吉方位パワーの定着法

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 全国の開運ファンのみなさんこんにちは。
 関心のない人はまったく気にしないし、好きな人はとことんこだわるのが「気学」というものです。気学とは「吉方位(自分と相性のいい方位)に出かけて、幸運パワーを吸収しましょう」という古人の知恵です。
 あまり方位にこだわりすぎることもないとは思いますが、古来より21世紀の今に至るまですたれずに連綿と伝わっているという事実を考えますと、「迷信」とか「うそっぱち」とか頭からナメてかかるのもちょっとなあと思います。ていうか知らずにいるのはもったいないと個人的には思います。
 このブログでも月ごとに九星別の吉方位を紹介したりしていますが、今回は、吉方位旅行に行った後の幸運パワーの定着のさせ方をいくつかご紹介しましょう。 

1 帰ってきたら早めに休む
 長距離を移動するほど身体に吸収できる吉パワーも大きくなりますが、同時に疲労も増します。電車にしろ車にしろ飛行機にしろ絶え間ない振動が身体にストレスを与えるのはもちろん、運が入れ替わると人は疲れるからです。
「ああ疲れた、吉方位へ行ったのになぜかしら」
 そう思うときは、よけいなことを考えずにさっさと風呂に入って早めに休みましょう。
 帰宅後の身体には目に見える汚れと見えない汚れがダブルでついているので、できれば湯船に粗塩をひとつかみ入れてお清めするといいと思います。
 言うまでもありませんが、シャンプーもお忘れなく。髪にはいろいろなものがつきやすいのです。髪を濡らしたとき、あれ? と首をかしげるほど変なニオイがするのは、物理的な原因だけとは限りません。厄がついている可能性もありますので、できれば二度洗いするといいでしょう。

2 現地で買ってきたものを食べる
 吉方位産のものをいただくと、その土地のパワーが体内に吸収され、それはあなたの血となり肉となります。
 お総菜でも名菓でもお酒でも何でもいいですが、素直に「おいしい!」と感じられるなら、運気が上がると思っていいでしょう(ただし食べ過ぎ・飲み過ぎは禁物)。
 
3 現地で撮った写真やおみやげをどんどん活用する
 写真やおみやげには現地の吉パワーがたっぷり詰まっているので、どんどん飾ったり日常的に使うといいでしょう。押し入れや引き出しにしまい込むのは宝の持ち腐れです。
 写りのいい写真なら紙焼きしてきれいなフレームに飾ったり、好きな服や雑貨なら日常的に使ったり部屋に飾りましょう。着たり使ったり愛でたりするたびに、それらのものからあなたに向かって吉パワーが放たれます。
 ただし色あせたりボロボロになったりこわれたりしたらパワーを使い切ったということなので、潔く処分してまた吉方位に行ったときに新品を調達してください。

4 凶方位にむやみに行かない
 吉方位から帰ってきたあなたの体内には、吉パワーがたっぷんたっぷんに詰まっています。定着液にひたした印画紙に徐々に画像が浮かび上がるようにそのまま運が身体に定着するのを静かに待てばいいのですが、無謀にも「なんとなく」とか「誘われたから」とかで直後に凶方位へ行っちゃう人がたまにいます。
 吉方位パワーを体内に取り入れる労力を10とすると、凶方位パワーを取り入れる労力は1。不運というのはすんなりスルッと体内に侵入しちゃうんですね。で、赤子の手をひねるようにいとも簡単に吉パワーを体内から追い出して、かわりに自分がのさばってしまいます。せっかくたっぷんたっぷんしてるのにもったいないです。
 ですから、またどこかへ旅行する場合は、しっかり地図をチェックしてみましょう。

 以上のことがらを守れば吉パワーがしっかり身につき、やがてその方位がもたらすラッキーな出来事に遭遇したり、自身に心境の変化が起こると思います。
 気づかない人はボーッと見落としてるかよほど体内に不運がたまっているか吉方位だと思ったけど実は吉方位じゃなかったかのどれかかもしれません。

2011.02.21

寅卯天中殺のみなさんへ その1

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 全国の寅卯天中殺生まれのみなさんこんにちは。(寅卯天中殺は別名「木星人」とも言う。)
 2010年と2011年は12年に2年間めぐってくるみなさんの天中殺年であり、特に2月、3月のちょうど今ごろは天中殺のど真ん中。
 天中殺とは「自分の思い通りに事が運ばない時期」であり、やけを起こして無謀に動くと大きなアクシデントに見舞われやすいとされる。
 サイコロの目がどう出るかわからないがゆえにものすごくいいことが起こる可能性もあるが、いずれにしても油断は禁物。ものごとはいい方向より悪い方向にころぶ確率のほうが高い。
 では去年から今年にかけてどんな現象がみなさんに起きているか、予想してみよう。
 
★猛烈に孤独感を感じている
 2010年から、たった1人で宇宙空間に放り出されたような不安と孤独にさいなまれてはいないだろうか。たとえば職場の同僚や上司から突き放されたようなものの言い方をされたり、友人・知人から相手にされなくなったり、恋人や故郷の家族からパタッと連絡が途絶えたり。会社をリストラされたり、クライアントから発注が途絶えて途方にくれている人もいるかもしれない。
 ものすごくつらい状況に思えるが、角度を変えると「1人になれるチャンス」「じっくり人生を見つめ直すチャンス」とも言える。

★突発的なアクシデントに見舞われる
「えっ、ウソでしょう!?」
 こんなセリフが増えていないだろうか。本来ならあり得ないようなミスやトラブルが、天中殺期間には勃発しやすい。特に契約などここ一番の時や車の運転時にはくれぐれも注意されたい。 
 また、いっしょにいる親しい人があなたの運気のあおりを受けてアクシデントを引き起こすこともある。

★のれんに腕押し
 どんなにがんばってもかんばしい反応が得られず、なかなか自体が進展、もしくは好転しない。特に2010年から新規にスタートしたことは「これだけやっているのに、なぜだ!」と頭を抱え込む事態になりやすい。
「天中殺期間はそういうもの」と割り切り、信頼できる第三者に相談するとか、力を抜いて受け身(なりゆき任せ)で臨むほうがいい結果を生む。

 どうですか、そんな感じですか。
 少しでも厄を遠ざけて楽しく明るく過ごしたい人は、次の注意事項を知っておきましょう。
◆利益ばかり追い求めない
 お金を稼ぐのは生きるために必要だし儲けるのは悪いことではないが、「他人を蹴落としてでも」とか「自分さえ儲かれば何してもいい」という考えで行動すると強烈なしっぺ返しを食らう。
 兄弟間の遺産争いや不動産投資、ギャンブル、金目当ての結婚など欲得ずくの行動もNGである。「ことしは財布を豊かにするより心を豊かにする年」と心して、お金より大事なものを追求する。

◆自分を客観的に観察する
 自分の頭の上に意識を飛ばし、「この人、今何をしているのかな?」「どうしたいと思っているのかな?」と冷静に自分を見下ろすことを「メタ認知」という。孤独でどうしようもなくなったときやトラブルに見舞われたとき、メタ認知ができる人は強い。
「あ、自分は今こういう状況に置かれているのだな、じゃあこうすればいいかも」と次の一手が読めるからだ。
 しかし「寂しい! 誰かいないの?」とか「誰でもいいから助けてくれ!」などと誰か救ってくれそうな人を求めてどしゃ降りの中を走ると、たいてい間違った方向へ行く。
 
◆自分を信用しすぎない
 寅卯天中殺生まれは「born to run」、休むことをきらう人種である。常に泳ぎ続けていなければ死んでしまうサメのようなもので、特に女性の場合、スリルとサスペンスを求めて自ら過酷な運命へ飛び込む傾向が強い。
 これを読んでいるのも「天中殺? ふん、上等じゃん」と鼻でせせら笑う寅卯天中殺生まれがほとんどだと思うし、それはそれでかっこいいが、前後を省みず好き勝手に立ち回るとケガをする。
 2011年の合い言葉は「自分を信用しすぎるな」。
「だいじょうぶ! 絶対できる」と思っても、環境がそれを許さないこともある。自分の運と能力の稼働率はいつもの5〜6割程度と心して慎重に。
 
◆なるべく動じない
 天中殺期間はその人の最も弱いところにダメージが出やすい。これは「お前の弱点はここだよ、どうすればいいか考えなさい」という12年に1度の天のサジェスチョンとも言える。
 だからつらいこと、イヤなことがあってもグチをこぼさず謙虚に受け止めて対処すれば、ひとまわりもふたまわりも大きく成長できるでしょう。
 でも「この試練をありがとう」なんて言える人、めったにおらんでしょう。じゃ、どうするか。
 なるべく動じないことです。「ものごとはすべて必然性があるから起こる」と心して、へそ下の丹田でグッと受け止め、そのつど自分にできる最善の方策を立てられたい。 

陰徳を積む
 わかりやすく言うと「人にやさしくする」とか「困っている人に親切にする」とか「ウソをつかない」とか「きちんと挨拶する」などといったこと。別に難しいことじゃないしお金もかからないが、これが厄除けとして効く。
 陰徳を積むと大難は中難に、中難は小難に、小難は無難に替わる。

 天中殺と言っても見た目に何がどう変わるわけではないし、「そんなのナンセンス」とまったく信じない人も多いと思う。それはそれで全然いい。そういうのを気にしなくても生きるのに支障はない。
 でももし「あれ? ずっと調子悪いな」とか「いつもの解決策が通用しないぞ」などとあせったときは、今回の記事をどうぞご参考に。
  さ、あともうちょっとの辛抱。もう少したてば、暗黒の宇宙から地球に帰還できますよ。
 それではみなさん、引き続き2011年宇宙の旅をお楽しみください。あ、シートベルトを締めるのをお忘れなく。

2011.02.17 

 

人はなぜ眠るのか

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 人は1日約16時間起きて(生きて)約8時間眠る(死ぬ)。ぐっすり寝ている間は周囲で起こっていることが一切見えないし聞こえないしにおいを嗅げないし味わえないし動きを感じられない、つまり死んでいるようなものだ。
 寝ている間、人はどこへ行くのか。
 あの世ではないだろうか。身体を布団に横たえたまま、魂だけが次元を越えてあっちの世界へ行くのだ(ただし、へそと魂を結ぶ玉の緒はつながっている)。
 三途の川を渡りきってしまうと玉の緒がちぎれて身体が死んでしまうので、川の手前にある「生きている人間 専用広場」でとりあえずまったりしているのではないか。そこはあっちの人(死んだ人)とこっちの人(生きている人)が自由に交流できる、ふれあい広場のようなものだと思う。
 
「ポン太郎ちゃん」
「あっ、おじさん! 久しぶりだね、死んでもやっぱり女装してるんだね」
「ふふ、お元気そうで何より。あっちからいつも見てるわよ」
「ちっとも元気じゃないよ、娑婆はなかなかきびしくてね。こないだリストラされちゃったしマンションのローンはまだまだあるし女房は子ども連れて実家に帰っちゃうしで落ち込んでるよ」
「そうみたいね。ま、一杯飲みなさいよ」
「身体がないから味よくわかんないよ。おじさん俺お先真っ暗、これからどうしたらいいんだい」
「だいじょうぶよ心配しなくても、なるようになることになってるからあんたの思う通りにやってごらん。あんたが生きてる世界ってのは悪いことが起きなければいいことも起こらないようになってんの、つまり悪いことが続くのはいいことの前ぶれなのさ。苦あれば楽あり、だまされたと思ってもう少しガマンしてみな」  

「よう、アミ子」
「あっ、生前大きらいだった女ボスのサキサカさん」
「こんなとこでぐったりしょげてんじゃないよ、ゾンビみたいじゃん」
「いわばゾンビのサキサカさんに言われたくないです」
「どうせまた同じことでつまづいてんだろ、んであたしみたいなのに死ぬほど怒られてるんだろ」
「あっ、なぜわかる!」
「人間ちゅうのは同じミスを繰り返す動物なんだよ、根本的な問題から逃げている限りお前に救いはないよ。どうしていつもいつもこうなるのか考えてみな」
「・・・・・・」
「あたしは生前わざわざ憎まれ役を買って出てやってお前にとっては非常にありがたい存在だったのに逆恨みしやがってこのばかちんが。いいかアミ子、うまくいかないことを人のせいにしねえでハッもしかするとこれは自分の力不足ではねえかと自覚して少しは努力してみな」
「・・・・・・うーん」(アミ子、頭をかきむしる)   

 そんな感じで人はみな親しい人や親しくない人やあるいはかわいがっていた動物などから慰められたり元気づけられたり一緒に泣いたり笑ったりどつかれたりしてカツを入れているのではないか。で、目が覚めてからなんとなく元気になったり仕方ないなあと思ったりしながらそれなりに1日をスタートさせるのではないか。  
「この世での生活は基本的に自己判断&自己責任」というルールに基づき、ふれあい広場での出来事はほぼすべて記憶から抹消されるシステムになっているが、それでもたまにあっちからこっちへ帰るまぎわに言われたことは記憶に残ることがある。
「だいじょうぶやってごらん、きっとできる」
「私、そっちの世界から旅立ったの。今までありがとうね」
「タンスを捨てる前に、一番下の引き出しの後ろを見てごらん」
 いわゆる「虫の知らせ」とか「夢枕に立つ」とか「お告げ」などと言われるやつである。こういうのはだいたい明け方ごろに見る。

 睡眠時間に多少の誤差はあれ、人は誰でも眠らないと生きられない。
 なぜか。理由は2つ考えられる。
 ひとつは身体の全細胞に修復活動を営ませるため。一日活動し続けて疲れた細胞をリセットするには、よけいな力を抜かなければならない。
 もうひとつは魂にパワーチャージするため。魂が本来の光を取り戻すには、何もかも脱ぎ捨てた状態にならなければいけない。
 目に見えるものはこっちの世界、目に見えないものはあっちの世界で、それぞれ睡眠中にきっちり充電しているのだと思う。

2011.01.31

あんみつ屋

 天神様にお参りした帰り道、小腹がすいたのでどこか適当な店はないかとあたりを見回すと、あんみつやみつまめ、ところてんなどを供する甘味処がぽつんとあった。
 老舗の店らしく、ひさしが黄土色に色あせ、建物の輪郭がところどころぼやけたようにくたびれている。
 古いなあ、でも他に店はないし何か甘い物食べたいしたまにこういうとこ入るのも悪くないかなと無理に決心してぎぎぎと引き戸を開けた。 
 棺桶くらいの大きさの真っ黒い柱時計が、ほこりの堆積した暗い店内で静かに時を刻んでいる。短針は4を少し過ぎている。
 中途半端に広い店内は3方を壁に囲まれ、西側のくもった窓ガラスから長い夕陽が憂鬱そうにさし込んでいる。日の当たる場所以外は薄暗い。
 客は私のほかに老婆と中年女性がひとりずついて、ところてんとかくずもちなどを食している。窓際の光の当たる席が空いていたのでそこに座り、しばらく待つと若い女性店員がオーダーを取りに来た。ぷっくり太った娘だ。餅のように色が白い。
 あんみつと抹茶のセットを注文し、暇つぶしに携帯をもてあそび、それにも飽きてぼうっとする。左側の窓から右側の壁奥へまっすぐ走るオレンジ色の光の中で、細かいほこりの粒子がゆっくり宙を泳いでいる。

 老婆が席を立ち、ほどなく中年女性が立ち上がり、会計を済ませて店を出て行った。
 目の前にあんみつと温かいお茶が運ばれてくる。黒蜜を回しかけ、干し杏子を食べてスプーンで四角い寒天をすくい取る。ぎゅうひはもう少しあとだ、黒蜜が染みてから食べるのがおいしいんだと自分に言い聞かせる。
 あれ? 背中が寒い。それとなく後ろに眼をやると、ひんやりとした闇が広がっている。
 暗くてよく見えないや、それにしても明と暗のコントラストが強い店だなあと前を向いて再び食べようとした瞬間、自分の真後ろのテーブル席に若い女性が座っている気配を覚えた。肉眼で見ているわけではないが、後頭部でそう確信した。
 何だか寂しそうだな肩に手を伸ばしてくるなよ耳元に話しかけてくるのもだめだそのままそこにじっとしていてくれと心の中で願いつつぎゅうひと寒天をすくい取り、お茶を一気に飲み干して立ち上がろうとすると店員が「お茶いかがですか?」とニッコリ笑って有無を言わせずあつあつのを注いでくる。あああありがとうと答えて仕方なく湯のみに口をつけるが、熱いのでほんの数滴ずつしかすすれない。
 カッチコッチカッチコッチと大きな振り子がゆっくり揺れている。背中にぞぞぞと鳥肌をたてながらやばい、やばいぞここ、長居は無用だ何か立ち上がるきっかけがほしいなあと悶々とする。
 入り口でぎぎぎと重い音がして親子連れが入ってきた。長い髪が蛇のように乱れた女の子は小学校1年くらいか、なぜか知らないが白目をむいている。
 何でもない顔をして椅子を引き勘定書をつかんでレジに向かう。後ろは決して見ない。ひたすら引き戸の外に意識を向けながら、早くおつりをくれ一刻も早くここから脱出したいのになぜいつまでもぐずぐずレジを打っているのだと気をもむ。
 入ってきた親子連れは店の奥、ちょうど目に見えない女性が座っていたあたりにちょこんと座り、薄暗がりからじっと私を見ている。

2011.01.25

留守電

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 去年の今頃の話である。外出しようと留守電のボタンを押し、玄関に向かうと電話が鳴った。
「・・・・・・ただ今電話に出られませんのでご用の方は・・・・・・」
 留守録が作動し始めた。誰だろう? と履きかけた靴を脱いで電話の前に立つ。
「・・・・・・」
 しばらく沈黙。
「・・・・・・ヨシオ、ヨシオ・・・・・・わしだ」
 ヨシオ?
 まったく聞いたことのない老人の声だった。しかもザーザーと背後に雑音が混じり、何を言っているのかよく聞き取れない。
 そのまま耳を傾ける。
「・・・・・・○○につまずいて腰を打った、起き上がれない。・・・・・・何とかしてくれんか」
 何とかしてくれんかって言われても、私はヨシオじゃないよおじいちゃん。
 どうしようと思っているうちにぷつんと切れた。
 正しい番号にかけ直して本物のヨシオに救いを求めてちょうだい、私はもう出かけねばならぬと後ろ髪を引かれる思いで外に出た。
 夕方、用事を済ませて家に戻った。留守電のランプがチカチカ点滅している。ボタンを押して再生する。
「メッセージが3件あります。最初のメッセージ ○時○分」
 いやな予感がした。
「・・・・・・ヨシオ、あれからずっと起き上がれないんだ。・・・・・・何とかしてくれ」
 くぐもった声が入っていた。
「次のメッセージ ○時○分」
「・・・・・・ヨシオ、ヨシオだろう・・・・・・、わしだ。立ち上がれない、困っている。・・・・・・なあ、頼むから何とかしてくれないか」
「次のメッセージ ○時○分」
「・・・・・・ヨシオ、ヨシオ、・・・・・・わしゃあもうだめだぁぁぁ」
 メッセージはそこで終わった。力のない消え入るような声、しかし妙にねっとりと耳にからみつく声がいつまでも耳に残った。
 今度かかってきたら電話番号が間違っていることを伝えて119にかけるよう言おうと電話の前でしばらく待った。
 しばらくすると「たたり神」という言葉がぼんやり浮かんだ。自分はもしかすると釣られる寸前だったのではないか、うっかり電話を取っていたらしわがれた手につかまっていたのではないかとうっすら背筋が寒くなり、そっと電話のそばを離れた。

 2011.01.21

五黄殺の飲み会

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 飲み会に参加。あまり気乗りがしなかった。
 体調が今ひとつだったこと、メンバーが猛者(=クセ者)ぞろいなど理由はいろいろあったが、もうひとつ付け加えるなら自宅から見た店の方位が日・月・年ともに「大凶」とされる五黄殺だったことが挙げられる(五黄殺とはやることなすことすべて裏目に出る方位のことで、楽しいはずの旅が後悔だらけの旅になると言われる)。
 いや方位のパワーなんて思い込みに過ぎない、そんなものは全然気にしなくていいと自分に言い聞かせて家を出た。 
 待ち合わせ時間よりかなり早く着いたので駅ビルの書店で本を買い、コーヒーショップでしばらく読んでから店に向かった。
 あらかじめネットで店のホームページから地図をプリントアウトしておいたおかげで、すんなり目的地に到着。
 しーん。誰もいない。
 店の女の子に「○○さんで予約を取ってあると思うのですけど」と聞くと「ああ、2階にいます。お1人、もういらしてますよ」とたどたどしい日本語でらせん階段の上を指さす。
 なあんだそうか1階じゃなくて2階を予約していたのねと階段を上ると誰もいない。
 じゃあすでに来ている1人ってどこにいるの、トイレにでも入っているのとコートを脱ぎ、誰もいないテーブルでしばらく待つ。待っても待っても誰も来ない。トイレからも誰も出てこない。
 店の中は薄暗い。音楽も鳴っていない。いきなり携帯が鳴った。
「いまどこ? 待ってるから早く来て、えっ2階? この店2階なんかないよ何言ってんのいったいどこの店にいるの」
 あわててコートをはおり階段を下るとさっきの女の子はどこにもいない、どころか店には誰もいない。

 外に出て向かいの焼き鳥屋の若いお兄ちゃんに「あのう○○という店はここでいいんですよね、看板出てますもんね、でももしかすると他に同じ名前の店ってありますか」とたずねると「この店ヘンな名前ですよね、たしか駅の反対側にもう1件ありますよ、場所は知らないですけど」と言われる。
 駅に向かいながら携帯で「たしかに駅のこっち側って言ったよね、どういうことだこれはぁ」と怒りを込めて言うと「あははごめんごめん、どうしてそんな変なほう行っちゃうの、あっそうかオレ間違えた西口店じゃなくて東口店、そっちじゃなくてこっち、そこからの道すじわからないから適当に歩いてきて、面倒だったらタクシー拾えばいいじゃん、早くおいでよーあははははは」と脳天気な返事が帰ってきた。
 お前から誘っておいてそれはないだろうさんざん歩かせやがって東口店の地図なんか持ってねえしいっそこのまま帰ってやろうかええおいコラぁと心の中でののしりながら冬土用の寒い寒い街を歩く。

 30分ほど歩いてようやく目的地に到着。ガラス越しに知り合いが2人、大口を開けて笑っているのが見える。
 思い切り眉間にしわを寄せて席に着くと「ごめんごめん、あはははははそうか店間違えちゃったんだぁー」とうれしそうに笑う。思い切りガンを飛ばしてからビールをグパッと飲む。
 その後遅れてやってきた若いのが何人かテーブルに加わる。まったくの初対面。あれっメンバー増えるの聞いてなかったけどまあいいかと勢いでビールジョッキ2杯あけて梅酒サワー飲み干して赤ワインにも触手を伸ばした。
 これ以上飲むとやばい、あっ時間も時間だしそろそろ引き上げようかなと席を立ちトイレに入る。
 鍵がなかなか閉まらない。立て付けの悪さに閉口しながらやっと金属のつまみをぼこんと横に倒した。
 用を済ませ、手を洗い、よし帰ろうとつまみを上げようとするとつまみが上がらない。ドアを押したり引いたりしながら鍵をガチャガチャやるがつまみは固まったままびくともしない。
 まずいぞ携帯をテーブルに置いてきたしこのドアとてつもなくぶ厚いから中で大声出しても誰にも聞こえないだろう、あっそういえば自分は閉所恐怖症だったと気づき、一気に酔いが覚めた。鍵と格闘するうち「五黄殺」という文字が頭の中にぼんやり浮かび、やがてくっきりあぶり出された。
 もしかすると自分はこれからヘンな名前の店の狭くて薄暗いトイレでしばらく人生を過ごさなければならないのだろうかと絶望しかけてしばらくすると、魔法が解けたようにいきなりスッとつまみが動いた。
「ふふふ、楽しんだかね?」
 悪意たっぷりのささやきに耳をそむけてトイレから脱出し、席に戻る。
「どうしたのずいぶん長かったですねだいじょうぶですかあ」と目の焦点の合わない女子に微笑みかけられ、ああだいじょうぶですどうかお気になさらずにじゃあ自分は帰りますからと金を置いて逃げるように店を出た。
 あははははは何なのおかしいよおかしすぎるよそれと馬鹿みたいに高笑いする声が背中から矢のように追いかけてきて、危うく突き刺さりそうになった。

2011.01.18

牛丼

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 知人に連れられて浅草へ。
 どじょうを堪能したのち老舗のバーへ行く。裏通りをうねうね歩き、迷路のような細い路地に入った記憶があるが、詳細はまったく覚えていない。ただカウンターの後ろにずらりと並んだウイスキーの瓶がまぶしいほどピカピカに光り輝いていたことだけは覚えている。
「あんたたちどぜう鍋食べてきたでしょうわかるわよそれにしても寒いわねえあたしババシャツ2枚着てるの米はやっぱりコシヒカリだよ西郷隆盛のあそこはとてつもなく大きかったらしいねえいや見たわけじゃないけどさ」
 70歳くらいのベテランママの途切れなく続くマシンガントークを一身に浴びて店を出ると夜12時すぎ。小腹がすいたので牛丼をテイクアウトしようと思い立ち、数年ぶりに牛丼屋に入った。
  
 入り口に四角い食券販売機があり、若くて真っ黒いカップルがああでもないこうでもないと迷っている。数分後にようやく彼らが去って番が回ってきたので牛丼の普通サイズ券を2つ(翌朝のぶんも)買い、カウンター席に座った。
 店内はほぼ満員、蛍光灯のオレンジ色の光がぼんやり灯っている。
「あのう」
「ちょっとお待ちくださいねー、今行きます」
 店員はものすごく忙しそうだ。牛丼を盛りつけたり調理したり空の食器を片付けたりテーブル拭いたりおかわりをよそったりと片時も休まず動き回っている。
 私の左隣に座っているやせたメガネの青年はすでに食べ終えたようで、空の丼に箸を乗せてじっとしている。あまりにも動かないのでそっと盗み見ると、背筋をピンと伸ばして丸めた右手を口に当てている。楊枝で歯の掃除でもしているのかと思ったがどうもそうではないらしい。ただ単に丸めた右手を口に当てているだけだ。
 あれどうしてこの人動かないの瞑想でもしているのと考えを巡らせていると目の前に30代半ばの男性店員が来たので「牛丼2つ、テイクアウトで」とお願いする。
 極太の眉が左右1本につながった彼は「少々お待ちください」と言い残してすぐ向こうへ去った。隣の青年は相変わらず微動だにしない。
 50代後半と見られる半眼のちょっとくたびれた女性店員がいつの間にか目の前に立って「お箸はどうします?」と聞いてきたので「あ、お願いします」と答えると「あっちにありますから取ってきてくださいね」と言う。指さしたほうを見ると店の奥である。
 牛丼を食べたり味噌汁をすすっている人たちの背中を縫うようにして割り箸を取りに行く。
 カウンターに戻ってしばらく待つ。隣の青年はまだ右手を口に当てたままだ。だいじょうぶかもしかするとやばいのではないかこの人と思っていると先ほどの女性店員がまたやってきて「お箸はどうします?」と同じことを聞いてくる。あ、今さっき取ってきましたからとテーブルの上に置いた箸を指さすと、「取ってきましたからもういいって」と一本眉の男性店員に告げる。
 隣の青年が静かに立ち上がり、そのまま音もなく店の外へ消えた。
 呪いでもかけられていたのか、しばりが解けてよかったなと人ごとながらホッとしていると、右隣にいた中年の男性客が運ばれてきた膳を前にして「小鉢がないんだけど」と独り言のように言う。
「小鉢はもう出ないんですよ、昔はあったんですけどね」と女性店員が答え、しばらく2人でぼそぼそ話している。耳を澄ますがまったく聞き取れない。
「紅しょうがはつけますか?」
 一本眉が遠い調理場から唐突に問いを投げかけてきたので「お願いします」と大声で答える。
「七味はどうしますか?」と続けて聞くので「それもお願いします」と大声で言う。
 しばらくすると一本眉がカウンターから出てきて大きな図体を小さく丸め、客の背中を縫いながら私のところまでわざわざ牛丼の袋を持ってきてくれた。カウンターの中から渡してくれれば早いしラクなのになあと思いつつ礼を言って店を出る。

 冬土用の深夜は寒い。冷たい風に逆らうように家路を急いだ。
 家に戻って袋から牛丼を取り出す。
「あっ」と声が出る。
 紅しょうが8袋、七味7袋。ちなみに紅しょうが1袋あたりの分量はかなりあり、1袋で牛丼1個を十分まかなえる。紅しょうが好きでも2袋入れればちょっと多い、4袋入れたら牛丼ではなく紅しょうが丼になるだろう。いやそんなことを言ってはばちが当たる、紅しょうがも七味も自分的には大好きだからよかったじゃないかと紅しょうが1袋と七味1袋を乗せて牛丼をいただく。
 久しぶりに食べたそれはものすごくおいしかった。
 消化のために小1時間ほどつまらないテレビを見てから床につく。牛丼屋の光景がぐるぐる頭の中を駆け巡る。そういえばあの店の照明はオレンジ色だった、なぜ満席なのにしーんとしていたのだろう、店員も客も妙に浮世離れしててなんだかロッキーホラーショウみたいだったなどとつらつら考えるうち眠ってしまった。 

 翌朝、冷蔵庫を開けてみた。がらんとした庫内に牛丼、紅しょうが7袋、七味6袋がころがっている。やはりきのうの店にいた彼らは宇宙人であり、彼らはカムフラージュのために牛丼屋の店員と客を装って作戦会議を開いていたのではないか、そしてこれは突然の訪問客に対するささやかなプレゼントだったのではないか、なんだか妙にやさしい宇宙人だったなあと冷蔵庫の前で呆然とたたずんだ。

2010.12.31

黒い森

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 ずいぶん昔、暮れも押し詰まったちょうど今くらいのころ、仕事でとある町へ出かけた。朝から仕事を始めて、終わったのは午後2時か3時ごろだった。

 帰路につくため最寄りのバス停まで人気のない道を延々と歩き、1人でバスが来るのを待っていた。夕方と言うにはまだ早すぎる時刻だったが、しんと冷えた静かな空気があたりに漂っていた。
 寒さにうんざりしながら道路の反対側に目をやると、人の背丈ほどの高さの塀にぐるりと囲われた敷地の内側に、暗い森が広がっていた。
 あそこはいったい何だろうと見ていると、敷地の門からぞろぞろ人が出てきた。10人ばかりの男性が、出てすぐのところで所在なさげに立ち止まった。誰かと手をつないだり、一人で立ちすくんだり、じっと地面を見つめたり、まるで屋外に放置された銅像のようだった。
 門には鉄格子の扉がついていた。扉の横の古ぼけた看板に○○精神病院とあった。そこではじめて、入院患者が外に出てきたのだと気づいた。
 引率者らしき人が「じゃ行きますよ」と言うと、みな一斉にうなずいた。若者から老人まで年齢はバラバラだったが、どの顔もみな無邪気で屈託がなかった。
 そうか、これからみんなで散歩に行くのだな。
 私の乗るバスが来た。
 がらがらの車内に乗り込んだ私はあれこれ想像をめぐらせた。
 あの人たちは咲いている花に見とれたり、馴染みの猫に出会ったり、どこかの店で好きな菓子を買ったりするのだろうか。歌はうたうだろうか、何を口ずさむのだろう。
 男たちは一列に並び、弱く輝く太陽に向かってゆっくり歩き出した。まるでオレンジ色の光に吸い込まれる蟻のように。
 バスが発車した。私はガラス窓越しに振り返った。
 薄暗い塀の外にいた男たちはすでにどこかに消えていて、ただ黒い森だけがひっそり息づいていた。

2010.12.23

年の瀬の3つの話

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★神社
 大祓の人形(ひとがた)に思いっきり息を吹きかけて神社へ持参。毎年末たいてい天気がいいのは大掃除や参拝に不自由しないようにとの天の采配か。
 雲ひとつない青空、日陰は冷たく、日なたは温かい。
 暮れの神社は人がまばら、空気が澄んでいて気持ちがいい。
 今年も1年間ありがとうございましたと神前で頭を下げてから人形を納める。
 ああこれでひと安心、しかしこの階段を転げ落ちたらしゃれにならんわいと自分をいましめつつ、ものすごく急な階段をゆっくり降りた。 

★白い犬
 郵便局へ行く途中、初めての裏道を通ると古ぼけた店の前に白い中型犬が店内を向いてせつなそうに座っている。首輪はついているがリードはついてない。
 どうしたの1人でなにやってんのこのお店に住んでるの、それにしちゃ店と距離置いてるじゃんもしかすると何かわけありでしめ出されたのといそいそ近寄る。
 日本犬系の雑種、老犬のせいかぶよぶよ太め。手を差し出すと立ち上がって指のにおいをクンクン嗅ぎ、それから困ったような目をしてこちらと少し距離を置いた。
 あこいつ警戒してやがる、なんだよ自分は大の犬好きなんだぞとアピールするが何の効き目もない。犬も人間も年寄りはがんこだ。
 仕方ないので手を引っ込め、悲しみを覚えつつ郵便局へ向かった。 

★遊就館
 市ヶ谷へ出かけたついでに靖国神社へ。ここはいつ来ても凛と引き締まった空気が流れていて、自然に背筋が伸びる。
 拝殿で頭を下げてから、戦争で亡くなった人の遺品を展示した遊就館へ。
 館内は想像以上に広い。最初は歴史の教科書に出てくるような鎧や刀などが展示されてやんわりした雰囲気だったが、歩き進むうちしだいにシリアスな様相を帯びてきた。
 女性の髪で編んだ真っ黒い太縄(白髪も交じっている)とか血染めの白シャツとか弾が貫通してぼろぼろになった軍服とか独身のまま命を落とした息子に贈った花嫁人形など、せつない思いのこもった遺品が数え切れないほど展示されている。
 最後は戦争で亡くなった人たちの顔写真がずらり。いったい何千枚あるのかわからない。もちろん、同じ顔はひとつもない。精悍な顔、やんちゃな顔、やさしい顔、気弱な顔、思慮深い男性の顔に混じり、まだ少女の面影を残したあどけない女性の顔もある。
 あまりにも無邪気で屈託のない笑顔。みんな、もっと生きたかっただろうなあ。生きてれば楽しいことがたくさんあっただろうになあ。
 はかない笑顔に取り囲まれるうち、涙が出てきた。
 外に出るとすでにあたりは暗く、伝書鳩や軍犬や軍馬の像がひっそり立っている。 動物も大変だったなあと思う。
 再度拝殿へ戻り、深く頭を下げた。
 ここに祀られている人たちは、今の日本を見てどう思うだろう?
 ふとそう考えた。
 愛のない国になってしまったなあ。
 そんな声が頭の中に入ってきた。
 境内の南門から出て靖国通りを歩く。
 じゃあどうすればいい? 誰だって愛がほしい、でもその方法が見つからなくて悶々としてる。
 簡単だよ、人にやさしくすればいいのさ。人にやさしくすると、人からやさしくされるだろう。その繰り返しで人はだんだん幸せになっていくんだよ。
 市ヶ谷駅が見えてきた。紺色の街に、飲食店の灯りがふんわり輝いている。いい色だなあ、この年末は冷たい人も温かい人もみな等しく温かい光に包まれますようにと横断歩道を渡りながら祈った。

2010.12.19

ヴァンパイア城

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 ある晴れた日の朝、大学病院へ。
 おだやかで気持ちいい日だね、中庭の紅葉がきれいじゃん、へえ今どきの病院はおしゃれなカフェとかコンビニとかあるの、受付も支払いも無人機かあ、建物吹き抜けでおしゃれだね殺風景なデパートみたいと最新の設備にいちいち感動する。自分が体調をくずしたわけではなく、付き添いなので気分は軽い。
 受付を済ませて検査室の待合へ行くと、朝いちで来たはずなのにすでに順番待ちの長蛇の列。うわあみなさんいったい何時に来たのと不思議に思う。きっと業界ならではの暗黙のルールというか必勝テクがあるのだと思う。
 患者が次々に検査室に吸い込まれては吐き出される。大学病院はとても合理的なシステムのもとで運営されている。
 名前を呼ばれるまでぼんやりガラス張り&吹き抜けの院内を観察。だだっ広い入り口から続々と患者が入ってきて受付作業を済ませるとエスカレーターでぐいーんと上り、それぞれ目的の階へ散らばっていく。世の中にはこんなにたくさん病人がいるのかと驚く。
 音楽が流れているようだが、かすかすぎてほとんど聞こえない。ブライアン・イーノのmusic for airportのような心の鎮まる環境音楽を流せばすてきなのにと思う。
 建物は広いし天井はガラス張りだし開放的な吹き抜けだし廊下のところどころに観葉植物が置いてあるのでこの病院には変な気が溜まってない、でも決して楽しいところではない。

 検査が終わり、会計を済ませて外に出るとすでに昼。さあ昼飯でもがつんといきましょうかと一歩踏み出してから気づく。あれ? 元気ないぞ自分。別にどこがどうというわけではないが萎えている。
 今日はぽかぽかして快適じゃんとウキウキする身体の中で、「いやあそんな、それほどでも」と心がどんよりとぐろを巻いている。
 なぜこういうアンビバレンツが起こるのか。
 話は簡単、病院で気を吸い取られたのである。
 病院とは体内の気が陰に傾いた人間が集まる場所だ。そこに陽の気が満ちた人間が行くとどうなるか。浸透圧の作用で陽の気を吸い取られてしまうのである。結果、どこも悪くないのに気持ちが沈む。
 うわあやべえ陰気に傾いちゃったとしばらく日なたで太陽光線を浴び、帰宅してから着ていた服をバサッと洗濯機に放り込んで新しい服に着替え、気を取り直した。 

 相対するだけで精気を奪われてぐったりしてしまう相手をエネルギーヴァンパイアと呼ぶが、建物にも「行くだけで疲れる」とか「そこで過ごすだけでゆううつになる」という空間がある。それを「ヴァンパイア城」と呼ぶ。
 ヴァンパイア城に長居は無用。帰還したら速攻で塩風呂に入り、衣服をすべて取り替えてから(繊維には気がからみつく)、温かい飲みもの&甘いものなどでじんわり自分を取り戻すのがパワーゲージ回復のルールである。

2010.12.01