チョコレート最終決戦

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 バレンタインデーを間近に控え、デパートの特設会場はどこも百花繚乱のチョコ祭り。一粒600円以上もする超高級トリュフ(一粒ですよ一粒)や色とりどりの美しい宝石のようなチョコ、フルーツのチョコがけ、ビーンズチョコ、動物モチーフのチョコ、和チョコなどが所狭しと並べられている様子は、まさに「チョコ万博」と言っても過言ではありません。
 チョコ好きの自分はすでに3カ所ほど回りましたが、どこへ行っても会場を訪れる客の99%が女子、1%が男子で、チョコレートとは女子の嗜好品であることがよくわかりました。たぶん購入されたチョコレートの約8割は、最終的に女子の胃袋に収まるのではないでしょうか。
 ということでバレンタインデーを狙って恋活をもくろむ人のためのゴールデンルール5つ。よろしければご参考に。

1 高すぎるチョコを渡さない
 ほとんど接点のない相手にいきなり1万円クラスのチョコを渡すとどうなるか。はい、気味悪がられます。「どんな野望や魂胆があるのか」と恐れられ、手編みのセーターを渡されたときのような顔でドン引きされるでしょう。相手に対する期待値を価格に置き換えてはいけないのですね。
「ああ高そうなチョコをありがとう、妻が好きなんだよね」と言われたとき殺意を覚えないためにも、2000円、せいぜい3000円クラスにとどめておくほうが無難です。そもそも1000円のチョコと3000円のチョコの味の違いがわかる男なんてほとんどいませんから、「そこそこの価格で見栄えのするもの」を選ぶのが得策です。余ったお金は将来のために貯金しておく、もしくは自分のために好きなチョコを買いましょう。

2 かといってカジュアルすぎるチョコでもダメ
 いくらおいしくても、本命の相手にキオスクやドラッグストアに並んでいるようなカジュアルなチョコを渡すのは避けたほうがいいでしょう。お徳用の袋入りもNGです。ひと目見た瞬間に「義理だな」「特売だな」「ついでに買ったな」とガッカリされます。

3 あっためない
 買ったチョコを暖房の当たる場所にずっと置いといたり、熱く高鳴る胸に抱きしめて寝たりすると溶けてしまいます。高級なチョコほど溶け率が高いです。開封したときに「なんじゃこりゃ」「いやがらせでは?」などとこちらの人格を疑われないためにも、ひんやりしたところに保管しておきましょう。

4 メッセージを添える
 バレンタインデーの本当の主役はチョコレートではなく、メッセージを書いたミニカードです。
 しかしこのカードにいきなり「すっごく好きです!」とか「去年の夏、社内運動会の障害物競争で網くぐりの網にからまってドン臭くもがいていたあなたをお見かけして以来、心の底から愛してしまいました」とか「ふふふ・・・・・・私は誰でしょう。ヒント:資材部の部屋の中心から見て東北方位の窓ぎわ、ちょうど鬼門ライン上のデスクに座ってまーす (^^)」などと書かれていたら、気の弱い男はそれを読んだとたん一目散に逃げ出すでしょう。
 メッセージカードには「好き」とか「愛してます」とか「つきあってください」とか力強く毛筆で書くんじゃなくて、「チョコレートの味はいかがですか? 感想はこちらまで→○○○○@○○○○.ne.jp」とボールペンで軽くメモするくらいがちょうどいいと思います。ただし相手の人となりがまだよくわからない場合は、いつでも捨てられる無料のフリーメールアドレスにしておきましょう。

5 見返りをすぐに期待しない
 人には人それぞれ抱えている事情があります。あなたがどんなに恋しくても、相手がすぐに返事を返してくれるとは限りません。
 その理由として「そもそもあなたのことが眼中にない」「女に興味がない」「すでに恋人もしくは妻子がいる」「体調が悪い」「仕事とかプライベートでトラブルを抱えていて今それどころじゃない」「チョコレートアレルギー」「根性がねじ曲がっている」などが考えられます。

「うまく運ばないことをゴリ押しすると、見舞われなくていい災厄に見舞われる」「最初からタイミングの合わない相手は、最後までタイミングが合わない」と運命学では申します。「チョコどうだった?」「メッセージの返事は?」などとこちらからカマをかけるのは控え、しばらく静観してみましょう。ホワイトデーを過ぎても無反応だった場合は「脈がない」「縁がない」「誠意がない」のどれかですから、すみやかに気持ちをリセットしましょう。
 どうしてもあきらめきれない場合は、ネクストプランとして相手の誕生日を狙います。この場合も、主役はプレゼントではなくメッセージカードです。「いつもありがとうございます、感謝の気持ちを込めて」とか「お誕生日おめでとう! 今度よろしければランチでもいかがですか?」あたりがいいでしょう。
 それでも無反応だった場合は、残念ですがその個体はあきらめて別の個体を探すほうがいいと思います。
 
 ・・・・・・はい、こんな感じです。あなたの恋がすんなり成就しますように。

2013.02.12

墓地に建つ家

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 ある朝起きると、窓の外からトンテンカンテンと建築音がする。どうも、どこかで家を建てているらしい。見ると、とある土地で新築工事を行っている。基礎工事が済み、木材が組み立てられているので、じきに棟上げというところだろう。
 ああおめでたい、新年早々家を新築するなんて、施主は今ごろさぞや希望に燃えていることだろうと想像したが、次の瞬間、あっと思った。
 その家は墓場に囲まれるように建っているのである。「墓場の敷地内に家を建てている」と言っても過言ではないくらい、間近も間近もいいところなのである。なにせ敷地を隔てる薄っぺらい塀のすぐ向こうに、地続きの墓地が広がっているのだから。
 しかし、大工たちは青空の下で意気揚々とトンテンカンテンやっている。ま、自分が住むわけじゃないからね。

 一般的には、墓地は住まいの周辺環境としては悪くないと言われている。高い建物がないので日当たり、風通しは申し分ないし、騒音の心配もない。ただし春と秋のお彼岸は人がざわざわ出入りしたり、線香の香りが家の中に漂ってくるといった欠点はある。しかしそれを差し引いても、閑静な環境を好む人にはうってつけの環境といえる。
 ただしそれは「道を一本はさんだ程度の距離」がある場合のことであって、家の窓からはたきを伸ばせば墓石に届くくらい間近だと、また話が違ってくるのではないか。

 太陽が水平線の下に沈んだ後、奴らは目を覚ます。どこかでオオカミが遠吠えを上げたのをきっかけに土の中からしわがれた手が次々に伸びて・・・・・・スリ、ラーッ! それマイケルじゃん、そうじゃなくて。
「お墓の下に私はいません」という歌があった。実際、墓の下に埋まっているのは幽霊でなくカルシウムである。だから恐れる必要などまったくありませんよと人は言う。「人は死んだら無になる。だから幽霊など存在しない」と言う人もいる。
 たぶんあの家にこれから住もうとする人は、霊だの魂だのをあまり気にしないたぐいの人ではないかと思う。それはそれでもちろんいいと思う。

 しかし「あーっ、今日もいい天気ねえ」と布団や洗濯物を干す目の前に墓、「今日はがんばるぞ!」とご飯をほおばる視線の先に墓、「あの人に思い切ってメール送ってみようかなあ」と座るトイレの真裏が墓、「いやあ極楽だなあ」と湯船に顔を埋める窓のすぐ向こうに墓、「今日は家族みんなでミッキーに会えて楽しかったねえ」とウキウキ帰宅する途中にも墓。見渡す限り墓、墓、墓。陰の気に満ちた墓に囲まれて、気持ち、萎えないか。「ゲッ、ゲッ、ゲゲゲのゲー」と鼻歌が出るうちはまだいいけども。
 元気なときならいいけれど、体調が悪いときや精神的な落ち込みが続いたとき、「墓に囲まれて暮らしているからこうなったのでは」とつい思い込みたくなるのが人間だ。
 そうなったが最後、「くしゃみが出たのは墓のせい」「夫の給料が少ないのは墓のたたり」「ダイエットが成功しないのは墓の呪い」など、何でも墓に結びつけて考えてしまう恐れがある。そうなると、住み続けるのが辛くなる。げに恐ろしきは、幽霊より「思い込み」だ。

 思い込みは生きている人間のみならず、死んだ人間にもあるだろう。
「死んだら墓場へ行くもの」と思い込んでいる人はたくさんいる。そういう人が亡くなったとき、そのまま行くところへスーッと行ければいいけれど、迷ってしまった場合はどうなるか。墓場を目指し、そこでうろうろする可能性が高くなる。
「あれ、やっぱりここじゃないような気が・・・・・・。あっ、あそこに光がある!」と走った先が、墓地に隣接する家の玄関や寝室だったらどうなるか。・・・・・・パキパキ家鳴りがしたり、電化製品がしょっちゅう壊れたり、あるいは敏感な住人なら、暗闇にまぎれる誰かの気配を感じるようになるだろう。

 お彼岸ともなれば、「イカ之助おじさんに好物のぼた餅持って行こう」と墓参りに行く人が増えると同時に、「サバ子が自分の墓を訪ねてくるからちょっくら顔出すか」と墓帰りする人も増える。墓地はあの世とこの世を結ぶランドマークだからである。
「ランドマークの近くにちょうどいい集会所できたじゃん、あそこでお茶しない?」「うんいいね、あそこ日当たりよくって居心地いいもんね」「じゃ、先月こっちに来たばかりのハモ美も誘おうか!」なんて勝手にどやどや入ってきて自宅の庭やリビングを利用された日にゃ、生きてる人間はたまらない。
 だからもしそこに暮らし続けようと思うなら、先住者の顔を立てて、多少のことには目をつぶって暮らすしかない。「ま、そういうこともあるだろう」と居直って共存するのである。
 ・・・・・・最後の切り札は引っ越しだ。そこを売るなり貸すなりして、別の家に移り住めばいい。問題は、「墓に囲まれた家に住みたい」と希望する人がはたしてすんなり見つかるかどうかである。

2013.01.13

ねずみ男

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 元日に氏神さまを参拝。
 年々長くなる行列の最後尾に並び、順番を待つ。
 急な階段を一段ずつ上った先には、茅の輪(ちのわ)がある。茅の輪とは、茅(かや)草で編んだ大きな輪っかのことである。参拝者はこの輪を八の字を描くように3回くぐって回り、1年のケガレを茅の輪に落としてから神前に向かう。
 1時間後、やっと茅の輪がくぐれるところまで来てふと振り返ると、自分の真後ろにいつのまにか背の低い男が立っている。
 あれっ後ろはたしかオレンジ色のダウンを着た長身の男だったはず、くたびれたねずみ色の上着に黒いズボンを履いていろいろなものが入った紙袋をぶら下げた年齢不詳のこの男はさっきまで絶対に存在していなかった、いったいいついかなる方法でここに入り込んできたのだろうと頭をひねるがわからない。無彩色の服を身にまとった男は背中を丸めたままじっと立っている。
 なんでこんなねずみ男みたいなのが自分の後ろにいるの、いったいどこから湧いてきたの、にしてもなぜオレンジ色の男は割り込みされても知らんぷりしているの、正月早々ことを荒立てるのもなにだからスルーしようと決めたのかといろいろ考えながら茅の輪をぐるぐる回る。
 神前で感謝と誓いを述べてからさあ御札買っておみくじ引いたろかと授与所へ向かうと、ねずみ男がぶつぶつ言いながら自分のそばをかすめ通り、行列の脇をスーッと歩いて行った。誰もその男に視線を移さない。
 けっこう周囲から浮いているのになぜ誰も見ないのかな不思議だなあと周囲を見渡して視線を戻すと、ねずみ男は煙のように消えていた。 
 あれは果たしてリアルだったのだろうかそれとも自分だけに見えていたのだろうかと首をかしげながら甘酒をもらい、ガーッと飲み干してからおみくじを開く。

 一番 大吉 
 朝日かげ たださす庭の松が枝(まつがえ)に 千代よぶ鶴のこえののどけさ
「天のお助けを受けてもろもろの災いが去り、大きな喜びがあるでしょう」

 ひやっほうと飛び跳ねながら、あのねずみ男はもしかすると福の神だったのかもしれないぞと思う。いやそんなわけはない、福の神が無彩色の服を着るはずないし、汚れた紙袋なんか持つわけないし、ぶつぶつ独り言なんかも言わないだろうと否定するがそういう定番はいったい誰が決めたのだという声が聞こえてきて混乱する。
 お盆やお彼岸や年末年始など節目どきにはこちらとあちらの境界線がゆるんで変なものが道ばたにごろごろ登場するのは知っていたが、まさか初詣にも来るとは知らなかった。まあいいやねずみ男、明けましておめでとう。

 みなさんも明けましておめでとうございます。
 2013年も明るく楽しく元気にいきましょう。いいことがたくさんありますように。

2013.01.04

見世物小屋

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「親の因果が子に報い、かわいそうなはこの子でござい」の口上に釣られて東京新宿は花園神社の見世物小屋へ。毎年酉の市に小屋が建つのは知っていたが、入るのは初めてだ。
 天井桟敷を彷彿させるアングラ演劇に大道芸とサーカスとお笑いをプラスしてお化け屋敷で割ったような淫靡な雰囲気に満ち満ちた小屋の中はまさに異界、声のかすれたおばちゃんの司会進行でさまざまな出し物が次々に繰り広げられていく。
 年季の入ったお姉さんの火炎放射や大蛇さんいらっしゃいやチェーンの鼻入れ口出しと「あなたの知らない世界」がてんこ盛り、若くて美しくてわけありのお嬢さんの蛇の躍り食いに至っては完全にデビッド・リンチの世界、紫色のカルトな世界に圧倒されつつほてった頭で小屋を後にした。
 その晩布団に入ってから見世物小屋のオールスターがのそのそと境界線を這い上がって登場、頭の周囲をぐるぐるまわりながら一晩中ラインダンスを踊ってくださりああもう勘弁してぇ〜になったことは言うまでもない。

2012.12.27

 

カリスマ

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 暮れも押し迫った12月のある夜のことだ。
 ああ今年も猛烈に早かった、年をとると時間の経過が早くなるのはなぜだろうと思いながら午後9時過ぎに市ヶ谷方面から靖国通りを車で走っていると、武道館から出てきた人々が九段下に向かって大行列をなしてぞろぞろ歩いている。
 これはかなり大規模なイベントが引けたに違いない、年末チャリティイベントか何かだろうかと信号待ちのときにふと見ると、黒い革ジャンや深紅のスーツに身を固めた男たちがところどころ混じっている。そして全員が何かに憑かれたように顔を上気させ、リズミカルに歩いている。
 芸人を集めたお笑いイベントでもあったのかなと一瞬思うが、そういうくだけた雰囲気ではない。みんな背筋をまっすぐに伸ばし、威風堂々と歩いている。
 純白のスーツの男が肩をいからせて車のわきを通り過ぎる。肩に細長いバスタオルを引っかけている。
 E.YAZAWA。
 ・・・・・・そうか、永ちゃんのコンサートだったのか。
 信号が青になる。車をゆっくり走らせる。
 長蛇の列をなして歩く人々の頭上から青白い光がまっすぐ立ち上り、それが空中で合体して美しいドレープのある緞帳(どんちょう)のようなオーロラを形成しているのが見えた。

 自分は矢沢永吉というアーティストに特に傾倒しているわけではないし、好きとかきらいとかいった思い入れもまったくない。しかしその光景を見て、これは武道館の中で実にものすごいことが起こっていたのではないかと想像した。この日の動員数がたとえば1万人とするならば、彼はたった1人で会場にいた観客1万人のハートをつかみ、「元気出そうぜ!」「自信持とうぜ!」「夢をあきらめるな!」と勇気づけ、実際に力を奮い立たせたに違いない。そうでなければ、あのように美しく力強いオーロラが空一面に広がるわけがない。
 おりしもその日は総選挙前で、選挙公示の掲示板にはたくさんの候補者のポスターが貼り出され、「明るく豊かな未来をつくります」「誰もが幸せになれる社会にします」「希望のある未来をお約束します」といった言葉が空っ風(からっかぜ)にさらされていた。しかしそういう上っ面(つら)の言葉が人の心を打つことはほとんどない。
 そんなものより今みんなが必要としているのは、裏も表もなくまっすぐ心に訴えかけ、萎えた心を揺さぶって生きる力を与えてくれるものだ。

 その夜、作り笑顔や策略や絵空事の約束が横行する世界の片隅で、永ちゃんのコンサートが開催された。それはともすれば夢や希望が黒く塗りつぶされてしまいがちな今の世の中において、実に貴重なイベントだったに違いない。
 嘘がつけない「音楽」という表現を通じて、「ノープロブレム、だいじょうぶ。俺たちはまだまだいける!」と周囲に明るい光を分け与えるこの人こそ、「カリスマ」の名にふさわしいのではないかと思う。

2012.12.18

リボンの騎士

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 ドライブの途中、空腹を感じたのでファミレスへ。
 ランチタイムをかなり過ぎた中途半端な時間なのにほぼ満員なのは休日のせいか。
「このランチセットにデザートをつけてどかんといきたいと思います、ああもちろん飲み物もつけたく思います」
 オーダーしてからサラダバーへ。レタスやらトマトやらキュウリやらがそれぞれのボールにてんこ盛り、マカロニやポテトサラダもたっぷり、ああどれにしようこんなんでお腹いっぱいにしたらメインの料理入らないぞとちょびっとずつちまちま取っていると背後にものすごく大きな人間がやってきた。1畳くらいある、もしや力士なのかとパッと見ると巨男である。
 うわあでかい、縦170センチ×横150センチ×奥行き100センチくらい、しかし妙に顔の造作がデリケートな男だなとよく見ると女であった。
「太め」とか「ぽっちゃり」とか「ふっくら」などというひかえめな形容詞をバズーカ砲で木っ端みじんに吹き飛ばし、かわりに「メガ」とか「超ド級(死語)」「ひと盛り3千万円」などと行書体でつづった旗を背中の鞘(さや)にクロス刺ししてどすんどすんと地響きを立てて歩いてくる一枚岩のようなイメージ、軽く見積もっても120、130キロはいっている。
 その一枚岩が自分の真横にずがんと停止して大皿に野菜やマカロニやポテトサラダを思いっきりわしづかみ、いやもちろん箸で、ごめんなさいこれ以上盛れませんと皿が悲鳴を上げるくらい盛りまくっている。
 脂肪のつきすぎたボディの上にちょこんと乗った顔は意外にも凛としていてリボンの騎士by手塚治虫に雰囲気が似ている。美しいアーチを描いた眉はキリッと濃く、大きな黒目はほんの少し愁(うれ)いをたたえている。20代後半と思われる。
 標準体重2倍越えの肥満体はたいていメンタルで何かしら問題を抱えている、お嬢さんあんた大きな不安か不満を抱えているね、その体重をせめて2分の1落とせば申し分のない美人になるし身も心も軽くなり人生が今より楽しくなるはず、いったい何があんたをそうさせたと心の中でよけいなお世話を焼く。

「お待たせしましたー」
 テーブルの上においしそうなハンバーグが運ばれてくる。ナイフで切れ目を入れると熱い肉汁がジュワッと飛び出す。すかさず口に運ぶ。
 んんん、んまい。
 巨体のリボンの騎士が両手に山盛りのサラダを携え、ゆっさゆっさと私のテーブルの脇を通り過ぎ、斜め前方の、白髪交じりの女性が座るテーブルに皿を置き、その対面にドカッと座った。そうか、母娘なのだな。
 母親は自分に背を向けているので顔は見えないが、寂しく折れ曲がった背中が「わたしはけっこう苦労してるンです」と無言で語っている。
 母親も娘も無言で黙々と料理を口に運んでいる。母親は食器に顔を向けっぱなし、娘は無表情で箸を上下するのみ。
 せっかくの休日の午後なのだから「今日は寒いねお母さん」「何言ってんだよお前、立冬過ぎたんだから当たり前だろ」くらいのフレンドリーな会話があってもいいのではないかと思ったがいやこの母娘はこの状態がデフォ(=デフォルト、「普通」とか「通常の状態」の意)なのだろうと思い直す。
 注文したハンバーグは予想外にボリューミーで食べても食べてもなくならない、まるで魔法のハンバーグだ。これ最後まで食べたら腹のふくれたカエルのようになる、もったいないがもうここでやめておこうと箸を置く。
 リボンの騎士がおもむろに立ち上がり、空の皿を携えてゆっさゆっさと自分の脇を通り過ぎていく。あの山のような野菜とマカロニとポテサラをもう平らげたのか。
 あそこに座っている母親は自分の娘があそこまでふくらんでしまったことをどう思っているのだろう? 
「たぶん何とも思っていない」という答えを直感的に得て暗い気持ちになる。

 娘の体重が標準枠を大幅に飛び越えて巨大化するもしくはガリガリにやせ細るのは母親の影響が大きい。過食や拒食は自分を支配する存在に対しての逃避や拒否を意味する。これは10代、20代に限らず母娘関係が改善しない限りいくつになっても続く。
 やさしくて繊細で小心なあまり「いやだ」と面と向かって言えない娘はやがてその気持ちが自分自身の身体に向かい、過剰に食べることもしくは極端に食べないことで現実逃避&現実拒否するようになる。
 日々の食事は生に直結しているので、それを放置するとやがて生命そのものが危険にさらされる。しかし母娘関係のゆがみが第三者に知られる機会はあまりないし、母親はもとより、当事者である娘本人もストレスの原因に気付いていないことが多い。

 ハンバーグの残った皿を下げてもらうと、ロールケーキが運ばれてきた。サラダバーに隣接するドリンクバーに行き、カプチーノをカップに注ぎ入れた。リボンの騎士が空の皿を引っさげてまたゆっさゆっさとこちらに向かってくる。 
 目を覚ませリボンの騎士、あんたはたぶんそれおいしいと思って食べてないしその行為にはきりがない、そんなものいくら食べても悩みは解決しないよ。
 湯気の立つカップにシナモンを振り入れる。
 逃げろ全速力で逃げろリボンの騎士、クモの巣が張り巡らされたその暗い城から一刻も早く逃げ出して、心から安心できる場所を見つけて本当の姿に戻れ。
 このカプチーノの香りが高い塔から垂らされたラプンツェルの長い髪となりますようにと願いながらテレパシーを送るがそんなもの通じるわけがない、リボンの騎士は重たい皿を両手に携えてゆっさゆっさとあきらめたような足取りで魔女の待つ城へ向かっていく。

2012.11.21

辰巳天中殺のみなさんへ その4

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 全国の辰巳天中殺のみなさんこんにちは。
 おげん・・・・・・あっ何ですかこの雰囲気、どよんとダーティーで邪悪な感じ、はい窓ぎわの方ちょっと窓開けてくださーい。おっといま宇宙空間を遊泳中なので窓開けられませんでしたね、失礼しました。空気清浄機の目盛りを「強」にしておきましょう。

 みなさんが天中殺に突入されてからはや10カ月近くたちましたが、いかがお過ごしでしょうか。
 耳なし芳一の琵琶の弾き語りに涙するざんばら髪の落ち武者状態の方、地べたを這い回っていらっしゃる貞子状態の方、誰も助けに来ない冬の山荘で狂った夫に追い回されるウェンディ状態の方、こわくてこわくて寝るに寝られないパラノーマル・アクティビティ状態の方、ああもう本当にいろいろいらっしゃいますねご愁傷さまです。もうそろそろ天中殺期間の折り返し地点に到達しますから、気を取り直してまいりましょうか。
 では、九星別に点呼を取りますね。

 一白水星の辰巳天中殺の方、はーい。ああかなりふらついておられますね、最終回のあしたのジョーみたい。
「うそぉ、こんなの冗談でしょう!?」とか「聞いてねーよ!」と叫んでダッシュしたくなる2012年だったと思いますが、11月はひときわお辛い1カ月ではなかったかと思います、どんなに困ってもだあれも助けてくれないんですもの。
 一白の辰巳はもともと打たれ強いです、他人なんかあてにしません、弱そうに見えて実は誰より強いしなやかな精神力の持ち主だ。でもね、2012年は辛かった。敵の謀略にはまっちゃった人、リストラで一文無しになりそうな人、あるいは干されてぼっちを堪え忍んでる人、みなさん孤立無援の台風のなかでようがんばっとる。
 なぜ耐えられるかというと、一白は「柳腰」だからです。強風にあおられると固い樹木は簡単にポキンと折れますが、しなやかな柳は折れません。
 その辺の強みを意識して活かせば、けっこうシビアな2012年末から2013年にかけても楽勝で乗り越えられるかなと思います。
 あ、旅のしおりを一白の辰巳さんたちに特別配布しておきますね。これは一白の辰巳さんだけです、ええこのグループの方たちは今後わりとシビアな試練を受けるのではないかと予想されるからです予想が外れるといいですね。
 ええとしおりの935ページにも書いてありますが、この年末の注意事項として、①心身ともに無理をしない、②腹六分〜七分でよしとする、②無駄遣いをしない、を心がけてください。それと人から100もらったら、40〜50くらいお裾分けすると厄落としになりますよ。

 二黒土星の辰巳天中殺の方、・・・・・・お返事がありません、と。いいですよ無理にお返事なさらなくても。はいわかってます、声も出せないほどお辛い状況なのでしょうたぶん。
 あなたが歩いていらっしゃるそのトンネル、真っ暗闇でまだまだ先は長いです、おそろしい妖怪もたくさん出没します。でもここだけの話、実はもうヤマ場を越えてます。あ、何となく気持ちがラクになりましたか?
 はい何度でも言いましょう。
 ようやく先が見えてきました、試練はいつか終わるもの。あともうひとふんばりですから、肩の力を抜いていきましょう。
 2013年は持ち前の「おまんごときに負けてくたばるわしじゃなか精神」を発揮して、残りの1年間を強くしたたかにそして有意義にお過ごしください。
 捨てるものがあるなら今のうちに潔く処分する、んなものにしがみついてるから苦しいんだわ。あ、粗大ゴミは宇宙空間に勝手に放り投げないでください、ご希望の方は私たちキャビンアテンダントまでお申し付けくだされば、ブラックホール行きの運搬船をご用意いたします。

 三碧木星の辰巳天中殺の方、あ、わりとお元気ですね。あなた方はもともと頭のフットワークがいい、つまりものごとに対して柔軟性があるので、あまり手がかからず助かります最初はギャアギャアわめいて少しうるさかったですけども。
 2012年末はわりと楽しく過ごせると思います、いつもの7割くらいにパワーを抑えとけばの話ですが。注意したいのは仕事と人間関係、うっかり口すべらせて秘密事項バラしたり人の悪口言ったりすると200%以上の反動に一撃必殺されますのでご注意ください。
 忘年会は「一次会まで」を強く推奨、二次会に行くとたぶんロクなことがない、ずるずるつきあってると「お金足りないからここは払っといて、いいじゃんいつもおごってるんだから」なんて言われちゃったり、好きでもない子に「今夜泊まっていいでしょ?」と迫られたりするおそれがあります。さっさと帰って心静かに年賀状でも書くっ。
 そうやっておとなしめに過ごしておけば、2013年はまずまずいいスタートが切れると思います。

 四緑木星の辰巳天中殺の方、はーい。わりとおだやかな面持ちの方ばかりですね。もともと四緑はポーカーフェイスで何があってもあまり顔に出しません、そのぶん一人になるとさめざめ泣いちゃったりするわけですけども。
 この宇宙船にさえ乗っていなければ、みなさんの2012年末はとても楽しいものになっていたと思います。未婚の人には恋愛や結婚のチャンスが訪れ、仕事をしている方は新しいご縁が広がって活躍のチャンスが増えたことでしょう。
 しかしそれらは地上にいてこそかなう夢であり、地球を遠く離れたここ暗黒の宇宙空間ではなかなか実現が難しいのです。万が一それらの夢がかなったとしても、天中殺開けには水の泡に帰す可能性が高いです。だって今あなたたち、悪夢をいや夢を見ている最中なんですもん。
 ですからここしばらくは無理に勝負したり、夢を叶えようとがんばったりしないほうが身のためですし、疲れません。結婚、転職、不動産購入、独立開業などはあせらないほうがベターです。
 2012年末はいろいろな人があなたのそばを通り過ぎていきますが、ニコッと笑ってくれる人ばかりとは限りません、世の中には何の理由もなくいきなりにらみつけてくる人もいたりします、ムッとしますし腹も立ちましょうが試練です。
 ドイツの哲学者・ニーチェはいいことを言いました、「愛せない場合はスルーせよ」。人間関係は「微笑み返し」もしくは「微笑みスルー」が基本です。宮さまのように品のある美しいスマイルを身につければ、天中殺期間中の防御力はかなりアップすると思います。

 五黄土星の辰巳天中殺の方、あっ机の下にもぐって泣いてる。うーんやっぱりきつかったか。
 はいここでみなさん黒板に注もーく。三碧は私語を慎む、八白は早弁禁止、九紫は勝手にポエム朗読しない。
 ええと天中殺時においては、「もともとのパワーのある人ほど痛い目に遭う」「天中殺前に勢いがよかった人ほど落ち込みが激しい」という絶対法則があります。ここ出るので赤かピンクのマーカー引いておく。
 五黄は「帝王」と呼ばれる星で、生まれつき人一倍大きなパワーを持っています。つまりパワフルなんですね。ものすごく大きな斧(おの)をブンブン振り回しながらジャングルを闊歩するタイプですが、ついうっかり斧がそそり立つ大岩に当たってしまったらどうなるか。身体がショックを受けてジンジンしびれ、斧は自身の重量で刃が折れてしまいますね。小さな斧ならうっかり壁に当たってもたいしたことないんですけども。
 それと同じことが、今、起こってると思ってください。五黄の辰巳はもともとフルパワーで行動しないと気が済まないタイプですし、天中殺期間に入ってからは「なーんか手応えないんだよなー」と不完全燃焼気味のあまり、さらに斧を勢いよくブン回しちゃってると思います。
 あのね、2012年末から2013年にかけては無理にがんばらないほうがいいですよ、そこに座って窓から広い宇宙を眺めたり、本を読んだり、じっくりご自分の内面を見つめられてはどうでしょう。えっ? はんかくさい? あーあ机の下から這い出て刃のこぼれた斧振り回しながら宇宙船の外に飛び出しちゃったよ仕方ないなあ。

 はい、ここで昼食をはさみましょう。各自フードコートでお好きなものをお召し上がりください。疲れた方はちょっと休憩して、一服してからまたここに戻ってきてください。・・・・・・余談ですが「江頭2:50は日本のイギー・ポップである」と思うのは私だけでしょうか。
 ・・・・・・はい、お時間です。再開します。

 六白金星の辰巳天中殺の方、はーい。さすが六白、達観したいいお顔をされていますね。このグループの方たちは深い精神性を備えているため、苦しいときほどツヤとテリが出ていい感じに熟してきます。柿か。
 そういう方たちですから、天中殺に入ってもジタバタあがきません。逆に「ふうん、これが天中殺か。なるほど、自分のこれまでの生き方を問われる期間なのだな」と悟り、どっしりかまえて反省&軌道修正にパワーを費やします。これ、まったく正しい天中殺時のパワーの使い方です。
 勝手に悩んで勝手に落ち込んで勝手に這い上がってくれますから、私も助かります。今後とも、よろしくお願いします。
 2012年末は天中殺期間といえどもそれなりに楽しい時間が持てるでしょう、ただし「人間関係はつかず離れず」「難しい恋愛には深入りしない」「金銭の貸し借りは御法度」の3つの黄金法則を守ってください。
 不倫や三角関係は自分から縁を切った者勝ち、クセのある男は最後までそのクセ治らない、のっけにもつれる恋は疲れるだけ、バカップルにつける薬なし、明るく楽しい恋は2014年節分開けまでドキドキしながら待て次号。

 七赤金星の辰巳天中殺の方、はーい。「したたかな現実主義者」といわれる辰巳天中殺の中でも、とりわけ「世渡り上手」と称されるのがあなた方です。人を見る目、相手の感情を察する頭の良さ、周囲の空気を瞬時に読み取る能力をお持ちですし、おまけに話し上手&聞き上手ときていますから、多くの人から好かれます。またパッと人目を引く華やかさもお持ちなので、異性にもよくモテます。七赤の辰巳って「殺伐とした荒野に潤いと彩りを与える美しい花」なのね。
 通常でしたら、2012年末は上から引き立てられて「えっホントに私でいいの? 夢みたい!」とほおをつねりまくる時期になったことでしょう。2013年はその流れで公私ともに喜びいっぱいのステキな年になったと思います。
 だがしかし今は孤立無援の大宇宙をふわふわ航海中の身、誰かが引き立ててくれそうで引き立ててくれません、がんばって努力しても「よくやった!」とほめてくれる人もおりません。空回り、ぬか喜び、独り相撲のブルースを孤独に歌うことになるかもしれませんが、それでも地球は回っているからだいじょうぶです。夜が明けたら朝が来る。
 あまり気落ちせんと自分を信じてひたすら宇宙旅行のおつとめを果たすしかありません、あっのちほど七赤の辰巳さんには標語入りステッカーをお配りしますので各自取りに来てください、「おひとりさま上等」「果報は寝て待て」「浪花節だよ人生は」の3つからお好きなものをお選びくださいね。

 八白土星の辰巳天中殺の方、あれ? 何でこんなに少ないんですか。えっみんな酉の市に出かけてる? あーあ地上で富かき集めてきてもここでは無用の長物なんですけどね。
 あっ帰ってきた、ほらみるみるうちにお札の粒子がバラバラ分解して空中に溶けてゆく、はい札束が消えました。ね、おわかりでしょう? ここじゃそういうのいっさい役に立たないんですよ。
 お金が欲しい、ステキな恋人が欲しい、広い家に住みたい、有名になりたい、偉くなりたい。そういった願望を抱いて人はがんばります、それはそれでもちろんいいのですが、大事なのはその夢がかなったあと何をするかです。
 ご自分の損得ばかり考えて行動しますと、先ほど目にしたように、手に入れたものがすべて空中に消えてしまいます。しかし周囲の人たちの幸せを考えて行動すれば、ああら不思議あなたの手元にはもっともっとたくさんのものが集まってくるでしょう。この宇宙法則を、この船に乗っている間にどうぞ体得していただきたいと思います。
 2012年末は・・・・・・あっ性懲りもなくまた宇宙服着て出て行こうとしてる! えっ今度は二の酉? あのうお願いですからあまり大きな熊手買ってこないでくださいね、宇宙船に熊手ってインテリアとしてどうかなと思います。

 では最後に九紫火星の辰巳天中殺の方、はーい。あなた方にはこれから船外研修を受けていただきます。いえ難しいことは何もありません、宇宙空間に設けられた大規模ジェットコースターにしばらくの間乗っていただくだけです。
「えっまた乗るの?」って、今まで乗ってたのは初心者クラス、これから乗るのは上級者クラスですから。これクリアしますと、角質除去クリームプリティをひじひざかかとに塗ったときのように、身についた人生の垢がボロボロはがれ落ちてスッキリするはずです。
 オープニングは約45度でゆっくり上昇、頂点で必要以上にためたのち奈落の底に真っ逆さま、宇宙は無限ですからどこまで落ちるのかよくわからないままじっくり急降下を楽しまれたあと、いきなり垂直急上昇してくるくるコルクスクリュー旋回したのち水平ループ&垂直ループ、そしてブラックホールに軽く突入という多彩なプログラムをご用意させていただきました。今までにない超ハイスペックな絶叫マシーンですので、どなたさまにもご満足いただけ・・・・・・ドン引きしてますか。ちょっとリラックスしましょうか、はい深呼吸。もう一回深呼吸。
 では九紫のみなさん、船外活動用スーツを身につけてこちらのコースター乗り場にお集まりください。はいさすが九紫の方たちは思い切りがよくてフットワークが軽いですね、支度が早いっ。ではこれから出発しますので、各自ヘルメットを閉じる。エアーはちゃんと出てますね。
 えっ、いつ本船に戻れるかって? ・・・・・・そうですね、たぶん2013年頭くらいでしょうか。それでは恐怖にいえ爽快感に満ちた大宇宙のアトラクションツアーに、お気をつけて行ってらっしゃい!

 では、これでミーティングを終わります。今回はちょっと長引きましたがだいじょうぶでしたか?
 どなたさまも肩の力を抜いて気を楽になさり、引き続き快適な空の旅をお楽しみください。Thank You。

2012.11.11

神だのみ

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 方位のパワーを取りに、約1週間の旅に出た。大吉方位への移動なので気分はハイ、苦手な飛行機も余裕で乗り倒した。私の趣味は開運だ。
 吉方位旅行のいいところは、旅の最中や事後にたとえゲッと思うようなことが起こっても、「これは開運に必要不可欠な毒出しである」「この出来事は過去の悪行を清算するため必然的に生じている」「これを越えれば幸せをつかむことができる」などと気持ちをポジティブに切り替えられるところであろう。ただ単に旅行してイヤな目に遭ってしょんぼりして帰ってくるより、よほど生産的なのである。吉方位旅行が古来すたれない理由のひとつは、そこにもあると思う。 
 ラッキーなことに初日はゲッなことも特に起こらず「ああ楽しい、ああうれしい」だらけで過ぎ、やがて夜が来た。上げ膳据え膳のホテルのベッドで横になり、800キロ近い移動の疲れもあってすぐに眠りに落ちた。

 ・・・・・・窓際の白いカーテンに、誰かがみの虫のようにくるまっている。やがて、ぺろんと布をめくって姿を現した。死んだ知り合いだ。
 この知り合いは夢を通して棺桶の中に一緒に入ろうと誘ってきたり、黄泉(よみ)の国に続く地中の狭いトンネルにむりやりご招待してくれようとするのでちっともありがたくない。たぶん他に頼る人がいないのだろう。
 またお前かしつこいな、人を巻き込もうとするのはムリだっちゅうのがまだわからんか。
 ・・・・・・やっぱりだめかなあ。
 私が拒否すると、そいつはぼそっとつぶやいた。
 生者と死者では存在する次元がまったく違うのは当然の理、それでも境界を飛び越えてコンタクトしてくるのは、よほど依存心が強いかよほど辛いのだろう。

 正規のステップを無視して無理やり肉体を脱ぎ捨てると、時間の流れから外れて「しばらく」さまようことになる。年を取るのはイヤだとみんな思うが時間に支配されるからこそ救いがあるのだ。神様の時間概念は悠久で人間の何倍も長いから、この「しばらく」は永遠に近い。苦しい瞬間のまま永遠を過ごすのはまさに地獄のような苦しみではないかと想像する。
 いつ生まれ落ちるか自分で決められないように、人間はいつ死ぬかを安易な理由で自分勝手に決めてはいけないのだ。「そんなの個人の自由じゃん」と不自然なことをすると、ベルトコンベアーからはずされてしばらく放って置かれることになる。

 いやな気分で目が覚めて、窓の外を見ると暗闇だ。時計を見ると3時過ぎ。まだ早い、寝ようと思って目を閉じた。

 私はバスに乗っている。バスの中はがらがらだ。
 両肩が妙にずしっと重い。
 あれ、何でこんなに肩が重いのと手で左肩を触ってみると、半分ひからびた誰かの手が乗っている。右肩も同じである。
 思わず後ろを振り向くと、丸い黒眼鏡をかけたやせた爺さんが両腕を伸ばし、私の両肩に両手を乗せている。
 うわっ。
 思わず手で払いのけ、立ち上がった。

 そこで目が覚めた。すでに明るい。時計を見ると6時を回っている。
 タモリ、もしくは冷血のトカゲにも似たあの無表情な黒眼鏡の爺さんはいったい誰だと考えを巡らせるがまったく心当たりがない。
 勝手に人の肩に手を乗せやがってずうずうしいと無性に腹が立ったが、すでに見終わってしまった夢なのでどうにもならない。
 飛行機の中で何か憑けてきたか、ホテルの部屋にもともといるものなのか、あるいは死んだ知り合いに関わる何かなのか。いずれにしてもたちが悪い、あの爺さんの黒眼鏡は正体をカムフラージュするためのもの、たぶん本体はものすごくケガレたものに違いないと想像する。
 旅先ではどうしても無防備にならざるを得ない、だから初めての部屋ではいろいろなものが襲ってくる確率がけっこう高い。

 萎えた気持ちを抱えたまま、朝いちの露天風呂に行く。
 誰もいない風呂の中で頭に白いタオルを乗せて「旅行の初日に悪夢2連発」の意味を考える。
 これは毒出しなのか? いや違う、隙を狙われたのだ。
 目の前は本州最西端のターコイズブルーの海、潮騒の音を聞きながら涼しい海風にただ身をさらすのみ。
 何にもなくて、いいところだなあ。
 あっそうか神社だ、どこか力のありそうな神社へ行って守ってもらえばいいのだとピンと来て、その日の移動途中に神社参拝の予定を組んだ。その神社の御祭神はストイックな武士として知られる。
 うん、あそこへ行こう。

 日の落ちる前に、神社に到着。
 凛と引き締まった空気が境内に漂い、正殿に向かうと自然に背筋が伸びた。一点の曇りもなくすがすがしい雰囲気、さすが後世に誉れ高い武士を祀った神社だけあると感心。
 二礼二拍手一礼してから、お守りを入手。おみくじを引くと大吉。
「争いごと 勝つ」
 やったあ。

 その夜、枕の下にお守りを忍ばせて横になる。またあいつが出てきたらもう本気で怒るぞ、しかし本気で怒ってもどうにもならなかったら面倒だなあといろいろなことを考えながらうとうとしていると、いきなり「この馬鹿者がぁぁぁぁっ!!!!」と大声で怒鳴る声が頭に響いた。
 えっバカ? 自分やっぱりバカですか? と一瞬思うがすぐにあっそれ違う、誰かものすごく大きくて強い人が誰かを恫喝(どうかつ)したのだと気づく。
 たぶん参拝した神様、もしくはその方の門下生が「馬鹿者」を追い払ってくれたのだ。やっぱりあのお方、頼もしいなあ。

 翌日以降の旅はほとんど何の問題もなく快適に過ぎ、無事に帰宅して今ここでこうしてブログ記事を書いている。道中いろいろなことを見たり聞いたり考えさせられたりしたが、おおむね楽しかった。
 現在、身体の中に方位のパワーがたっぷんたっぷんに詰まっているのを感じている。食べ過ぎか。いやそうじゃなくて。
 このパワーが具体的にどう具象化していくのか、これから興味深く見守っていこうと思っている。

2012.10.17

赤ん坊

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 仕事で訪ねた家に、生まれたばかりの赤ん坊が白いガーゼの肌着をまとって静かに横たわっている。「生きているの」と聞くと「もちろん生きてます」と言う。
 見ると、ときどきひょっと腕を動かしたり、ひょっと脚を動かしたりする。うっすら開いた眼は視点が定まらず、ゆっくり閉じたり開いたりしている。
「まだね、見えていないかもしれませんね」
 眼をのぞき込むとガラス玉のように青く澄んでいる。生まれたばかりの人間はあちらの世界に限りなく近いところにいるのでまだ瞳が透明、澄んだ瞳はその身体の中に汚れのない新品の魂が宿っている証拠だ。
「あ、起きた」
 声を上げ始めた赤ん坊を母親が抱き起こす。
 ムンクの叫ぶ人、タコ、エイリアン、神さま、仏さまと、表情が次々に変化していく。細胞分裂なのか、それとも魂が座り位置をくるくる変えていることのあらわれなのか。
「すみません、すぐに戻ってきますので少しだっこしていてもらえます?」
 ネコやイヌの子なら抱いたことはあるが、人間の新生児を抱くのは実に生まれてはじめての体験、まだ首の据わらないぐにゃりとしたものをおそるおそる腕にかかえる。

 泣くかと思ったが、赤ん坊は手を伸ばしておとなしく抱かれたままである。ものすごく小さな膝がときおりゆらゆら揺れる。
 坊や、たぶん私が、君をだっこする初めての赤の他人だよ。
 赤ん坊の目が薄く開き、一瞬こちらを見てからまた静かに目を閉じる。透明な瞳の奥に清らかなものが宿っている。神様に近い聖なる魂の存在を感じて胸を打たれる。どうかこの子が幸せな人生を歩みますようにと思わず心の中で手を合わせる。赤ん坊に腕力はないが、人の心に愛を呼び起こす特殊な力は持っている。
「すみません、泣きませんでした?」
 母親の手にゆっくり赤ん坊を戻す。

 どんな人間でも生まれたときは全員ああなのかと思うと心底から人を憎めなくなる、生まれたてはみな無垢であり、育てられる環境によってどんどん枝分かれしていくだけだ。色のついた瞳は、死ぬ間際にまた透明に戻るだろうか?
 そんなことを考えながら疲れたのでその晩は9時前に床につき、何の夢も見ないで翌朝はいつも通りの時間に起きた。
 9月に入ったとはいえまだまだ残暑は続く、しかし暑さ寒さも彼岸まで、秋は音もなく忍び寄り、自分を含む全員の時間もまた静かに前に進んでいく。

2012.09.10

うな重

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 秋の気配が抜き足差し足で忍び寄る8月下旬の夕刻、夏バテ回復大作戦の一環としてうなぎを食べに行った。
 昭和の面影が残る一軒家の引き戸をガラガラと開けるといい具合に枯れかけたお姉さんが出てきて好きなところへどうぞと言う。もちろん奥の小上がりがいいに決まっている。そそくさと靴を脱ぎ、畳を横切ってクーラーの前の座卓に座り、体内に溜まった熱気をフーッとはき出す。
「何にします?」
「瓶ビールと卵焼きと焼き鳥とうな重」
 お姉さんの白目が食べるねえお客さんと独り言を言っている、しかしそこは客商売、風のようにくるりとひるがえってリズミカルな声で調理場にオーダーする。
 いいのさお姉さん、自分はこのところ食欲がなくてそうめんやパンや梅干ししか食べていなかった、今日は思いっきり食べて起死回生するつもりなのさ。
 薄暗い店内にはリカちゃんトリオじゃなかった初老の男性トリオがすでに日本酒に突入している。ぼそぼそと会話しているが品がいいので何を言っているのかわからない。にしてもこの店はなぜこんなに暗いのだろうと不思議に思うがそのほうが涼しいし落ち着いて大人な感じがするからいいやと納得する。

「はいお待たせしましたー」
 ほかほかの湯気を放つ卵焼きが登場、付け合わせの大根おろしを乗せてひとくち大に箸でちぎってぱくんと口に放り込むと絶妙に甘い。これだこの味だよ卵焼きはこうでなくっちゃいけないよと舌が大絶賛する。死ぬ前に一瞬だけ元気になって何でも好きなものを食べていいと言われたら迷わずここの卵焼きを注文するよと思うほどのうまさである。ビールをコクッと飲む。
「はいお待たせしましたー」
 クシを抜いた焼き鳥とししとうとネギが皿に盛ってある。もちろんみりん醤油だれである。七色唐辛子を振りかけてぱくんと食べるとジュワッとジューシー、アーノルドジュワジュワネッガーなどと絶対に誰にもウケないダジャレをつぶやき、もしや自分は天才ではないかと錯覚しながらビールをコクッと飲む。
 そうやってコクッコクッと飲んでいたら大瓶が空いてしまった。仕方ないのでお冷やをもらう。
「はいお待たせしましたー」
 真っ赤な重箱のふたを開け、山椒をぱらぱらと降る。うなぎうまい、油のっててうまい、やっぱり夏はこれだよなあとたれのしみたご飯と一緒に口に運ぶ。また運ぶ。そしてまた運ぶ。
 重箱の世界を俯瞰すると広大である、子どもがはははははと大声で駆け回る神社の境内くらいある、今のところ4分の1クリアということは残り4分の3ということか。そのとたん、すでに腹がいっぱいになりかけていることに気づく。
 例えばうな重が4000円とすると今の時点で1000円分クリア、未消化分3000円、よし勝負はこれからだとうなぎを水で流し込む。しまったビールと卵焼きと焼き鳥と水で胃がすでにたっぽんたっぽんになっているぞと気づいた時点で神社の境内は残り4分の2。つまり半分である。
 どうすんのこれもったいないじゃんと自分を責めながら境内に箸を突っ込むが一度ストップした食欲は何をどうやってもびくともしない。重箱の中はどんどん日が暮れて今はもう誰もいない、ひからびたうなぎが冷えたご飯の上にアンニュイに横たわっているだけだ。
 ここで、私はカツ重の悲劇を思い出す。そう、あのときもこんな暑い夏だった。

 夏の外食は恐ろしい。どのくらい恐ろしいかというと、生きているうちにあと何回夏を迎えられるかなとふと考えてえっそれだけ? と気づいたときくらい恐ろしい。

2012.08.23