危険なサイト

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 質問。あなたが携帯やパソコンにブックマークしているのはどんなサイトだろうか? そのサイトに入ると、どんな気分になるだろう?
「楽しくておもしろい」「ワクワクする」「役に立つ」なら何の問題もないが、「読んでいる最中にちょっとひっかかる」「読後になんとなくもやもやする」「違和感を感じることがある」「中毒性があり、読まないと不安になる」などというなら、読むのをやめたほうがいい。そのまま読み続けても、何ひとついいことはないからだ。 

 私は以前、とある精神世界系のブログサイトにはまったことがある。
「うわあ、この人の知識量はすごいなあ」と感心して記事を読みまくっていたのだが、実は心のどこかで違和感を覚えていた。しかしあまりにも内容がおもしろいうえに納得できることも少なくなかったため、そのまま毎日のように読み続けていた。
 1カ月後。夢の中に小さな黒蛇の群れが出てきた。そいつらはぴょんぴょんはねながらこちらに近づいてきた。私はただそれをながめている。
 妙にイメージの鮮烈な夢だったなあとそのときは気に留めなかったが、しばらくしてからまた同じような蛇の夢を見た。蛇の夢を見るのは決まってそのサイトをチェックした後だった。 
「あのブログの書き手は、もしかするとヤバいのではないか」
 そう気づいてからしばらく近づかないようにしていたのだが、好奇心に勝てず、再びそのブログを読むようになってしまった。(我ながら懲りないやつ。)

 相変わらずすごいことを書いているな、この人いったい何者だろう? と思う反面、あれ? 言っていることがどこかおかしい、この人の本当の目的は・・・・・・とうすうす感じてもいた。
 また夢を見た。
 ものすごく大きな蛇の頭が真正面にある。それは感情のない目でじっと私を見ている。頭の赤いウロコがぎらりといやらしく光る。「この蛇、私を見に来たのだな」と私にはわかっている。
 ただそれだけの夢だったが、目が覚めてからゾッとした。「とうとう本体がやって来た」と直感したからである。
 今まで見ていた小さな黒蛇集団は取り巻き、もしくは監視用のアンテナであり、今回見た大きな蛇は御大(おんたい)だ。
 それ以来、そのブログサイトはブックマークからはずして永久封印とした。ふしぎなことに、そのころ悩まされていた原因不明の頭痛と肩こりと吐き気は、それ以後徐々に薄れた。 

 そのような経験をしたのはそれだけではない。それ以前にもとある別の精神世界ブログに夢中になり、どこかで「変だな」と思いながらも集中的に読んでいたとき、暗闇で舞い踊る白拍子(しらびょうし)の夢を見た。無心に踊るその人は、私を見るなり「何しに来た」と不快そうな顔をした。
 後にブログのプロフィール写真を見てみると、夢で見たのと同じ顔だった。
 その人のサイトにも、今は行っていない。一度配線がつながると、たやすく交流できる気がしたからだ。

 電気は気を媒介する。これはあくまで推測だが、ウェブサイト上で読み手が書き手と対峙するとき、画面から発生する磁気によって両者の霊的な距離が縮まり、目に見えないどこかで気が交流し合うのではないだろうか。
 それが起こる確率の高さは「読み手もしくは書き手の熱意」×「訪問頻度もしくは更新頻度」×「持っている気力の強さ」に比例するように思う。
 もし相手がネットを利用して何かよくないことをたくらんでいる強者(つわもの)なら、それに気づかず文面の心地よさに惹かれてひんぱんにそのサイトを訪れる者はスケープゴートになる可能性がある。
「何だかヤバそう、でもおもしろくてやめられない」と感じるサイトは危険なのである。

 ネットは基本的に相手の本性が見えない百鬼夜行の世界だ。違和感を感じるサイトに近づくとひどい目に遭う。

2011.06.04

食べてはいけないもの

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 昔から、食べてはいけないものを食べると必ず夢でさとされる。強烈だったのは過去に3回。
 その1。その昔ヘビースモーカーだったころ、「もうやめよう、体に悪いし」と思いながらも吸いまくっていたある日、タバコをむしゃむしゃ食べている夢を見せられた。
 その2。とあるマフィンにハマってそればかり食べていたとき、段ボールがこなごなになったものを口いっぱいにほおばっている夢を見せられた。
 その3。どこで作っているかわからない安すぎる豆腐を食べたとき、リキッドファンデーションをたらたら飲んでいる夢を見せられた。
 それらの夢を見ている間、無性に気持ちが悪くて、ずっと夢の中で吐き気をこらえていた。
「それ、人間の食べるものじゃないよ」
「お前はそんなものを食べて喜んでいるのだよ」
 そう誰かからいましめられたのだと思う。見たのは3回とも明け方で、目が覚めてからもずっとひどい気分だった。明け方に見る夢は純粋な夢というより、何かの示唆であることが多い。
 以来、それらのものは一切口にしていないが、今でもその夢を思い出すたびに気分が悪くなる。 

2011.04.19

バスわらし

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 3月上旬のある日、水戸の偕楽園へ梅を見に行った。
 水戸へは、上野から特急に乗って1時間あまり。昼前に到着し、駅前で偕楽園行きのバスを待つ。
 バス停は観光客で長蛇の列、しかし運よく一人席に座れる。私の前には70代のやせた男性が座る。座席はすぐに埋まり、通路に人があふれた。
 目の前の男性のわきに、品のいい60代の女性と孫娘が立つ。バスが発車すると、小さな女の子が男性に向かっていきなり話しかけた。
「おじいちゃん」
 まっすぐ男性を見ている。
「こんにちは」
 彼が気を利かせて席を替わろうとすると、女性が「いえいいのです、おかまいなく」とさえぎった。
「今ちょうど梅が見ごろですのでね、私もこの子を連れて見に来たんですよ。偕楽園は初めてですか?」
 どうやら地元の人のようである。
「偕楽園は入り方が2種類ありましてね、バスの終点で降りて東門から入るのが一般的なんですけれど、手前で降りて表門から入るルートもあります」
「ほう」
「東門から入りますとすぐ梅林に出られますが、表門から入りますと竹林を抜けてから梅林へ行くことになります。竹林は陰の世界、梅林は陽の世界。つまり陰から陽へと、2つの異なる世界の移り変わりが味わえるのですね。通好みの方にはそちらのルートが好まれているようですよ」
「なるほどねえ」
 男性がゆっくりうなずく。知的な雰囲気の漂う老人だ。
 立ち続けているのに飽きたのか、女の子が床にぺたんと座ろうとする。やめなさい、きちんと立っていなさいと女性がいさめる。
 ひざに座るかい? と男性が両腕を差し出すと、女の子はパッと遠のいていやいやをした。
「すみません、おかまいなく。この子はまだ3歳なので、じっとしているのが苦手なのです。もうすぐ着きますから」
 よろしければ表門をご案内しましょうか? とたずねる女性に、いえ今回は、と男性がかぶりを振る。
 女の子は笑顔でもなくかといって不機嫌そうでもなく、窓の外を見ながらきらきらと黒い瞳を輝かせている。あ、この子はふつうの子じゃないと思う。全身から「何か清らかなもの」が立ちのぼっているのだ。言葉ではうまく言い表せないが、すがすがしい何かが。
「おじいちゃん」
 女の子がふと男性を見て言う。
「怒らないでね」
 3歳の子どもにしては妙にはっきりした口調で言い放ち、そのまま邪気のない顔でまた窓の景色をじっと見つめている。ひざに座らなかったことをあやまっているのか、にしてもなんだか不思議な子だなと思っているうち終点に着いた。

 寒空に枝を伸ばす梅はまだ6分咲き、しかし園内はどこから集まってきたのか大勢の団体客や年輩者、親子連れでいっぱい。空は晴れているのにどことなく暗い、春はまだ先だなあとコートの襟を立て、梅林を抜けて人気のない竹林のほうへ向かった。
 昼なおうっそうと暗い林は、なるほど先ほどの女性が言っていた通り、わびしくてさびしい静かな陰の世界だ。
 林を抜け、坂を下りて、「玉のように美しく澄んだ水のわき出る泉」とされる吐玉泉(とぎょくせん)を見に行く。しかし行ってみてすぐに腰が引けた。
 ここは陰の気が強すぎる、長居は無用とそそくさと立ち去り、そこから低地の川沿いに伝って南門へ進む。
 南門の崖の下には鉄道線路を挟んで大きな駐車場があり、その向こうに鈍色(にびいろ)の千波湖が広がっている。
 どうしてこんなに風景が寂しいのだろうとしばし呆然とする。
 あっそういえばおなかがすいた、入り口のそばにレストハウスがあったっけと思い出し、東門に戻る。南門から東門のほうを見上げるとかなりの急傾斜、これはお年寄りにはきついだろうなあと思いながら坂道を上る。
 ランチタイムを過ぎた食堂は人がまばら。納豆定食と梅酒を堪能し、軽く酔って再び梅林を一周。あちこちで可憐な桃色の花が咲いているにもかかわらず、どこか景色が沈んで見えるのは気のせいか。歩いているうち、どんどん気持ちが落ち込んでいく。
 偕楽園を出たら水戸の町を観光して回るつもりだったが、なんだか疲れてそのままバスに乗り、時間は早いが帰ることにした。
 水戸駅で天狗納豆と梅干しと梅酒をおみやげに買い、常磐線に乗って帰宅。M9の大地震が発生したのは、その翌日だった。  

 あの日、梅林から竹林へ移動したように、私は陰と陽の狭間を歩いていたのだと思う。ほんの1日ずれていたら震災に巻き込まれていたし、思えば少し奇妙な旅だった。
 まず、可憐な花をほころばせている梅林が妙にはかなく頼りなく見えた。大地が崩れて地盤が沈む運命を、梅の木たちは予見していたのだろうか。
 それから、バスの中の小さな女の子。
 岩手県や宮城県などの東北地方には、座敷わらしの伝説がある。座敷わらしとは「座敷に住む子どもの精霊」のことで、ときにいたずらもするが、住む家に幸運をもたらすと言われる。もしかするとあれは座敷わらしで、私たちに何かを知らせるためにわざわざやってきたのだろうか。
「おじいちゃん、怒らないでね」
 メッセージは、いつの世も無垢な者の口を借りて降りてくる。
「これからひどいことが起こるけれど、それはもう仕方のないことだから。だから、こらえてね」
 あの子はもしかするとそんなことを言いたかったのではないかと、震災から1カ月たった今にして思う。

2011.04.06

人はなぜ眠るのか

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 人は1日約16時間起きて(生きて)約8時間眠る(死ぬ)。ぐっすり寝ている間は周囲で起こっていることが一切見えないし聞こえないしにおいを嗅げないし味わえないし動きを感じられない、つまり死んでいるようなものだ。
 寝ている間、人はどこへ行くのか。
 あの世ではないだろうか。身体を布団に横たえたまま、魂だけが次元を越えてあっちの世界へ行くのだ(ただし、へそと魂を結ぶ玉の緒はつながっている)。
 三途の川を渡りきってしまうと玉の緒がちぎれて身体が死んでしまうので、川の手前にある「生きている人間 専用広場」でとりあえずまったりしているのではないか。そこはあっちの人(死んだ人)とこっちの人(生きている人)が自由に交流できる、ふれあい広場のようなものだと思う。
 
「ポン太郎ちゃん」
「あっ、おじさん! 久しぶりだね、死んでもやっぱり女装してるんだね」
「ふふ、お元気そうで何より。あっちからいつも見てるわよ」
「ちっとも元気じゃないよ、娑婆はなかなかきびしくてね。こないだリストラされちゃったしマンションのローンはまだまだあるし女房は子ども連れて実家に帰っちゃうしで落ち込んでるよ」
「そうみたいね。ま、一杯飲みなさいよ」
「身体がないから味よくわかんないよ。おじさん俺お先真っ暗、これからどうしたらいいんだい」
「だいじょうぶよ心配しなくても、なるようになることになってるからあんたの思う通りにやってごらん。あんたが生きてる世界ってのは悪いことが起きなければいいことも起こらないようになってんの、つまり悪いことが続くのはいいことの前ぶれなのさ。苦あれば楽あり、だまされたと思ってもう少しガマンしてみな」  

「よう、アミ子」
「あっ、生前大きらいだった女ボスのサキサカさん」
「こんなとこでぐったりしょげてんじゃないよ、ゾンビみたいじゃん」
「いわばゾンビのサキサカさんに言われたくないです」
「どうせまた同じことでつまづいてんだろ、んであたしみたいなのに死ぬほど怒られてるんだろ」
「あっ、なぜわかる!」
「人間ちゅうのは同じミスを繰り返す動物なんだよ、根本的な問題から逃げている限りお前に救いはないよ。どうしていつもいつもこうなるのか考えてみな」
「・・・・・・」
「あたしは生前わざわざ憎まれ役を買って出てやってお前にとっては非常にありがたい存在だったのに逆恨みしやがってこのばかちんが。いいかアミ子、うまくいかないことを人のせいにしねえでハッもしかするとこれは自分の力不足ではねえかと自覚して少しは努力してみな」
「・・・・・・うーん」(アミ子、頭をかきむしる)   

 そんな感じで人はみな親しい人や親しくない人やあるいはかわいがっていた動物などから慰められたり元気づけられたり一緒に泣いたり笑ったりどつかれたりしてカツを入れているのではないか。で、目が覚めてからなんとなく元気になったり仕方ないなあと思ったりしながらそれなりに1日をスタートさせるのではないか。  
「この世での生活は基本的に自己判断&自己責任」というルールに基づき、ふれあい広場での出来事はほぼすべて記憶から抹消されるシステムになっているが、それでもたまにあっちからこっちへ帰るまぎわに言われたことは記憶に残ることがある。
「だいじょうぶやってごらん、きっとできる」
「私、そっちの世界から旅立ったの。今までありがとうね」
「タンスを捨てる前に、一番下の引き出しの後ろを見てごらん」
 いわゆる「虫の知らせ」とか「夢枕に立つ」とか「お告げ」などと言われるやつである。こういうのはだいたい明け方ごろに見る。

 睡眠時間に多少の誤差はあれ、人は誰でも眠らないと生きられない。
 なぜか。理由は2つ考えられる。
 ひとつは身体の全細胞に修復活動を営ませるため。一日活動し続けて疲れた細胞をリセットするには、よけいな力を抜かなければならない。
 もうひとつは魂にパワーチャージするため。魂が本来の光を取り戻すには、何もかも脱ぎ捨てた状態にならなければいけない。
 目に見えるものはこっちの世界、目に見えないものはあっちの世界で、それぞれ睡眠中にきっちり充電しているのだと思う。

2011.01.31

あんみつ屋

 天神様にお参りした帰り道、小腹がすいたのでどこか適当な店はないかとあたりを見回すと、あんみつやみつまめ、ところてんなどを供する甘味処がぽつんとあった。
 老舗の店らしく、ひさしが黄土色に色あせ、建物の輪郭がところどころぼやけたようにくたびれている。
 古いなあ、でも他に店はないし何か甘い物食べたいしたまにこういうとこ入るのも悪くないかなと無理に決心してぎぎぎと引き戸を開けた。 
 棺桶くらいの大きさの真っ黒い柱時計が、ほこりの堆積した暗い店内で静かに時を刻んでいる。短針は4を少し過ぎている。
 中途半端に広い店内は3方を壁に囲まれ、西側のくもった窓ガラスから長い夕陽が憂鬱そうにさし込んでいる。日の当たる場所以外は薄暗い。
 客は私のほかに老婆と中年女性がひとりずついて、ところてんとかくずもちなどを食している。窓際の光の当たる席が空いていたのでそこに座り、しばらく待つと若い女性店員がオーダーを取りに来た。ぷっくり太った娘だ。餅のように色が白い。
 あんみつと抹茶のセットを注文し、暇つぶしに携帯をもてあそび、それにも飽きてぼうっとする。左側の窓から右側の壁奥へまっすぐ走るオレンジ色の光の中で、細かいほこりの粒子がゆっくり宙を泳いでいる。

 老婆が席を立ち、ほどなく中年女性が立ち上がり、会計を済ませて店を出て行った。
 目の前にあんみつと温かいお茶が運ばれてくる。黒蜜を回しかけ、干し杏子を食べてスプーンで四角い寒天をすくい取る。ぎゅうひはもう少しあとだ、黒蜜が染みてから食べるのがおいしいんだと自分に言い聞かせる。
 あれ? 背中が寒い。それとなく後ろに眼をやると、ひんやりとした闇が広がっている。
 暗くてよく見えないや、それにしても明と暗のコントラストが強い店だなあと前を向いて再び食べようとした瞬間、自分の真後ろのテーブル席に若い女性が座っている気配を覚えた。肉眼で見ているわけではないが、後頭部でそう確信した。
 何だか寂しそうだな肩に手を伸ばしてくるなよ耳元に話しかけてくるのもだめだそのままそこにじっとしていてくれと心の中で願いつつぎゅうひと寒天をすくい取り、お茶を一気に飲み干して立ち上がろうとすると店員が「お茶いかがですか?」とニッコリ笑って有無を言わせずあつあつのを注いでくる。あああありがとうと答えて仕方なく湯のみに口をつけるが、熱いのでほんの数滴ずつしかすすれない。
 カッチコッチカッチコッチと大きな振り子がゆっくり揺れている。背中にぞぞぞと鳥肌をたてながらやばい、やばいぞここ、長居は無用だ何か立ち上がるきっかけがほしいなあと悶々とする。
 入り口でぎぎぎと重い音がして親子連れが入ってきた。長い髪が蛇のように乱れた女の子は小学校1年くらいか、なぜか知らないが白目をむいている。
 何でもない顔をして椅子を引き勘定書をつかんでレジに向かう。後ろは決して見ない。ひたすら引き戸の外に意識を向けながら、早くおつりをくれ一刻も早くここから脱出したいのになぜいつまでもぐずぐずレジを打っているのだと気をもむ。
 入ってきた親子連れは店の奥、ちょうど目に見えない女性が座っていたあたりにちょこんと座り、薄暗がりからじっと私を見ている。

2011.01.25

留守電

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 去年の今頃の話である。外出しようと留守電のボタンを押し、玄関に向かうと電話が鳴った。
「・・・・・・ただ今電話に出られませんのでご用の方は・・・・・・」
 留守録が作動し始めた。誰だろう? と履きかけた靴を脱いで電話の前に立つ。
「・・・・・・」
 しばらく沈黙。
「・・・・・・ヨシオ、ヨシオ・・・・・・わしだ」
 ヨシオ?
 まったく聞いたことのない老人の声だった。しかもザーザーと背後に雑音が混じり、何を言っているのかよく聞き取れない。
 そのまま耳を傾ける。
「・・・・・・○○につまずいて腰を打った、起き上がれない。・・・・・・何とかしてくれんか」
 何とかしてくれんかって言われても、私はヨシオじゃないよおじいちゃん。
 どうしようと思っているうちにぷつんと切れた。
 正しい番号にかけ直して本物のヨシオに救いを求めてちょうだい、私はもう出かけねばならぬと後ろ髪を引かれる思いで外に出た。
 夕方、用事を済ませて家に戻った。留守電のランプがチカチカ点滅している。ボタンを押して再生する。
「メッセージが3件あります。最初のメッセージ ○時○分」
 いやな予感がした。
「・・・・・・ヨシオ、あれからずっと起き上がれないんだ。・・・・・・何とかしてくれ」
 くぐもった声が入っていた。
「次のメッセージ ○時○分」
「・・・・・・ヨシオ、ヨシオだろう・・・・・・、わしだ。立ち上がれない、困っている。・・・・・・なあ、頼むから何とかしてくれないか」
「次のメッセージ ○時○分」
「・・・・・・ヨシオ、ヨシオ、・・・・・・わしゃあもうだめだぁぁぁ」
 メッセージはそこで終わった。力のない消え入るような声、しかし妙にねっとりと耳にからみつく声がいつまでも耳に残った。
 今度かかってきたら電話番号が間違っていることを伝えて119にかけるよう言おうと電話の前でしばらく待った。
 しばらくすると「たたり神」という言葉がぼんやり浮かんだ。自分はもしかすると釣られる寸前だったのではないか、うっかり電話を取っていたらしわがれた手につかまっていたのではないかとうっすら背筋が寒くなり、そっと電話のそばを離れた。

 2011.01.21

五黄殺の飲み会

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 飲み会に参加。あまり気乗りがしなかった。
 体調が今ひとつだったこと、メンバーが猛者(=クセ者)ぞろいなど理由はいろいろあったが、もうひとつ付け加えるなら自宅から見た店の方位が日・月・年ともに「大凶」とされる五黄殺だったことが挙げられる(五黄殺とはやることなすことすべて裏目に出る方位のことで、楽しいはずの旅が後悔だらけの旅になると言われる)。
 いや方位のパワーなんて思い込みに過ぎない、そんなものは全然気にしなくていいと自分に言い聞かせて家を出た。 
 待ち合わせ時間よりかなり早く着いたので駅ビルの書店で本を買い、コーヒーショップでしばらく読んでから店に向かった。
 あらかじめネットで店のホームページから地図をプリントアウトしておいたおかげで、すんなり目的地に到着。
 しーん。誰もいない。
 店の女の子に「○○さんで予約を取ってあると思うのですけど」と聞くと「ああ、2階にいます。お1人、もういらしてますよ」とたどたどしい日本語でらせん階段の上を指さす。
 なあんだそうか1階じゃなくて2階を予約していたのねと階段を上ると誰もいない。
 じゃあすでに来ている1人ってどこにいるの、トイレにでも入っているのとコートを脱ぎ、誰もいないテーブルでしばらく待つ。待っても待っても誰も来ない。トイレからも誰も出てこない。
 店の中は薄暗い。音楽も鳴っていない。いきなり携帯が鳴った。
「いまどこ? 待ってるから早く来て、えっ2階? この店2階なんかないよ何言ってんのいったいどこの店にいるの」
 あわててコートをはおり階段を下るとさっきの女の子はどこにもいない、どころか店には誰もいない。

 外に出て向かいの焼き鳥屋の若いお兄ちゃんに「あのう○○という店はここでいいんですよね、看板出てますもんね、でももしかすると他に同じ名前の店ってありますか」とたずねると「この店ヘンな名前ですよね、たしか駅の反対側にもう1件ありますよ、場所は知らないですけど」と言われる。
 駅に向かいながら携帯で「たしかに駅のこっち側って言ったよね、どういうことだこれはぁ」と怒りを込めて言うと「あははごめんごめん、どうしてそんな変なほう行っちゃうの、あっそうかオレ間違えた西口店じゃなくて東口店、そっちじゃなくてこっち、そこからの道すじわからないから適当に歩いてきて、面倒だったらタクシー拾えばいいじゃん、早くおいでよーあははははは」と脳天気な返事が帰ってきた。
 お前から誘っておいてそれはないだろうさんざん歩かせやがって東口店の地図なんか持ってねえしいっそこのまま帰ってやろうかええおいコラぁと心の中でののしりながら冬土用の寒い寒い街を歩く。

 30分ほど歩いてようやく目的地に到着。ガラス越しに知り合いが2人、大口を開けて笑っているのが見える。
 思い切り眉間にしわを寄せて席に着くと「ごめんごめん、あはははははそうか店間違えちゃったんだぁー」とうれしそうに笑う。思い切りガンを飛ばしてからビールをグパッと飲む。
 その後遅れてやってきた若いのが何人かテーブルに加わる。まったくの初対面。あれっメンバー増えるの聞いてなかったけどまあいいかと勢いでビールジョッキ2杯あけて梅酒サワー飲み干して赤ワインにも触手を伸ばした。
 これ以上飲むとやばい、あっ時間も時間だしそろそろ引き上げようかなと席を立ちトイレに入る。
 鍵がなかなか閉まらない。立て付けの悪さに閉口しながらやっと金属のつまみをぼこんと横に倒した。
 用を済ませ、手を洗い、よし帰ろうとつまみを上げようとするとつまみが上がらない。ドアを押したり引いたりしながら鍵をガチャガチャやるがつまみは固まったままびくともしない。
 まずいぞ携帯をテーブルに置いてきたしこのドアとてつもなくぶ厚いから中で大声出しても誰にも聞こえないだろう、あっそういえば自分は閉所恐怖症だったと気づき、一気に酔いが覚めた。鍵と格闘するうち「五黄殺」という文字が頭の中にぼんやり浮かび、やがてくっきりあぶり出された。
 もしかすると自分はこれからヘンな名前の店の狭くて薄暗いトイレでしばらく人生を過ごさなければならないのだろうかと絶望しかけてしばらくすると、魔法が解けたようにいきなりスッとつまみが動いた。
「ふふふ、楽しんだかね?」
 悪意たっぷりのささやきに耳をそむけてトイレから脱出し、席に戻る。
「どうしたのずいぶん長かったですねだいじょうぶですかあ」と目の焦点の合わない女子に微笑みかけられ、ああだいじょうぶですどうかお気になさらずにじゃあ自分は帰りますからと金を置いて逃げるように店を出た。
 あははははは何なのおかしいよおかしすぎるよそれと馬鹿みたいに高笑いする声が背中から矢のように追いかけてきて、危うく突き刺さりそうになった。

2011.01.18

牛丼

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 知人に連れられて浅草へ。
 どじょうを堪能したのち老舗のバーへ行く。裏通りをうねうね歩き、迷路のような細い路地に入った記憶があるが、詳細はまったく覚えていない。ただカウンターの後ろにずらりと並んだウイスキーの瓶がまぶしいほどピカピカに光り輝いていたことだけは覚えている。
「あんたたちどぜう鍋食べてきたでしょうわかるわよそれにしても寒いわねえあたしババシャツ2枚着てるの米はやっぱりコシヒカリだよ西郷隆盛のあそこはとてつもなく大きかったらしいねえいや見たわけじゃないけどさ」
 70歳くらいのベテランママの途切れなく続くマシンガントークを一身に浴びて店を出ると夜12時すぎ。小腹がすいたので牛丼をテイクアウトしようと思い立ち、数年ぶりに牛丼屋に入った。
  
 入り口に四角い食券販売機があり、若くて真っ黒いカップルがああでもないこうでもないと迷っている。数分後にようやく彼らが去って番が回ってきたので牛丼の普通サイズ券を2つ(翌朝のぶんも)買い、カウンター席に座った。
 店内はほぼ満員、蛍光灯のオレンジ色の光がぼんやり灯っている。
「あのう」
「ちょっとお待ちくださいねー、今行きます」
 店員はものすごく忙しそうだ。牛丼を盛りつけたり調理したり空の食器を片付けたりテーブル拭いたりおかわりをよそったりと片時も休まず動き回っている。
 私の左隣に座っているやせたメガネの青年はすでに食べ終えたようで、空の丼に箸を乗せてじっとしている。あまりにも動かないのでそっと盗み見ると、背筋をピンと伸ばして丸めた右手を口に当てている。楊枝で歯の掃除でもしているのかと思ったがどうもそうではないらしい。ただ単に丸めた右手を口に当てているだけだ。
 あれどうしてこの人動かないの瞑想でもしているのと考えを巡らせていると目の前に30代半ばの男性店員が来たので「牛丼2つ、テイクアウトで」とお願いする。
 極太の眉が左右1本につながった彼は「少々お待ちください」と言い残してすぐ向こうへ去った。隣の青年は相変わらず微動だにしない。
 50代後半と見られる半眼のちょっとくたびれた女性店員がいつの間にか目の前に立って「お箸はどうします?」と聞いてきたので「あ、お願いします」と答えると「あっちにありますから取ってきてくださいね」と言う。指さしたほうを見ると店の奥である。
 牛丼を食べたり味噌汁をすすっている人たちの背中を縫うようにして割り箸を取りに行く。
 カウンターに戻ってしばらく待つ。隣の青年はまだ右手を口に当てたままだ。だいじょうぶかもしかするとやばいのではないかこの人と思っていると先ほどの女性店員がまたやってきて「お箸はどうします?」と同じことを聞いてくる。あ、今さっき取ってきましたからとテーブルの上に置いた箸を指さすと、「取ってきましたからもういいって」と一本眉の男性店員に告げる。
 隣の青年が静かに立ち上がり、そのまま音もなく店の外へ消えた。
 呪いでもかけられていたのか、しばりが解けてよかったなと人ごとながらホッとしていると、右隣にいた中年の男性客が運ばれてきた膳を前にして「小鉢がないんだけど」と独り言のように言う。
「小鉢はもう出ないんですよ、昔はあったんですけどね」と女性店員が答え、しばらく2人でぼそぼそ話している。耳を澄ますがまったく聞き取れない。
「紅しょうがはつけますか?」
 一本眉が遠い調理場から唐突に問いを投げかけてきたので「お願いします」と大声で答える。
「七味はどうしますか?」と続けて聞くので「それもお願いします」と大声で言う。
 しばらくすると一本眉がカウンターから出てきて大きな図体を小さく丸め、客の背中を縫いながら私のところまでわざわざ牛丼の袋を持ってきてくれた。カウンターの中から渡してくれれば早いしラクなのになあと思いつつ礼を言って店を出る。

 冬土用の深夜は寒い。冷たい風に逆らうように家路を急いだ。
 家に戻って袋から牛丼を取り出す。
「あっ」と声が出る。
 紅しょうが8袋、七味7袋。ちなみに紅しょうが1袋あたりの分量はかなりあり、1袋で牛丼1個を十分まかなえる。紅しょうが好きでも2袋入れればちょっと多い、4袋入れたら牛丼ではなく紅しょうが丼になるだろう。いやそんなことを言ってはばちが当たる、紅しょうがも七味も自分的には大好きだからよかったじゃないかと紅しょうが1袋と七味1袋を乗せて牛丼をいただく。
 久しぶりに食べたそれはものすごくおいしかった。
 消化のために小1時間ほどつまらないテレビを見てから床につく。牛丼屋の光景がぐるぐる頭の中を駆け巡る。そういえばあの店の照明はオレンジ色だった、なぜ満席なのにしーんとしていたのだろう、店員も客も妙に浮世離れしててなんだかロッキーホラーショウみたいだったなどとつらつら考えるうち眠ってしまった。 

 翌朝、冷蔵庫を開けてみた。がらんとした庫内に牛丼、紅しょうが7袋、七味6袋がころがっている。やはりきのうの店にいた彼らは宇宙人であり、彼らはカムフラージュのために牛丼屋の店員と客を装って作戦会議を開いていたのではないか、そしてこれは突然の訪問客に対するささやかなプレゼントだったのではないか、なんだか妙にやさしい宇宙人だったなあと冷蔵庫の前で呆然とたたずんだ。

2010.12.31

後ろ前

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 明け方、顔見知りの女性が夢に現れた。
「私、結婚するのです。お世話になりました」
「それはよかったですね。お幸せに」
 そう言いながら女性を見ると、真っ黒いオーバーを着ている。仕立てのよい上質なウールのオーバーは、品のいい彼女にとてもよく似合っている。だがよく見ると、後ろ前だ。
 あれ? 顔の下に後ろ身頃がきている。なんか変だなあと思っているうちに目が覚めた。

 洋服を後ろ前に着るのは、着物を左前に着ることと同じではないか。左前は死人前、つまり死人の着付けだ。
 もしかすると彼女、あまりよくない流れに身を置いているのだろうか。変な夢見ちゃったなあ、でも特別に親しい間柄でもないからよけいなおせっかいはできない、私にできるのは推移を見守ることだけだと思い、そのまま放っておくしかなかった。
 
 しばらくしてから、その女性が結婚したという噂を聞いた。その後、夢には一度も出てこない。「便りがないのは元気な証拠」であることを祈る。

2010.11.06

石仏の教え

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 夢を見た。タンスから石仏を取り出し、庭に置いている夢だ。(夢だからちっとも重くない。)
 人間と同じ大きさの石仏が3〜4体、みな、おだやかな顔を太陽に向けている。
 すると、どこからか声が聞こえた。
「奥深くにあるものほど、たまには取り出して明るい日に当てなさい」
 あっ、それが極意なのかとハッと気づいて目が覚めた。

2010.11.04