らばっている。
 月は一段と明るさを増してこうこうとおだやかな光を放っている。丸い丸いまん丸い、しかも金色なので思わず財布を月光にさらして金運アップの願掛けをしようかと血迷ったがやめておいた。
 お金というのは自分の運と努力の末に後追いしてくるもの、月にとっては人間の勝手な願いなんか知ったこっちゃないし、一生懸命手を振っちゃってバカみたい何やってんのと冷笑されるのがオチである。それよりもう少しぼんやりしようと決め、月明かりに照らされる飛行機の群れをながめる。
 どこからかリーリーリーとスズムシの声、ああ季節は確実に移り変わっている、自分の気が張りめぐらす小さな球体の中で四肢を踏ん張ろうと踏ん張るまいと時間は勝手に前に進んでいると気づいた瞬間、心と身体がぐにゃりとほぐれた。

2011.09.05

まさかの夏風邪

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 病気でも何でもなく雑用で病院へ行った。
 老人が待合室にわんさか座っている。
 何なんだこの混雑は、この夏は街で老人の姿を見かけなくなったと思ったらこんなところに集っていたのか。
 ポカリのペットを持ったお兄ちゃんがフラフラ入ってきて看護婦から体温計を渡されそれを脇の下に当ててさっきからじっと私の隣に座っている。
 このお兄ちゃんかわいそうに、おなかこわして発熱してるのかな、今年は暑いから食べものにでもあたったかと待合室のテレビを見ながらのんびり思う。
 お兄ちゃんは名前を呼ばれてボウフラのように頼りない足取りで診察室へ入っていった。何度あったのかなあ熱、とのんきに思う。

 翌日、くしゃみ3連発。
 翌々日、くしゃみ5連発&ツーッと鼻水。
 あれ花粉症の季節にはまだ早いんじゃないのかななんて脳天気に考えていたら発熱。しかも37度弱の微熱。
 このくらいの微妙な体温が一番やっかいだ、妙に熱っぽくてだるいが横になるほどではない。
 翌朝起きると鼻が完全に詰まっており、あっあのお兄ちゃんにうつされた、こりゃあ完全に夏風邪じゃないのと気づいたときには鼻がまったくきかず咳も出て呼吸が少し苦しくなっていた。
 胸にサロンパスを張り、ショウガ紅茶を飲み、市販の風邪薬を1日に3回飲んで1週間経過してもちっとも治らない。台風が近づくにつれて不安がつのってきたので近所の町医者へ行った。
 待合室で脇の下に体温計を当てて熱を測っている間、壁に貼られたポスターを夢うつつにながめる。
「シミ取りクリーム!」
「アンチエイジングサプリメント!」
 ピピピピピ、36度8分ですか、もっとあると思ったのになあ。
 1人しかいないのですぐに呼ばれる。
「あっ風邪風邪、風邪ですね」
 せっかく病院に来たのに風邪薬だけもらって帰るんじゃおもしろくないなあとさっき見たポスターの商品についていろいろたずねると懇切丁寧に教えてくれる。
「じゃあこれも、それからそれもついでにもらっていこうかなあ」と枯れてドスのきいた声でつぶやくように医者に告げ、大量の薬の束を抱えて家に戻った。
 
 風呂に入ってからおじやを食べ、食後にさあ薬飲むぞ! と戦闘態勢でアンチエイジングのサプリや美白関係の内服薬を数粒一気に飲み干す。風邪薬の袋はテーブルの片隅に追いやられており、1錠も手をつけていない。
 お前バカじゃないの、風邪薬どうして飲まないの、さっき何のために病院へ行ったの、今のその苦しい鼻づまりや微熱で頭がぼんやりしている状態においてお前は風邪治療よりも美白を選ぶのかと自問自答するがどうしても風邪薬を飲む気になれない。
 だってクスリを逆さまから読むとリスクじゃん、そんなもの飲むより自分の免疫力を信じてきちんと発熱して白血球部隊を増やしてウイルスと真っ向から勝負するほうがいさぎよいし体にいいに決まってるもん、それにいきなり見ず知らずの薬をたくさん飲んで気持ち悪くなったらイヤだもん。
 つまるところ、自分は風邪を治すより色白になりたいのであった。バカじゃないのか。

2011.08.22

暗剣殺に愛されて

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 仕事で出張。事前に地図で方位を確認する。
 あれ? 南の移動だと思ったけどわずかな差で南西じゃん、しかも方位の境界線のすぐ近くだ。やばい8月の南西は暗剣殺だ、だけど「南」と見立てて全意識を南へ面舵いっぱい向ければいいだろう、そんな甘い考えで家を朝7時に出たのだった。
 お盆の週なのに電車は予想以上に大混雑、みんな朝からよく働くなあ車内殺気立ってるじゃん、ああ荷物がかさばって肩に食い込む、この年になると真夏の仕事は命がけだぜと電車のリズムに合わせてゆらゆら揺れていると突然腰にものすごい衝撃。
 ん? 誰かの荷物が当たった?
 そしてものすごい圧力。
 んっ? 超満員でもないのになぜそんなに押す?
 見るとメガネをかけた女子小学生。肩からぶら下げたバカでかいショルダーをこちらにぶつけて方向転換、そして力任せにぐいぐい押してくる。
 あ、次で降りるのね。でもそんなに押さなくてもいいじゃないのさ。
 小学生とは思えない馬鹿力、はずみでこちらの体が大きくふらつく。だんだんムカムカしてきてそいつが降りたあともはらわたの煮えくりかえりは収まらず、浦見魔太郎か黒井ミサか喪黒福造か妖怪人間ベム・ベラ・ベロに「復讐お願いいたします」の書状を送ってやろうかあええコルァと 脳内でエンドレスにののしるがもちろんまったく無意味なことである。 

 仕事そのものは順調に進んだが最後に奥さんが出してくれたアップルティーをはずみでうっかりカップごとカバンの中に落としてしまう。
「これすごくおいしいですね、あっ」
 ローマは1日にしてならずだが悲劇は一瞬にして起こる。その日に限ってなぜか持参したものすごく高価な黒皮の名刺入れ、財布、新品のノートとボールペン、その他もろもろがすべてアップルティーの甘い洗礼を受けた。
 ものを取り出したあとのカバンを流しに持って行って逆さまにすると、まるで滝のようにアップルティーが流れ落ちた。
「カバン、お前はのどが渇いていたのか」と問いかけるが答えはない。
 ふと窓ガラスの外を見ると天に真っ黒い雲が立ち込め、雷が鳴っている。
 パラパラ降っていた雨がざあっと勢いよく降り出した。
「あっ雨ですね、ではこれで失礼いたします」と外に出て突風&豪雨の中を小さくてきゃしゃな折りたたみ傘をさしながら歩いていると、携帯から地震警報のチャイムがけたたましく流れ出した。
「注意! あんたは30秒以内に震度4以上に襲われる可能性あるよ」
 何度も何度もしつこく鳴る。
 おいおいちょっと待ちなさいよすぐそこ海じゃん太平洋じゃん、今大地震来たら確実に津波に飲まれるじゃん。
 あせって高台の駅へ歩こうとするが向かい風&向かい雨でなかなか進まない。あっそういえばここって正確に言うとうちから暗剣殺、後ろからいきなり闇討ちされる大凶の方位だったよなあと今さらながら気づく。
 南方位だぞと自分に無理やり言い聞かせて来たけどやっぱりダメじゃん、方位の境界線でも暗剣殺は暗剣殺、しかも裏鬼門の上に表鬼門が乗っている最悪の暗剣殺、自分勝手な「見立て」なんかクソの役にも立たないなあと痛感しながら遠い道のりを雨風に逆らってとぼとぼ歩く。
 あれっ、駅ってどこ? どこだっけ?
 頭の中でさっきからずっと研ナオコが「あきらめの夏」を唄っている。

2011.08.14

婆さん姉妹とマリアさま

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 あれっ1日が2時間くらいしかないじゃんどうしてこんなに早く過ぎていくの、ああそうか今忙しいんだな、それはそうと腹がすごく減ったので戦(いくさ)なんか全然できない、というわけで気分転換を兼ねてデパ地下へ夕飯を買いに出かけた。

 デパートに着いて時計を見ると午後8時10分前。
 やべえデパートがもうすぐ閉まっちまう迷っているヒマはねえ、そうだ中華だ中華にすべえ、閉店間際だからタイムセールやってるはずだ
中華総菜屋まで忍者走りで行くと自分と同じこと考えている客がすでにショウケースの前にわんさかたかっている。
「困っているときの中華頼み」と古来ささやかれるように、人は切羽詰まったときには中華を選択するものだ(注:筆者の勝手な決めつけ)。ボリュームあるし野菜と肉のバランスがいいしバカ高くないしそこそこハズレがないからである。
「200gが3パックで1000円! どれでもお好きなの3パックで1000円!」
 もはや投げ売りである。下手に残しても仕方ないからである。
 時計を見る。閉店まであと5分。
 ショウケース前の客の間に緊張感が走る。
 誰もお行儀よく並びやしない、ショウケースの前でブーイング寸前の神経戦を伴う陣取り合戦だ。
 婆さんが2人、強引に店員をつかまえた。どうやら姉妹のようである。
 50数年前はきっとお嬢さん姉妹でありそれからずっとかたくなに自称お嬢さん姉妹を通してきたと思われる、世間離れした世間知らずの雰囲気。
「ええっと・・・・・・あたしは青椒牛肉絲(チンジャオロースー)とね・・・・・・」
 婆さん姉妹の姉と思われるほうは声がやたらにデカい。
「あたしは・・・・・・」
 もう1人はおとなしい。妹だろう。
「○○ちゃんボケッとしてんじゃないわよ、あそこにあんたの好きな麻婆豆腐があるじゃないのよ」
「麻婆豆腐なら家にあるわよ」
「あらそう、じゃあ他のにしなさいよ。あたしあと2つ何にしようかしら・・・・・・」
 イライラしているのは店員だけではない。ショウケースの前は山のような人だかりである。「早くしなさいよ」「迷ってられると迷惑なのよ」「いい加減にしてよ」と声なき怒声が飛び交う。「閉店間際のタイムサービスで迷いは御法度」がデパ地下の暗黙の掟なのである。
 そんな中、タイミングよく自分の番が来たので鶏肉のカシューナッツ炒めと麻婆豆腐と酢豚を注文する。店員がすばやくショウケースから取り出してカウンターに積み上げる。
「あら、酢豚もおいしそうじゃない」
 向こうにいたはずの婆さん姉妹がいつの間にか自分の背後に忍び寄り、蜘蛛のように曲がった長い指でカウンター上の酢豚のパックをむんずとつかみ取る。
 私は怒った犬のようにうなり、奪い返してカウンターに置く。
「あら、あなたのだったの? ごめんなさーい」
 こいつらちょっと変だぞ、一般的な老人は人が買ったものに手を出さない。
 心の中で空襲警報が鳴った。
 婆さん姉妹はその後も店員を待たせてキャンキャン嬌声を上げながら白い顔であちこち移動して総菜を選んでいる。
 いったいどこから来たんだこの姉妹、お盆まで待てなくて出てきたのか。
 店員が気を効かせて別の酢豚のパックと取り替えて包んでくれた。
 やれやれ、どうにか夕飯をゲットできたわいと哀愁を帯びた蛍の光が流れ始めるなか、出口へ向かった。婆さん姉妹はふらふらショウケースのまわりを歩き回っている。まだ迷っているのだ。もしかすると一生迷い続けるのか。
 店員はとっくに彼女たちを放っといて他の客の相手をしている。
  
 家に帰るためバスに乗る。けっこう込んでいるが2人掛けの窓際に座れた。
 至近距離に立っているおっさんがさっきから何だか落ち着かない。
 変な人だなあ何でチラチラこっち見るのかな、やめてくれないかなあ疲れるから。
 声を出さずに抗議するが聞こえるわけがないので無視して仕方なく携帯をいじる。
 やがておっさんを含む乗客が真っ暗な停留所でバラバラ降り、今度は妊婦が私の隣に座った。手に持ったブランド服の大きな紙袋がぼかんと私の膝に当たる。
 妊婦はずっと携帯をいじっている。
 あーあ今日はこんなのばっかり勘弁してほしいなあ、やっぱりこれ全部自分の心が引き寄せてるのかね。
 少しうんざりしていると次は自分の降りる停留所。
 妊婦さん立たせるの悪いなあ、でも立ってくれないと自分が降りられないからなあと仕方なく「すみません」と会釈すると、ニコッと微笑んで「降りますのね」と大きなおなかを持ち上げて立ち上がった。
 あっすごい美人。
 すがすがしく清楚で品のある顔立ち、透明に光り輝くクリスタル色のオーラが全身を取り巻いている。
 うわああなたさまは確実に徳の高いお方、知性と理性とやさしさが三位一体となって周囲の人々の心を根底から癒やしてくださる本物の貴婦人。そのおなかに宿られた幸運な御子は男の子ですわ、将来はきっとあなたさまの自慢の息子に成長することでしょう。
 バスを降り、家に帰って酢豚と鶏のカシューナッツ炒めと麻婆豆腐を食べた後もしばらく陶酔が続いた。
 自分を取り巻く世界には婆さん姉妹もいるがマリアさまもいる、ま、それほど捨てたもんでもないかなあと満足し、その晩はぐっすり眠った。

2011.08.06

真夏の憂鬱

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 ものすごく日差しが強かったので、太陽が西の空に移動するのを待って散歩。
 夏真っ盛りだが吹く風にどことなく哀愁がある、気の早い秋がすでに吹いてきているのだなあと眠い目をこすりながら駅ビルに入ると、小学生くらいの女の子が「夕飯食べたくない! 絶対に食べたくない!」と母親に大声で怒鳴っている。
 暑いからね、その気持ちわかるわかる、実は私も食欲があまりないんだよお嬢ちゃんと心の中でテレパシーを送りつつ総菜売り場でおかずを買い、ついでに大好物のシュークリームとチョコレートも買って店を出る。本当に食欲ないのか。

 しおしおのパーになりかけながらとぼとぼ歩いていると、道ばたにキジトラのネコが寝そべってじっとこちらを見ている。若い、たぶん1歳未満だ。お前、遊んでほしいんだねネコだいすきーフリスキー♪と歌いながら手を出して小一時間ほど草むらでたわむれる。
 やがてネコはこちらをナメはじめ、手首に噛みついたり後ろ脚で腕を蹴ったりあげくの果ては狂気に満ちた目つきになり鋭い爪を立てて乱暴狼藉の数々で手をいたぶりまくる。案の定、皮膚が裂けて流血。今日はもうおしまいだよ子ネコちゃんと平静を保ちつつその場を離れ、帰宅。
 家に着いてから猛烈に腕や脚がかゆくなり、見るとぷっくり赤く腫れている。草むらにしゃがんでいるとき、蚊に刺されたのである。
 かゆい、かゆすぎると手足数カ所にかゆみ止めを塗るがいっこうに治まらない。
 いいもん、生クリームがうずまき状にこんもり盛り上がったシュークリームがあるもん、ふわっと盛り上がったシューの中に注入された黄色いカスタードクリームと白い生クリームをスプーンで微妙に調合してハーモニーを楽しむんだもんねと箱を開けると逆さにひっくり返って中のクリームが紙箱の内側に飛び散っていた。
 ええい土用だから仕方ない、自然界の気のバランスが乱れている時期だから何があってもおかしくないのだなどとわかったようなわからないような言いわけをむりやり自分にして、清水の舞台から飛び降りて購入した高価なひんやりマットにごろんと横たわって行き場のない怒りとかゆみを鎮めようと試みた。
 しかし何分たっても体はいっこうにひんやりせず、それどころか蓄熱してどんどんぬるくなってきた。なぜなのか。夏土用だからなのか。

2010.08.02

黄金虫

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 銀行に行った帰り道、アスファルトの地面を黄金虫がもそもそ歩いていたので拾って帰る。本来、虫は苦手なのだが、黄金色に光り輝く甲羅についつい魅せられ、人差し指に乗せて持ち帰ったのである。コガちゃんと名づける。
 蓋付きの小箱にきりで穴をぶすぶす開け、新聞紙を細かくちぎって敷き、小皿の上に輪切りのなすを乗せてやる。食べない。固いのか。じゃスイカの切れ端。パッと吸い付いた。
 スイカによじ登っている姿をよく見ると、黒い6本の脚それぞれにトゲトゲが生えている。これ、どこかで見たことあるなと不吉な気分になる。
 あ、ゴキブリじゃんと気づいてゾッとするが、「いいえこれはスカラベ、古代エジプトでは太陽神の化身とあがめられた聖なる虫」とどこかでエコーのかかった声が聞こえて気を取り直す。 

「暑いなあ、早く夏が終わらないかなあ」と思いながら本を読んでいると、頭上でバタバタバタバタといやあな音がする。ハッと見上げると大きな黒い物が天井をぶうううんとうなりながら飛び回っている。
 いやああああっ! 
 楳図かずおのマンガに出てくる女の子のような顔をして部屋を飛び出す。大きな黒いそれは窓ガラスにバン! と大きな音を立ててぶつかった。
 あああやっぱり虫はいや、大きらい、飛んでる姿なんかまんまゴキブリじゃんとうんざりしながらコガちゃん、どこいったのコガちゃんと呼ぶが返事なんかするわけがない。もしやと思って窓ガラスの下のさんを見ると細いすきまにはまってじっとしている。バカなやつ。指先で拾い上げてスイカに貼りつけてやる。

 翌日、友人宅で打ち上げ花火を鑑賞。ラスト5分は天空に大輪のラメの花が「どうでえこれでもかっ、ええいこれでもかあっ」と咲き乱れた。日本人の美意識と花火師の心意気を感じる。圧巻。
 友人が用意してくれたグリーンタイカレーやポテトサラダや生ハムメロンも圧巻。
 満員電車に揺られ少々ぐったりして帰宅、すぐにコガちゃん箱のふたを開けて中をのぞく。金色のコガちゃんは1人スイカ山に登ってじっとしている。どうすんのこれ、気持ち悪いけどかわいいけど気持ち悪いけどかわいいけどが頭の中で花火のようにバンバン打ち上がる。|

2010.08.01